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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第85話 新盆(その17)】 

 夕方、まだ西山に陽が残こり明るいうちに、鐘巻家の者十九人が広間に集い、いつもより早く夕食が始められていた。
後に控える送り火を全員で行い、その余韻を子供たちに味会わせたいとの思いからだった。
部屋の祭壇には、その送り火で送られる魂の宿る十九本の大中小のロウソクが灯っていた。
 夕食が終わり、子供たちにより膳が片付けられ、洗われ所定の場所に納められた。
夕日が沈み、東の空に十五夜の満月が昇り始め、浅草で打たれた暮れ六つの鐘の音が聞こえてきた。
子供たちは集められ、遊び着から少しばかり畏まった衣服に着替えさせられた。
佐吉と彦次郎は十軒店表口の外に送り火の舞台を作っていた。
それは燃やす苧殻(おがら)を一つ積み上げた他に、表口の中には広間から運ばれた十九本のロウソクが灯る祭壇と苧殻の入った籠が置かれていた。

 そうした中、母屋の出入り口で八木家、新盆の送り火が始められた。
送られる者は不条理な敵討ちの刃を受け不運の死を遂げた八木家当主だった八木三郎で、火を点けたのは母の文で、それを幼児佐助の手を引く妻の紗江が見守り、手を合わせていた。
 母屋の表での送り火が終わると、母屋裏の五軒長屋の中央で中西家の送り火がはじめられた。
送られるのはこれまた凶刃に倒れた中西健五郎で、火を点けたのは妻のたつで、見守るのは長男の肝太郎・きね夫妻と働き先から戻っていた心次郎だった。

 八木家と中西家の送り火が終わったことが伝えられると、鐘巻家の送り火の順が巡って来た。
兵庫を先頭に千丸を抱いた志津そして子供たちが従い、母屋を出ると佐吉と彦次郎が加わった。そして十軒店の外に出た。そこには祭壇も出されていた。
「送り火はロウソクの数だけ焚きます。先ず幸を送ります」と兵庫が云い、志津から千丸を預かった。
志津が祭壇奥、中央のロウソクを取り、苧殻に歩み寄った。
その志津の左手を取ると志津腰を落とし、ロウソクの火を苧殻に移した。
燃えがると、その火に向かって皆が手を合わせた。
そして燃え尽きると灰が取り除かれ新しい苧殻が組まれた。
「佐吉さんお願いします」
佐吉が祭壇から自分が灯したロウソクを取り、新しい苧殻に火を移した。
皆が手を合わせ、佐吉が呼び寄せた魂を見送った。
そしてその火が燃え尽きると新しい苧殻が組まれた。
こうして、彦次郎、男の子たち。女の子たちが送り火を灯し、呼び寄せた魂を見送っていった。
祭壇に灯るロウソクは大小一本ずつになった。
兵庫は千丸を左手で抱き、右手で千丸の右手を包み、残った人差し指と親指で小さなロウソクを取り、用意された苧殻に火を移した。
こうして、鐘巻一家の送り火が終わった。

 兵庫は最後のロウソクを掴んだ
「これから養育所を創ることを教えてくれた、十一人の御霊の送り火をします。子供たちは私と手をつなぎなさい」
もう要領は分かっているから、お玉が兵庫の左手とつなぐと皆が手をつなぎ苧殻を囲い、最後の正三が兵庫の帯を握った。
高く積まれた苧殻に兵庫がロウソクの火を移した。
これまでの送り火より大きな炎が上がり、顔を朱に染めると囲う輪が広がった。
燃え尽きるまで子供たちは見ていた。
そして、時間をかけた送り火が終わった。
終わっても子供たちは家の中に入ろうとはしなかった。
それは千丸を抱いた兵庫が、志津と川沿いの道を歩き始めたのを見たからだったが、兵庫と志津の邪魔をする者は居なかった。
「志津、これで子供たちに思いやりの心が芽生えてくれれば良いのですが」
「亡くなった者への思いやりを教えたのですから、生きて居る者への思いやりは芽生えていますよ」
志津の応えは兵庫が欲したものだった。
「月がきれいですね(I love you.)」
だいぶ高くまで昇って来た満月を見て兵庫が云うと、志津と兵庫の距離が狭まった。

