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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第87話 兆し(その21)】 

 そして二十八日の夕暮れに成って、奉行所から使者が中川家を訪れ、怪我で伏す主・中川彦四郎の上座に立った。
その口上は
「中川彦四郎儀、御役目における負傷軽からずを以て、事後お役果たす能わずにつき、御家人返上の願い出あり。これを吟味し願い叶えるお許し頂きにつき伝えるものなり。・・・」
これには恩賞が百両の他に名字帯刀は許される侍身分が保証されていた。
そしてこの一報はその日の内に鐘巻本家の勘助より兵庫に伝えられた。
「勘助さん、明日午前中に引っ越し人足と荷車を、午後には迎えの寝蓮台と船を出すと伝えて下さい」
勘助は兵庫から忘れられていなかったことや、顔見知りと会えたのを喜び、戻って行った。

 月末の二十九日、午前中、中川家には引っ越し人足として、先日宮古屋に出張った保安方の四人の他に辰五郎と鐘巻本家から勘助も加わっていた。
彦四郎の両親と妻の雅代がご近所への挨拶を済ませ戻って来ると、引っ越し荷物の運び出しが行われ、近くの亀島町の河岸に運ばれ船に積み替えられていった。
引っ越し先は押上の養育所母屋内である。

 朝から駒形の道場では、寝たきりの怪我人を運ぶ蓮台が造られていた。
昼前に彦四郎の妻・雅代がこれまでに溜めた借金を返し戻って来た。
昼は浮橋から運ばれてきた飯で腹ごしらえをした。

 常吉・乙次郎・鬼吉・綱吉が駒形に蓮台を取りに行き、兵庫と共に戻って来た。
元宮大工の彦次郎が造らせただけに井桁の担ぎ棒の上に四本柱が建ち、縦長の床が乗せられていた。屋根付きで四面は御簾が下ろされていた。
それを見せられた彦四郎に
「これが棺桶でも乗るよ」と云わせるほど簡素な白木の蓮台だった。

 男たちの力で彦四郎は布団ごと蓮台に乗せられ、そして御簾が下ろされた。
主の乗った蓮台が門外に出ると、反転して門に向かい、世話になった屋敷に皆が頭を下げた。
これに対し門内の引き取り役人が礼を返し、門を閉めた。

 屋敷は南町同心の役宅が多く並ぶところで、中川家に何が起きたのかは大体のことは知っていた。とくに隠居の中川矢五郎が奉行所内で騒いだことは知らぬものは居なかった。
大方は、厳しい沙汰が下り、夜逃げ同然で出ていく者と思う者も居た。
しかし、近所に挨拶し列を整え屋敷を出て行くのを目にして、何か隠されていることが在ると思うのだった。
蓮台は役宅の東にある亀島町の河岸から、浮橋が用意した船に乗せられ、他の船に乗り分けた者たちを従え、隅田川を横切り押上に向かった。

 船上の兵庫は、御簾を上げた蓮台に横たわる中川彦四郎の顔に浮かぶ安堵の表情が家族にまで広がっているのを見た。それは中川家を初めて訪れた時に見た重苦しく鬱積したものとは大きく変わっていた。

 兵庫は中川一家の様子を見ながら過ぎたことを思い出していた。
幕府の銀買いが始まりだった。暫くして銀買いの目的が一朱銀の改鋳であることが分かった。幕府の金不足は今始まったことではない。兵庫には幕府の力が尽き始めるなかの一朱銀改鋳は幕府瓦解の兆しに思えた。
 そうした中多数の死傷者を出す事件が起きたが、まだ明らかにされていない。
その被害者である中川には笑みさえ浮かんでいる。
幕臣だった頃の中川にとって幕府の一大事は我が身にも一大事だが、幕臣で無くなった今は、思い煩う問題ではなくなっていた。
更に、兵庫にとって幕府の瓦解は新しい時代の幕開けであり、明るい兆しとさえ思え、中川の笑みに合わせ、兵庫も微笑んで見せた。

第八十七話 兆し 完
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Posted on 2016/06/27 Mon. 04:01 [edit]

