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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第102話 ほとぼり(その19)】 

 ほんの四半刻程度の仮眠を取った兵庫は駒形を出て馬道の湯屋に入り、石榴口(ざくろくち)をくぐると、そこにはなんと碁四郎が湯に浸かっていた。
「随分と長湯ですね。それでも江戸っ子ですか」と冷やかした。
「長湯なんて出来ませんよ。早く浸かってみて下さい」と碁四郎が誘った。
確かに湯は兵庫の冷えた体には熱く、長湯を拒むものだった。
「ここは熱いですがが、新門のほとぼり冷めていましたよ」と碁四郎が話の口火を切った。
「冷めたと云っても、火傷しない程度でしょうね」兵庫が返し、
「それは仕方がないでしょう。子分が死んでいますからね。簡単に冷めては子分衆に申し訳ないですからね」
「もとはと云えば黒船が新門にとんでもない手土産を、その御裾分けを養育所にももたらした。来年来る黒船はこの国にはどのような試練を運んで来るんでしょうかね」と兵庫が話を転じた。
「今年の黒船は新門に内輪喧嘩程度で済みましたが、次の黒船がお国に内輪喧嘩が起きなければ良いのですが・・どうなるのか・・・・」
「う・・・・む・・答えが出て来ない。碁四郎さん早く出てくれ、茹蛸に成る。湯を揺らさぬように静かにな・・・」
静かに湯船から出て行く碁四郎から立ち上る湯気が石榴口で白く輝くのを見て、兵庫もゆっくりと湯船から出た。
火照(ほて)った身体に冷気を当てるのも気持ちが良い。鍛え上げられた身体を拭く、たくましい二人の姿が昨日今日と続いたが、それも今日が見納めとは知らずに、朝湯に来た花街の女の目が注がれていた。

 二階に上がると二人を待っていたのか盤を囲っていた年寄りが席を空け、
「先生」と呼んだ。
「順番で結構ですよ」
「はい、調度順番です」
「皆さん居るじゃないですか。嘘を言ってはいけません」
「嘘では在りません。人は居ますが、見ているだけで並んではいないのです」
「そう云う事でしたら、今日が最後に成りそうなので遠慮なく」
「今日でお終いですか」
「その事は、打ちながら、指しながら・・」
こうして、碁盤には碁四郎が、将棋盤には兵庫が座り始まった。
兵庫と碁四郎の相手は大差がつくと投げっぷりがよく、次々と代わっていった。
 昼前になって弥一が二階に上がって来た。そして見張り番の者たちと目配せし降りていった。見張り番も下りて行くのを見て、兵庫が、
「戻らなければならなく成りましたので、この勝負が最後に成ります」と相手に告げた。
そしてその勝負が終わり、兵庫と碁四郎が立ち上がり二階から降りていった。

 外に出ると、兵庫が
「話は駒形に戻り、いたしましょう」と先頭を歩き始め、“を組”の会所の前を通り戻った。

「弥一さん首実検は如何でしたか」
「はい、出て来たのは五人でしたが、私も仙吉さんも見覚えの在る顔は探せませんでした」
「そうでしたか、不思議ですね。しかし、これで新門の周りで起きた事件で、奉行所が詮索することは無くなりました。事件のほとぼりが本当に冷めるでしょうから、こちらも詮索は止めましょう。ご苦労様でした」
「鐘巻さん、どうしましょうか。平田さん、熊吉さん、弥三郎さん、勝太さん、夏吉さんの今後ですが・・・」
「五人のお方には、こちらのことを隠さず知らせ、見せましたので、あと数日間中之郷の屋敷に足止めさせてもらいます。私たちも、新門も願っている事件のほとぼりが冷めるまでです」
「分かりました。それまで待ちます」と平田が応え、五人の顔に笑みがこぼれた。

第102話 ほとぼり 完
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Posted on 2017/11/17 Fri. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第102話 ほとぼり(その18)】 

 二人が出て行くのを見送った兵庫が、
「それでは、私たちも引き揚げさせていただきます。朝飯後、駒形に入ることに成って居ますので、何か生じましたら、そちらにお願い致します」
「有り難うございました。一段落致しましたらお伺いいたします」と新門が頭を下げた。
新門とその一家の者に見送られ、“を組”の会所を出た。月は既に沈み、来た時持参した提灯の灯り一つを頼りに十四日夜明け前の道を戻っていった。
 途中、吾妻橋西詰で碁四郎と別れ、中之郷元町の屋敷で彦四郎と甚八郎と別れ、いつもの起床する時間に兵庫、甚八郎と常吉の三人が押上に戻って来た。