第八十五話 新盆 完

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Posted on 2016/05/10 Tue. 04:01 [edit]

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【鐘巻兵庫 第85話 新盆(その16)】 

「皆さん礼儀正しいのですが、どなたが教えて居られるのですか」
「食を争う無法の暮らしから来た者ですから、先ず食べる心配がないことを分からせました。子供たちに大人たちの分も配膳を任せるのも強い大人が欲張っていないことを教えるためでした。その上で、侍の躾を教えたのです。以前は今以上に侍一家が多くいたのです」
「要するに、皆さんは侍として育てられているのですか」
「いいえ、教えているのが侍なだけですが。子供たちの親代わりが私と志津なので、子供たちは侍に多少のあこがれが在るのは確かで、よく勉強しています。男は論・孟・剣術、水連、女は箏・茶・和歌・書などですが、もちろん、大工、建具、鍛冶を男に、女には裁縫、料理も実践させています」
「何でも出来るのですね」
「とんでもない。侍の子と比べればそこそこですが、皆さんが望まれる能力は不足しています。ただ未だ金太は八歳ですから、縁が結ばれましたら教えてあげて下さい。その前に、百聞は一見に如かずですから、お望みでしたら日時場所を指定していただいたところに連れて行きます」
「それは、良い。登勢段取りを決めなさい」
「その必要は御座いません」
「会わなくてよいのか」
「私は昨日金太さんに会っています。名前を聞かされただけですが、しっかりした良い子でしたよ。私はあなたを一度も見ずに嫁に来たのですよ。一度見たうえに鐘巻様ご夫妻に選んで頂いたのですよ。どこかの仲人口より確かでございますよ」
「とんだとばっちりだ。鐘巻様、金太さんをお迎えさせて頂きますので宜しくお願いいたします」
「分かりました。祝い事については盆明けに相談いたしましょう」

 木場からの帰り道、兵庫は浅草平右衛門町の船宿浮橋を尋ね、養育所の共同経営者である山中碁四郎と会った。
碁四郎とは、ほぼ毎日朝稽古で会うため、養子話が進められていることは話してあったが、今日の昼前に金太が受け入れ、たった今、八角屋夫妻からも縁組が成ることを頼まれたことを話しておかねばならなかった。
縁談がまとまった話を聞かされた碁四郎が
「それは良かった。養子と云えば、一年前に拾った子供・寅次郎が暫く七夕飾り売りをして、ここで暮らしていましたが、唯念寺の和尚の世話で、大工一家の養子となって出て行きました。先日の彼岸の入りに唯念寺へ墓参りした帰りに親子三人でここに寄ってくれました。仕事場に連れて行き仕事を覚えさせていると云っていました」
「そんなことが在ったのですか。親子で来たということは上手くいっている証。金太もあやかりたいものです」
「それにしても、武家の部屋住みでもなかなか声が掛からない問屋養子の一番くじを引くとは運の良い子ですね」
「確かに、子を欲しい夫婦は居るでしょうが、これほどの養子口はもう出てこないでしょうね」
「そうかといって、子供たちをいい加減な所には送り出せない」
「養子口などと云った受け身では駄目、辰五郎さんのように生きる技を身につけさせ、更に店を持たせる支援をしてあげたいですね」
「職人用の十軒店作りですか」
「そんなところです。また明日稽古で会いましょう」

 浮橋を出た兵庫は駒形に立ちより内藤虎之助・雪夫妻に金太の縁談が成ったことを告げ、押上に戻った。

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Posted on 2016/05/09 Mon. 04:01 [edit]

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【鐘巻兵庫 第85話 新盆(その15)】 

 兵庫は庭で子供たちと遊んでいたが、部屋から出てきた金太の様子を見て、金太が八角屋への養子話を受け入れたと思った。
そして、大任を終えた志津は午前中の面談は音吉を最後にして、
「次は午後にすることを残った子に伝えてください」と音吉に告げ終らせた。

