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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【湯上り碁四郎無頼控え 十三話 川止め(その29)】 

 明けて二十五日、やって来た磯蔵に朝飯を食わせ、昼の握り飯を担がせ送り出した碁四郎の暇な一日が始まった。
一方、磯吉を見送った捨吉とお春には、東雲屋の主と女将としての新しい、忙しい日が待って居た。
しかし、忙しい二人を碁四郎もお静も手助けはしなかった。
楽しい苦労の始まりを邪魔したくは無かったからだ。

そんな日の昼四つ前、また棒手振りの鶴吉が浮橋にやって来た。
「旦那~居ますか」
「何ですか、今日も少し遅いのではありませんか」
「図星! 講釈を聞いてきたんで・・」
「分かりました。先ず、荷は何ですか」
「鱸(すずき)、鯖、鰯にスルメイカなんですが」
「買い叩かれてもよければお末のところに持っていって下さい」
「今日は、昼飯付なら仕入れ値で置いていきますよ」
「昼飯を食うのなら、その時、講釈師の話を聞かせてもらいましょうか」
「そうしましょう。少しでも聞き手が多い方が、受け売りでも甲斐があるというもんですからね」

 昼近くになり、烏賊の焼ける匂いが店の中を満たし、外へ流れ出ていた。
その匂いに誘われたかのように、船遊びを楽しんでいた客、一分の川釣り客、そして船頭たちが昼飯を食いに帰ってきた。
表の客の注文が出揃ったところで、残り物が分けられ裏方の船頭たちの膳に乗せられた。
「たまらねぇ。猫にマタタビ、船頭に烏賊焼だな」
「全くだ。鶴吉さんよ、これからも烏賊たのむぞ」
「冗談いわねぇでくれ。烏賊ばかりじゃもうからねぇ」
食うまでは賑やかだったが、食い始めると喋るものはいない。
そして、暫らくして、また話し声が聞こえ始めた。
一番先に食い終わっていた碁四郎が、鶴吉が食い終わったところで切り出した。
「鶴吉さん。そろそろ講釈師の話を聞かせてもらえませんか」
鶴吉もまた、碁四郎から声が掛かるのを待って居たかのように、座りなおすと話し始めた。
「お立会い。また講釈師の受け入りだが先日の続きを語って進ぜよう。船を壊して困った館山の勝五郎が魚問屋の上総屋浜五郎に当座の金を用立てて貰おうとしたが、魚が届かず面目を潰されたと、にべも無く断り勝五郎を追い返した」
「仲間割れか」
「元々が金でつながっていた仲間だ。浜五郎が怒ったのは元西の丸役人との欲の道を断たれたうえ、上総屋が西の丸賄い方に特別の計らいを企てたことが本丸の賄い方にも知られて、買いが手控えられたからだ」
「そりゃ~、自業自得というもんだ」
「そうだが、手のひらを返したような浜五郎の仕打ちに怒ったのが勝五郎とその仲間だ。これからは講釈師の話じゃねぇ。この目ん玉で見てきた話だよ。お立会い」
「館山の漁師が荷を入れなくなったんだな」
「あめぇ、外海の漁をする他の漁師も上総屋の河岸には泊まらなくなったんだ。魚あっての問屋に外海の魚が入らなくなったらどうなる。閑古鳥が鳴いていた」
「これで勝五郎と浜五郎にゴロゴロと雷が落ちたが、城方の役人はどうなったんでぇ」
「講釈師の話では西の丸の賄い方は変わったらしい」
鶴吉の仕入れてきた話がつき始めた頃、黙ってい聞いていた碁四郎が口を開いた。
「どうやら今回の嵐と川止めでは得をした者は居ないようですね」
「旦那、あっしらは酒井様から頂き物が・・・」
「あの一分一朱の金で受けた家の被害が賄える者は、日頃の貧乏に感謝して下さい」
「確かだ。何もねぇ俺なんか、被害の出しようがねぇから、飲みに行った」
「亀! だからといって、また川止めになることを願っちゃならねぇぞ」
「分かってますよ。浮橋より先にこっちが干上がりますからね」
「今回の嵐と川止めで色々と学びました。天に逆らってまで欲をかいてはいけないことですね。今回は皆の知恵で天の怒りを早めに知り、手当てすることで船、家、家財への被害を減らせました。それが余裕となって橋を守る仕事も出来、ご褒美に結びつきました」
「商いは地道が一番ということですかね」
「銀太さん。そのことを教えに捨吉さんのところへ行ってきなさい」
「嫌ですよ。今、行ったら怒鳴られるのが落ちです」
「はっはっはっは~」
碁四郎は今回の川止めで唯一、幸運を引き当てたのは捨吉とお春だったと思い、顔がほころんだ。

