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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第110話 お蔭参り(その41)】 

 子供たちの流れは、歌丸、ハコベ、スズナの三人組、アマモ、波吉、砂吉の三人組、アラメ、海吉、島平、磯助の四人組、米吉、麦次の二人組と続き、十六人の子供たちが土間に下り立った。
 ただ流れはこの後、千夏と小夜、乙女と珊瑚と続いて終わった。
「これから、押上に向かって、歩きます。前を見て人様にぶつからないように気を付けて」
兵庫が戸口に歩み寄ると外から駆け寄る足音が近づき、戸口の前で止まり、開けられた。
「間に合った」と云ったのは喜重で、島吉と圭次も姿を見せた」
「皆さん、ご苦労さんです。上州屋の紋次郎さんに断って来たでしょうね」
「当たり前ですよ」
 喜重、島吉、圭次の三人は元繁蔵一家の者で、生きて行く術を身に付けさせるため兵庫が竜三郎の店に送り込んだ。だが竜三郎の店では将来旅籠を営むことを考えていた。そこで兵庫が有る事件で知り合いとなった日本橋馬喰町の旅籠・上州屋の主・紋次郎を紹介し、三人は紋次郎のもとで旅籠修行をしていたのだ。特に兵庫から墓参りのことを知らせては居ないが、養育所の主だった動きは隠される事が無いので伝わり戻って来たのだろう。

 兵庫を先頭に続く十六人の子供たちを見守る養育所の子、さらに大人が背後を守りながら、人目の多い浅草の町を抜けていった。
子供たちの動きは、兵庫の動きとして駒形や中之郷元町の養育所に伝えられていった。
伝えたのは自由に歩く事が許されている昇龍院で修行する養育所では古参の子供たちだった。
と云う事で、吾妻橋を渡る時に駒形の養育所の子供たちが、中之郷元町養育所に差し掛かると門が開き子供たちが加わった。
こうして入谷の子供たちは押上に着き、兵庫に従い道場口から中庭の道場へと導かれた。

 無事入谷から押上まで歩き通した十六人の子供たちは多くの子供たちに囲まれた。
その中にはかつて浮浪を共にした見覚えの在る顔を見つけ安堵する場面も見られた。
そうした中、朝飯を食べずにやって来る者も居た。
最初に来たのは巳之吉を迎えに行った文吉だった。
二人は迷うことなく十軒店の飯屋に入った。
一方、来ないと思って居た仙吉の姿をいち早く見つけた保安方の常吉は歩み寄っていった。
「兄さん、腹ペコだ。この後坂崎さん、少し遅れて乙兄さんも来ることに成って居る」
「分かった。飯は運ばせるから上がってくれ」
常吉は仙吉一家を表口から母屋に案内した。
そこに控えていたのが客対応を任された共に六歳のふなとじゃこだった。
「ふな、母上様に仙吉さんが参られたと伝えなさい」
「はい」
「じゃこ、皆さんは食事が未だです。ご案内しなさい」
「はい、お上がりください」とじゃこが云った。
 間を置かず草加宿から坂崎に伴われたお松とお竹、暫くして、越谷からやって来た乙次郎一家も着き食事の場に通されたところで、押上を経由して墓参りする者は揃った。

 遠方から来た者たちが人心地したところで、
「皆様、部屋に入りきれませんので庭に出ましょう」志津が促した

 兵庫が道場の南に立ち、その脇に志津も立った。
ざわめきが止んだ。
「今日はご覧の様に、これまでにない、多くの人が集まりました。集まった方々の共通点は養育所と関わり合いが在ると云う事です。養育所が無かったらここに居る方々のほとんどがこの様に集まることは出来ませんでした。もし、ここに居られることが皆様にとって喜ばしいことなら、それは養育所を設立することを託して亡くなった額賀殿等十一人のお陰です。これからお蔭参りに参りましょう」
 こうしてお蔭参りは先ず子供たちから始まり、養育所に関わる大人たちん引き継がれ一日を掛けてお蔭参りが行われた。

