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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第95話 金木犀(その15)】 

 引っ越しの列の先頭は、鎧櫃を背負い、やりを立てた北村徳三郎だった。
本来なら、都落ちの様相を見せても不思議ではないのだが、傍目には屋敷替えの行列にしか見えない。
ただ、すごかったのは、荷を背の高さほどに積んだ大八を、牽き・押しする人足は強力(ごうりき)のようにかなり荷を背負っていたことだった。人足たちにとって少しばかりほっとさせたのは赤坂からの道は押し並べて下りだったことだ。
溜池の端、葵坂の急な下り難所を乗り切り、少しずつ町家の多い街並みへと入って行った。
 一行は少しばかり人目を引いたのは、人足全員が稽古着、稽古袴姿で中には二本刀を差して居る者も二人いたから全員が侍にも見えたからかもしれない。
それでも一行の邪魔をする者たちが居た。
大名や大身旗本の八つ下がりの下城の流れに遭遇することで、道を譲らねばならなかったからだ。ただそれが一行にささやかな休息を与えることになった。
そう云うことも在ってか、一行が中之郷元町の屋敷に着いたのは、七つ半(午後5時)と夕刻だった。
それを門外に出た中川彦四郎・雅代夫妻が迎えた。他には引っ越しに参加できなかった根津甚八郎、坂崎新之丞、乙次郎や鬼吉が控えていた。
こめかみの傷、片耳を斬り飛ばされ、左手の二指を失った彦四郎を見た北村徳三郎の目が潤んだ。
「おつかれでした。食事の用意が出来ていますのでお上がりください。荷物は後ほど案内いたします離れに下ろしておきますので、本日は母屋にお泊り下さい」
「かたじけない」
「鐘巻先生、山中様、有り難うございました。皆、あと少しですから頼みます。終わりましたら上がって下さい」
 大八車が出迎えた者の手で屋敷内に入れられ、背負子を担いだ八人は離れへと向かい、助け合いながら下ろした荷を廊下に積み上げていった。大八の荷は土間に置く物と部屋に置く物と分けられ、それぞれの中央に置かれた。
 引っ越し人足として働いた八人と、それが出来なかった四人が広間に上がった。
そこでは、描き上がった兵庫、志津、大助、お玉の絵が披露されていた。
「鐘巻様、奥様からお褒めの言葉を頂きましたので、明日、為吉さんに軸に仕上げて貰います」
「太白先生、軸が出来上がるまで休息して下さい。行商に出かけて貰いますからね」と云い席に着いた。
「楽しみにしています」
「それでは召し上がって下さい」
夕膳は引っ越しに関わった者の前だけに置かれ、それ以外の者は既に済ませていた。だから済ませたものは絵に見入っていた。
「嫁の栄が鐘巻殿の奥方の美しさは聞いていたが、早くお会いしたいものだ。それにしても鐘巻殿はよく自画像を描かせたものだな」
「好きで描かせたわけではありません。これから行う自画像販売のため、失礼ながら大神田太白先生の技量を確かめるため描いていただいたのです。絵を見てがまが油汗を流したくなる気持ちが分かりました」
 朝、北村栄がやって来た時は何か悲壮めいたものを感じたが、今、目の前に居る栄には笑みがこぼれていた。彦四郎が良い仕事をしてくれたと思った。

 翌九月六日、昼飯の席に集まって居る子供たちに、
「先日、指切りの約束した北村栄殿がご家族と中之郷元町の屋敷に引っ越してきました。かごめかごめの続きをやりに、皆で行くことにします」
「母上様も千丸も?」
志津が頷いて見せた。

 同じ時刻、彦四郎屋敷に引っ越して来た北村家では庭番士らの力を借り、引っ越し荷物の整理をほぼ終え、広間で屋敷の者が揃って昼飯を食べていた。
食事が終わった所で、北村徳三郎が口を開いた。
「お世話頂いた皆様方に言い辛いのですが、嫁の栄が北村の家を去ることに成りました。栄はまだ若い、年寄りが縛る訳にもいかぬので、里に帰るのを許した。身勝手な振る舞いだが許して欲しい」
「許すも許さないも、ここでは本人の意思を尊重することに成って居ます。栄殿の心のままにして下さい」
「我儘を申し、申し訳ありません。この数日皆様から受けましたご厚情は決して忘れません。少し心残りは御座いますが、これにて皆様にお別れを申し上げます」