十三話 川止め 完

Posted on 2011/05/19 Thu. 05:47 [edit]

thread: 幕末物語

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【湯上り碁四郎無頼控え 十三話 川止め(その28)】 

「旦那様、店に五十両の即金はありませんよ」
「在りますよ。店のどこかに。大女将、用立てて頂けませんか」
「来るなと思っていたら、やっぱりきたね。あの世まで持っていける金じゃないから良いけれど、利息をとるよ」
「それは、暖簾を分ける捨吉さんとお春さんに言ってあげて下さい」
「えっ、そう云うことだったのかい。あたしの弱みにつけ込むとは負けたよ」
「暖簾分けと成ると人の面倒もみて上げないといけませんね」
「そうですね。もし人が集まらないようでしたら船頭、板前、仲居を浮橋から出しましょう」
「それじゃお宝の五十両をもって来るよ」
碁四郎とお静の話を聞いていたお蔦が、こぼれそうな涙を隠し、部屋から出て行くのを二人は見送った。
大女将のお蔦は、行く末には、浮橋を自分が拾い育ててきた捨吉に譲ることを考えていた。
それが、昔、一緒に暮らした男に生き写しの碁四郎が現われ、またその碁四郎に思いを寄せるお静に、己の若い頃の生きざまを思い起こされてしまったのだ。
そして浮橋を己のために買ってくれた昔の男が碁四郎の父だったことを知ると、切れていたと思っていた縁(えにし)が五十年ぶりにつながり、碁四郎のため、お静のために浮橋を碁四郎に譲ったのだった。
以来、大女将と一つ屋根の下で暮らしてきた碁四郎にはそのことが分かってきていた。
捨吉に何らかのすることが、女将に対する碁四郎たちが出来る一つの恩返しだった。

 七つ少し前、街着に着替え懐に五十両を入れた捨吉と碁四郎は東雲屋に赴いた。
出迎えに出た磯蔵は口論した捨吉と目が合い表情を少し変えた。
東雲屋さん、この捨吉さんが買主で、私はその後見をさせて貰います。
「捨吉さん。先日のことは詫びる。許して貰いたい」
「それはこっちも同じだ。わしも謝る」
「もう良いでしょう。草履が揃っているところを見ると、皆さんお揃いですね」
「はい、さ~上がってくだせぇ」
 沽券状は磯蔵が前の持ち主から買った時の物に添付される形で作られた。
それに何の弊害も無く運び、居並ぶ者たちが名を書き連ねていき、沽券状と代金が交換された。
これは多分に捨吉の後見となった碁四郎の存在が働いた。
碁四郎が浅草の町で暮らすようになってから一年少々、また浮橋の主になってからまだ三月ほどだが、碁四郎の名は町人の間に知れ渡っていた。
それも良い評判のため、結果的に船頭・捨吉の信用も上がったのだ。
 取引が早く終わることを見越していたのか、浮橋から酒・料理が運ばれてきた。
ここでは行く行く捨吉の女房となるお春も、これから世話になる五人組衆や町名主に引き合わされた。
そして謝礼を包んだものが渡され、沽券状に名を連ねた者が帰って行った。