第110話 お蔭参り 完

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Posted on 2018/07/19 Thu. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第110話 お蔭参り(その40)】 

 入谷を出た兵庫と志津は、国元からやって来た墓参りの者たちが居ると思われる向島の円通寺へと向かった。
予定通り墓参りは進められたのだろう、十一基の墓前にはささやかだが供物や飾り物そして線香が細い煙を上らせていた。
墓参りを済ませた一行は本堂ではなく庫裏に招かれていた、
そこでは養育所が用意した弁当、十五食分が十人に渡されていた。
そしてやはり急ぎ旅なのだろう。十人は四つの鐘を聞くと円通寺を出て行った。

 十人を見送った兵庫と志津は庫裏に浮雲和尚を尋ねた
「十人でしたね。額賀殿の家から二人ですか」
「各家から一人で、もう一人は旅慣れた案内人だよ」
「案内人ですか・・・」
「ああ、何かは知らぬが買い物も頼まれて居るようで、江戸に成れた者も必要だったようだ。死んだ者の供養が終われば、生きている者たちへの気遣いが在ると云う事だ」
「明日は生きの良い子供たちだけでも百人ほど、他に大人がその半分ほどが時をずらして参りますので宜しくお願いします」
「楽しみにしているよ」

 そして、待ちに待った嘉永六年十一月二十九日(1853-12-29)は養育所設立の切っ掛けを作った額賀等の墓参りの当日である。
この日、墓参りのために早起きした者が居た。越谷宿の旅籠・福寿屋の主となった乙次郎・美代夫妻と乙次郎の子飼いと成った元東都組の好太郎と波平で、七つ立ちの客と共に旅籠を発った。尚、乙次郎は養育所の保安方を永らく勤めていたが、元の親分・勝五郎の急死事件では勝五郎の遺言で跡目を継ぐ形で福寿屋の主に納まった。

 そして同じようなことが草加宿でも起きていた。
千疋屋の主に成った元保安方の仙吉と妻・小菊、娘の鶴の三人である。
仙吉も乙次郎同様に元親分・十兵衛の急死に際し、遺言で千疋屋の主に成って居た。

 兵庫は乙次郎と仙吉の二人には敢えて声を掛けなかった。
それは、やくざの跡目を継いだ二人には先ずは己の足元を固めて貰うことで今後の養育所の発展に貢献してくれると思って居たからだ。
事実、越谷宿や草加宿への棒手振りの荷を大八車に乗せての販売は地元のやくざ者に邪魔されることなく利益を上げているのは乙次郎や仙吉の目が光っているからなのだ。

 そして同じ草加宿で道場を開く坂崎新之丞と預けてある養育所の娘、お松とお竹が早起きしていた。

 他に昇龍院の文吉は起きると袴を着け脇差を腰にした侍姿になり八丁堀へ巳之吉を迎えに行った。
何故侍姿に成ったのかだが、迎えに行く巳之吉が侍として暮らして居るからだ。町人姿で迎えに行っては巳之吉のお供として歩かざるを得ない。それは巳之吉の方が辛いからだ。

そして外から来る者は兵庫と志津が居る押上を目指していた。
と云うより、子供たちは押上に集合する事になっていた。
そのため押上では集まる者を迎えるために自分たちのことは早めに済ませることにした。
兵庫は子供たちと朝食を早めに済ませると、入谷の子供たちを迎えに出かけた。
 兵庫が入谷の竜三郎の店に入ると、侍が入って来たことで飯を食っていた男たちの目が集まった。
「竜三郎さん、何人ですか。珊瑚さん一人ですか」
「全員です。支度は出来ています」
「竜三郎さん。台所の上がり降りで使って居る簀子のような物が在りますか」
「飯屋にはやっぱり必要ですか。持って来ます」
奥に引っ込んだ竜三郎は、台所で使って居る簀子を持って来て土間に置いた。
「それでは先ず、もも、その、そでの三人に下りるように言って下さい。下り終わったら仲間毎に出て来て下りるように言って下さい」

