05 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

プロフィール

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カレンダー

【鐘巻兵庫 第九話 侍志願(その10)】 

 兵庫は倒れている二人に近づくと正三郎の死を確かめ
「甚右衛門殿、見事でした。傷の手当を・・」
「いや、もうよい」
甚右衛門は傍らに倒れている正三郎にいざり寄ると脇差を鞘ごと抜き取った。
「正三郎め、この様なものを持ち出さなければよかったものを、わざわざわしに見せおって」
そうは言ったが甚右衛門には分かっていた。
正三郎が死を望み、甚右衛門が出さずに抑えていた武士の一分を、脇差を見せることで引きずり出したことを。
深手に堪えながら甚右衛門が
「鐘巻殿、礼を申す」
そう言うと甚右衛門は正三郎から取り戻した脇差を抜き、己の喉を突いた。
菖蒲造りの切っ先が甚右衛門の首を貫き、二筋の樋を伝い血が流れ落ちた。

 正三郎は養子縁組を前にして死に、侍にはなれなかった。
だが、正三郎は見事に侍として死んでいったと兵庫は思った。
二人の最後を見届けた兵庫は手を合わせると立ち上がった。
離れたところに倉之助に連れてこられたのか名主を始めとした田山家の人影がこちらを見ていた。
兵庫はそれに向かった頭を下げると、恐る恐るやって来た。
名主は既に倉之助から遺骸の処置を聞かされていたのか、迷うことなく二人の遺骸を用意した別々の大八車に乗せると引き上げていった。

「兵庫、よくやった」
倉之助の労(ねぎら)いの声だった。
「いいえ、何も出来ませんでした」
「それで、良かったのじゃ」
兵庫は正三郎に向けて投げなかった懐の石を掴むと投げ放った。
その石の先、東の空には昇ったばかりの朝日が、その下の江戸湾を輝かせ、さらにその奥、下総の黒い山並を光の中に浮き出させていた。

第九話 侍志願 完

Posted on 2011/09/22 Thu. 04:40 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第九話 侍志願(その9)】 

 翌日の二十一日、兵庫は暗い七つ少し前に目覚めると、ローソクに火を灯し支度を始めた。
昨晩、作っておいた握り飯を包んだ風呂敷を腰に巻き、そっと離れから外へ出た。
喜助の小屋の前を通り、木斛の根元に置いておいた石を一つ取り、懐へ入れた。
兵庫は道灌山に向け道場を後にした。
始めのうちは月末の半月の明かりを頼りであったが、道灌山に近づくに従い東の空が白み兵庫は更に歩を早めた。
道灌山の山頂についた兵庫は暫らく空けていく空を眺めていたが、思い出したように腰の包みを解くと塩むすびを頬張った。

 甚右衛門は昨日倉之助を使いに出した後、長年仕えてくれていた小者等を呼び、僅かな蓄えを分け与え暇を出していた。
眠ることも、食することもなく果し合いの地、道灌山に向かった。
 一方正三郎は、これまでの事を書きしるした物に、甚右衛門からの果し状を添え、文机の上に置き、腰に己の刀と幸之助から奪った脇差を差し屋敷を出ていた。

