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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第83話 母ごころ(その12)】 

 話が難しくなり、お玉が千丸と睨めっこをして遊び始めた。
「赤松様、お供の方は何人で御座いましょうか」
「二人だが・・」
「お玉、お客様五人の食事を頼み、出来るまで又四郎さんと遊んでいなさい」
「はい、母上。又四郎様、明日咲く朝顔のつぼみが出来ているよ。見ていて頂戴、直ぐ行くから」
遊びに来た訳では無いので、又四郎は困った様子を見せ、母を見た。
「見てきなさい。その代わり家に戻ったら描くのですよ」
又四郎は、頷き母越しに父・幹十郎を見た。
「母の言うようにしなさい」
「はい、父上」
静かに部屋を出て行った二人だが、姿が部屋から見えなくなると廊下を駆け出す音が聞こえ、去っていった。

 お玉が居なくなったことで話しやすくなったのか、幹十郎が
「養育所の運営を臨時収入にまで頼るのは如何なものか。倹約が必要と申して居るが、何故、倅が羨むような食事を子ども達に出すのだ」
「それには幾つか訳が在ります。一つは子どもの栄養のためです。ここに引き取られてきた時は痩せていたのです。子ども達にとって第一の関心事は食べる事なのです。ですから食べる事の関心事を無くす必要がありました。養育所は子ども達を自立できる大人に育てるためには、食の心配を忘れさせ、これまで怠ってきた勉強に目を向けさせねばならなかったのです。子ども達は読み書き算盤が出来なければ自立できない事が分かっていますので、食の心配がなくなると勉学に励むようになりました。また芸事にも・・・」
「話は分かったが、子ども達の身体はかなりしっかりしていると思う。いつまで続けるのだ」
「よほどの事が起きない限り続けます。暫らくすればまた飢えた子ども達が寒さに凍え現れるのです。それと美味い物が贅沢だと勘違いされては困るのです。食べている魚は鰯などで、それも河岸で大量に安く仕入れているのです。ボラが川を上ってくれば捕ることもあり、アサリ捕り、今日からはイナゴ捕りを始めました。米俵が積まれているのを見たと思いますが、異国船が来る前に安く一年分仕入れたものです。皆さんが思うほどに金を掛けていないのです。後ほど出てくる夕膳を見れば納得して頂けると思います。」
 納得したのか幹十郎は頷いていたが
「先ほど子ども達が凍え現れると申したが、養育所に入るだけでは直ぐに一杯になってしまう。先ほどかなり大きな小僧も見たが、何故小僧に出さない。引き受け手がないのか」
幹十郎の問いは、兵庫が気に掛けていたことだった。それ故に即答が出来ずに間が空いた。
「小僧や下働きに、養育所の子ども達は出しません」と志津が言い切ったのだ。
「どう云うことかな」
「赤松様がご子息を小僧に出さないのと同じで御座います。私は子ども達から母と呼ばれています。私たちは子ども達に悪い嘘はつきません。ですから信じてもらっています。私がどこどこの小僧になって励みなさいと言えば、疑うことなく行ってくれるでしょう。ただ母は子の幸せを願うもの。出来れば孫の幸せな姿も見たいものです。それが叶うと思われる所に娘や息子を出さなければ、子ども達への裏切りです。それでは母とはいえません。私は母なのですよ」
「分かった。申し訳ないことをした。許してくれ」
「赤松様、お手を上げてください。志津に謝るのは私です。赤松様と同じような事を考えていたのです。志津は母と呼ばれますが、私は兄と呼ばれます。兄は弟等に厳しいものです。部屋住みの私は兄の真似をしようとしていました。私の母も私には優しかったです。母ごころとは良いものですね」
「そのようだな」

 廊下に足音がして、「膳を運びますので」と障子の影から声がかかった。
「上下無しで、向き合いましょう」と兵庫が立ち上がり座を変えると赤松も倣った。
 膳を持ったお松、お竹、千夏、小夜の四人が入ってきて、客と主人の前に膳を置き引き下がった。
それと入れ替わるように、同じく膳を持った、お玉を先頭に又四郎、赤松家の供二人が入ってきて、それぞれの側に座った。
そして、先ほどのお松、お竹、千夏、小夜と佐吉、彦次郎が入ってきて座った。
「揃ったようです。今日は又四郎さんのご両親様が、みんなで食べるご飯が美味しくなることを確かめに来てくれました。それでは聞きます。お玉、養育所のご飯の良いところはなんだ」
「取りっこなしだから、お玉のように小さくても弱くても、温かいいい匂いの美味しいご飯を食べられること。だから、お玉は遠くまで歩けるようになった」
その元気になったお玉を志津が嬉しそうに見ていた。
「いただきます」兵庫の発声で「いただきます」の唱和が起こった。