 部屋に入った兵庫は稽古着に着替えながら、昨夜から今朝方までに起きたことを志津に話した。
そしていつもする朝の仕事を手際よく済ませると、稽古道具を身に着け道場に立った。
 子供たちとの朝稽古、朝食を済ませた兵庫は一人で押上を出た。
中之郷元町の屋敷に寄り、中川矢五郎と弥一そして先日草加宿の坂崎道場から連れて来た平田実深以下五人を加え、話し合いの場所駒形の経師屋に向かった。

 経師屋に入るとそこには既に山中碁四郎と草加から来た仙吉が待って居た。
内藤を加え十一人が揃った。
「昨晩から、今朝方にかけて起きたことを先ず話しますのでお聞きください」
と兵庫が言い、衆目を集めた。
「昨夜私、山中碁四郎殿、中川彦四郎殿、根津甚八郎殿、近藤小六殿そして常吉さんの六人で新門の“を組”の会所に参りました。出向いたわけは私の話を聞いた志津が胸騒ぎがすると言ったからです」
「えっ? 胸騒ぎですか」
「はい、その胸騒ぎは当たりました。これから話すことは奉行所の方々に内緒ですよ」
皆が頷いた。
「木戸が閉まった後、火事を知らせる半鐘が打たれ、火消の者たちが火事現場へと向かいました。暫くすると十二人の賊が会所に押し入って来ました。胸騒ぎが的中し、控えていた私たちが、その者たちを懲らしめ、赦し、返しました。押し入った者は新門の身内でした。日付が変わって十四日の朝七つ半ごろ、押し入った者から使いの者が来ました。押し入った者の頭が自殺したということでした。これを検分しに新門の三郎さんが行きました」
「その三郎さんからですが、亡くなったのは事実との連絡が今朝方参りました」と内藤が付け加えた。
「この騒動は新門一家の内部抗争ですが、色々分け合って知られたくないことです。私たち出向いた六人はその場で新門殿の望まないことはしないことに決めました。その一つが今日解き放たれる新門一家を名乗る者の中に、先日、草加宿で騒動を起こした者が居るか否以下の首実検です。もし居たとしても居なかったことにして下さい。首実検に行って貰う方は仙吉さんと弥一さんにお願いします」
「話は分かりました。解放された者は引き取り人に任せれば宜しいのですか」
「危害を加えないことを約束して頂いて居ますので任せて結構です」
「分かりました」
「間もなく勇三さんが、首実検の段取りを知らせに来ると思いますが、昨夜の事件は知らないことにして首実検以外の方は私を除いて湯屋に移動して新門に出入りする者を見張ってください。碁四郎さん頼みます」
「分かった。面倒くさいことが起きない様に新門に一言断わります」
「それで、構いません。こちらが終わったら湯屋に参ります」

 暫くして、南町定廻り同心の久坂と岡っ引きの勇三がやってきた。
「待って居ました」と兵庫が迎えた。
「待ち疲れたのかな? 眠たそうだが」
「分かりますか。それは昨夜から寝かせて貰えなかったためですよ」
「惚気話を聞く暇はない。早速だが首実検は五人を御簾の裏から見て貰うことに成って居る。検分後出牢は午後になって居るので、午前中に行ってくれ。案内は勇三がする」
「検分役は草加宿で十人と対面した仙吉さんと記憶力の良い弥一さんに頼みました」
「良ければ、今から行って貰えれば勇三も助かるのだが」
「構いませんよ、私も早く終わる方が有難いので」と草加から来た仙吉が応えた。
勇三に案内され仙吉と弥一が出て行くと、久坂が
「もう、これ以上騒ぎは起こし、火消に走らせないでほしいものだ。わしも眠いのだ」
「私も眠いので、ここで一眠りしてから伝えに行って来ます」
「頼むよ」
兵庫は言葉通り帳場脇の部屋に入り横になった。そして眠りに落ちていった。

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Posted on 2017/11/16 Thu. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第102話 ほとぼり(その17)】 