「何から何まで世話になってしまった」
「いや、そうでもありませんよ、磯蔵さん。捨吉さんは、これから磯蔵さんの客を引き継ぎます。出来ればその主だった客を教えて頂けませんか」
「そんなことなら、大福帳と釣り場図を置いていくよ。悪いが使(つけ)えねぇガラクタは捨ててくれ」
「それはありがてぇ」
「それと、もう一つお願いしたいのですが」
「何でも言ってくれ。出来ることならやる」
「暇を出した者でこの近くの者が居れば教えて下さい」
「それなら、元鳥越町の喜平店に仙吉という器用な男に任せていた。そいつに聞いてくれ」
「元鳥越の仙吉さんですね。ところで磯蔵さんはいつ国へ戻られますか」
「明日、朝、魚河岸から仲間の船に乗る算段が出来ています。あとは兄貴の船を引っ張って館山まで戻ります」
「分かりました。浮橋で朝飯を食べていって下さい。お仲間の昼の握り飯も作って置きます」
「よくもまぁ気が利く旦那だ。本当にさむれぇなんですかい」
「侍は蛙の尻尾程度ですよ」
「そうですかい、それじゃお言葉に甘えさせて貰いますよ」

Posted on 2011/05/18 Wed. 05:25 [edit]

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【湯上り碁四郎無頼控え 十三話 川止め(その27)】 

 碁四郎が堅苦しい裃を外し気楽な着流し姿で神田川の縁に立っていると、本所側へ避難していた各船宿の船が続々と戻ってきた。
浮橋の船は竪川からさらに直交して切られた掘割の奥へ避難していたため、戻る舟の殿を務めていた。
杭も新しくなった舟溜まりに舟を舫い、陸に上がった船頭たちを、浮橋の者達が表に立ち、で迎えた。
皆が表土間に入ると碁四郎が帳場に立ち
「皆さんご苦労様でした。暖簾は九つ半に出しますので先ずは昼飯を食べて下さい。それと力づけのため酒井左衛門尉様より頂きました十両を働く者三十二人で均等に分けた一分一朱を折敷に乗せておきました。風や水で受けた被害を直す足しにして下さい」
「旦那、十両とは気張ってくれましたね」
「今後も神田川の守りを怠ることなく、働いて下さい」
「旦那、働きますよ。今日は川止め後の山谷掘りまでの初上り客が多い稼ぎ時ですからね」
「銀太さんは釣り客の方をおねがいします」
「そうだった。わしは魚を釣る客相手だった。花魁に釣られる客は任せたよ」
「はっはっはっは~」
浮橋では臨時雇いの船頭に割の良い客を回し、不安定な収入の足しにさせていたのだ。

 こうして川止めになる十九日の朝から、二十二日の昼まで休んでいた船宿の稼業が始まった。
何事も無く二日経った二十四日、碁四郎が裏で売り物の草鞋を作っていると、表に東雲屋の主がやってきた。
大女将のお蔦と女将の静が相手をしていたが、立ち話ではなくなり碁四郎が部屋に呼ばれた。
「これは東雲屋さん。どのような御用ですか」
「碁四郎さん。磯蔵さんが店を買い取って貰えないかと言うんだよ」
東雲屋に代わり大女将が応えた。
「どうしたのですか。これから東雲屋さんにとって得意の釣り客が増える時期では在りませんか」
「面目ねぇ。あっしはどうも客商売には向いていねぇようで、また魚相手の漁師に戻ることにしました。こうして顔を合わせられる義理じゃねぇんですが、頼めるところが無くやってきました」
「そうですか。それで店の売値はいくらでしょうか」
「出来れば五十両でおねげぇしたいのですが」
「五十両? それで買い手がつかないとは、大女将、何か気になるところは御座いますか」
「あたしには無いよ。碁四郎さんの気持ち一つだよ」
「磯蔵さんは五十両で漁師を始められるのですか」
「兄の勝五郎の船を直して一緒にやりますんで、それだけあればなんとかなります」
「分かりました。買いましょう。土地・家の沽券状を作る用意をして下さい。五十両持ってお伺い致します」
「分かりました。町役人に五人組の皆さんを呼んでおきますので、夕七つに来てくだせぇ」
「夕餉と酒は、こちらから運びますので・・」
碁四郎の言葉に東雲屋磯蔵は、頭を下げ、急ぎ足で帰っていった。

Posted on 2011/05/17 Tue. 05:42 [edit]

