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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第96話 鬼の居ぬ間に(その18)】 

 嘉永六年九月九日(1853-10-11)、押上でいつもの朝稽古が大人たちにより始められた。
昨日、駒形で兵庫が襲われた余韻が残っていることもあり、大人たちは稽古で激しく打ち合っていた。そこに男の子たちが昨日移った彦四郎屋敷からやって来た。
ただ、その手には大人たちの熱気を冷ますような、咲き始めたばかりか蕾の多い菊の花束を持っていた。その菊の花束は志津が待つ廊下に運ばれた。
志津は花束を一人一人から受け取って行った。今日は五節句の一つ重陽、所謂る菊の節句だった。花束は養育所の男の子と絵画修行に来ている赤松又四郎が持参した十六束だった。
この花は、十軒店、裏の五軒長屋そして母屋の広間に分けられ、生けられた。

 昨日は東都組の頭・半蔵を斬ったことから生じた、町の者たちの思わぬ反抗に兵庫は一存で駒形の養育所を本所側の中之郷元町の彦四郎屋敷に移した。それで悪い影響が子供たちに現れることを危惧していたが、兵庫は子供たちに助け合う初心が呼び戻されたように感じたのである。そのことが稽古、朝飯を済ませた兵庫を彦四郎屋敷に立ち寄らせることなく、直接駒形に向かわせた。
 駒形の元養育所に入ると、留守番の内藤が、
「山内家は継志堂の者たちの力を借り引っ越していきましたよ」
「それでは、様子を見に茶店に行き、戻ってきます」
 茶店に着くと、見慣れた顔が手助けをしていて、既に店を開いていた。
「稲次郎殿、約束通り店を開けられましたね」
「はい、お茶も道具もすべて残って居ましたので・・団子の代わりにから寿司を出すようにしています。珍しいのか、年寄りが多いためかよく売れます」
「それを聞いて、ほっとしました。じょじょに他の売り物を増やして下さい」
「はい、常吉さんが先ほど来て、蕎麦と団子の作り方を教えてくれるそうですので、康介に行かせる予定です。水野からは賢太郎さんと粟吉さんが雨戸に落としを設けたりしてくれています。中西の肝太郎さんが見事な鯛を持って来てくれました。有り難いことです」
「これからも、皆さんで助け合って下さい」
「はい、それが出来るのも皆、鐘巻様のお陰です。感謝します」
「勇太郎さんが居ますが、ここから通うのですか」
「いや、わしらを新発田から江戸へ導いた三人の間に割り込む気は無いよ」
「それでは、落ち着いたら三人を招き、旨い蕎麦でも振る舞って下さい」
「それはいいな」

 茶店が活気の中に店を開いたのを確かめた兵庫が駒形に戻ると、駒形の町役が来ていた。
「町役さん、なにか?」
「鐘巻様、町の者が申し訳ないことを致しました。それで昨日は子供たちが、今日は山内様ご一家が引っ越されました。戻って頂けませんか」
「私がしたことが原因ですが、子供たちは傷つきました。大人の真似をして子供たちまでが私に石を投げたのです。私が戻ると云っても、子供たちを戻りたくないでしょう。世の中の偏見に耐え、笑えるほど子供たちは未だ強くは在りませんので戻せません。もし、戻していざこざが生じたら、今度は町の子が傷つきます。養育所の子供の中には既に大人より強い者が何人もいるのです。まさかの時、皆さんに出来ることは子供たちを汚く罵るぐらいでしょう」
町役は言葉を無くしていたが、
「定廻りの久坂様が、町の者が軒賃として奪われた大金を、帳面を添え持って来てくれました。みな鐘巻様達のお力に寄り取り戻せたと伺っております」
「それは良かったですね」
「久坂様が申されるには、鐘巻様が悪党に対し鬼のように振る舞われるのは、町が子供たちを受け入れてくれることを願ってのことだと。その鬼が居ない時に悪さをした半蔵を戻られた鐘巻様が退治した。その鐘巻様に石を投げ、追い出してしまうとは・・」
「もう、鬼に頼ってはいけません。町の者で力を合わせ自ら鬼に成るのです。第二、第三の半蔵が現れるのは時間の問題ですからね」
「分かりました。もう、町の者にこれ以上無礼はさせませんので、仕舞われた暖簾をお出しください」
「有り難うございます」
用を果たせなかった町役は、力なく帰って行った。