 何処からか明け六つの鐘の音が聞こえてきた。
兵庫は東を背に、先に来た甚右衛門は北を背に、少し遅れてきた正三郎は南を背に立っていた。
日が昇り始め、その明かりが甚右衛門と正三郎の顔を染めた。
三人の長く黒い影が戦いの場に伸びていた。
「正三郎、臆せずによく参った」
甚右衛門の声が道灌山の頂に響いた。
「甚右衛門殿、お心遣いありがとう御座いました。しかし遠慮はいたしません」
「わしもだ」
甚右衛門は抜刀し、正三郎の支度を待った。
正三郎は悠然として下げ緒を抜き取ると襷をかけた。
心ならずも成り行きで、果し合いの立会いをさせられる事になった兵庫は迷っていた。
その迷いが消えぬ内に果し合いが始まってしまった。
兵庫は懐に入れておいた石を握り、何時でも印地打ちできる体勢で見守った。
正三郎は刀をゆっくりと抜くと、こんどは走り一気に間合いを詰めると高く飛んだ。
それは昨日の兵庫との最初の立会いに見せたものだった。
正三郎はここで斬られて果てる覚悟のように思った兵庫は、掴んでいた懐の石を離した。
正三郎の剣が待ち受ける甚右衛門の刀を払い、そして小手をかすった。
このとき正三郎の剣の伸びが明らかに失われているのを兵庫は見た。
左小手を切られた甚右衛門が後ずさりし、石に足を取られ倒れると、上段に刀を振り上げた正三郎が
「覚悟」
叫ぶと同時に切り下ろした。
刀が甚右衛門の左肩にくい込み、噴出す血が甚右衛門の顔を染めるのを昇り始めた朝日が照らしていた。
勝負はついたと思われたが、やはり幸之助は甚右衛門を断ち切る手を緩めていた。
その後、甚右衛門の右手の刀が正三郎の胸を下から突き上げたのだ。
一瞬苦痛に顔をゆがめたが、それも納まり
「こう」
声にもならない最後の言葉を残し、正三郎の膝が緩み甚右衛門の右脇に崩れ落ちていった。

Posted on 2011/09/21 Wed. 05:02 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第九話 侍志願(その8)】 

 それを読んだ正三郎は目を閉じた。
傍目にも激しい感情が正三郎を襲った様子がわかった。
正三郎の目に大粒の涙が溢れ出していた。
「取り返しのつかないことをしてしまいました」
「どうしてそのようなことをしたのだ」
「あの日、無性に幸之助に成りたかったのです。いえ、幸之助の代わりに成りたかったのです。幸之助への憧れが私の心を狂わせました。申し訳ないことをしてしまいました」
「正三郎の脇差を取った訳は」
「正三郎に何時までもそばに居て欲しかったからです」
正三郎の話を聞く倉之助には、魔が差したとしか思えなかった。
「そうか、よく分かった。この果し合い受けるか?」
「はい、鐘巻様宜しくお願いいたします」
「今の立会いを見て、お主なら十中八九勝てると感じたぞ」
「いえ、勝負は時の運。心して戦いとう御座います」
「良い覚悟じゃ。正三郎の脇差を忘れぬようにな」

 名主彦五郎の屋敷で半刻を過ごした二人は板橋の道場に向けて歩いていた。
「兵庫、明日は忙しいの」
「今晩、喜助さんに七つに起こすように頼んでおきます」
「それでこそ、兵庫に立会人を任せられるというものだ」
「何でですか?」
「いや、わしなどは果し合いのことを考えると夜も眠れなくなるからじゃよ。お主は七つまでぐっすり眠れるとは感心じゃ」
「先生、それは間違いです。私もきっと眠れないでしょう。でも明け方疲れて眠り始め、起きられなくなるのです。眠れないままで居ることが出来る先生の方がこのお役には良かったと思います」
「はははは、何時もながらの切り替えしじゃな」
二人が道場に着いたのは六つ半少し前だった。
「兵庫の足なら一刻はかからぬな」
「はい、七つよりもう少し早く出るように致しますので、今夜は早く寝るようにします」
「やっぱり、良く眠れるのだな。語るに落ちたぞ」
大切な役目の前の緊張を少しでも和らげようとする、倉之助らしいやり方だった。

Posted on 2011/09/20 Tue. 05:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第九話 侍志願(その7)】 

