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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第82話 堕落(その30)】 

七月九日(1853-8-13)の午後、兵庫が駒形からやって来ていた子供たちと剣術をしていると、数衛門と倅の雄介、そして古着屋の彦六・お勝が源次郎に伴われ、やって来た。
 表から入った源次郎が、中に声を掛けた。
出て来て床に座り手を着いたのはお玉だった。
「お玉、宝来屋ご夫妻とやなぎ屋ご夫妻をお連れしましたと、先生に御取次ぎください」
「分かりました。源次郎様、千夏お姉様、小夜お姉様は御店に出て居ますので、お客様を広間にお願い致します」
「任せて下さい」
お玉が兵庫の部屋へ、源次郎は客を広間に案内していった。

 お玉が奥の部屋に入り客が来たことを志津に告げると
「お玉、そこから下りて旦那様に、それから茶店に行きお茶を届ける様に頼みなさい。終ったら庭で遊んでいいですよ」
お玉は、にっこり笑い、縁側から下り道場へと駆けて行った。
その姿を、広間に入った源次郎らが見た。
「お玉ちゃん」忙しそうだなともらした。
「いくつですか」
「たしか六歳です」
「しっかりしていますな」
「ここでは武家の躾が男にも女にもされています。正月まで寺の縁の下に居たとは思えませんよ」

 広間の縁側に面を抱えた兵庫がやって来た。
「皆さんが御揃いで来られたと聞き、少々驚かされました」と防具を外しながら言うと、
「その話をしに来たようなものです」と数衛門が応じた。
兵庫が廊下に上がるのを待って、奥から志津がやってきて、ひょうご、志津と部屋に入り向かい合った。
「鐘巻の妻・志津で御座います。数衛門様、雄介様、彦六様、お勝様、ようこそおいで下さいました」と人一人の顔を見ながら挨拶した。
兵庫の妻が美しいことは道々、源次郎から聞かされていた四人だが、顔を合わせて挨拶されると言葉に詰まった。
 そこに頼んでおいた茶を、千夏と小夜が運んで来て客に出した。
茶を飲み、一呼吸入れたところで、
「源次郎、良かったな!」と全ての話を聞き終ったかのように兵庫が言った。
「はい、以前よりも円満に成り、父も母も喜んで居ます」
「彦六様は如何でしょうか」
「野分けが過ぎた空の様で御座います」
「数衛門殿、有難う御座いました」
「謝りに来たのに・・礼など言われては話しづらくなります」
「過去のことは良いとして先の事を聞かせて下さい」
「先ず、町名主の後任の件ですが、吉衛門様に源次郎様をお願いに参りましたが、まだ二十歳前と若すぎるのでと辞退されたため私が続けることとしました。空席に成って居ます補佐役を改めて源次郎さんにお願いし、引き受けて貰えることに成りました。店ですが近々倅・雄介に三代数衛門を継がせる予定です」
「三代目、頑張って下さい」
「有難う御座います」
「お勝さん、暖簾分けの方は如何ですか」
「仕立て直しが達者ですから、良い品物を並べられます。あとは仕入れの実践ですが、その辺りは本店と同行して勉強して貰うことに成ります」
「そうですか。店を開いたら養育所関係者で衣食住が賄えるようになりますので期待して居ます」
「本店も忘れないで下さいよ」と彦六が合いの手を入れ笑いが起こった。
「鐘巻様、店の事も在りますのでそろそろ帰らねばなりませんが、このように笑いで締めるのは申し訳ないことです。皆様にまことに済まないことを致しました。お詫び申し上げます」と畳に額を付けた。
「頭をお上げください」
「恥ずかしくて上げられませんよ。町の者の暮らしを守る立場の町名主の私が間違いを犯さないように守られていたのです。この便りを見て下さい」と懐から出し兵庫に見せた。
それは下総にやくざの子分を集めに行った磯五郎からのものだった。それには、
“町名主は諍いを言葉で納めるものだ。やくざを使うのは止めた方が良い。幼馴染のやくざ者がお前の為に出来ることはお前を裏切ることだ。磯五郎”
「良い話ですね」と云い志津に手渡した。
よれを読み終えた志津が、
「泣いて馬謖を斬ると言いますが、磯五郎さんは友達の為に泣いて絆を切られたのでしょうね。切れたのなら繋げば良いのです。お玉に頼みましょう」
「お玉ちゃん、あの小さな子にですか」
「はい、子は鎹と申しますね」
「言いますが、それは夫婦の間のことでは」
「はい、でも夫婦の間に子供が居ない時には如何いたしましょうか。繋ぐか否かは数衛門様の気持ち次第。その気持ちを起こさせるのは大人よりは子供方が良いでしょ。お待ちください」