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【鐘巻兵庫 第87話 兆し(その20)】 

 残された兵庫に中川が、
「ご覧のとおりです。このような怪我を負ってはもはやお勤めも適いません」
「その時は皆さんで、私の所に来てください。子供たちの世話をしているのですが楽しい仕事はいくらでもありますから。中川殿には奉行所同心は向いていません。ご両親を説得しお役を辞し来てください。」と兵庫は感じていることを素直に言った。
 この様な話は代々家を継いできたものの前では言いにくいが、言わねばならない時もある。
兵庫は他の部屋に行った中川の両親にも聞こえるように声を高めていた。
「それと養育所では下手な同心さんよりは高い賃金を払います。奥様、どのくらい借金が残っていますか。これで支払いをすませ、身軽になってください」
雅代はひざ元に置かれた裸の十両を見ていた。
「雅代、奉行所で鐘巻様を知る者は誰一人悪く言う者はいない。その金を受け取りいつでも屋敷を出られるようにしておきなさい。借金先を変えるだけだ」
「はい」

 治療を終えた両親が服部親子と部屋に戻って来た。
兵庫に対座した中川の両親が
「鐘巻様、遅れましたが彦四郎の父・矢五郎とこれは島で御座います。聞けば倅とは袖すり合うほどの仲と聞きました。その様な薄い縁にもかかわらず、我らがこれまでに味わったこともないほどのご厚情を頂きました。この恩は孫の代に成ってもお返し致します。こたびは我が家の窮状に、倅が気にすまぬ縁もない者の敵討ちに付きあうお役目を引き受け、このようなことに成りました。彦四郎、今後はお前の好きなようにしなさい」
「父上、働けぬ以上早くお役を辞したいのですが、私はこのように動けません。私の代わりにお奉行に働けない身体になったのでお役を辞し、ここを去ることを願い出て下さい」
「分かった。これから行って来る。わしも先生から少し歩いた方が良いと言われたのだ」
「先生、私はどうなりますか。歩けますか」
「太い腱は斬られてはおらぬ。多少の動きづらさは出るかもしれぬが歩けるはずだ。それより傷を早く治しつまらぬ病を併発させぬことだ」
「分かりました」
「中川さん、私たちはこれで引き揚げます。もし急ぎの用事が在る時は兄の所に勘助という者が居ますので、使いに使って下さい」

 彦四郎の父・中川矢五郎は奉行所に出向き奉行への面会を求めていたが取り次ぎさえしてもらえなかった。矢五郎が何をするかわからないほど気が荒れていたことも災いした。
「わしは争いに参ったのではない。息子が来られぬので代わりに職を辞し、侍を止めさせてもらうことを願い出に来たのだ。もう仕事の出来ぬ身だ。これ以上倅を苦しめずに過ごさせてもらいたい。頼む」
 矢五郎が居座っていると話を聞いた与力・鐘巻兵馬がやってきた。
「中川矢五郎殿、私は先年父・多門の跡を継ぎました鐘巻兵馬と申します。ご子息にはお役とはいえお気の毒なことに成りました。聞くところによるとお役を辞したいとのことですがそれに相違は御座いませんか」
「相違ない。そのことを書いたものを持ってきておる」と願い書を出して見せた。
「確かに。私よりお奉行に願い出、明日には使いを出向かせます」
「かたじけない。倅を早く療養させたいので、お願いいたします」
「分かりました。ご子息に、お大事にとお伝えください」
「有り難うございます。倅は弟殿に宮古屋内で在ったそうです。励まされた御かげで勇気が出、何とか生きて帰れました。有り難いことです」
「その様なことが在りましたか。私も時折、弟に喝を入れられることが在ります」

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Posted on 2016/06/26 Sun. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第87話 兆し(その19)】 

 浮橋で昼飯を食べた兵庫等一行は駒形に寄り、内藤に最後まで見届けずに戻って来たことを言い、預かった小判と図らずも手に入れた銀を渡し、駒形を出た。

 そして日が変わり二十七日を迎えていた。
一報は河岸から戻って来た今は魚屋になった中西肝太郎によりもたらされた。
それは、詳細は分からなかたが、京橋両替町捕り物で多くの死傷者が出た話だった。