 栄が帰り仕度を整えている時、押上から子供たちを連れた兵庫と志津がやって来た。
彦四郎から事情を聞かされた兵庫と志津は、子供たちを金木犀の咲く中庭に入れ、かごめかごめを始めさせた。
「かごめかごめ籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に・・・」の歌が流れている所に栄が出て来た。
「あっ、栄様だ」とお玉が叫び声を上げた。
「お玉ちゃん。指切りしたように会いに来ましたよ」
「じゃー鬼やって」
「はい」
栄は輪の中央に入り、座り目を手で覆った。
「かごめかごめ籠の中の鳥は、いついつ出やる・・・」の歌が流れ子供たちが栄の周りをまわった。
「・・・後ろの正面だーれ」
「お玉ちゃん」
「外れ」
かごめかごめが何度も繰り返されたが、栄の答えはいつも“お玉”だった
そして、当たった。
「お玉ちゃん、皆、私はお母様の所に帰ることにしました。だからお別れです。寂しいけれど、皆に会えたので心残りは無くなりました」
子供たちや多くの大人が栄を門外に出て見送った。
そして栄が去った後、中庭に戻ると金木犀の下が黄金色の花びらで覆われていた。

第九十五話 金木犀 完

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Posted on 2017/03/18 Sat. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第95話 金木犀(その14)】 

 こうして邸内に大八車や人足が入った。
「昼飯が届くまで、荷の運び出しを行いたいので四人が上がることをお許しください」と兵庫が徳三郎に頼んだ。
「栄、お前が仕切りなさい。わしは邪魔にならないようにしているよ」
「はい、父上様。鐘巻様、任せますので宜しくお願い致します」
「先ず四人組が上がり、担ぐには重すぎる物、大きすぎる物を先ず廊下に運び出しなさい。残った者が大八に積み込むことにする。始め」
心太、三五郎、万吉、団吉の四人が上がると、一台の大八が廊下に尻を向けて止められ、石の輪止めが嚙まされた。
 荷が動き出すと、積み込みの仕事は捗(はかど)った。
部屋に置かれていた調度類が三台の大八に平積みされた所で、昼の鐘が鳴った。
だが、昼飯が未だ届けられて居ないから仕事は続けられたが、荷の全量を把握するためもっぱら運び出しが行われた。それは部屋から出された行李や櫃、布団などが廊下に、台所の鍋、釜、米俵から納屋の糠漬け、その石、薪・炭俵が庭の莚の上に並べられていった。
そこに昼飯が常吉によって届けられた。
既に、湯は沸いており、皿には香の物が盛られ出番を待って居た。

 荷が出されて空いた部屋に男たちが集まっていた。
「わしは嫁の話が信じられず、騙されていると思って居たのだ。だから、わしは嫁に本音だが無理を言ってみた。わしも本家に行きたくないとな。明け六つに出た嫁が戻る前に大八を牽いたいかつい男たちが来たのを見て、荷を全て奪われるのではないかと云う疑いが生じてしまい、屋敷に入れなかった。友蔵やおたきが見知らぬ者ではないと言ったが、嫁が帰るのを待ったのだ。その嫁が侍と思われる者を二人連れて戻って来た。その一人鐘巻殿のことを、中川彦四郎殿が先生と呼ぶことがあると嫁から聞き信じることにした。と云うのは“斬られ彦四郎”の浮世絵を手に入れることが出来、中川彦四郎殿の侍としての豪胆さに感じ入って居たからなのだ」
「私らに対する誤解が解けたのでしたら嬉しいのですが、中川殿が私を先生と呼ぶような関係ではありません。私を先生と呼ぶ者は剣術を通じてのことで、子供たちとここに居るいかつい男たちですよ」
「剣術か・・世の中には無名だが恐ろしく強い者が居るからな。いかつい男たちは本当に強い者でなければ先生などとは呼ばぬゆえ、お主は強い筈だ。それにお主は、ここの荷造りで弟子たちと助け合い、手を抜かず働く人柄の良さも見せた。若いが先生と呼ばれるのも不思議ではない」
「北村様は上手です。これで午後の仕事も手を抜くわけには行かなくなりました」
男たちの部屋に笑いが生じたことが、女たちを安堵させ、互いに顔を見合わせ、微笑みを浮かべさせていた。
「ところで、明け渡しを見届ける役人が来るのはいつ頃に成りますか」
「気に成るか」
「北村様、まさか八つ(午後2時)ではないでしょうね」
「そのまさかだよ」
「もう半刻ほどしか残って居ませんよ」
「わしも手伝うよ」
「それは結構ですので、一つでも荷を運んで頂ければ有難いです」
「それは決めてある。鎧櫃と槍は触らせぬ」
「聞いての通り、後半刻で屋敷を出ます。気張って下さい」