 暫くして広間に筝が持ち込まれた。
「お玉。お友達と仲良く遊んでいる時の気持ちを弾きなさい」
「はい、母上様」
お玉が筝を奏で始めた。
聞いている内に、数衛門は目を閉じた。
幼い頃、磯五郎と遊んだ光景がよみがえってきた。
 そして家に戻る時、数衛門が、
「磯五郎に、お礼の返事を書くことにするよ」と言った。
兵庫は頷いた。
数衛門は自分が堕落の淵に落ちようとしていたのを、ぎりぎりで防いでくれたのが磯五郎だと感じたのだろうと思った。

第八十二話 堕落 完

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Posted on 2016/03/20 Sun. 04:01 [edit]

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【鐘巻兵庫 第82話 堕落(その29)】 

 兵庫と源次郎が宝来屋の暖簾をくぐると、帳場近くに集まって居た者たちに迎えられた。
「鐘巻様、色々とお世話に成りました。有難う御座いました。鐘巻様に奥で申し上げたいことが御座いますのでお上がり下さい」と数衛門が頭を下げた。
「分かりました。私の方からも伝えることが在りますので・・」
 奥座敷で向かい合うと兵庫から切り出した。
「先程、木戸屋岩次郎殿に会ったところ、“恥ずかしいことをした”と謝って居ました。お伝えします。また定廻りの坂牧殿が木戸屋に参りましたので、罰を受けることになるでしょう」
「鐘巻様、私もやくざ者を雇いました。商人として木戸屋さんと同じ、恥ずかしいことをしてしまったことになりますな。もっとも鐘巻様からの御忠告を戴いた時は、商人とは清廉な者ではない、いやむしろ汚れるくらいでないと思って居たのです。しかし、倅が私にもう少し商人の仕事をしろと言ったのです。倅に言わせると私は商人の立場をないがしろにして町名主に耽って居たと云うのです。その町名主がやくざ者を呼んだのです。もう、堕落の極みです。恥ずかしいではすみませんので、町名主を辞めることにしました」
「辞めるとして、後任の目星は付いているのですか」
「いいえ、いつまでも続けるつもりで居ましたので後任の事など微塵も考えては居りません」
兵庫はため息を堪え、そして
「ところで、この話を誰かにしましたか」
「いいえ、引導は鐘巻様からと思い、誰にも話しては居ません」
「それでしたら、町名主のお役を続けてください。町名主で得た恥辱は、町名主で返すのが良いと思います。そうすれば良い後任の者も探せると思います」
「あなたは強いだけではなく優しい御方だ」
「皆にも聞かせる話が在りますので帳場に参りましょう」
 
 場を帳場に変えた兵庫が、
「先程津軽様裏門近くで捕えました者八人は伝馬町へ送られると定廻りの坂牧殿から伺いました。もう怖い邪魔者は出て来ませんので、護衛の仕事は今を持って終わらせて貰います。それと雇いました種吉さんは養育所に居て貰っても役に立ちませんので辞めて貰います。と云うことで、我々代行屋はこれにて廃業します。宝来屋さんには邪魔され滞っている商いを始めて下さい。私たちはこれで失礼いたします」
「お待ちください。代行の代金をお支払いいたしますが幾らになるでしょうか」と数衛門が訪ねてきた。
「それには及びません。代行屋など頼まなくても良いようにして下さい」
と兵庫は土間に下り、外に出ると源次郎、常吉、万次郎が従った。
そして、隣のやなぎ屋に入った。
「彦六さん。お蔭で片付きましたので、引き上げさせていただきます。有難う御座いました。」
「立ち回りが在ったとかで、常吉さんと万次郎さんが隣に戻って来た時には、野次馬のお供を引き連れてきましたよ。嬉しかったね」

「悪党の存在は善人を不快にしますが、消える時に喜びを与えてくれるものなのですね」
「とびっきりのね」
「亀戸に戻る様に成りましたら、養育所も近くなりますので善人の子供たち見に遊びに来て下さい。」

