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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第98話 残月(その57)】 

 嘉永六年九月二十日(1853-10-22)の明け六つの鐘に先んじて千丸が泣き声をあげた。直ぐに志津に抱き上げられ泣き声は止んだが、兵庫を目覚めさすに十分だった。
「済みません」
「明け六つの鐘が遅れて居るだけですよ」
兵庫はそう応え寝床を出た。直ぐに雨戸を開け外気とともに薄光を部屋に引き込んだ。
有明行灯の灯を消し、廊下に出されていた千丸の汚れ物が入った桶を持ち、廊下から庭におりた。
下駄の音を立てぬよう井戸まで行き、静かに鶴瓶を落とし、水をくみ上げては樽に移していくことを繰り返した。
 千丸も乳ばかりではなく重湯(おもゆ)などを食べるようになり、広げたおしめの中には存在感ある落し物が混じるようになってきていた。塊をへらでそぎ落としたおしめを傍らに置き、次のおしめの中身を確かめ洗う前の準備を終わらせた。
 水を溜めた樽の栓を抜くと、水が樋に流れ出し、樋先でおしめを持って構える兵庫の所まで流れて来る。
せせらぎの冷たい流水でおしめを洗うのが兵庫の寝覚め確かにしていくのだ。
洗い終わった千丸の筒状のおしめを竿に通し物干しに掛けて行くと、有明の月が天空に光って居た。
そして明け六つの鐘が鳴った。
鐘の音を境に、養育所は押し殺していた目覚めを隠すことなく音を立て始めた。
 一仕事を済ませた兵庫は廊下に戻り腰を掛けた。
東の空が明るくなりそれが天空にも及び始めると輝いて居た月が光を失い始めた。
それは月の役割を終えようとしている残月に思えた。
 兵庫はその残月の有様をやくざ者の久蔵や繁蔵にも見た気がした。そして町役の政吉にも・・・。
しかし、元東都組の者たちや、これに立ち向かった久蔵一家の者、繁蔵一家の者たちには何故か光を失う残月の哀れさを感じなかった。
 そこに彦次郎に付き添われた勘三郎と富五郎が両脇に丈の長い杖を挟み、その中ほどを握り歩きながら現れた。
「先生、子供たちの知恵を彦次郎さんが杖にしてくれました」と勘三郎が嬉しそうに言った。
「彦次郎さん、有り難うございます」
「子供たちの話を聞いていたら、鋤(すき)の柄と似た格好を云うので、鋤の金具を外し試してみたのです。丈を合わせれば良さそうなので、軽くするため竹で作ってみました」
「勘三郎さん、富五郎さん、骨を折った方のためにより良い杖を作るために直した方が良いところが在れば遠慮せずに言って下さい。良い物が出来れば服部先生の所に持ち込み、売って頂くことにします」
「養育所のために役に立つのでしたら、そうします」
二人の顔に朝日が当たり、目が光った。
これだ、若いやくざ者たちに残月の哀れさを感じなかった訳が分かった気がした。
勘三郎と富五郎の目は朝日が当たらなくなっても、光を失って居なかった。

第九十八話 残月 完
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Posted on 2017/06/28 Wed. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第98話 残月(その56)】 