 四人が一台の大八車を受け持ち、荷積みが始められた。
既に一段積んだ大八車三台については、荷の凸凹を均すように荷が積まれ、布団が被せられ縛り上げられていった。
一方、何も積まれて居ない一台には糠味噌の樽、炭俵、薪の束、鍋釜などが積まれていった。

 こうした中、女や年寄りも働いて居た。陶器などの割れ物を衣類の入った行李に入れたりして荷を纏めていたのだ。こうした荷の多くが背負子に乗せられることに成った。
と云うのは、たくましい男が八人も引っ越し手伝いに来たことで持っていくのを諦めていた物まで引っ越しの荷に加えようとしたため荷造りが遅れたのだ。それは明け渡しの時刻八つの鐘が鳴っても続けられていたのだ。
人足男たちは庭を掃き終え、最後の荷が出てくるのを待って居たが、明け渡しを見届ける役人が来てしまった。
 役人は穏やかに
「明け渡しの時刻が過ぎていますが、あとどのくらい待てば宜しいでしょうか」と男主となった北村徳三郎に尋ねた。
「申し訳ない。あと四半刻待って欲しい」
「分かりました。待ちましょう」
徳三郎は女を急がせるとともに、鎧櫃に入れておいた“斬られ彦四郎”の浮世絵を持ってきて役人に見せた。
「この男の世話になることに成った」
この話に役人が興味を示し、更に兵庫等が加わり盛り上げ時を稼いだため、女たちは部屋の最後の清掃を済ませ、出て来た。

 屋敷内を検分した役人は満足し、荷を高く積んだ背負子を担いだ男たちが更に大八を牽き、押し、遠ざかっていくのを見送っていた。

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Posted on 2017/03/17 Fri. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第95話 金木犀(その13)】 

 浮橋を出ると兵庫は直ぐに栄を駕籠に乗せた。その時の行き先は京橋の橋のたもとまでだった。
急がせたこと、また、登城の武家の流れも終わりに近づいていたこともあり、四つの鐘が鳴る直前に着いた。
「嫌なことを思い出させますが話しても宜しいですか」
京橋は夫・北村博文が殺された場所であることは、遺体を引き取りに来た時に奉行所同心中田菊一から聞かされているから嫌な話の内容は聞かずもがななのだが、栄は
「お話しください」と応えた。
「今わたって居る橋の中ほどで、ご主人の仇・五百旗頭兄が中川殿に抜き打ちで掛かり浅手を与えましたが、遅れて抜いた中川殿の刃で深手を負わされ、捕らえられました。賊は傷の手当てを受け、その日の内に伝馬町に運ばれるのを見ております」
栄は何の後も残って居ない橋の上を見ていたが語ることは無かった。

 暫く歩いた所で兵庫は止まった。
「あの千成屋から彦四郎殿がここに向かって歩いて居た時、左後方から襲われました。その賊の鞘走った刃がご主人の腰に当たり、賊が彦四郎殿と面したところをご主人に斬り倒されました。見事なものでした。その後のことは見届けていませんが、賊の兄がどこかで見ていたのでしょうね。残念なことに成ってしまいました」