 それを受けた碁四郎が、
「彦四郎殿が云われたことは私も感じましたよ。寿三郎が先陣を切って侍である私に臆することなく向かって来ました。寿三郎さんのことは知りませんが、男らしさを見せて居ました。この期に及んで見苦しいことはしないと思いますよ」
「と云う事だ。子が犯した罪を親が受けることはよくあるが、孫がした罪を爺が受けることは在っても軽減されるものです。寿三郎が身を処せば、寿三郎の子分衆は新門殿の孫に成ります。大した罪にはならないでしょう。しかし事件は望んだことでなくても、騒ぎが起きた事実は隠しきれないかも知れない。御咎めが在るのなら甘んじて受けてやるのが、大所帯の主の役目と割り切ったらどうですか」と彦四郎が話を閉めた。
「気を使って頂き有り難うございます。黒船以来、金の掛かることに首を突っ込んだのが解って貰えない。鐘巻様、浅草から出て行かずに、今暫くお力をお貸しください」
「新門殿の苦しいお立場は理解して居るつもりです。浅草を出たのは子供たちのためです。東都組の頭・半蔵を斬ったことで、町の大人たちが駒形の子供たちの心に養育所の子供たちに対する差別意識の火を付けてしまいました。一旦着いた火は容易には消えません。ほとぼりが冷めたと思い、戻ってくれば再び燃え上がるものです。ですから子供たちは戻しません。少し遠いですが草加宿に数人送り、宿場の子供たちと遊ばせています。ただ、私たち大人は悪党の集まる浅草を捨てられません。私たちにとって手っ取り早い金稼ぎは悪党退治ですからね」
「それで結構です。多少目障りに感じることが在っても邪魔はしませんよ」
「半蔵は色々と養育所にもたらしてくれました。入谷に拠点、そして多くの人を仲間に迎え入れることが出来ました。目障りにならない様に働いて貰いますので、温かい目で見ていて下さい」
「分かりました。ところで明日のことですが、私が頼んだ首実検に行かれますか」
「これは出かけないと久坂さんに変に勘繰られかねません。居ても居なかったことにするか、否かを決めて下さい」
「行って頂くのは寿三郎にぐうの音も言わせないためですが、その必要もなくなりましたので居なかったことにして下さい」
「分かりました。全て通しますので出迎えに行く方に引き取るようにして下さい。ただし、目星がついて居る者が出て行っても手出しはしないで下さいよ」
「分かって居る。手出しはするな」と新門が云った。
仲間が六人死に他にも怪我をした者が居るから、受け入れられない話しだが、皆は黙って頭を下げた。新門一家の御家騒動が明るみに出るのを避けるため、今夜も殴り込んだ者たちを必要以上にとがめず返したとことを聞かされているので、我慢するしかなかった。

 日が変わる九つの鐘が鳴った。もう話は無くなっていた。
碁盤、将棋盤が再び持ち出され、碁四郎と兵庫を相手に勝負が始まった。
盤の周りに人が集まり、寝る者は居ない。
それは、何かを待って居るように思えた。
時が八つ、七つと経っても皆が起きていた。そして更に半刻ほど過ぎた。
誰かが来たような声が表から聞こえて来た。そして番の者がやって来て
「寿三郎さんの所より使いの菊五郎さんが参りました」
「お通ししなさい」
戻っていったが、直ぐにまた引き返して来た。
「上がるのはもったいないので、口上だけをお聞きくださいとのことです」
新門が番の者と出て行った。
「ご苦労様です。辰五郎です」
「夜も明けぬ内からお騒がせ致します。手前、寿三郎の使いで参りました菊五郎と申します。今朝七つをもって寿三郎身罷りまして御座います。何方かご検分をお願いいたします」
「お役ご苦労様です。早速・・」
「その御用私が行って参ります」と三郎が名乗り出た。
「頼む」
身支度を済ませた三郎が菊五郎の案内で出て行った。

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Posted on 2017/11/15 Wed. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第102話 ほとぼり(その16)】 