第九十六話 鬼の居ぬ間に 完
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Posted on 2017/04/06 Thu. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第96話 鬼の居ぬ間に(その17)】 

 兵庫の案内で歩き始めたところで、稲次郎が
「行先はどこだ」と素朴な質問をした。
「阿部川町近くの了源寺の門前町ですがご存知ですか」
「いや、康介知って居るか」
「阿部川町は知って居ますが、寺の在所は知りません」
そして康介が知って居る阿部川町までやって来た。
そこは北と東西を寺社で囲まれ、南には武家屋敷があり、他の町内とは隔絶された落ち着いた町だった。
了源寺はその阿部川町の西で建ち並ぶ寺の南端に在った。
了源寺の参道に入ると
「あそこですね」と康介が閉め切られている店を指さした」
そしてその店の前に来た兵庫が、
「閉め切られている家に入る時は、このくぐり戸から出入りします」
と云い雨戸から飛び出している閂のつまみを横にずらし、押すとくぐり戸が開いた。
しかし、直ぐに閉め、
「雨戸を開けて、中を確かめて下さい」と云った。
こうして四人が動き出したのを兵庫は唯見ているだけだった。
そして、四人の気色を伺っていた兵庫が、
「稲次郎殿、この家の大家(おおや)に会いに行きませんか」と投げかけた。
稲次郎は他の三人を見た。
若い当主の康介が頷くと皆が頷いた。
「大家殿は、寺の和尚・快延様です」

 庫裏に快延を訪ねた。
「和尚様、茶店を任せることに致しました山内稲次郎殿です。いまご家族が茶店内の片付けなどをしている所です」
「それでは、皆に挨拶をさせて貰うので戻って居てくれ」
「はい、お待ちしております」

 山門外に和尚が出てくると、参道に建ち並ぶ店の者が出て来て頭を下げた。それにまた和尚がいちいち挨拶しながら茶店までやってきた。
それを店の外に出た山内家の四人が並んで迎えた。
「四人ですか。店の中はどうでしたか」
「もう一人娘が居ますが、今鐘巻様のところで夕飯を作って居ますので失礼しています。それと忘れ物が多いのですが如何致しましょうか」
「全て、お任せします。他に気付いたことは」
「和尚様」と少し離れていた兵庫が声を掛けた。
「何ですか」
「善人が住むには少し物騒なのですが、戸締りのため、鍵などの改装をしたいのですが」
「家の修繕維持は皆さんにお任せします。ただ当山には金がないので、持ち金でお願いします」
和尚は気さくで、参道の出口まで店の者に顔を見せ、そして戻って行った。
「私はこれで引き揚げますが、引っ越しの荷車、人足については内藤さんに相談して下さい。また、茶店商いのことで分からぬことが在れば、十軒店のお仙さんに聞くなり、誰か修行に出して下さい。それと、ご子息の勇太郎殿には山内様よりお話しください。新発田から来られた方々には私の方から話をしておきます」
「お心遣い有り難うございます。早くここを落ち着かせ、奥様にご挨拶に参ります」

 駒形に戻った兵庫は内藤に、
「山内の皆さん、茶店を気に入ってくれたようです。引っ越しなどの手伝いをお願いします」
「山内家の落ち着き先が決まりましたか。から寿司の屋台売りで培った商いが報いられる日が来ましたな。今日は色々ございましたが、良しとしましょう」
「そうですね。良い匂いがして来ました。押上に戻ることにします」