 再び歩き始めると、
「鐘巻様と声が掛かった」
中田菊一だった。
「ここで会うとは・・・」
「北村様もご一緒ですので、賊のことを話しておきます。賊は調べを素直に受けていましたが食事を摂らなかったことと、お調べに引き出されるのが傷に触った様で獄死しました」
「中田様、私共一家は中川様の所で養育所のお世話に成ることに致しました。色々と有り難うございました」
「変わった人の集まりのようですが、皆、良い人ばかりだと聞いています。早く馴染んでください」
「有り難うございます。昨日、今日としか在って居ませんが皆さま温かい方ばかりでしたので、お世話に成ることに致しました。今日は赤坂の屋敷を引き払うお手伝いをしていただいています」
「そうですか。大事な時間をとらせてしまいました。ここで失礼いたします」

 中田と別れた兵庫は京橋銀座の端でまた駕籠を拾った
「溜池沿いに赤坂に向かって下さい」
 駕籠は芝口に入ると、堀沿いを虎ノ門、金毘羅宮、葵坂と辿り溜池沿いの道へと進んでいった。
そして大名屋敷の途切れを過ぎ、駕籠が赤坂田町の街並み入った。
「駕籠屋さん、ここで結構です」と駕籠に乗っていた栄が言った。

 駕籠を下りた栄と兵庫、碁四郎が最後の辻を曲がり北村屋敷の在る道に入った。
「あら、どうしたのでしょう」と栄が慌て。急ぎ足で門前へ急いだ。それに兵庫も碁四郎もついて行った。
「どうしたのですか」
閉め切られた門外に空の大八車と養育所からやってきた人足が居たのだ。
「こちらの爺様が、“怪しい輩は入れられぬ”と・・・」
「まあ、申し訳ございません」
栄は門を叩き、
「栄です。入れて下さい」
脇門が開き、友蔵が顔を見せた。
「奥様、申し訳ありません。大旦那様が・・」
「分かりました」と栄は邸内に入って行った。
 庭内から、栄の甲高い声が聞こえて来て、それが収まると門が開けられた。
「どうぞお入りください」と栄が頭を下げた。
「先ずは、ご挨拶をさせて下さい」と兵庫が栄を促したのは、まだ玄関に抜き身の槍を持った年寄りが立っていたからだ。
「分かりました」
 稽古着に刀二本を差した兵庫と碁四郎が邸内に入り、栄に従い玄関に立つ老人に近づいき、一間ほど手前で止まった。
「拙者、大番組頭、山中武左衛門の弟の碁四郎と申します。お見知りおきを」
「拙者、南町奉行所与力、鐘巻兵馬の弟の兵庫と申します。お見知りおきを。なお、縁あって亡き北村殿と見知りと成りました中川彦四郎殿につきましては、賊より受けました傷養生のため失礼するとのことで、我らが名代(みょうだい)で、北村様ご一家をお迎えに参りました次第。ご懸念には及びませんので槍を納めて下さい」
「これは失礼いたした。拙者北村徳三郎、あれが家内の佐和でござる」と云い、佐和が持って来た鞘を穂先に嵌めた。
「皆、お許しが出た。入りなさい」

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Posted on 2017/03/16 Thu. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第95話 金木犀(その12)】 

 彦四郎屋敷を出た一行は北村栄の足に合わせ歩んだが、それでも栄は遅れまいと裾の乱れも気にせずに小股の運びを早くしていた。
吾妻橋を渡り切ると一行は右に折れ花川戸の町へと入って行った。
向かったのは兵庫が駒形に居を構える時からの知り合いで、運送業を営む大黒屋だった。
兵庫は軒看板を指さし、もう直ぐですと栄を励ました。

 店に入った兵庫は、
「鐘巻です。お願いが在り参りました」と雑踏の騒音に負けない大声で叫んだ。
直ぐに主の妻・おしまが、少し遅れて主の道太郎が隠居の又五郎を連れて出て来た。
「お上がりください」と又五郎
「これから大勢で赤坂まで行くところです。後日、新しく手に入れた中之郷元町の屋敷にお招きいたしますので、今日のところはご容赦して下さい」
「中之郷に屋敷ですか。斬られ彦四郎の屋敷が在るそうですな」
「はい、その彦四郎さんに留守居をお願いしています」
「それは、呼ばれるのを楽しみにしています。ところで御用は?」
と隠居が乗り出して来た。
「赤坂から、その屋敷に移る方が居ますので、大八車をお借りしたいのです」
隠居は主の道太郎を見た。
「今あいて居るのは二台ですが、引っ越しには足りませんね」
「既に二台が向かって居ますので何とかなると思います。お貸しいただけると助かるのですが」
「お役に立つのでしたら、お使いください」
「有り難うございます」
この話し合いは外で待つ者にも聞こえていた。