 部屋に戻った兵庫を志津は微笑みをもって迎え、目が合うと頷き金太が受け入れたことを示した。
「それは良かった。私は信心深くないのですが盆の導きとしか言えませんね」
「先様にとってはお子様の新盆、子供たちにとっては初めてのお盆で、養育所にとっては生みの親とも言える額賀様の新盆でした。八角屋さんは迎え火を焚く前から霊魂を呼び寄せていたのですね」
「そうだとすれば、その霊魂に報いるためにも、こちらも早い動きをしましょうか」
「どういうことに成りますか」
「先様が送りを焚き霊魂を送ってしまう前に金太のことを知らせに行き霊魂にお礼を言おうかと思うのですが」
「そのやり方は先様の理解を超えて居ると思いますので、先に訳を言ってからお線香をあげた方が良いかもしれませんね」
「分かりました。それではお昼を食べたら行ってきます」

 昼過ぎ、兵庫は木場町に八角屋の軒看板がかかる材木問屋の前に立ち、周囲を見回し暖簾をくぐった。
問屋にどう見ても客とは見えない、金を持って居そうもない、それも着流しの若い侍が入って来たのを土間に居た店の者が見て、
「いらっしゃいませ」と客を迎える挨拶をしてきた。
「私は、先日、こちら様の主・政右衛門殿に近々お伺いすると申しました鐘巻兵庫と申す者ですが、お取次ぎ願いたいのですが」
「少々お待ちください」と返事をしたのは帳場の者だった。
政右衛門はすぐに出てきて、兵庫を見ると落胆した様子を見せた。
「鐘巻様、わざわざお越しいただき有り難うございます。どうぞ、お上がりください」
兵庫は、政右衛門に従い奥の燈明が灯る部屋に通された。
「登勢が参りますので、少々お待ちください」と云い肩を落としていた。
そして、登勢の来るのが遅れて居るのが待てずに
「やはり、駄目でしたか」と力なく兵庫に話しかけた。
兵庫の早い訪れを政右衛門は悪い話を持って来たと考えたのだ。悪い話を早く知らせることを政右衛門は店の者に実践させていたための勘違いだった。
「そこに登勢が茶を淹(い)れ部屋に入って来た」
「鐘巻様、わざわざ申し訳ございません」と云い、茶を出した。
「私が早く来たために皆さんは勘違いを成されたようですね。養子の話は子供が受け入れてくれました。早く参ったのは他に訳が在ってのことです」
顔から落胆が消え喜びを浮かび上げた政右衛門が、「訳とは」聞いてきた。
「そもそも養子の話は盆に入った十三日の昼で、まだ迎え火を焚く前でした。と云うことは霊魂は迎え火を待たずにやって来ていて、ご夫妻を押上まで導いたことに成ります。本日、昼前に妻・志津が今年八歳になった金太に話をしたところ、受け入れてくれました。この縁組は金太のみならず養育所にとってもうれしい話です。お礼を言わねばと霊魂が居る、送り火が焚かれる前に線香を上げに参ったしだいでございます」
「なるほど、言われてみればそうなりますな。倅も喜びますので線香をお願いします」

 祭壇に線香を上げた兵庫は改めて政右衛門、登勢夫妻と向かい合った。
「鐘巻様、金太さんの話をもう少ししていただけませんか」
「何を応えれば良いのか、解らない面もありますので、足らない面については再度尋ねてください。先ず基本的な所ですが、年齢八歳で、身体は頑強です。そうでなければ生き残れなかったのですが、性格は決して荒くれではなく温厚です」
「手習いは何を」
「所謂、読み書きについては八歳以上の能力が在ると思います。算盤は教えていますが、まだ自由外出を許していませんので、経験不足かもしれません」

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Posted on 2016/05/08 Sun. 04:01 [edit]