 奥から、娘三人が出て来て、板の間から簀子に下り、持って来た下駄を履き、土間に立った。
それを見てサザエ、カツオ、ワカメ、タラが出て来て板の間から簀子に下りた。
そこで、先に下りていたそのとそでがワカメとタラの手伝いをした。
その様子を兵庫と客が見ていた。

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Posted on 2018/07/18 Wed. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第110話 お蔭参り(その39)】 

 嘉永六年十一月二十八日(1853-12-28)、が明けた。
この日は養育所設立の切っ掛けを作った額賀雅治等十一人の命日で、国元からやって来た身内の者たちの墓参りが五つから行われると、円通寺の和尚・浮雲の話だった。
養育所でも墓参りをするのだが、余りにも多くの子供たちが行っては、身内の者たちの墓参りの妨げになると、墓参りを一日遅らせ二十九日にした。
 そのため墓参りの支度を終えている子供たちは、この日一日を普段と同じく、自分たちのために費やすことになった。
ただ、兵庫と妻の志津はその流れには乗らずに、朝食後、押上を出て入谷に向かった。
そこには、養育所が明日行う墓参りに、参加させようと集めた浮浪の子供たち十六人居るからだ。
何故、兵庫と志津が行くかと云えば、二人には子供たちを導く力を持っているからなのだが、墓参りの発起人でもあるからだ。
 二人は入谷までの道を、人目を引きながら歩いた。志津は絶世の美女で弁天に例えられるのだが、対し兵庫は毘沙門と怖い顔をしている。その対照的な様子が二人を知らない者を振り返らせるのだ。
見られることにも慣れて来た兵庫は足を速めることもなく入谷の竜三郎の店に入った。
「先生、奥様・・・どうぞ」と客の居なくなった店の帳場番をしていた竜三郎の声が響いた。
「子供たちは二階ですか」
「はい、千夏が教え、小夜が手本を見せています」
兵庫は頷き志津を見た。
「それでは私が行って参りますので、お待ちください」
志津が店に上り、更に二階へと上っていった。

 二階では千夏が志津から教えられた玄関での客の迎え方を話し、分かりづらい動作があればそれを小夜がやって見せていた。
志津が上がって来るのは兵庫とは違い足音ではわからない。しかし
「母上様が参られました」と千夏が座を空け脇へ移った、それに反して小夜は、障子に歩み寄り座り直すと、引き手に手を伸ばし衣擦れの音が近づくと静かに引いた。
障子が開き、志津が姿を見せ、入って来た。そして障子が閉められた。

 千夏が座っていた所に座った志津を十六人の新しい子供たち、乙女と珊瑚、押上から手助けに来ていたもも、そで、そのの三人そして千夏と小夜が注目した。
「鐘巻の妻・志津で御座います。今日皆様とお会いできたのは養育所を創ることを言い残し亡くなられた方々のお陰です。その方のお墓参りに養育所の子供たちが明日参りますので、宜しければと皆様をお誘いに参りました。まだ、皆様は養育所の者として届け出を出して居ませんので無理は申しません。明日、鐘巻が迎えに参りますので、もしこの縁を生かし、皆様の将来へ繋げようとお思いでしたら、私の居る押上まで来て下さい。そこから私と一緒にお墓参りに出かけましょう。それでは明日、押上で会えることを願って居ます」
志津は一方的に話を終えると、立ち上がった。
小夜が障子を開けた。出て行く志津の背後に
「若菜さん。私は明日押上に行くからね」
「珊瑚さんですね。お待ちして居ます」
昔の源氏名を久しぶりに呼ばれた志津は、微笑みを返し部屋から出て行った。

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Posted on 2018/07/17 Tue. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第110話 お蔭参り(その38)】 