第八十三話 母ごころ 完

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Posted on 2016/04/09 Sat. 04:01 [edit]

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【鐘巻兵庫 第83話 母ごころ(その11)】 

 そして、足音が戻ってきて、障子に大きな影が出来、赤子を抱く女が姿を見せ、部屋に入ると兵庫の脇に座った。
「妻の志津と千丸です。間も無く駒形から参った男の子たちが戻るために、母代わりの志津と挨拶を交わすことになっています。そのため一旦席を外します。挨拶が済めば、ここに戻りますので絵を確かめるのはその時にお願いします」
部屋に入ってから座るまで志津の様子を見ていた赤松幹十郎は、絵の確かさを認めたうえで、絵では表せない志津の美しさに目を奪われていた。
「分かった。どうぞ子どもの所へ・・」
座ったばかりの志津が立ち上がると部屋を出て行くのを幹十郎は見送った。

 暫らくして広間から見える庭を子ども達が、志津が消えて行った方に横切っていった。
そして「母上」と呼ぶ声が広間にも聞こえてきた」
兵庫は立ち上がり廊下に出た。その兵庫の目の前を、志津に挨拶を済ませた子ども達が「兄上、又明日」などと思い思いに声をかけ通り過ぎていった。

 子ども達の声が遠くになると、広間に千丸を抱いた志津がお玉を連れて戻ってきた。
志津はお玉を兵庫との間に挟んで座わった。
「あっ、朝と同じ物・・・」と又四郎が叫び、口を押さえた。
「赤松様、又四郎殿が今朝私と会った時に着ていた物を羽織って参りました。絵を見てお確かめ下さい」
「既に確かめた。わしは又四郎に限らず子ども達に大きな声を出してきた。だから又四郎を怒鳴った事など覚えていない。だが又四郎は覚えていて、忘れようとしない。危うく又四郎の才を埋もれさせるところだった。思えば癇癪が役立ったのは唯の一回しかない」
「あなた、役立ったことが御座いましたか」
「ああ、あの時、癇癪を起こさなかったら鐘巻殿に会えなかった。鐘巻殿、そうは思わぬか」
「両国橋のことですか。癇癪を起こされなければ間違いなくただすれ違っただけで終わったでしょう。ただ癇癪を起こしてくれたことに、私は感謝しています」
「どうしてだ」
「それは将来有望な又四郎殿に会えたこと。それとあの時癇癪の火種となったやくざ者、鬼吉というのですが、駒形に私を訪ねてきたのです。今は駒形で子ども達を守る保安方として働いています。今までの保安方に良縁が生じ、養育所から旅立ち人手不足になっていたので助かりました」
「そう言えば、あの癇癪以来、未だ癇癪は起こして居らぬ。あの功名の癇癪を最後にするとするか」
「そうして下さい。もう若くは無いのですから」と妻のこず恵が諭せば
「その様な言い方が・・・」
「赤松様、いけません、癇癪を起こしては」と兵庫がなだめた。
「そうだったそうだった」
笑いが起こった。
「又四郎殿の才に納得頂けたようですから、次の疑問、どうして養育所では美味い物が出せるのかに移ります。美味い物を出すために必要なものは金と料理人の腕です」
「旦那様、それだけでは駄目です」
「他に在りますか」
「美味しいと言って食べてくれる人が先ず必要です」
「なるほど、それでは食べる人に一番手柄が在るとすれば二番手柄は料理を作る人になります。養育所の料理の味は妻・志津が修業して会得したものです」
「はい、一番手柄のお方のために修業して、私は妻の座を射止めました」と志津が付け足した。
「こず恵、ここに来て惚気(のろけ)話を聞かされるとは思わなかったぞ」
「照れますね。現実に戻って最後は金の話をします。養育所は発起時までの蓄財、浄財、店の稼ぎと臨時収入で賄っています。今の所、商いで儲けたお陰で開設時の金を減らさずに来ています。ただ日々の出入りを見れば出が多いので、倹約が必要です」
「何だ、臨時収入とは」
「戦です」
「戦か」
「はい、悪党との戦で身包みを剥いでいます」
「噂は聞いていたが、お主は戦国の武士だな」
「治にいて乱を忘れずと申します。乱を願っているわけでは御座いませんが」