 持ち込んだ六尺棒などを手分けして持ち、やなぎ屋を出た。
「先生、良い経験をさせていただきました」と万次郎が言った。
「侍にしても、やくざにしても実戦は別ものです。」
「地天流の修業には実戦の機会が在るのが良いですね」
「その内に、皆さんにとっては最も難しい逃げ技をどこかで経験して貰いたいですね」
「先生、逃げ技を覚えるのは難しいかもしれませんが、追わせ技と言い換えて貰えれば、あっしら馬鹿ですから上達が早いかもしれませんよ」
「それ面白いですね。逃げ技にしても追わせ技にしても未熟では捕まってしまいます。怪我の元ですから、先ずは逃げ切る力を身に付けることです」
「先生も常吉兄ぃも未熟だったんですね」万次郎が尋ねた。
「分かりますか」
「逃げるのが未熟だったから嫁さんに掴まったんでしょ」
「逃げたんじゃねぇ。猫は追いかけては捕まらねぇ。じっとしていれば寄って来るもんだ」
「兄ぃの言葉には含蓄が在る」
笑いが起こった。

 押上に戻った兵庫は、夕食に万次郎を招き労をねぎらい、少ないがと一両を与え八丁堀に返した。

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Posted on 2016/03/19 Sat. 04:55 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第82話 堕落(その28)】 

 捕縛した浪人二人とやくざ者六人を菊川町の自身番に渡した兵庫等は、源次郎と猿江町の木戸屋へ行くと万次郎に告げ、向った。
 木戸屋の暖簾をくぐると
「いらっしゃいませ」の声が静かな店の中に響いた。
「私は鐘巻兵庫、これは堀川源次郎と申します。岩次郎殿に話が在り参りました。御取次ぎお願い致します。
番頭は、兵庫と供に来た男が午前中に来て、店の者を倒した男と知り、
「どの様なお話でしょうか」と確かめて来た。
「私は田舎の剣術使いで押上に道場を開いています。縁あって宝来屋に護衛を頼まれた者で御座います。本日は津軽様に荷を届けに行く所を南辻橋にて、こちら様のお方と思われますお二人に道を塞がれたため、やむなく力ずくで退けて通りました。それから大した時を待たずに、浪人を二人を含む八人が喧嘩支度を整え参りました。命がけ故、遠慮なく叩きのめし先程自身番に渡して参りました。ほどなく奉行所の者がこちらに参ると思いますが、その前に、腑に落ちぬことが在りますのでお尋ねしたいのです」
番頭にとって、兵庫の言うことに、何らの疑問を示すこともなく、
「分かりました。暫くお待ち下さい」と奥に消えた。

 ほどなくして兵庫と源次郎は座敷の上座に座っていた。
「岩次郎で御座います。鐘巻様、堀川様、お手数をお掛けしました。お詫びの言葉も御座いません。宝来屋さんに会うことも無いでしょうから、恥ずかしいことをしたとお伝えください」と捕えられることを観念したかのように切り出して来た。
「宝来屋への言伝、分かりました。どうしてこのようなことに陥ったのですか」
「後から店を開いた辛さと申しましょうか、なかなか宝来屋さんの縄張に入れなかったのです。ですから少しばかり値引きをして、それなりの売り上げが御座いました。しかし少しばかりの値引きでは、長い取引が在る者と宝来屋さんとの絆をなかなか断ち切れませんでした。それで、殆ど儲からない商いをすることで、堅川の南では手前どもの客が多くなりました。これで無理は止め、時間を掛け値引きを減らして行けば良かったのですが、つい急ぎ、やくざ者の手を借りてしまいました。諸刃の剣でした。宝来屋さんと客の絆を恐怖で切れた反面、手前どもの評判を落としていきました。それで、やくざ者にはもういいと告げたのですが止めてはくれませんでした」
「どうしてですか」
「やくざ者は町の者たちが自分たちを怖がり、言うことを聞いてくれることに自分たちを雇われやくざの身から一家を構えるやくざになることにしたのです。そしてこの家に住み着いてしまい出て行ってくれませんでした」
「奉行所がどの様な裁きをするかは分かりませんが、もし、商売を続けられるのでしたら、商人として恥じることの無い商いをして下さい」
「はい、肝に銘じてもう落ちたことは致しません。せっかく追い出してくれたやくざ者を二度とこの家には入れません。
そこに、番頭がやって来た。
「旦那様、定廻り同心の坂牧様が来られました」
「分かりました。番頭さん、後のことは頼みますよ」