 内藤は当然のことだと言わんばかりに一言で応え、それ以上は話さず兵庫の次の言葉を待って居た。
一言で応えたのは兵庫に長い話が待って居ることを教えるものだった。
「聞かせてください」
「この話は政吉本人が話したことに、倅の正文が気付いたことを付け足したものです」
「倅が気が付いて居たと云う事は、政吉さんの道楽が始まったのは昨日今日の話ではなさそうですね」
「はい、五年前に遡りますが、その前に諏訪屋について話します。商いは小間物屋で間口二間ですが、商いの多くが客先を回る担ぎ屋稼業で店は女が見ている。店が浅草寺へ向かう本流から外れた所に在ったことも、客を待つより、積極的に足で稼ぐ道を選ばせたようです」
「その担ぎ屋稼業を親子でやっているわけですか」
「親子で担ぎ屋をやって居たのは三年前までで、主の政吉がその実直な仕事ぶりが町名主に認められ五年前に補佐役の町役になりそれから二年ほどは、小間物屋稼業を怠るようなことは無く励んでいたのです。しかし、手伝う町役の仕事が増えたことの他に倅の正文が父の得意先も回れるほどに力を付けたこともあって、三年ほど前に家業を倅に譲ることなく、担ぎ屋稼業を退き、町役の仕事と店番をすることになったようです」
「道楽の話がまだ出て来ませんね」
「実は道楽は政吉が町役を引き受けた時に芽生えたようです。町役同士、時には町名主も加えての寄り合いが美名のもとに催されるのです。その費用を新参者当番で持たされることが通例で、政吉は店の金を使うようになったのです。それでも酒と料理に留まって居た時は良かったのです。ある時、寄り合いが終わった後に、別の座を用意してありますと新参組だが裕福な町役が誘ったのです。行ったところが花街で、その時は特に散財はせずに楽しんで終わったとのこと」
「尾を引いたわけですか」
「小間物屋として地に足を付けた暮らしをしてきた政吉が、蔑んできた遊びの楽しさを覚えてしまったのです。寄り合いと称して出かけることが多くなり、店の貯えを減らしていったわけです」
「話は、分かりました。ところで、十両二分二朱の他に仕入れ代金として五両を用立てたのは構いませんが、何か貸す条件を付けましたか」
「久坂殿が政吉さんを隠居させること、町役を辞退させることと引き換えに諏訪屋を立て直す金を用立てて欲しいと云ってきたので、私からは特に他の条件を付けて居ません」
「今回のことで一番喜んでいるのは、・・・」
「政吉さんでしょうね」
「そうですね、私も気がかりが無くなり喜んでいます」

 兵庫が押上に戻ろうと腰を上げると、店の外に足音がし、暖簾が動き荷を担ぎ手に下げた男たちが次々に入って来た。
繁蔵の子分だった島吉、圭次、空太の三人だった。
 これは兵庫が圓通寺から押上に戻らずに、わざわざ駒形に来た目的の一つが午後に駒形を出て行った十三人が戻って来ることを期待してのことだった。

「お世話に成りに戻って参りました」
「世のしがらみは清算しましたか」
「金で片付くものばかり、引き留めてくれるような色っぽいしがらみが無いのがさみしかるらんです」
「それに反して入谷の家に入った竜三郎さんはおとき・・・さんと良い感じでしたよ」
「それは良かった」
「先生、中之郷に連れて行って貰えますか」
「明日から、道場を解体するので暫く駒形に泊まって手伝って下さい」
「明日から、飯付き寝床付きで日当一朱を始められるのですね」
「お願いします」

 兵庫は気がかりなことが片付き、期待していたことが一分だが叶ったことを土産に押上に戻った。
夕食を子供たちと食べ終わった兵庫を心地良い睡魔が襲ってきた。
寝部屋に入った兵庫は志津に
「明日の明け六つの鐘が鳴ったら起こして下さい」
「それを私もお願いしようと思って居たのですが・・・」と笑った
「志津も寝て居なかったのですか」
「はい、眠らない様に千丸に乳を与えず夜泣きさせました」
「まさか」
早く寝ようと布団に入った兵庫と志津だったが、何故か眠られない二人だった。

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Posted on 2017/06/27 Tue. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第98話 残月(その55)】 

 屋敷の未申(南西)の角に祀られた地蔵から南東に向かって植栽された庭木が間を置いて植えられ、その間を青い竹垣とで結び屋敷を囲って居た。
それは兵庫が先日見た隙間の多かった外観とはかなり違い、垣根と呼べるものだった。
 兵庫が近づくと垣根の内側から女たちの笑い声が聞こえて来て、更に近づくと村上茂三郎が顔を見せた。
「先生、御用ですか」
「はい、それにしても精が出ますね」
「何分にも女が多いので、気休めですが囲い、目隠しを急いでいるのです」
「それは分かりますが、声は隠せませんよ」
「はははは~・・・声が聞こえるので力が出せるのです。お入りください。茶を淹れますので」
「いや、これから圓通寺に行くので、こちらの久蔵さんと繁蔵さんに、養育所の原点がここに在ることを見せに来ただけです」
「そうでしたか。お二方の名は伺っておりますので、来られた訳が何となく分かりました」
「それでは、お地蔵さんとお狐さんお参りして寺に行くことにします」
 兵庫と久蔵と繁蔵の三人は、鬼門の稲荷と裏鬼門の地蔵に手を合わせた後、田のあぜ道を通り圓通寺に向かった。