 兵庫と一緒に出て来た道太郎が、外で待って居た者たちに頭を下げ、大八を引き出させた。
「どうぞお使いください」
「有り難うございます」と兵庫が頭を下げると、待って居た五人も頭を下げた、
「これを御三方で赤坂まで運び、重い荷を優先に積み込みんで下さい」
「分かりました」と心太、三五郎、万吉が大八を牽き去って行った。
兵庫は改めて北村栄と共に店に入り、又五郎に挨拶を済ませ、大黒屋を出ていった。

 花川戸の入口まで来て兵庫は足を止め、腰を下ろし休んでいた辻駕籠に、
「この方を浅草平右衛門町まで頼みたい」と話し掛けた。
「鐘巻様、歩けますので結構です」
「嫌でも、帰りは歩かねばなりませんよ。少しでも足を休めておいて下さい」
「分かりました」と栄は駕籠に乗りこんだ。
「駕籠屋さん、諏訪町までは川沿いを行って下さい」
「へーい」
 途中、兵庫は駕籠を止めさせた。
「あの経師屋為吉の暖簾が出ている店は駒形の養育所に成って居て、男の子が済んで居ます。隣の継志堂は薬屋で養育所が営んでいます。何かの折に頼むことが在るかもしれませんので覚えておいて下さい」
「分かりました。鐘巻様」
この短い会話を聞いた駕籠屋が苦虫を噛み潰したのは鐘巻の名を聞いたからだ。
この時兵庫は他の引っ越しを手伝う者と同じだが稽古着姿だった。
兵庫は駒形から押上に移り住んでから、凡そ半年が経つがならず者たちは人斬り鐘巻の悪名を忘れてはいなかった。
一旦停止はここだけで、歩くよりは早く浅草平右衛門町の船宿・浮橋に着いた。
「駕籠代は幾らですか」
「先生、六十文頂ければ有難いのですが」とまともな代金を言った。
「そうですか一度止まり邪魔をしたので酒手込みで、百で我慢して下さい」
「御の字で御座います」

 栄と浮橋の暖簾を潜った兵庫は
「碁四郎さん」と大声で呼んだ。
その声で出て来たのが、碁四郎の妻・女将の静だった。
「鐘巻様、馬鹿な大声を出さないで下さい。折角寝付いた万丸が起きてしまいます」
「済みません静殿。馬鹿力を借りに参りました」
「その馬鹿を持て余している本人が参りましたよ」
裏で力仕事でもしていたのだろう、碁四郎が通り庭を抜けやって来た。
「何ですか、兵さん」
「こちらが北村殿の奥方の栄殿です」
「これはどうも、ご愁傷様です」
「お世話をおかけしました」
「北村殿ご一家に彦四郎屋敷に入って頂くことにしました。赤坂の屋敷を引き払うので手伝ってくれ」
「私一人でいいですか」
「大八四台、人足八人と背負子を人数分用意した」
「分かった。支度する」と云っても部屋には上がらずに志津が持って来た刀を腰に差し、予備の草鞋を腰にぶら下げただけだった。碁四郎も朝稽古姿のままだったのだ。

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Posted on 2017/03/15 Wed. 04:01 [edit]