 兵庫は午後、碁四郎を誘い京橋に出かけた。
そこで見たのは未だ検分が終わらないのか役人が見張る宮古屋の様子だった。
 兵庫と碁四郎は昨日、世話になった日本橋通南の自身番に寄った。
やはり皆出払い、年寄りが留守をしていた。
「結局何人が死にましたか」と鎌をかけた。
「それが、宮古屋は主、番頭のほか用心棒の五人、お上の側は深手を負った者五人居ましたが今朝までに四人が亡くなられたようです。他に怪我人多数が出たと聞いています」
「中川さんは」
「深手とだけ聞いているだけですが、四人の名の中には入って居ません」
「そうですか、お世話をおかけしました」

外に出、引き返す兵庫に、
「相手に手練れが居たようですね」
「そうですが、その御蔭で幕府にとって不都合な勝手方の二人を闇に葬ることが出来た上に、宮古屋の身代(しんだい)が手に入った訳ですね。それは兎も角、中川さんに何とか生き延びて貰いたいですね」
「そのために、あの金を使ったら如何ですか」
「そうしますか。早速仲名先生にお願いしてみます」

決めると兵庫の動きは早い、多少強引だが一刻後には八丁堀の中川家に駕籠の服部仲名と倅の要蔵を伴い訪れた。
出てきた若い女に、
「拙者、鐘巻兵庫と申し、中川殿とは蛎殻町(かきがらちょう)で知り合った者です。お怪我をされたと聞き、外科の名医服部仲名先生をお連れ致しました。季節がら化膿が心配なので、押しかけました。無礼とは重々存じておりますが、治療を受けさせてください」
「中川の妻・雅代と申します。立派な先生に診て頂けるのは有り難いことですが、事情が御座いますので・・」と云い頭を下げた。
「その事情は私が何とかします。仲名先生お願いします」と云い兵庫は上がって行った。
無作法だが、嫌味は無いから、雅代は案内する形で兵庫の前を歩き中川が寝かされている暗い部屋に案内していた。
「旦那様、鐘巻様がお医者様を・・・」
「鐘巻さん。不覚を取りました」
「その話は後ほど。先生、要蔵さん、お願いします」
「見た目、元気そうだ。あとは化膿させぬことだ。要蔵仕度しろ」
「はい、父上」
要蔵は背負ってきた荷を開け、百目ロウソク五本と鎖の付いた中抜き円盤を取り出した。
「鐘巻様、ロウソクに火を付け、この燭台に差し、怪我人の上に吊るしてください」
「分かりました」
言われたようにしたが、仲名がもっとこっち、低く、上げてと注文を付けるから、慣れて居ない兵庫は結構辛いのだ。それと油煙が上がってきて熱いのだ。
「奥様、木刀は御座いますか。在りましたら切っ先三寸辺りにこれを吊るしますので、滑らないように紐を結んで持ってきてください」
そして、木刀の先に燭台(シャンデリアに近い)を下げる兵庫の苦行が始まった。
その苦行が終わるころには部屋は、中川の両親と赤子を抱く雅代が居た。
「鐘巻さん。終わりました。お疲れさんでした。次はご両親様を拝見させて頂きます」
 仲名と要蔵は両親の部屋に移って行った」

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Posted on 2016/06/25 Sat. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第87話 兆し(その18)】 

 通された部屋は贅沢な造りの客間だった。
暫くして、番頭を伴い男が部屋に入って来た
「利兵衛で御座います。鐘巻様、山中様。お越しいただきありがとうございます。銀を買って頂くのは有り難いのですが、何分にも大金ですので、お尋ねしますが銀は何のためにお使いに成るのですか。宜しければお聞かせください」
「見栄と金儲けです」
「ほ~、どのように見栄を・・そして金儲けをなさるのですか」
「銀で刀の鍔を造るのです」
「柔らかな銀では鍔の役目を果たさないのでは」
「利兵衛殿、侍が斬り合うなどと云うことはないのです。闇討ちがせいぜいで、鍔競り合いなど起こりません。刀を抜くのは手入れの時、その時に鍔まで愛でるのですよ」
「なるほど。それで金儲けができるのですか」
「銀が値上がりしそうな予感がするのです」と云いながら八十両の入った弁当行李を開け、小判を取り出した。空になった弁当行李を利兵衛に渡しながら、
「今日の相場で結構ですので八十両分の銀を入れて下さい」
「面白い、お方です。松吉、少しおまけしてあげなさい」
「はい、旦那様」