 寺の山門をくぐった兵庫は迷わず庫裏に行き外から
「和尚様、鐘巻兵庫で御座います。お願いが在り罷り越しました」と大声を上げた。
障子が開き、顔を見せたのが和尚の浮雲だった。
「相変わらず、騒々しいの。何だ」
「この者は久蔵、繁蔵と申し、悪党で御座います。先日、子分を使い人を殺めに向かわせました所、目的を果たせぬままに向かわせた一人が討たれ、二人が大怪我を致しました。私は額賀殿を死に追いやったことを悔い、この者には生きる道を選ばせましたので、経の一つもお教えいただき亡くなった者の回向をさせて頂きたいのです」
「話は分かったが、坊主と云えども生きるためには食わねばならぬ。お主、寺の近く、中で人を見かけたか」
「残念ながら、見かけませんでした」
「この現実を変えたいのだが何とかならぬか」
「それでしたら和尚様、お二人には多くの子分衆がおいででした。その多くの者が養育所の世話になることが決まりかけています。それはお二人が亡くなった子分衆の回向をすると申されたからです。恐らく元親分が世話になる寺の檀家となることを願うと思うのです。それが始まりではないかと、それが叶えば祭り好きの男たちですから門前の賑わいを考えると思います」
「今の檀家が増える話、嘘ではないな」
「私は嘘が下手で御座います」
「そうだな。その毘沙門面で嘘を付いていてはあのように子供は集まらぬな」
「和尚様、毘沙門面はひどいですよ」
「すまぬ、わしも嘘がつけぬのだ」
「あいたっ、これ以上、傷つかぬうちに退散しますので、私がお二人をここにお連れした訳は和尚様からお話しして下さい」
「分かった。実は話し相手が欲しかったところだったのだ」
「それでは、失礼いたします」

 圓通寺を出た兵庫はこれを最後の仕事にはせず駒形に向かった。
気がかりが一つと、期待が一つ在ったのだ。
兵庫を待って居たのは気がかりの方だった。
三間町で東都組の半蔵が集めさせた軒賃が返却されて居なかった事情が分かったのだ。
内藤が同心の久坂から聞いた話はこうだった。
町役が返却するために渡された十両二分二朱の金を紛失したのが始まりだったが、同心の久坂がよくよく聞きただしていくと、実は、その金は町役の諏訪屋政吉自身が連れてきた付け馬に渡してしまったというのが真実だった。
それが露見したのは付け馬への散財がそれ以上で不足分を帳場の金や金に成りそうな妻の呉服を質に入れ何とか支払いを済ませたことで、妻の怒りを買って居たからだった。
 町役自身の不祥事が分かったことで、久坂が、預かった十両二分二朱の金を今日中に返済しないと町に居られなくなると迫ったが、主(あるじ)だった政吉が仕入れの金まで手を付けていたため、返す金が用意できなかった。
そこで久坂が、金は知り合いから借りて用意するから、今日中に返せと説得したうえで、久坂は諏訪屋の倅を連れ、金を借りに内藤の所に来たのだ。
「鐘巻さん、先ほど、十両二分二朱の他に仕入れ代金として五両を用立てましたので、今頃は返しに回って居るはずです」と内藤が話を終えた。

 内藤の話を聞いて居た兵庫が、
「町役を引き受けるほどの信用を得ていた諏訪屋政吉が、店の主であるにも関わらず悪所通いをし、店を傾けた訳を聞きましたか」と尋ねた。
「もちろんです」と応えた。

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Posted on 2017/06/26 Mon. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第98話 残月(その54)】 