 帰路、兵庫は中之郷元町の彦四郎屋敷に寄った。
駒形の子供十五人に保安方の鬼吉が加わり屋敷の住人が一気に三十六人に膨らんだのが気に成ったからだ。
 ただ、彦四郎の話では、混乱を鎮めさせたのは子供たちだったのだ。
夕食の準備ではお松とお竹が声を上げ、それに北村家から来たおたきと急遽賄い役を修行することに成った団吉が動き、更に配膳などは男の子全員が働いたのだ。これに武家の女も腰を上げ滞る仕事を補い、広間に座る大人たちの前に膳を置いていったのだ。
常日頃から学んできた集団での助け合いが、環境の変化時に発揮されたのだ。
兵庫は子供たちの成長を感じ押上に戻っていった。

 押上に戻った兵庫を子供たちは夕飯を食べずに、外で待って居た。何が起こったか。何が行われようとしているかは逐一志津に連絡されていた。兵庫が襲われたと云うことは隠さず伝えられたがそれを疑う者は居ない。しかし、無傷で元気だと言われてもそれを疑う者は居るのだ。
兵庫の安否は目で確かめるまではとなるのだ。
兵庫の姿を見た子供たちに喜びの声が上がり、その喜びが兵庫にも伝わった。

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Posted on 2017/04/05 Wed. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第96話 鬼の居ぬ間に(その16)】 

 集まった者たちに、取り敢えずのことを頼んだ兵庫は、一人押上に戻って行った。
押上から来た甚八郎、常吉が兵庫と同道しなかったのは、兵庫の目に悲しみを見たからと、事件を目(ま)の当たりにした北村徳三郎からもう少し話を聞きたかったからだった。
 北村の話は、半蔵の覚悟と腕前を称えるものだった。それを証明したのが兵庫の行動だった。骸になった半蔵を守り、自ら寺まで運んだことだった。これは兵庫が半蔵の並々ならぬ腕前を惜しんだからに他ならなかったからだ。

 八丁堀に行き文吉と巳之吉に駒形の養育所を閉めたので立ち寄らぬように言い含めに出かけた兵庫だったが、駒形に戻って来た兵庫の傍らには文吉と巳之吉の姿があった。
二人の姿は脇差を差した武家姿だった。
 その時、子供たちの引っ越しは、ほぼ終わり、浮浪時代の爪、髪を納めた祠(ほこら)や浄財箱が大八車に乗せられるところだった。
それを見た二人は、二階に上がり、道場に行き、さらにその二階に上り戻って来た。
「母上に会って来ました」
「絵を見たのか」
「はい、兄上」
「それなら心残りも無いだろう。途中まで送ってやる」

 送ると云っても、日光街道を隣町の諏訪町の中ほどまでで、そこで兵庫は西に文吉と巳之吉は南へと別れていった。
了源寺では碁四郎が待って居た。新しく並んで出来た半蔵親子の土饅頭に線香を上げ、兵庫と碁四郎は庫裏に快延和尚を尋ねた。
「和尚、有り難うございました」
「婆さんに子が居たとは思いもしなかった。親子の命日が一緒にとは坊主を長年やって居ても哀れを禁じえぬものだよ」
「わたしは婆さんの淹れてくれました出がらし茶の旨さを覚えています」
「それは、当山の水を使って居るからだよ。山中さん、半蔵が居なくなった後の茶店のこと忘れて貰っては困るぞ」
「それは、こちらの鐘巻さんに責任を取って貰います」
「碁四郎さん、何も聞いていないぞ」
「今晩、この庫裏で話そうと思って居た、その出番を無くしたのは兵さんですよ」
「内輪もめは外で頼む。明日の朝から店を開けて貰わねば、他の者に貸してしまうぞ」
「和尚、それには及びません。確か、家賃無し、寺銭無しでしたよね」
「そうだ、水代も取らぬ」
「やります」と兵庫が応えた。
「現金な御仁じゃの」
「兵さんは子沢山で大変なのです」と碁四郎が言い訳めいたことを云った。
「左様か。任せますので励んでください」
「有り難うございます」と兵庫の代わりに碁四郎が応えた。