 一方、吉原の妓楼辺りが燃えて居ると云う事で火事場に向かった火消衆だが、近づくに従い、燃えたのは吉原遊郭の外であることが判り、北側へと回った。
そこは吉原田んぼで、どんど焼きを模した物が造られ燃えていたのだ。
いたずらと分かっても帰る訳にはいかないのが、火事と喧嘩は江戸の華と集まって来る野次馬とは違うところで、吉原が火事と多少の助兵衛根性を見せ諸所からやって来た火消たちは先ずは怒ったが火の始末をして戻っていった。
 “を組”の火消衆も早く戻らなければならない訳があったが、消火活動を済ませ、急ぎ馬道まで駆け戻って来た。
火消たちが会所に近づくとあの得もいわれぬ匂いに鼻をくすぐられた。飛び込むと、目に入ったのは外されていた襖や障子が元に戻されていた。
そして、奥からは笑い声が聞こえ、襖が開き新門が顔を見せた。
「ご苦労でした。早いところを見ると中(吉原の郭内)が燃えたのではなかったようだな」
「へい、誰かが田んぼに造ったちゃちなどんど焼きが燃えて居ました」
「悪い冗談だな。そいつ等も今は反省しているだろう」
「様子が変わっていますが、何か在りましたか」
「ああ、寿三郎以下十二人が押しかけて来たが、先生方にあしらわれ帰っていったよ。そこに置いてあるのが戦利品だ」
「奴ら、火消に化けて来たんですかい」
「あれ、寿三郎は火消ではないのですか」と兵庫が不思議そうに尋ねた。
「新門の配下の者が全て火消ではないのです。寿三郎は例えて言えば千住の鉄五郎のような者ですよ」
「そうでしたね。話しついでに成りますが、その千住の鉄五郎さんの跡はどう成りますか。先日、伺ったおりに奥様と会いましたが、考える余裕もなかったのか、店を閉じるような 感じでしたが」
「その件は話が長くなりますので、蕎麦を食った後にしましょう」
「そうでしたね」
「皆、上がれ」と新門が云い、火消衆が草鞋を脱ぎ始めた。

 蕎麦を啜る音が途絶える前に、
「先生方、少し今日の話を聞かせて頂けませんか」と誰かが云うと、同調するように周りの者が頷いた」
「私たちは皆さんの腕前を大よそですが分かって居ます。おそらく押し込んで来る相手も似たような者と思って居ます。一方私たちは皆が実戦を経験していてためらいは在りません。同数なら負けることはまずないわけです。今回は相手が十二人とこちらの倍でしたが、同時に殴り込むのは開けられている間口の関係から四人が限度ですが、今回は三人同時に踏み込んできました。こちらは家の中に三人、外に三人で挟み撃ちでした。先頭の三人が踏み込みほぼ同時に打撃を受け倒されると、次に踏み込む者は足場を失い、後ろから押されていました。先陣を切って踏み込んだ寿三郎さんを踏みつける訳にはいかず、気の毒でした。はっきり言えば寿三郎さん以外は押し込みたくなかったのではと思って居ます。私ら外の三人は後方の者を倒し、逃げ道を塞ぎ、無傷の者三人を残し屈服させたのです。何とも地味なものでした」
「何も入っていない蕎麦などと云うと、蕎麦に申し訳ない殴り込みでした。義理ゆえの気乗りのしない殴り込みの者たちを、皆さんも許してあげて下さい」
「それは許しますが、寿三郎はどうするんですか」男たちの目は新門を見ていた。
「どうするも、寿三郎も男だから、けじめは自らつけるだろうよ」
と応える新門に笑みは無く憂いが浮かんでいた。
殴り込みに対しては完全な勝利でかつ事件にせずに納められたのだが、本当に収まったのかに不安があった。
不安とは、田んぼに造った物に夜間に火を付けた者が居て、これに半鐘が打たれたことだった。これが火付けと判断されれば重罪である。
この火付けが兵庫が暗示したように殴り込みをかけた寿三郎の仕業だとすれば、いや露見すれば、新門にとっては一家の者が重罪を犯したことに成り、何らかの連座を受ける恐れが在ったからだ。
新門の様子は火消衆に伝播し、部屋中が重苦しくなった。
「心配するな。寿三郎は男だよ」と中川彦四郎が言った。

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Posted on 2017/11/14 Tue. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第102話 ほとぼり(その15)】 

 蕎麦打ち、だし汁作りには新門子飼いの三郎が手伝いを買って出た。
台所の竈付近には、自身番の火の見櫓に上り、見張りを交代した若い者がやって来て冷えた身体を温めていた。
打ちあがった蕎麦を切る音、大釜では湯気出す汁の得もいえぬ香りが漂い始めた。
その匂いが届いたのだろう。
「いつじゃんが鳴るかわからねぇ。出かける者たちから食わせろ」と新門の声だった。
 遠慮をする必要が無くなった男たちが温まるため、腹を満たすため台所へと集まり、冷えた手を温めるように丼を持ち、熱い梅雨に息を吹きかけ蕎麦をすすり、凍えていた頬を笑いに変えていった。火の見番を交代した者がやって来て、火消したちは蕎麦を啜り終えた。