 兵庫が久蔵と繁蔵を押上に連れてきた訳は、話だけではなく実際に勘三郎と富五郎が匿われ生きていることを見せることだった。また、勘三郎と富五郎には先日まで親分であった久蔵と繁蔵がその威を失い、もう親分ではなくなっていることを知らせ、やくざに戻る道を狭めるためでもあった。
 連れてきた用が終わったと思い、兵庫が隣に座る志津に何かを言って貰おうと見た。
「叔父様、猫の赤ちゃんも勘三郎さんと富五郎さんを喜ばせたよ」と猪瀬阿佐から預かって居る多美が言った。
「フクの赤ちゃんは、今どこに居る」と兵庫が問いただした。
「勘三郎さんと富五郎さんのお部屋だよ」とお玉が応えた。
「それでは、後で猫ちゃんにも挨拶に行って貰います」
「それと、男の子たちは今日、中之郷に戻る予定でしたが、久蔵さまや繁蔵さまのお知り合いがお越しになるので、暫く延期します」と志津が云うと、男の子の顔に笑みが浮かんだ。
「それでは解散します」
 動きが生じ、勘三郎は常吉の肩を、富五郎は乙次郎の肩を借り、空いた手には杖を持って歩き始めた。折ってしまった片足は宙に浮いているが、もう片方の痛めた足にはそれなりの力が入るまでに回復してきていた。その後を兵庫等がついて行った。
部屋には既に、お玉、鈴、多美が来ていて子猫と戯れていた。母猫のフクは子育ての場と決め込んだのか部屋の隅に置かれた座布団の上に横に成り四匹の子猫が遊ぶのを見ていた。
 そして部屋に勘三郎と富五郎が入って来ると、フクがミャ~と鳴いて、起き上がると縁側から外に出て行った。
「鐘巻様、見ましたか」と勘三郎が言った。
「はい、子供は任せたよと云っているようでした」
「はい、これまで同じようなことがなんどもありました」
そして勘三郎と富五郎が布団の上に横になった。
「今回は俺の番だ」と富五郎が言い
「ミャ~」とフクの鳴き声をまねた。
すると、子供たちと遊んでいた子猫が遊ぶのを止め、富五郎の脇腹と腕が作る隙間に入り込んだ。
子猫を富五郎に取られた子供たちは、次の遊びを求めて部屋から出て行った。
「聞いて居るかもしれぬが、わしと繁蔵さんは罪滅ぼしのため向島の圓通寺の世話に成り行く。お前たちにはそのような大怪我をさせて申し訳なかった。寺は近くだそうだ。早く良くなり、その姿を見せに来てくれれば有難い」
「はい、皆様のお陰で片足の方は腫れもだいぶ引きました。人様の肩を借りるような、両脇の下に挟む杖も先日試し、今高さを合わせて頂いています」
「そうか、それは良かった」
「近いのはお互い様です。良く成ったら参りますので、それまでは、そちらの姿を見せに来て下さい」
「それでは、寺に行って来ます」

 兵庫は表通りに出ると、北十間川の向こうを指さし、
「田んぼの先に見える森が見えるでしょう。あそこが圓通寺です」と教えた。
しかし、兵庫の足はなかなか圓通寺に近づかなかった。
「鐘巻様、どちらへ行かれるのですか」といぶかしげに尋ねた。
「お気づきでしたか。実は何故圓通寺なのかを知って頂くために寄り道して居るのです」
「寄り道先は圓通寺と縁の在る所ですか」
「圓通寺とではなく、寺に埋葬されている方と縁がある所です」
「鐘巻様から埋葬されている方と聞かされると、失礼ながら血の匂いがしますね」
「はい、多くの方々が亡くなった所です」
「そこで亡くなられ方々が圓通寺に埋葬されて居る訳ですな」
「そうです。あの建物がある一角が養育所の持ち物で、これから行くところです。主は
村上茂三郎殿です」

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Posted on 2017/06/25 Sun. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第98話 残月(その53)】 

 帳場に残ったのは、兵庫、内藤、常吉、乙次郎そして久蔵と繁蔵の六人だった。
「何人が戻ってきますかね」誰もが感じていたことを乙次郎が言った。
「折角、風呂に入れ床屋に行かせたのに・・奥様や子供たちに会って居れば十三人が間違いなく戻るでしょうが運の無い野郎だ」と常吉が応えた。
「飯付き、寝床付きで日に一朱は、荒くれにとって望外の手当てだよ。最近始まった品川沖の台場造りの手当てと同じだが、あっちは飯も寝床もついて居ないからな。鐘巻様を信用した者なら戻って来るよ」と久蔵が言った。
「戻って来なかったら、信用されなかったことに成りますね」と兵庫が上げ足を取ると
「そう云う事ではありません。鐘巻さんが信用されないとしたら、それは前の主の私が信用されることをしてこなかったからですよ」と久蔵が繕った。