 了源寺を出たところで二人は閉められている茶店を見た。
「兵さん誰に任せますか? 常吉さんですか」
「身を持て余してしまいますよ。新発田から来て、一番早く独立して苦労している山内家にお願いしようかと思って居ます。これから行って頼むのですが、受けてくれると良いのですが」
「受けてくれますよ」

 一人駒形に戻った兵庫はあらましを内藤虎之助に伝え、道場から山内家が住む裏店へ向かった。
朝の出来事が山内家の暮らしに直接影響はしなかったが、突然の兵庫の訪問に昼のから寿司売りから戻って居た稲次郎・田鶴夫妻が表情を曇らせた。
「悪い話ではありませんが、お願いがあって参りました。今朝がたの事件で、空いた茶店が在り、事件の当事者としてそこの主を探すお役を命じられたのです。家主のご厚意で家賃は無料ですが、明朝から店を開かねばならないのです。店は売り場の他に畳部屋が三部屋在るそうです。私を助けると思って引き受けて頂けませんか」
「話がうますぎるので聞いても良いか」
「はい」
「その茶店はお主が斬った男が営んでいた店か」
「はい」
「町の者が荒れて居たが、何故か聞かせて貰えぬか」
「死んだ者は町の店から軒賃と称し間口一間あたり凡そ一分を取って居た東都組の頭。半蔵と呼ばれる者でした。町の者は役人が遺骸を運ぶに際しても手を貸そうとしませんでしたので、私どもが手を貸し寺まで運んだのです。何か気に入らぬことが在るようですが推測ですので、荒れた訳は、町の者に聞いて欲しいのです」
「お主は悪い嘘を吐かないのは分かって居る。明朝から開くとなると今晩から用意しておかねばならぬ。有り難く受けさせてもらうので、案内して貰えぬか」
「その前に、その店は悪党の巣窟でもありました。親分の半蔵が亡くなったことを知ると十人の子分が霧散しました。今日とは申しませんが、用心のためご一家で引っ越して頂きたいのです」
「分かった。何か有るかもしれぬと康介も戻っているので、連れて行く」
こうして、養育所、継志堂に残っている者たちの夕飯の支度を始めた八重を残し、山内康介・
千代の若夫婦と稲次郎・田鶴の老夫婦が兵庫に従い養育所を出て行った。

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Posted on 2017/04/04 Tue. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第96話 鬼の居ぬ間に(その15)】 