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【湯上り碁四郎無頼控え 十三話 川止め(その26)】 

 大広間に再び上がった碁四郎は改めて忠発(ただあき)よりお褒めの言葉を貰うことになった。
新九流の使い手として庄内藩では知られていた安倍又八郎相手の木刀勝負で双方怪我なしで勝ちを取った霞塵流の極意には誰もが驚き感心したのだ。
歓談の中で、猪太夫(いだゆう)が
「斉藤先生の話では過日の立会いにては小石を使い相手を怯ませたとか、此度の立会いでは水で又八郎を怒らせた。その様な臨機な技をどのような手立てで修業されておられるのですか」
「霞塵流は決まった道場を持ちません。居る所が道場なのです。嵐でぬかった庭は私にとっては都合の良い道場でした。それが品の無い剣術をお見せすることになったのです」
「碁四郎。その品の無い剣術では仕官は難しいぞ」
「おそれながら左衛門尉様。元寇の折り、敵は鎌倉武士の礼節など気に止めませんでした。また元の末裔ともいえる大国・清は我等の知らぬ異国に踏みにじられたと聞きます。日本の武士が戦う相手は日本の武士ではありません。礼節など知らぬ相手に、今のままで勝算はございますか」
「碁四郎。そこまで知りながら、なぜ商いなどしておる」
「本来なら、ここに座るのは橋を守った船頭どもに御座います。また鮎も船頭が獲ったもので御座います。ご覧のごとくお役に立つ船頭を養うための商いで御座います」
「そうか、船頭の手柄か。だとすると分けられる褒美にせねばならぬな。その船頭どもの養い料とし十両をとらす。碁四郎これで良いか」
ここにきて忠発は始めて笑い顔を見せた。
「有難き幸せにございます」
「霞塵流見事であった」
碁四郎は平伏して、左衛門尉が部屋から出て行くのを見送った。

 上屋敷に戻る左衛門尉とその家来衆を見送った碁四郎の手には鮎の図が挟み込まれた四角い包みが、懐には十両の小判が入っていた。
のんびりと歩きながら碁四郎は川や、居並ぶ船宿の様子から川止めが解けたことを感じていた。
一方店の前に出て少しばかり遅い碁四郎の帰りを待って居た女房のお静、碁四郎の戻るのを見つけ顔に笑みが浮かべた。
これまでに碁四郎の行状を聞き、また見てきたお静には、閉じ込められた大名屋敷内で何かせねばよいのだがと、心配せずにいられなかったのだ。
静の心配を知ってか知らずか帰ってきた碁四郎も、店の前に立つ静の姿を見つけると足を速めた。
「只今、戻りました」
「ご褒美を頂くだけで随分と遅(おそ)う御座いましたね」
「その褒美が足りないので、殿様の揚げ足を取ったため、遅れました」
「悪い癖が出ましたね」
「この四角い絵に描いた餅ではなくて鮎より、小判の方が・・・、頂くまで苦労しました」
「それでおいくらでしたか」
「十両です」
「それは遅くなった甲斐がございましたね」
「ところで皆は亀戸ですか」
「はい、川止めが解けましたので船を取りに出かけました。間も無く戻ると思います」
「それでは皆に褒美を分け渡す支度をしておきましょう」
碁四郎は静との立ち話を終え、浮橋に入り、番頭の孝吉に懐の十両を手渡した。
「これは酒井左衛門尉様から頂いたご褒美です。浮橋で働いて居る者に渡しますので、一分のおひねりを作って下さい」
「三十二人、皆にですか」
「はい、そうですが・・・二両残りますね」
「戻しますので旦那様がお使いください」
「私は絵を頂きましたので、それでは皆に渡すのを一分一朱にして下さい」
「分かりました」

Posted on 2011/05/16 Mon. 05:32 [edit]

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【湯上り碁四郎無頼控え 十三話 川止め(その25)】 

 平穏に進んでいた話が、急に立会いにまでなったことで、碁四郎の接待役を仰せ付かっていた柿沢文五右衛門が慌てた。
「山中殿、如何いたしますか」
「申し訳ありませんが草鞋に又八郎殿と同じ得物をお願出来ますか」
「分かり申した。上屋敷から石川殿が参るまで間があれば、別室にてお支度を願いたい」
碁四郎は左衛門尉と居並ぶ侍衆に一礼し、大広間を出ていった。