 兵庫と碁四郎に利兵衛が思いついた問いかけをし、二人が応えていると松吉が戻ってきて、兵庫の前に銀が詰められた弁当行李を置き、その蓋を被せた。
「旦那様、御用改めで御座います」
悲鳴にも似た声と共に足音が聞こえてきた。
「松吉、先生方」と云い奥に消えて行った。
残された兵庫が、
「碁四郎さん、銀を頼む。私は小判を」といい、互いに懐を膨らませ、大刀を握ると立ち上がった。

 そこに、同心・中川彦四郎の先導で白鉢巻き白襷の猪瀬と舛添の弟と助太刀か侍が入って来た。
「奥です。ご武運を」
と云うと、一礼を返して奥へとなだれ込んでいった。
それが途切れると、兵庫と碁四郎は帳場へと出て行き、土間に並べられていた草履を履き、背後から聞こえてくる怒号と悲鳴が漏れる店の外に出た。

 通りは南北が遮断され、他の店は戸を閉め切り、店の二階から宮古屋を見ていた
「兵さん、これは捕り物ですか」と碁四郎が呆れたように聞いて来た
これは敵討ちに名を借りた悪徳のもみ消しだと兵庫は思った。
勝手方の上位組織勘定方と奉行所が結託して、幕府側の落ち度を全て宮古屋に押し付け、幕引きを図るものだと、八丁堀育ちの兵庫には分かった。
「碁四郎さん、いま、つくづく部屋住みに生まれて良かったと思うよ」
それは道の南奥に騎乗した兄らしき姿を見たからだった。
「それでは片手落ちに加担するのは止めて帰りましょう。」
「そうしましょう」

 兵庫は京橋の南詰を守る、定廻りの平岡に
「私らの出番は無いので引き揚げます」
「分かった。あとは引き受ける」
常吉が鉢巻きを解くと、乙次郎、鬼吉、綱吉もそれに倣った。

 京橋を渡り、北詰を守る捕り方の囲いを抜け兵庫等は自身番に戻り、借りた物を返し、預けた弁当を受け取り帰路に就いた。
途中話すことなく浮橋につくと、全員が上がった。
「今日は善を施すつもりだったのですが、残念ながら結果的に悪を成すお膳立てをしたように思えます。今日の結果を私たちが直ぐに知ることは無いでしょうが、隠し通すことは出来ませんので漏れます。その時、何らかの形で悪が裁かれるでしょう」
「兵さん、悪党らの片棒を担いで得た、こいつはどうしますか」
と、碁四郎は弁当行李を兵庫の前に置き、蓋を取ると銀が詰まっていた。
兵庫は懐に手を入れ、八十両の小判を出して見せた。
「先生。どう云う事ですか。買ったのではないのですか」と乙次郎が言った。
「宮古屋の番頭・松吉が注文した八十両分の銀を私の前に置いたときに、御用改めの声が聞こえて来たのです。これに慌てた主の利兵衛が番頭に何かを言いつけ、己は奥に逃げ込み番頭も部屋から消えたのです。目の前には小判と銀とが残ったので、引き揚げるときに頂いて来たのです。出来心ですが、置いておいても、誰か罪のない者が出来心を起こすといけないので、罪を二人で被った訳です」
「絶妙の掛け声がかかり役者が引っ込んだ訳ですか」
「そう云うことに成ります。皆さんにお分けすることも考えたのですが、今回は後味の悪いことに成りそうなので、悪党たちの回向に使いたいと思います」

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Posted on 2016/06/24 Fri. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第87話 兆し(その17)】 