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Posted on 2016/04/08 Fri. 04:01 [edit]

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【鐘巻兵庫 第83話 母ごころ(その10)】 

 兵庫が押上げに戻った時、イナゴ捕りに出かけた子ども達は未だ帰って居らず、どこからも甲高い声は聞こえてこなかった。
堅苦しい羽織袴から、兵庫の仕事着である稽古着姿になりながら、脱いだ物をたたみ、片付けてくれている志津に、
「又四郎のことですが、主が居ませんでした。奥様には分かって頂きましたが、赤松殿は橋の上でたまたま会った私に、大事な子の将来を頼む人ですから、又四郎の望が叶うか否かは分かりません」
「そうかもしれませんが、又四郎さんはここに来る前とは変わっていると思います。それと母上様が見方に成るでしょうから、自分の夢に向って歩むと思いますよ」
「親に止められても進む意志を持ったということですか。ぜひ突き進んで欲しいですね」
「それはそれとして、旦那様が家を出たのが二十歳、又四郎は九歳です。修業に出る吾が子を見送る母は寂しい事でしょうね」
「そうですね、養育所でも出て行く者を見送る日が・・・」

 二人の話が寂しい話題になったところで、表から子ども達の楽しそうな声が聞こえてきた。
「帰ってきましたね。暫らくイナゴの佃煮に攻められそうですね」
「心配無用ですよ。佐吉さんは売り物にすると申していましたから」
「十軒店も、ただ仕入れて売るから、利幅が大きくなる、作って売るへと成長していますね」

 又四郎のことで始まった二人の会話が身近な話題に変わって暫らくすると、部屋にお玉がやってきた。
「兄上様、赤松様御夫妻と又四郎様がお越しになられました。小夜様が広間にお通ししました」
「着替え直していくので、お相手をしていなさい」
「はい」

 お玉が出て行くと、兵庫は急ぎ稽古着を脱ぎ、志津は先ほど片付けた物に兵庫が着るのを手伝った。
そうした中、広間の方から筝の音が聞こえてきた。
わずか六歳の女の子に大人の相手を頼む方がおかしいのだが、広間ではお玉は自分が出来ることを始めたのだ。
 そこに、千夏と小夜が茶を運んできて、赤松夫妻の前に置いた。引き下がるかと思ったが、二人は筝をお玉の近くに並べ、合奏を始めた。
 着替えを済ませた兵庫が部屋に入ると、千夏が筝をやめ一礼し部屋を出て行き、そして小夜も琴を弾くのを止め出て行った。最後にお玉が琴の調べを終局へと運び、終わらせた。
「お玉、外で控えていなさい」
「はい、兄上様」

 赤松夫妻と向き合った兵庫が口を開いた。
「今の娘たちは皆、浮浪の出か?」
「一番小さな娘が浮浪の出で、残りの二人は女衒の手を逃れた者で、みな今年の正月前後に養育所で引き取りました」
「わずか半年で、よくも育て上げたものだな」
「恐れ入ります。ところで、わざわざのお運びで御座いますが、又四郎殿の願いは絵師になる事でございます」と断じ、これ以上話がそれていくのを拒んで見せた。
「その事は、妻より話を聞き、また絵も見せてもらった。倅にこのような才が在るとは思いもしなかった。それ故、確かめに参ったのだ」
「確かめに? とは」
「この絵の御仁に会ってみたい。百聞は一見に如かず と申すからな」
「それでしたら、納得がいかない赤松殿がお一人で来られれば済むことではありませんか、付き合わされる奥様や又四郎殿にとっては迷惑な話です」
「そう云うな。この場所が不案内だったのだ。それと・・・」と口ごもった。
「それと、・・何でしょうか」
「倅がここの飯は美味いと云うのだ。養育所がどうしてその様な物を出せるのか知りたくも在った。先ずは誠か否か食べて確かめようとなり、皆で参った次第」
「分かりました。百聞は一見に如かず を片付けましょう。お玉、母上に千丸を抱いて来るように伝えなさい」
「はい、兄上様」
障子の小さな影が動き、足音が去っていった。