 通された部屋で碁四郎が文五右衛門と待っていると、若侍が竹刀と木刀を数振りずつ持って来た。
その中から碁四郎は短めの竹刀と木刀を選び出した。
それを見た文五右衛門
「山中殿。又八郎を侮ってはなりませぬ」
「お気遣い有難う御座います。又八郎殿には少々お国の訛が御座いました。こちらには剣術修業ですか」
「はい、立会いの検分役を仰せ付かった新九流の石川殿と一緒に参られました」
「それではお国に戻られる折の良い土産になるよう、お相手致します」

 庄内藩神田橋上屋敷とここ下屋敷とは往復一里ほどだが、足の早い使いが迎えに行ったのか、四半刻足らずで、屋敷内に動きが生じた。
文五右衛門は碁四郎を中庭へと案内した。
主人・左衛門尉が廊下に座り家来衆が廊下下に置かれた床几に座るところに、立ち会う二人が姿を見せ、五・六間隔てて置かれた床机に座った。
又八郎は鉢巻に襷をかけ、袴の股立ちを取り木刀を持ち、一方碁四郎は裃姿のまま木刀を手にしていた。
「猪太夫は未だか」
「只今、支度をしておられます」
そして、暫らくして裃姿の武士が現れた。
「猪太夫待ちかねた。立会いの検分をいたせ」
「分かりました」
上屋敷から急遽呼びつけられた猪太夫は三十ほどの屈強な侍で、立ち会う二人の中に入り、手に持つ木刀を見て眉をひそめたが
「一本勝負と致す」
二人が頷くと猪太夫は引き「始め」の声をあげた。
勝負はかなり遠い間合いから正眼の構えで始まり、互いに間合いを詰めあっていった。
そして立ち位置が凡そ二間まで詰まった所で、碁四郎の右足が嵐の名残の水溜りの脇に運ばれ、左足が水を蹴り上げた。
又八郎は避ける必要も無い水に反応し、足の送りを乱し木刀を飛んでくる水しぶきに向け立てたのだ。
その一瞬、碁四郎が飛び込み、横に払った木刀が又八郎の持つ木刀の柄を激しく打ち、固い音を立てた。
それは霞塵流の相手を傷つけない柄打ちだった。
だが、又八郎は一瞬驚きを見せただけで負けを悟ることは出来なかった。
また審判役の猪太夫も声を上げずに見守りを続けていた。
柄を打った後、飛び退いた碁四郎は、怒りを露(あらわ)にした又八郎を見ていた。
勝負に怒りは禁物である。
相手に打ち込みを教える兆しが出、また攻めが単調になる上、何よりも大事な守りを疎かにしてしまうからだ。
案の定、又八郎は上段に構え突っ込んできた。
それは縦の攻撃しか出来ないものだった。
しかし又八郎の振り下ろす木刀の下に碁四郎は居なかった。
右に体を開きかわすと、立て直す又八郎の柄をまた打ったのだ。
二度同じ所を、それも木刀を握っている拳の間の狭い柄を打たれれば気がついて良いのだが、又八郎は構え直した。
しかし、猪太夫には分かった。
「それまで」と声をあげた。
碁四郎は引き下がり、又八郎に向かい頭を下げた。
此処にきて又八郎にも分かったのか遅れて碁四郎に頭を下げた。
「猪太夫。何故止めた」
「殿。拙者先月中程、九段の練兵館に赴き斉藤弥九郎先生にお会い致した折、さる大名家で行われた木刀試合において柄打ちの技を使う流派の立会いを見て驚いたと申されておりました。確か、霞塵流と聞き及びました。そして霞塵流には三度の柄打ちは無いとも聞きました」
「そうか。それで止めたか。碁四郎はその霞塵流だ。猪太夫、よく止めてくれた」

Posted on 2011/05/15 Sun. 05:53 [edit]

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