 八つの鐘が鳴った。
「それではお二人を中之郷の屋敷をチラッと見せてから向島の圓通寺に預けに行って来ます」
「折角床屋に行ったのに、坊主か・・」
浮世の表舞台を騒がして来た男が未練を漏らした。
「髪は落としても首とは違い生えてきますよ」
「早く落とせばその分早く生えると云う事なら、早く行きましょう」
 駒形を出た兵庫等は吾妻橋を渡り中之郷の屋敷に近づいた。
「今、中之郷の屋敷には皆さん方の子分だった総三郎さんと喜重さんがいます。お二人は捕らえられたことを恥じて居ますが、十三人も、お二人も似たような状況でした。皆に新しい生き方に向かっていることを伝えて下さい」
「ああ、東都組の者と和解したことも合わせて伝えるよ」
「有り難うございます」

 屋敷までやって来ると門は開けられていた。
「ここが継志館中之郷養育所です」
「立派な長屋門に、その様な看板が掛けられて居ますね」
「はい、元は旗本の抱え屋敷でその様な格式で造ろうとしたようですが、資金不足か中の長屋は不完全です。もう武家屋敷ではないことを分からせるために、普段は門を開け、門柱にあのような看板を掛けて居るのです」

 門前で兵庫はこれまで行動を共にしてきた常吉と乙次郎に、
「ここでの挨拶を終えたら押上に寄りますので先に戻って伝えて下さい」
「分かりました」と云い、二人は駆け去って行った。
 屋敷内に入った久蔵と繁蔵は客間に通された。そしてそこに、総三郎と喜重が呼ばれ、兵庫と留守居役の中川彦四郎が立ち会った。
「既に十八日の夜起きたことを聞いて居ると思うが」と前置きして久蔵と繁蔵の二人が互いに不足を補うように、二人の立場から昨晩からここに来るまでの話しを始めた。
そして、
「昼に駒形を離れた十三人の何人が戻り、ここに来るかは分からぬが、中川様の言いつけを守り互いに助け合い、養育所のために働いてくれ。わしと繁蔵は、これより向島の寺の厄介になることに成り、亡くなった正一の供養をさせてもらう」
「お体にお気を付けください」

 中之郷を出た兵庫の足は押上に向かって急いでいた。
「あの畑の中に在る黒板塀の中が押上の養育所です。今は表の塀を皆で十軒長屋に建て替え、十軒店と称し、素人が商いをしています」
 兵庫たちが近づくと、表で遊んでいた子供たちが
「兄上、お帰りなさい。母上がお待ちですよ」
「皆が居てくれたから母上も心強かっただろう。有り難う」
 表口から入った兵庫は久蔵と繁蔵を広間に案内した。
そこには既に、両脇を常吉と乙次郎守られ、椅子に座る勘三郎と富五郎の姿があった。
兵庫は二人を兵庫の右脇に座らせ、待った。
子供たちが続々とやって来て席を埋めて行った。そして志津が赤子の千丸を抱き部屋に入って来た。
いつもと変わらぬ光景で養育所の者たちは兵庫の脇に座って居る二人を見ていたが、その二人は志津が兵庫の脇に座るまで見続けていた。
その二人の脳裏に、常吉が言った
“奥様や子供たちに会って居れば十三人が間違いなく戻るでしょうが運の無い野郎だ”の言葉が思い出されて来ていた。
「私の隣に居るのは勘三郎さんと富五郎さんのお友達の久蔵さんと繁蔵さんです。皆が怪我した二人と仲良くしていることを伝えたら、お礼を言いたいと、忙しい中来てくれました」と云い久蔵を見た。
「男の子、女の子、私たちの友達、怪我をした勘三郎さんと富五郎さんに仲良くしてくれてありがとう」と云い、繁蔵を見た。
「お陰で二人の元気な様子を見ることが出来て嬉しいです。有り難う」としめた。

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Posted on 2017/06/24 Sat. 04:01 [edit]

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