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Posted on 2016/04/07 Thu. 04:01 [edit]

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【鐘巻兵庫 第83話 母ごころ(その9)】 

 押上を出た兵庫と又四郎は一旦駒形に立ち寄り、挨拶を済ませ、置いてあった又四郎の私物を持って駒形を出た。そして下谷練塀小路の赤松家に向った。
駒形と練塀小路は近い。直ぐにつき、又四郎は兵庫を客間に通し、奥に消えていった。
暫らくして、防具を外した又四郎と母・こず恵が茶を持って部屋に入ってきた。
「鐘巻様、粗茶ですが、どうぞ」
「有難う御座います」
「生憎、主は御用から未だ戻っておりませんので、代わりに承(うけたまわ)っておきます」
「過日六日、又四郎殿が何をやりたいのか探すお話を頂きました。用があり遅れましたが今日十日、朝から又四郎殿と付き合い何とか探し出すことが出来ました」
「何だったのでしょうか」
「又四郎殿は絵を描く仕事がしたいのです」
「又四郎が絵師に成りたいと仰るのですか」
「はい、見事な絵を描きました。これがその証です」
兵庫は懐紙に挟んで持ってきた絵を取り出し、こず恵の前に広げて置いた。
そしてこず恵が手に取った。
「その絵は、今朝、稽古にきた又四郎殿が子を抱く吾が妻と会った時の絵ですが、描いたのは昼過ぎに何も見ないで描きました。奥様、能ある鷹は爪を隠すとか申しますが、又四郎殿は九歳にして爪を隠していました。逸材で御座いました」
「信じられません。この様な才が在るとは気がつきませんでした」
「又四郎殿の話では、幼い時の手習いの折り余白に絵を描いたようです。それを厳しく咎められたため、この家では一切、絵を描かなくなったそうです。気がつかなかったのも仕方ない事でした」
「お恥ずかしい話で御座います。主が戻りましたら、鐘巻様のお言葉伝えます。有難う御座いました」
「それでは、引き上げさせて頂きます。又四郎殿、良い師につき励みなさい」
「有難う御座いました」

 両国橋の上でたまたま会った赤松幹十郎から頼まれた、何ごとにも興味を示さない倅・又四郎が何をやりたいのか探す仕事を終えた兵庫は、駒形の養育所に向って歩いていた。
養育所には又四郎より年長の者も多いのだが、何をやりたいのかはっきりしない者ばかり、それが気になってきた。
女衒(ぜげん)の手を逃れ、養育所に来たお松十四歳を頭にお竹、千夏、小夜の十歳まで四人いる。
もう稼業を手伝うなり、外に出て働かなければならない歳なのだ。
でも、女には逃げ場があった。ある程度の手伝い仕事を覚え、しっかりした男に嫁ぐ手が残っているからだった。
しかし男の正三・十一歳や観太・十歳は自立しなければならないのだ。
その後には九歳の虎次郎、熊五郎が続いている。

 兵庫は悩みを深めながら駒形までやって来た。
養育所を外から見た様子では子ども達は押上から戻っていないと思われた。そして隣の薬屋継志堂を見ると出て行く客の姿と見送る声が聞こえてきた。
継志堂では六人の男が働いている。皆、独り者だった。
自立している独り者が居ると思った兵庫は、養育所に入り、
「内藤さん」と奥に声をかけた。
足音がして内藤に続いてお雪も出てきた。
「又四郎さんの件は終わりましたか」
「はい、又四郎が絵師になりたいことを知らせ、又四郎が描いた、千丸を抱く志津の絵を見せたら驚いていましたよ」
「それは私も見たかったですね」
「幾らでも描きたいでしょうから、紙を持っていけば描いてくれますよ」
「そうしましょう。ところで、何でしょうか」
「隣。継志堂の雇い人六人の歳を知りたいのですが、分かりますか」
「届け出ていますので、分かりますよ。待って下さい」
内藤は持ち出してきた人別控を開いて、兵庫に渡した。
見ていた兵庫が、
「常八さんの二十八歳を頭に二歳差で藤吉、大吉、武三、三次、田作の十八歳まで並んでいますね」
「みな真面目な者たちばかりです。嫁の世話をしてあげたいものです」
「その辺りのことを思い聞いたのです。志津と相談してみますが、内藤さんも探してみて下さい」