 道場では子供たちが遊び、その相手を根津甚八郎がしていた。そこから少し離れて出張(でば)る仕度を済ませた常吉・乙次郎・鬼吉・綱吉の四人が待って居ると威儀を正した兵庫が赤子を抱く志津と出てきた。
手には八十両の小判が入った弁当行李を包んだ風呂敷包みを無造作に下げていた。
「それでは行って参ります」
「兄上、いってらっしゃ~い」
何をしに行くのかを知らない子供たちの無邪気な声に見送られ兵庫等は養育所を出て行った。
兵庫に続く四人の男は皆、元やくざ者である。
元やくざと云ってもやくざ者同士の出入りを経験したものは少ない。それがやくざから足を洗い兵庫の営む養育所に加わってからは、皮肉なことに出入りめいたことに加わることが増えた。ただ、やくざ同士の諍(いさか)いでは、親分は後ろに控え争いの止め時を見ているのが常だが、ここでは常に先頭に立つ危ない仕事は兵庫が担う。それでいて不労所得めいたものが在っても、分ける時ばほぼ平等であるからから、兵庫への信頼・信望は高く、結束力は強くなっていた。
その兵庫が、
「皆さん、今日は日中に役人も入れてのことですから、余禄は無いと思ってください」
「分かっていますよ」
「ただ、何度も言いますが今日の相手は存外危険ですから気を付けて下さい」
 途中船宿・浮橋で山中碁四郎を加えた。
一行は、二人の武家に供四人が二列に成って従うもので、朝の出仕の姿に見えた。日本橋の通りを進み、橋を渡りその通りにある自身番に入ると、初老の番人が居た。
「鐘巻と申します。昨日平岡殿よりこちらを連絡場所に使えて聞き、参りました」
「伺っております。まだ奉行所からは何方もいらっしゃいません」
「綱吉さん、弁当を預けましょう」
そして弁当を預けると、
「それでは、京橋まで様子を見に行き、戻って参ります」

 京橋の橋の上まで行くと浮橋の船頭・銀太が碁四郎の所にやって来た。
「船は旦那の三途丸のへさきの前に舫(もや)っている平田舟です。既に奉行所の者が見張っていて、乗り込む者が在れば捕らえる段取りとのことです」
「分かりました。もう少し様子を見て居て下さい。兵さん、宮古屋を見ておきたいです」
と云うことで、六人は新両替町の宮古屋の向かい側までやって来た。
「特に変わった様子は無いようですね。あとは奉行所の支度が整うのを待つだけです」
「奉行所は南の数寄屋橋ですから、逃げるとすれば北ですかね」と碁四郎が投げかけた」
「そうですね。皆さんは逃げだす者が来ると思われる北側に陣取って下さい」
未だ四つ(午前十時ごろ)前の通りには出仕を急ぐ侍の姿も在り、奉行所も急な話でもあり、四つ前の本格的な出張りは無理なのかと思われた。

 兵庫等が自身番に引き返し、暫くすると平岡が一人やって来た。
「鐘巻さん、山中さん。四つの鐘が鳴ったら宮古屋に入ってくれ。残りはわしの配下に加え、京橋を渡り逃げようとする賊を取り押さえる。下手に遠慮をして怪我をせぬように」と喝を入れた。
「それじゃ、碁四郎さん橋の上で鐘が鳴るのを待ちましょう」
碁四郎が立ち上がった。
そして二人が京橋に差し掛かると、待っていたかのように四つの鐘の音が聞こえてきた。
二人はそのまま歩き続け、宮古屋の前に来ると暖簾を払い店内に入って行った。
四つ上がり八つ下がりと言われるように、武家の出仕時間内に店を訪れる武家は滅多にいない。
「お武家様、いらっしゃいませ」
「少しばかり生の銀を手配して頂きたい」
「いか程でしょうか」
「八十両」
「はちじゅう・・ですか」
「そうです」
「少々お待ちください」
男は奥へ姿を消し、そして出てきた。
「お武家様、八十両は大金ですので、失礼とは存じますが・・・」
「この中だ・・」と兵庫は風呂敷包みを帳場の床に置いた。
申し訳ございませんと云いながら、男は包みを開け、そして弁当行李を開け、帯封された小判三つと五両を確かめた。そして包み直し兵庫の前に戻した。
「失礼いたしました。手前は番頭の松吉で御座います。主の利衛門に取り次ぎますので、お武家様お名をお聞かせください。」
「鐘巻兵庫」
「山中碁四郎」
「どうぞお上がりください」と兵庫と碁四郎を奥へと招き入れた

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Posted on 2016/06/23 Thu. 04:01 [edit]

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