 珊瑚と乙女の記載を読み終えた兵庫は、最新の嘉永六年の帳簿を手にした。
その帳簿を開く前に気付いたことがあった。
それは他の年の帳簿と比べて開かれた形跡が少ないことだった。
実際に開いてみると、帳簿の半分以上が白紙だった。
そして記載された最後の方に、“この年、何の異変か娘の足遠の、遠のく”と書かれていた。  
その記載の後に成田屋にやって来た娘は久坂らが御用改めで成田屋に押し込んだ折りに閉じ込められていたアマモとアラメの二人だった。
二人の意志でやって来た者が逃げるとも思えない。何故、閉じ込めたのかの記述はなかったが、もしかすると閉じ込めたのではなく匿ったのではないかと兵庫は思った。
与兵衛にとって娘たちは宝だった。
何もせずに花街に打っても三十両になるが、育てて送り込めば百両を超える礼金を得ることも出来たからだ。
成田屋を頼って来る娘たちが多い時は選別したが、少なくなると大事に育て高い礼金を得られる嫁の斡旋に舵を切ったのではないか・・与兵衛が亡くなった今、そのことを確かめることは出来なくなっていた。

 人、それも養育所としては放ってはおけない浮浪の子供たちを金儲けの種にして来た与兵衛が残した帳簿を拾い読みした兵庫は、
「済みません」と一声かけて耳目を引き付けた。
「与兵衛を頼って来た子供たちのことで、入谷に引き取った乙女、珊瑚、さざえ、アマモ、アラメに付いては事実が書かれて居ると判断しました。他に良い話が一つありました。嘉永六年に成って頼って来る浮浪の子が減ったことが書かれて居ました。これは養育所に引き取られる子が増えたためだと思って居ます。取りあえず帳簿内に記載された子供で、与兵衛の支配下に居る者は居ないので、額賀殿の墓参りが終わる今月末までは、既に養育所の支配下に移った子供たちのために動きます。来月からは帳簿に書かれた子供の中で苦界に売られた子を買い戻そうと思います。その金は与兵衛が残した金や物で賄うつもりです。未だどのくらい使える金が残って居るか確かめて下さい」
「分かりました」
「先日は売られた子が恨みを晴らしにこちらに来ました。金を借りた者の中に恨みを持つ者が居るかもしれませんので多額の借財をした者、そのために大切な物を形に取られた者を帳簿から抜き出し、中川さんに知らせて下さい」
「兵さん、大事な子供に差し当たって急ぐことが無いのなら、明日明後日のことを進めて下さい。金と物の方は任せて下さい」

 成田屋のことで金と物は碁四郎と内藤に頼み、兵庫は明るい内に押上に戻った。
その兵庫に志津が、
「子供たちを散歩に連れて行って下さい」
「明後日の支度は終わったのですか」
「はい、二十二日に向島に行ってから今日まで閉じこもって居ましたから、冷たい外気に触れさせて下さい」
「分かりました。支度させて下さい」

 暫くして女の子たち二十六人と子供たちの姉としてその座を確かなものとした志乃が支度を終えて庭に集まった。
と云っても幼い男の子二人と、その子が行けるのなら私もと婆様も加わっていた。
 二十二日に向島に稲荷や地蔵にお参りした時には護衛や男の子が付いていた。
しかし、今回は先頭に兵庫、殿(しんがり)に志乃が歩いた。
女の子たちにとって女だけで歩けることが、ある意味浮浪からの脱却を意味していたからだ。
浮浪の子たちにとって恐ろしいのは浮浪の子ではなく、町の子だった。
浮浪のこと町の子との違いは、見た目だった。
だが、先日まで浮浪の身で粗末な物をまとっていたが、今は並の町の子たちよりは良い物を着ている。更に着こなしも少しずつだが上達していて、町の子の目は昔の蔑みから今は羨望の眼差しへと変わっていることを感じていた。
もう、町の子は敵ではなくなっていた。
女の子たちは晴れて周りを気にせずに、散歩を終え押上の養育所に戻って来た。
その普通の子に成ったことを喜ぶ女の子たちを志津が出迎えた。

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Posted on 2018/07/16 Mon. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第110話 お蔭参り(その37)】 