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【鐘巻兵庫 第85話 新盆(その14)】 

 正三から連絡された観太が、線香をあげ、拝み、志津の前に座った。
「観太、お前は文武双方の成長が目覚ましく、面倒見がよく外から通う者とも馴染み皆の模範だと旦那様が云っていましたよ。これからも同じように励みなさい」
「はい、母上様」
「ところで、将来の夢は在りますか」
「はい、保安方です」
「保安方として大事なことは、正三にも少し言いましたが、力より力を使わずに守る知恵ですからね。力を使うのは最後になるように勉強するのですよ」
「はい」
 こうして観太十歳、九歳の虎次郎と熊五郎と話し合い、耳掃除をしてあげ四人との面談が終わった。

 次に控えているのが、養子に出そうとする八歳児の音吉と金太だった。
夫・兵庫より金太に一番札を引かせるように言われていた。
頼まれた志津にすれば、金太を説得する必要があった。
正三、観太には将来保安方になる望みが在ったが、虎次郎と熊五郎には成りたいと思う具体的な望みはなく、ただ養育所の日々の暮らしに満足していた。それより年下の八歳の金太も恐らく養育所の暮らしに満足し、その満足から放り出されることは望まないだろうと思えた。

 そして面談が始まると案の定、金太は将来に対し具体的な望みを言えなかった。
「金太、まだ八歳だから何に成りたいのか分からなくてもいいんですよ。でも、いつまでも此処に居られないことは分かっていますね。私は子供たちの母として子供たちの夢を叶える手伝いをします。また夢が見つからない子供には夢を与えたいと思っています。私が金太のことを思っていることが分かりますか」
金太は声を発することなく頷いた。
「それではこれから母の言うことが金太の夢を叶えてくれるので、信じて従って欲しいのです。聞いてくれますか」
金太は頷くしかなかった。
「私が金太に成って欲しいのは、お前も知っている材木屋さん、八角屋さんの子供に成ることです」
金太は泣きそうになりながら
「母上、材木屋さんは私の夢では在りません。どうして・・・」
「金太、よく聞きなさい。自分の夢は他人の夢を叶えてやることで近づくのですよ。八角屋さんは去年七歳の子を亡くしたのです。お盆の時期に養育所に来たのは、亡くなった子に導かれたからですよ。今、子供に成れば金太は大切に育てられます。金太が育つことで八角屋ご夫婦の夢が叶います。それと、八角屋ご夫婦の夢が叶うことは私や旦那様の夢が叶うことなのですよ」
「? どうして?」
「私や旦那様は養育所に居る子供たちの母や父として届け出ています。父や母は子が立派に成長することが夢なのですよ。だから金太が立派に成長してくれればうれしいのです。それと、おまけだけれど金太が材木屋の跡取りに成れば、金太におねだりして材木を安く売ってもらい、家を建て困っている子どもをもっと引き取れるし、ここを出た子を金太の所で雇って貰うことも出来るでしょう」
金太の泣き顔が消えて行った。
「それと、金太が心配しないで済むわけが在ります。聞きたいですか」
「はい、母上様」
「それではお線香がもう少しで燃え尽きてしまうので、それまでお前の耳掃除をしながら話します。ここに頭を乗せなさい」
志津の膝に頭を乗せた金太の顔に笑顔が戻って来た。
志津は話し始めた。
「金太が知っていることですが、親が居なくて養育所に引き取られた子で、これまでに養育所から出て行ったのは、親が見つかった安五郎だけです。と云うことは養育所から見知らぬ所へ出て行くことになる最初の子が金太なのです。その金太が不幸になったら今後、誰もが養育所を出て行くのを嫌がります。ですから、昨日、源次郎殿にお願いして八角屋さんのことを調べました。評判の良い実直な方だそうで、養子に出しても問題ないと言うことでした。ですから心配しないでいいのですよ」
暫くして耳掃除が終わった。
「金太、この話、受けてくれますか」
「はい」
「この話は、八角屋さんとの間でまとまるまで誰にも話してはいけませんよ。分かりましたか」
「はい。母上様」
「それでは、次は音吉です。呼んでください」
部屋を出て行く金太の後ろ姿を見送る志津は母として安堵の表情を見せた。