 阿部川町で勇三と平次を定廻り同心の久坂に帰した兵庫は、急ぎ駒形に戻って来た。継志堂の方は雨戸を閉め切ったままだったが、養育所の方は雨戸が開けられ、出入り口の腰高障子は石でも投げられたのか穴が開いて居た。ただ、経師屋為吉の暖簾は出されてはいなかった。
 養育所に兵庫たちが入り最後に入った者が戸を閉めようとした。
「開けたままにしておいてください。臆病者は見られていると思うと悪さをしないものですから」
「何が気に入らなくて、ここまで荒れるのか、解らないものですね」
急遽集めた主だった者たちが、山中碁四郎の言葉に頷いた。
「大よその話は聞かれたと思いますが、今夜予定していました茶店への押し込みは取りやめとします。なお、久坂さんの話ですが、茶店の婆さんこと半蔵の母御は自害しました。金を返すようにとの遺書に、借入帳と金が添えられていたそうです。金は軒賃を取られた者へ配分されると思うので、これ以上の関わり合いは止めます」
「鬼の居ぬ間に起きた軒賃集めは半蔵が鬼の仕置きを受けたことで終わったようですが、この有様を見ると兵さんがこれからも鬼を演じるのは如何なものでしょうか」
「そうですね。養育所は子供たちに自立する能力をつけて貰おうとしています。しかし町には、お礼の為に町の外敵に対して鬼を演じたのが結果的に自立の芽を摘んでしまった様です。豆ではなく石を投げられましたので、鬼は退散することにします」
「具体的に退散とはどのようなことですか」
「駒形の養育所を彦四郎さんの所に移します。そうすることで気がかりが二つ生じました。一つは折角開設した子供預かり所をどうするかです」
「鐘巻さん、それなら暫く休むと言ってあります。子供たちのために雇ったたねさんとすまさんの二人は継続して雇うことで安心して貰いました。以前は食べることで一杯だったのが、今は、子供をどう育てるかを考えるまでになっていますよ」
「それは良かったです。もう一つは、裏の道場です。四人の親分衆の寄進で出来たものです。子供たちが居なくなった後、どのように使うかが悩みです」
「それでしたら、新吉さんが言っていましたよ。道場は壁が無い造りなので壊すのも組み上げるのも楽だと」
「移築ですか。あとで新吉さんに相談してみます。鬼吉さん、午後子供たちに荷造りさせ引っ越しをさせて下さい。彦四郎殿、受け入れをお願いします」
「分かりました」
「北村殿、継志堂の用心棒の任を解きますので暫く私に同道して下さい」
「何もしなかったが、半蔵はわしを斬りに来たような気がしてならぬ。気のせいかな」
「それを知って居るのは本人と、逃げて行った二人です」
「気が付きませんでしたが逃げた者が居ましたか。改めて皆さんが命がけの仕事をしていることが分かりました。遅まきながら肝に銘じました」
「常八さん。当面店頭販売は止め、御用聞きと配達に専念して下さい」
「分かりました」
「碁四郎さん、八つ半過ぎに了源寺で会いましょう」
「八つ半? 間が在りますね」
「八丁堀に預けている文吉と巳之吉に駒形を閉じたことを伝え、知らずに立ち寄るようなことが無いようさせるためです」
「気を使うな」
「甚八郎。本所の関係者に無用に駒形の養育所に立ち寄らない様に訳を云い伝えて下さい」
「分かりました」
「為吉さん。ご不自由をお掛けしますが暫く暖簾を出すのは控えて下さい。今、お願いしている軸が仕上がれば早速、京橋に出向き仕事を頂いてまいります。また道場の移築が始まりますと、母屋の二階に移って頂くことに成ると思います。宜しくお願いします」
「先日、太白先生が絵を持って来られた折り、互いに良い仕事をさせて頂いていることを喜んでいたのです。仕事をさせて頂ければ他のことの気遣いは無用で御座います」
「色々お願いしましたが、先ずは子供たちの引っ越しが無事済むように協力をお願いします」

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Posted on 2017/04/03 Mon. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第96話 鬼の居ぬ間に(その14)】 

 兵庫は持っていた傘を背後の上空に向け投げ、同時に足音に向かって振り向いた。
「御用ですか、半蔵殿」と刀は抜いたが傘に気を取られ間合いを広げられてしまった男に尋ねた。
「俺を知って居るのか」
「その長刀、やはり、侍でしたか。残念です。ところで、金を集めて何をするつもりだったのですか。正直に応えて下さい」
 兵庫は過去に養育所を創るために札差を拉致し、身代金を奪った額賀を死に追いやったことを思い出していた。
「ただ何となくだ。だが邪魔する奴は許さねぇ」
「茶店の婆さんに言い残すことは在りませんか」
「俺が、この刀を持ち出す時は生死を掛けている時だ。母上は俺よりも身の処し方を知って居るよ」
「そうですか、それでは参る」と兵庫は愛刀・源三を抜いた。
半蔵は本当に覚悟が出来ていた。長引いて止めが入り捕らえられることを恐れたのか、ためらいもなく打ちかかって来た。それだけに刃筋は鋭く兵庫に迫った。
“惜しい”と兵庫は思った。
が次の瞬間、かわし切れなくなった刃を兵庫が払い、さらに突き出した。
胸を突き貫かれた半蔵の力が抜け崩れ落ち、水たまりを赤く染めていった。
「役人を」
「呼びに行っています」
血刀を手拭いで丁寧にふき取り鞘に納めた兵庫の目に、向かって来る久坂と勇三の姿、その向こうに逃げていく二人の姿が写った。