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【鐘巻兵庫 第95話 金木犀(その11)】 

 彦四郎が立ち上がり部屋を出ると玄関に行き、番士の仁吉に、
「今日は門の解放は止める、裏にも伝え、皆広間に集まるように」

 朝五つ(8時)の鐘が鳴った
広間に行くと既に、多くの者が朝飯の座に着き主が来るのを待って居た。
暫くすると、庭番方も座り、妻の雅代の席を除き埋まった。
「それでは召し上がりながら聞いてください」
彦四郎屋敷でも人が増えたことで、食事の場が連絡の場にもなって居た。
「先ほど、北村栄殿が参られた。お松、お竹申し訳ないが、雅代の膳と予備膳を部屋に運んで下さい」
「はい」
二人が、膳を運んでいくと、彦四郎が話し始めた。
「栄殿からご両親様の話が出たので、栄殿とともに受け入れることにしました。それで二所帯分の引っ越しをすることに成ります。既に行っている大八一台の他にもう三台必要とのことですが、心残りをさせたくないので四台と八人の人足を送ることにします。
その人足は庭番方の四人と賄い方の留吉とし、残りの三人は押上から出して貰うように頼んできます」
「その残りの三人の件は私が頼んでくる。どうせ一人は千丸の御守りをさせられている鐘巻さんに決まって居る。二人目は恐らく山中殿、となると残りの一つに集まる志願者は多いから難しい仕事ではない」と中川の傷を案じた坂崎が名乗り出た。
「有り難うございます。昼飯はこちらで用意すること、ここに集まるよう伝えて下さい。」
「分かった」
「段取りについてはもう少し詰めるので、食後、引っ越し人足をする者と賄い方はここに集まるように。以上です」

 そして朝食後、膳の片付けが終わった広間に、彦四郎・雅代夫妻、北村栄、庭番方の仁吉、心太、三五郎、万吉そして賄い方となった団吉、更に賄い方のお松とお竹が集まっていた。
「先ず、持参する昼飯として握り飯と香の物などを養育所分として八人分、北村家分として五人分、合わせて十三人分ですが、あと二・三人分多く作って下さい」
「分かりました。押上に十六人分の弁当行李を貸して貰うようお願いして下さい」
「弁当行李だな、分かった。それでは握り飯の方を頼む」
広間から、お松とお竹が出ていった。
「次に行先を確かめるので絵図に集まるように」
開かれた赤坂絵図の周りに頭が集まった。
「ここで御座います。右側にため池を見ながら中ほどまで進みますと左側の御大名屋敷が途切れます。そこを左に曲がり、突き当りの辻番まで進み、そこを右に折れ、最初の辻を左に曲がれば屋敷に着きます」
栄は人差し指で順路をなぞりながら説明した。
「どうだ、迷わず行けるか」
「この辺りのことは、前の主の屋敷が在りましたので存じています」と仁吉が言った。
「それでは、仁吉と留吉、今から押上で大八と弁当行李十六個を借り、一旦戻ってから先発してくれ。準備出来次第後を追う」
「分かりました」と仁吉と留吉が出ていった。
「ところで、ご両親様の足の方は如何ですか。二里はあるでしょうが歩けますか」
「よく庭仕事をしていますので歩けるはずです」
「それは良かった。問題は大八だが。まだ冬の切り米前だから空いて居ると思うが・・」
「旦那問題ありませんよ。背中が開いて居ます」と心太がいえば
「そうか、背負子(しょいこ)か。鐘巻の旦那ならまた修行させられるな」と三五郎が先日の三代目為吉の引っ越しを邪魔した後、背負子を担がせられ、へこたれたことを思い出したのか笑った。

 その笑いが真実になった。
押上に大八車を借りに行った仁吉と団吉が弁当行李を渡すために立ち寄ったのだが、門外に出た心太が大八に背負子の積まれているを見た。
「冗談も云えねぇ。帰りはきつくなりそうだな」
「ああ、皆に覚悟しろと言っておいてくれ」
 仁吉と留吉が出て行くと、間を置かずに兵庫と常吉が稽古着姿で走り、やって来た。
その常吉の背にも背負子が担がれていた。
門内に入って来た兵庫と常吉を迎えた者たちの気が引き締まった。
「鐘巻さん、よろしくお願いします」と彦四郎が頭を下げた。
「任せて下さい。これから大黒屋に行き大八を借り赤坂へ行って来ます。栄殿、お疲れでしょうが花川戸まで付き合って下さい」
「はい、お願いします」
「常吉さんは、昼飯を受け取ったら直接赤坂に向かって下さい」
「溜池を行って大名屋敷の途切れた所を左に曲がり進んで辻番の所を右に曲がり、最初の辻を左でしたね」と栄に向かって言った。
「はい、その通りですよ」
確かめることが無くなった。
「それでは行って来ます」
兵庫、北村栄、心太、三五郎、万吉の五人が屋敷を出ていった。

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Posted on 2017/03/14 Tue. 04:01 [edit]

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