 昼食後、押上を出た兵庫は暫くして駒形に入った。
「何ですか」と呼び出しに応じて先に来ていた山中碁四郎が尋ねて来た。
「内藤さ~ん」
兵庫は碁四郎に応える前にもう一人内藤を呼んだ。
そして出て来た内藤に、
「これから竜泉寺町の成田屋に行くので半刻ほど付き合って下さい。与兵衛は金貸しをしていた記録を残しています。成田屋に関わることでどのような災いを受ける恐れが有るのかを今後読み解きたいのです。今回はその場をのぞき見する程度で結構です。付き合って下さい」
 一旦奥に引っ込んだ内藤が、両刀を差すのは重いのか脇差一本で、その代わり重そうな手荷物を持ってお雪を従え出てきた。
「奥さん、内藤さんを半刻ほどお借りします」
「先日金箱が届いた時に、この日が来ることを待って居たようです。半刻とは言わず心行くまで・・」

 駒形を出て、聖天町の乙女が居た仕舞屋前を通り、竜泉寺町の成田屋の角までやってきた。
「ここです」と兵庫が足を緩めた。
「捨てるのはもったいないですね」と内藤が云った。
「はい、それでは裏に回りましょう」
表の板塀を辿って行くと表の口に暖簾が掛けられ、朝方は入れないように置かれていた鉢植えが無くなっていた。
「表が開いて居ますね。入りましょう」
兵庫、碁四郎、虎之助の侍・三人が何の躊躇(ためら)いも見せずに暖簾を潜ったのは、金を借りる客という後ろめたさが無かったからだろう。
 格子の引き戸、寒さ避けの障子戸を開け入って行くと、元料理屋を彷彿させる土間、上がり框、ただその先には客を拒むように帳場格子、そしての内側に矢五郎が座っていた。
「内藤さん待って居たよ。そっちの仕事が終わったら代わってくれ」と矢五郎
「客は来ましたか」と内藤
「幸い一人も来なかったよ」と笑った。
「内藤さん矢五郎さんに呼ばれていたのですか」と兵庫
「矢五郎さんから、貸し金の身返納がまだかなりの居て、月末でもあり客が来るとの読みで呼ばれました。これは軍資金ですが新規の貸し付けは断る予定です。矢五郎さん預かって下さい」と持参した重い手荷物を渡した。
三人は脱いだ履物を持って上がり奥へと入っていった。

 兵庫は碁四郎と虎之助を文机が三つ並んだ与兵衛の部屋に案内した。
「真ん中が金貸しの帳簿類だそうです。内藤さん座って下さい。私は内藤さんの右に座ります。浮浪の子供たちのことが書かれたものを見ます。碁四郎さんは借金の形に入れた物のことが掛かれているのを見て下さい」
「話を聞くと質屋もやって居たと云う事ですね」と碁四郎が云った。
「それは金貸しの上限を超えた相手や、身元の不確かな相手に逃げられないようにですよ」
と内藤が説明した。
「碁四郎さん借金の形は別の部屋に整理されていますよ」
「後ほど帳簿と合わせて見ます」

 兵庫は帳簿を並べると天保十年から嘉永六年まで年毎に一冊と分かり易く整理されていた。その中から十年前の天保十四年を開き見て行くとサンゴの名が在り、天保十四年八月に吉原のはつね屋に三十両で売られたことが記されていた。
 次に、乙女の記録を探した。乙女の歳は推測すると二十三・四。与兵衛の所を尋ねたのは十四歳では駄目で十六歳と本人が言っているから、与兵衛を訪れたのじゃ七・八年前と導き出し、兵庫はその年の記録、七年前・弘化三年を開くと、乙女の記録が見付かった。
長い記録を纏めると、乙女は花街に売られることなく嫁修行させられることに成った。
読み書き算盤は与兵衛が教えたが評価は良くない。
しかし、己の妾に指導を頼んだ実務と芸事では、芸事に興味を示した乙女の才能が目覚め花を咲かせたことが書かれていた。
他に、妾が姿を消したことが一行書かれていた。
乙女が与兵衛の妾にされたのは芸事を教える者が必要だったからかもしれない
現在の乙女が育てられたおおざっぱな経緯が分かった。

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Posted on 2018/07/15 Sun. 04:01 [edit]

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