 やって来た定廻り同心の久坂が、
「仏はだれだ」
「東都組の頭。半蔵です」
「こいつ、侍だったのか。それなら捕らえられるよりは良かったな」
同じ悪行を働いた時、侍の方が罪が重くなる傾向が在ったのだ。
「久坂さん、茶店の婆さんは、やはり母親でした。今から行っても間に合わないでしょうが・・・」
「勇三、人を呼んで片付けておいてくれ。わしは婆さんを見に行ってくる」
 久坂と勇三が去り、残された半蔵の遺骸の傍らに兵庫が立つと、それに北村徳三郎、内藤虎之助が加わり半蔵を守る姿勢を見せた。
町の住人の多くが東都組を恨んでいた。その頭・半蔵が死んだことは直ぐに伝わり押し寄せて来て、死人に鞭を討つことを始める恐れがあるのだ。それが弱い者が出来る仕返しだったからだ。
案の定、人集めに行った勇三だがたった一人を連れて戻って来た。その一人は下っぴきの平次だった。
「先生、駄目です。このまま晒すつもりのようです。お仲間の手を貸して下さい」
「内藤さん。このことを押上、中之郷元町、浮橋に知らせて下さい
「分かりました」

 半蔵を乗せる戸板が奥から運ばれると、継志堂と経師屋の暖簾が仕舞われ、表戸が閉められた。
遺骸と刀が戸板に乗せられ、それを兵庫、徳三郎、継志堂から三次と田作、そして勇三と平次の六人で運び始めた。行先は自身番ではなく了源寺だった。
罵声はまだしも時には石が飛んでくるのに耐えながら、勇三の道案内で武家屋敷や大名屋敷の門前を通るのを避けながら半蔵は運ばれた。
こうして阿部川町までやって来ると、裏店から出て来た定廻り同心の久坂に会った。
「了源寺に葬るのか」
「はい。母御は?」
「やはり自害していたよ。“これを返して下さい”との走り書きの脇にこの金と借入帳が置かれていたよ」と懐を叩いた。
「他に遺書は?」
「無いが倅の脇に葬るように頼んでくるよ」
「お願いします」
 了源寺の参道に入ると、茶店の雨戸は閉まっていた。
寺内に入った兵庫は遺骸を墓場の入口で待たせ、庫裏に和尚の快延を尋ねた。
「山中碁四郎殿の朋輩、鐘巻と申します」
「未だ昼前だと云うのに早いな」
「今宵、茶店に押し込む話は、半蔵が亡くなったため取りやめとなりました。実は仏となった半蔵を運んできましたので、埋葬、供養をお願いしたいのです。また、半蔵の母御が自害して果てました。後ほど運ばれて参りますので合わせてお願いします。仔細は外で・・」
 墓場への出入り口に来た和尚は寝かされている半蔵見て、
「殺されたのか」
「はい、半蔵は侍でした。今晩押し入り捕らえられれば、辛い思いをさせられたでしょう。半蔵は母に別れを告げ、その長刀を持って私に侍として挑んだのです。若いのにやくざ者十人を束ねるだけの腕前でした」
「そうか、母親が居たとは知らなかった」
「見れば判りますのでお教えします。母は茶店の婆様でした」
「そうだったのか。山中殿には言っておいたが、茶店を閉じられては困るので半蔵を除いても婆さんは使って欲しいとな。無理な願いだったな。親子だったか、二人の弔いは任せてくれ」
「お願いいたします。また参ります」

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Posted on 2017/04/02 Sun. 04:01 [edit]

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