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Posted on 2016/04/06 Wed. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第83話 母ごころ(その8)】 

 そこには僅か九歳の子が描いたとは思えない絵が在った。
「見事なものだ」と兵庫がつぶやいた。
茂三郎も縫もただ頷くだけで又四郎の天分を認めた。
「この戸、暫らくこのままにしておいて下さい。見に来る人が居るかもしれませんので」
「分かりました。来られなくてもこのまま使うようにしますよ」
 “好きこそものの上手なれ”の諺が兵庫の脳裏に浮かび、又四郎の好きなことは絵を描くことに間違いないと思えた。これで赤松幹十郎から頼まれた仕事に目処がついたと思った。
「お玉、又四郎。今度は私が頼まれたイナゴ捕りの仕事を手伝いなさい」と残った仕事に目を向けた。
「はい」「はい」と二人が応えた。
「父上」と象二郎が茂三郎を見上げた。
「象二郎、お前も手伝いなさい。迎えに行くまで養育所で遊んでいなさい」
親子となって間もない茂三郎と象二郎の会話を、茂三郎の妻となった縫が聞いていた。

 イナゴを捕りながら兵庫、お玉、又四郎と象二郎を加えた四人が押上げに向かっていると、竹を担いだ辰五郎がやってきた。
「先生、女子(おなご)たちのために七夕飾りを作る竹です。押上にも届けてあります」
「ありがとう。今日は曇っていますが明日は晴れて欲しいですね」

 養育所についた時、袋の中にはかなりのイナゴが入っていた。
その袋を依頼主の佐吉に渡すと
「沢山捕れたのは嬉しいのですが、百姓にとってイナゴが多いのは迷惑な話です。暫らくイナゴ捕りを続けましょう」
「駒形から子ども達が着ているようですから、昼食後皆で捕りに行かせましょう。佐吉さん支度をお願いします」
「分かりました。百姓も喜ぶ事でしょう」

 兵庫は又四郎を連れ志津の居る自室に戻った。
「志津、又四郎のやりたいことが分かったような気がします。それを確かめます」と云い又四郎を志津の前に座らせ、己は志津の隣に座り、又四郎と向かい合った。
「又四郎、お前が成りたいのは絵師か」
「はい」と何のためらいもなく応えた。
「旦那様、どうして分かったのですか」
「朝から又四郎のことを見ていたら、色々と観察していました。そして向島の茂三郎さんの所に行くと、柿渋を塗る茂三郎さんを見ているのです。そこで悪戯書きをさせてみたら、外で見たばかりの山羊の絵を、あっと言う間に白木の戸に描いて見せたのです」
「それほどの絵を描けるのをご両親様がどうして気がつかないのでしょうか。知って居られる筈です」
「だとすれば、又四郎、ご両親は絵を描く事を許してくれないのか」
「小さい時、手習いの余白に絵を描いたことが在りました。酷く叱られたので、以後両親の前で絵を描いたことが在りませんので、許してもらえるとは思えなかったのです」
「それでは確かめましょう。お昼を食べ終えたら紙に今日見た好きなものを描きなさい。私が満足するものなら、それを持って旦那様とお屋敷に行きなさい。旦那様が説得してくれますよ」
「有難う御座います」又四郎の顔がほころんだ。

 昼食後、又四郎が紙に描いたものは、なんと千丸を抱いた志津の姿だった。
それは朝稽古に来た時に、志津と挨拶を交わす間に又四郎が見た光景だった。
又四郎の描いた絵は、所謂、様式の決まった美人画ではなく、写実画に近いものだった。
「私の羽織の柄まで・・・又四郎は見た光景を心に留め、後にそれを描ける稀有の能力を持っているのですね」
志津は朝など長く千丸を抱く時には、汚れてもいいような羽織を着るのだ。今はそれを着ていなかったのだ。
「又四郎、志津の許しが出たようです。その絵を持って、これから私と屋敷に行きましょう。その絵を見れば又四郎の望が叶うようにしてくれるでしょう。もし駄目なら元服まで待って私のところに来なさい。私が叶えてやります」
「有難う御座います」
「それでは又四郎、皆とお別れです。挨拶してきなさい。終わったら稽古道具を身に着けなさい。持って帰るより楽だからな」
「はい」
「兵庫はその間に赤松家訪問のため武家らしく着替え直した。

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Posted on 2016/04/05 Tue. 04:01 [edit]

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