 新門や子飼いの居残り組と助っ人に来た兵庫等も啜り終えた。
「一杯では体に悪い。常吉さんもう一杯分、皆のために頼みます」
「構いませんよ、夜が明けるまで打ちますよ。蕎麦打ちは寒い日に限りますね」
「確かに寒いが、ひとまず火の方は落としてくれ。わしは小便を・・」と立ち上がった時“じゃん”が鳴った。
「何処の辺りか聞いてこい」新門が怒鳴った。
間を置かず男が飛び込んできて
「火元は、吉原の妓楼の辺です」
「近いな、遅れるな!」
あとは火消の本能が体を動かせた。
纏、鳶口、掛矢などを手に手に会所を飛び出していった。
「寿三郎も考えやがったな」
「相手は寿三郎さんですか。何人ぐらいで来ますか」
「多くても二十人は超えないよ」
「そんなに来たら目立ちますね」
「目立つかもしれないが、火消装束なら木戸は何の障害にもならない。勿論手に鳶口を持っていてもな」
「碁四郎さん、彦四郎さんは中を、私と近藤さんと常吉さんは外に潜み挟み撃ちにしましょう。三郎さんらは辰五郎殿の周りを固めて下さい。深手は負わさぬように」
「寿三郎は南から来ると思いますので潜むのなら、逃げ道を塞ぐように南の自身番に潜んだら如何ですか」
「そうします」と兵庫、近藤、常吉は外へ出て行った。

 南の木戸を通り火消の一団がやって来た。自身番は開け放たれており目の前を一団が通り過ぎると、その後を兵庫等が追った。
案の定火消の一団の速度が遅くなり、“を組”の会所の前で止まり、先頭が押し込んでいった。
悲鳴が起こり、押し返された者と入ろうとする者がぶつかり、戸口付近で転び、そこを更に打撃を受け、侵入した六人が地に伏した。
これで押し込みの流れが止まった。
 間を置かず押し込みの背後から悲鳴が上がった兵庫、常吉、近藤が自身番で借りた六尺棒が男たちの脛を打ち、振り返った腹に突きを受けるなどされ倒された。
前後を倒された仲間に塞がれ進退に窮した者が立ちすくんだ。
「寿三郎さんは居ますか」と兵庫が勢いを失った男たちに尋ねた」
兵庫を見ていた男たちの目が会所の方に向けられた。
「どうやらこの方のようです。一人だけ脇差を・・・」と会所の土間に突っ伏している男に碁四郎が親譲りの鉄扇を向けた。
「先頭を切って踏み込むとは立派なものですが、残念なことです」
「血の気の多い者が戻らぬうちに、火消道具は置き、寿三郎を連れて帰りなさい」と出て来た新門辰五郎が云った。
これを聞いて倒れて居た者たちが起き上がったが、一人寿三郎は手を借り、肩を借り、来た道を戻っていった。
「先生方、大きな騒ぎに成らずに済みました。有り難うございました」
「その騒ぎにしなかったのは辰五郎殿の忍耐でございます」 
「忍耐は容易なこと。奥様の胸騒ぎと先生方のお力を頂かなければ、私は今、ここに居なかったでしょう。実はもう少し生きて居たかったのです。それが叶ったことにお礼を申し上げます」
「もう少しと云わずに、長生きして下さい。嫌なことも多いでしょうが、そこは忍耐で」
「はははは、やられましたな。お言葉に甘えて殺されるまで長生きさせて貰います」
「こちらにも都合が在るので、そう簡単には殺されない様に心がけますよ」
「鐘巻様、山中様、お二人とは腐れ縁ですが、誰よりも信用できるお方に出会えたことは幸運でした」
「こちらにとっても幸運でした」
「きりが在りませんね。止めましょう。半鐘も長く打たれませんでしたので火消に出かけた者たちが戻って来ます。少しでも暖かくし待ちましょう」
風が吹き込まない様に外しておいた襖や障子が入れられ、火鉢に火が入れられた。そして蕎麦を出す用意が始められた。

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Posted on 2017/11/13 Mon. 04:01 [edit]

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