 岩次郎が出かける支度を女房にさせている間に、兵庫と源次郎は帳場に出て行った。
そこでは茶を飲みながら定廻り同心の坂牧と岡っ引きが待って居た。
「鐘巻さん、来て居たのか。怪我はさせて居ないだろうな」
「まさか、私は乱暴が嫌いですから、その様なことはしません」
「そうは言うが、自身番の八人は、かなり痛めつけられていたぞ」
「仕方ないでしょう。やくざ者は皆、刃物を抜いたのですから」
「御蔭で、逃げられる心配をせずに、伝馬町までつれていける」
「なぜ、もっと早く捕まえなかったのですか」
「苦情は耳にするが、訴えを出さい商人ばかりで、捕まえることが出来なかったが、今度は証人に成って貰えそうだ。邪魔された宝来屋にも逃げないように言っておいてくれ」
「それでは、宝来屋に一言云ってから押上に戻ります」

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Posted on 2016/03/18 Fri. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第82話 堕落(その27)】 

 護衛を付け、荷を届けに出かけた宝来屋の一行が南辻橋で邪魔をされ、それを実力で排除した話を万次郎から、聞いた兵庫は内心驚いた。
嫌がらせを日中、通行人の多い橋の上でやらせる木戸屋の意図が理解できなかったのだ。
商いに大事なことは、やはり信用だと思って居る兵庫、悪評を必要以上に高めては良い客が居ついてくれない。そう思いつつ「支度をしなさい」と腰を上げた。

 津軽式部少輔上屋敷は表・裏・脇の各道は丁目境で見通しが良い。また、この表通りと裏通りは、兵庫がしばしば訪れた前の南町奉行遠山金四郎の下屋敷と共通にしており、この辺りの土地勘があった。
地天の半纏を着せ、六尺棒を持たせた源次郎と万次郎を伴った兵庫は宝来屋が通った同じ道を辿り津軽上屋敷の裏門が見える北の四つ角にやって来た。
そこの辻番に、
「私は油問屋宝来屋の警護を請け負って居ます鐘巻兵庫と申します。先程、南辻橋にて津軽様に荷を届ける、あの大八車の一行がやくざ者二人に邪魔をされました。実力で追い払いましたが、仲間を連れてまた仕返しに来ることが懸念されますので、用心のため、ここに一人置かせて下さい」
「どうぞ。助かります」
ここに源次郎を置き、つぎの南の辻の辻番に万治郎を置いた。
兵庫自身は少し離れた遠山家の裏に在る辻番近くに立った。
そこからは、もしやくざ者がやって来れば必ず通ると思われる菊川橋が見通せるからだ。

 そして、兵庫の読み通り菊川橋を渡りやくざ者たちがやって来た。橋を渡った者たちは直進し兵庫が見張る武家屋敷帯に入らず、直ぐに北に曲がり大横川沿いの菊川町の道を選んだ。
兵庫はその動きに合わせ、武家屋敷に挟まれた裏道を北に一区画進み、万次郎が居る辻番に入った。
静かに人が近づく音がして四つ角に浪人二人を含む八人が姿を見せた。
やくざ者は皆脇差を差して居た。
「お前たち、徒党を組み、何をするつもりだ」
「辻番さん。あの男に用が在るだけだ」と指を差し
「これで見なかったことにしてくれ」と酒手を手渡した。
「分かった」
「行くぞ」
男たちが常吉に向って歩き始めると、辻番所に潜んで居た兵庫が刺股を、万次郎は持参の六尺棒を持って姿を現した。
兵庫の持つ刺股が振り回され、最後尾を気乗りなく歩く浪人の側頭部を打ち、昏倒させた。
それに気づいて振り返った残りの浪人の首に刺股が押し込まれ、悲鳴を上げ倒された。
そして、兵庫等の動きが常吉、源次郎にも伝わり、やくざ者に向って走った。
頼みの二人を早々と倒され、残された六人のやくざ者は前後を挟まれ動きを止め、防御に入り脇差を抜いた。
「私は押し上げに地天流の道場を開く鐘巻兵庫と申します。みな門弟です。皆さんに勝ち目は有りません。痛い目を見たくなければ刀を捨てなさい」
刀を捨てたくても最初に捨てる訳にはいかない。
「誰が頭だ、刃物を捨てさせろ。これが最後だ」と常吉が叫んだ。
やくざの事情に通じた常吉の説得だったが、捨てなかった。
「いい度胸だ。行くぞ」と常吉が進み出、間合を詰めた。同時に他の三人も詰めた。
「てめぇは、油を買いに来た野郎。よくも恥をかかせてくれたな」と源次郎と向かい合った男がいい、突っかかって行った。
それで残りのやくざ者も覚悟を決め、斬り込んだ。
が一瞬の内に四人が突きを腹部に受け、苦悶の表情を見せ、うずくまった。そこに第二打が額を割り血を吹かせた。
それは先日、薬研堀での捕り方役に備え、六尺棒の稽古そのものだった。
その後も立って居る者には容赦なく打撃が加えられ、地に伏した。