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Posted on 2016/05/07 Sat. 04:01 [edit]

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【鐘巻兵庫 第85話 新盆(その13)】 

 明けて嘉永六年七月十五日、子供たちはお盆の祭壇に燈明を灯し、朝稽古、朝飯と手順を踏んだ。
 子供たちは庭や道場で遊びながらも気になることが在った。
それは、母代わりの志津との面談を控えていたからだ。
面談は歳の大きな男の子からされると、前もって聞かされていたから、最初に声が掛かる最年長の正三はいつ呼ばれるかと落ち着かなかった。
 子供たちの気持ちを知ってか知らずか、志津は兵庫に面談の場づくりをさせていた。
部屋の上座に置かれた文机に額賀ら十一人の魂を迎え入れた太いロウソクが灯る燭台を乗せ、その前には線香立ても乗せたのだ。
「旦那様、有り難うございました。正三を呼んでください」

 部屋の縁側から降りた兵庫は道場で遊ぶ子供たちに向かって歩いた。と云うより正三に歩み寄り、
「母上が呼んでいるぞ。部屋の縁側から上がりなさい」と伝えた。
このことは一緒に遊ぶ者ばかりではなく、廻りで遊ぶ者にも面談が始まったことを教えた。
次に呼ばれると思っている観太が正三の背を追った。
正三は志津の居る部屋の外縁側まで行き、中を見、頭を下げ、そして上がり、廊下に座り再度中に頭を下げ、立ち上がると部屋の中に消えた。

 正三を部屋に向かい入れた志津は前に正座する正三に、
「お線香を一本あげなさい」
言われるままに正三は線香をあげ、拝み、戻り対座した。
「正三、背も伸び、肉も付き大きく、たくましくなりましたね。嬉しいですよ」
「これも皆、兄上様、母上様の御蔭で御座います」
「これからも、よく食べ、動き、学び、苦難に耐える身体と知恵を養うことです。先日の浅草広小路での働きですが、正三は未だ子供ですから、むやみに同じことをしてはいけませんよ」
「はい、解っております」
「ところで、八角屋政右衛門殿からの養子話を断った訳が養育所の保安方に成りたいからと云いましたが、本当の気持ちですか」
「はい、母上様」
「そうですか。頼もしいですね。ただ保安方は難しい仕事ですよ。お玉のように全く自分を守れない弱い者を守るには、単に強いだけでは駄目なことを知っていますか」
「はい、以前駒形で、兄上や母上様は子供がお侍に粗相した時、土下座をして謝りました。兄上でしたら、やっつけられたのに。子供たちが安全なところまで逃げるまで戦うのを我慢していました」『55話 雪解け(その42)~参照』
「そんなことが在りましたね。正三たちも謝ってくれた時、嬉しく思いましたよ」
正三が嬉しそうに口元を緩めた。
「正三の取りあえずの将来の夢が保安方になることは分かりましたが、見る夢は変わるものですから、新しい夢を見ても良いのですよ。その時は言ってくださいね」
「はい」
「何か、言いたいことが在りますか」
「・・・」
「何か思いついたらいいに来なさい。未だお線香が少し残っているので、久しぶりに耳を掃除してあげます。ここに頭を乗せなさい」と膝を叩いた。
正三は恥ずかしそうにしていたが、一番大きな正三が母代わりの志津に触れる機会はほとんどない。
「早くしなさい」の言葉が正三を動かした。
正三にとって至福の時が流れて行った。
「はい、お線香も燃え尽きたので、お終い。こんなに沢山取れたましたよ」
正三は懐紙に取れた耳垢を見て恥ずかしそうな顔をした。
「正三、話だけで終わる子も居るかもしれないから、耳掃除したことは黙って居なさい
次は、観太を呼んでね」
正三は頷き、
「有り難うございました」と云い、部屋を出て行った。

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Posted on 2016/05/06 Fri. 05:30 [edit]

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