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Posted on 2016/03/17 Thu. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第82話 堕落(その26)】 

 荷を届ける津軽式部少輔上屋敷は堅川の南に在る。本来なら堅川北側の道を三つ目橋まで行き渡るのが襲われづらいのだが、常吉はひとつ手前の新辻橋を渡った。
常吉は今後の事も在り護衛の仕事ぶりを宝来屋の者たちに見せておきたかったのだ。
そして、それが叶うことになった。
常吉が堅川を渡った新辻橋の南詰めで一行が来るのを待って居ると、その後ろをすり抜けたやくざ者二人が居た。一人がさらに進み大横川に架かる南辻橋を渡り、もう一人は渡らずに景色の中に身を潜め挟み撃ちにするつもりのようだ。

 この場の説明をしよう。
ここは堅川の掘割と大横川の掘割が十字に交わる所なのだ。それ故に陸地が四つに分割されている。宝来屋は北東の島に在り、油を届ける津軽上屋敷は対角の南東に在る。
荷を届けるためには橋を二度渡らねばならないのだ。
それなら、やくざ者がどうして荷の届け先が南東の島に在ることを知ったのだろうか。
それは、宝来屋を見張り、どこで商いの邪魔をするか考える者にとって優しい問題だった。
荷を届ける一行の中に番頭の姿があることで作法的には大名上屋敷が納入先になることは教えられている筈なのだ。邪魔をすることで、最も相手に打撃を与えることが出来るからだ。更に言えば、番頭の前を身なりの良い男が偉そうに歩いて居るのだから、疑う余地が無かった。

 一行が新辻橋を渡り、常吉の近くまでやって来ると、四人の一行が五人に成った。
そして常吉が二番目の橋・南辻橋を渡り始め、荷車が橋の中央に上った時、前を塞ぐように男が現れた。
「邪魔するな、どけ」
常吉が一喝したが、それで退く訳がない。
一行の進行が止まると、一行の後方にも男が現れ通行人を装った。
しかし、止まったのはほんの僅かの間だった。
「通して貰う」と云うと、常吉は前に立ち塞がる男に向って一人歩んだ。
当然ぶつかり手を出さない押し合いが始まったが、太鼓橋が常吉に味方し、男が太鼓橋の坂を下ったのだ。これで穏やかな押しあいは終わった。
「やってしまえ」の声で、一行の後方で通行人を装って居た男が、
「お~」と呼応し、同時に、声に驚き振り返った最後尾の小僧に襲い掛かろうとした。
が、その男の伸びた手が小僧に届く前に、引っ込み前を抑えて跪(ひざまず)いた。
いつの間にか通行人を装って近づいて居た万次郎に股間を蹴り上げられたのだ。
「兄ぃ。後ろは一人だ。任せてくれ」
「頼む。前の野郎は口だけで掛かって来ねぇ、腑抜け野郎だ」と橋を渡ろうと両たもとに集まった通行人に向って言った。
「また、木戸屋の奴だ」との声が常吉の耳に届いて来た。
この言葉が、常吉を抑えて居た忍耐を解き放った。嫌われ者を打ち据えても非難されないと思ったのだ。常吉の持って居た六尺が男を襲ったのだ。打撃を受けた男は腕を押さえて欄干にもたれ位置を変え、道を開けた。
その時、悲鳴に続き、水の音が起こった。
「雑魚に逃げられた」と万次郎が投げ落とした男に向って言った。
「おい、お前も泳ぎたくなかったら、さっさと消えろ」
常吉の言葉に従うように男は、大横川に落された仲間を救い上げようと堀端を逃げて行った。
一行が六人になって進み始めると常吉は殿(しんがり)の万次郎を呼んだ。
「奴らが加勢を連れて来るかもしれねぇ。用心のため先生方に屋敷の裏門近くまで出張って貰ってくれ」
万次郎は頷くと引き返していった。

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Posted on 2016/03/16 Wed. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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