 倉之助が再び田山彦五郎の門をくぐったのは七つ頃だった。
母屋へ行くと主の彦五郎と正三郎が話をしていた。
思いがけない倉之助の再訪に、
「なにかお忘れでも」
彦五郎が尋ねてきた。
「そう、その忘れものじゃ。済まぬが正三郎殿、道場へ来てもらえぬか。その後の精進も見たいのでな」
正三郎は倉之助がそのような用でわざわざ戻ってきたとは思わなかったが
「はい、直ぐに参りますので道場にてお待ちください」
正三郎が支度しに行ったのを見た倉之助は彦五郎に一礼すると道場へ向かった。
 倉之助と兵庫が道場で待っていると程なく、稽古着に着替えた正三郎がやってきた。
「正三郎、話があって戻ってきたのだが、その前にここに控える鐘巻兵庫と立ち会ってみなさい。防具を着けて怪我をせぬように」
正三郎は兵庫が防具を着けていないのを見て、
「私もこのままで結構です」
「そうか、それでは立ち会ってみなさい」
二人は遠間から少しずつ間合いを詰め互いの一足一刀の間合いを読むように退いたり詰めたりを暫らくしていたが、思ったより遠い間より正三郎が床を蹴って兵庫に打ち込んできた。
天性の足腰の良さを見せたが、兵庫の反応の早さは正三郎の竹刀を弾いていた。
「正三郎、高く飛びすぎる。地を這うようにせねば兵庫は打てぬぞ」
要するに正三郎は滞空時間が長いのだ。
正三郎は倉之助の言葉に敏感に反応し、打ち込んでは兵庫に竹刀を弾かれながら、飛び込みに早さを加えていった。
兵庫は倉之助が正三郎と立ち合わせた意図が分からなかった。
先生は正三郎に怪我でもさせ、明日の果し合いで陰ながら甚右衛門殿に加勢するつもりなのか。
そんなことは出来ない。
兵庫は正三郎の竹刀を弾き通し、掠(かす)られることはあっても打たれることはなかった。
「それまで」
二人は互いに一礼し、分かれた。
正三郎、怪我は無いか。
「いいえ、鐘巻様が遠慮なされましたので」
「それならよい、正三郎、お主に見せるものがある。こちらに参れ」
正三郎は道場に座って居る倉之助に歩み寄り、その前に座った。
「お主の今の立会いを見て、昔のことを思い出したぞ。今のお主はあの昔よりも輝いて居るようにわしには見える」
「勿体無いお言葉を頂、正三郎恥じ入ります」
「そうか。それではこれを見なさい」
倉之助は懐から甚右衛門が書いた果し状を出し渡した。

Posted on 2011/09/19 Mon. 04:39 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第九話 侍志願(その6)】 

 倉之助は甚右衛門の心情を知ると暫らく言い出す言葉が見つからなかった。
「先ほどお主、‘今日分かった’と申したが」
「言ったよ。今日、正三郎の差していた脇差は幸之助が昔差していた兼次だからだよ。拵え、鍔は紛れもなく幸之助の脇差と同じだった。菖蒲造りの一尺四寸五分で二筋樋が入っているはずだ」
「甚右衛門殿の言うとおりなら、十中八九、幸之助を切ったのは正三郎だな」
「それで頼みなのだが、果し合いの立会人になってくれ」
「親が子の仇は取れぬから、果し合いを申し込むのか」
「そうだ、その方が幸之助の親、名主にとっても良いのではないか」
「勝負は時の運とは申すが、勝てる見込みは無いと思うが」
「それは構わぬ。幸之助に死なれ、それを苦にしたのか妻にも先に逝かれてしまった。さほどこの世に未練は無い」
「だが果し合いを正三郎が受けるか否か分からぬぞ」
「受けてくれなくても良いが、幸之助を斬ったのが正三郎なら受けると思うが」
「そうか、だがわしは立会人を引き受けられぬ。どちらが死ぬにせよとても見てはおれぬ。この役はここに居る鐘巻兵庫に頼んでくれ」
「先生、それは・・」
「これも修行じゃよ。わしが苦しむのを見たくはないであろう」
「わかりました」兵庫はしぶしぶ言った。
「それでは早速だが果し状を認(したた)めるゆえ、正三郎に届けて欲しい。他に脇差を持参願いたいと言付けてもらいたい」
暫らくして、甚右衛門が書いたものを持って来て
「この様なものでよいか?」
そこに書かれていたのは

遺恨在りにつき果し合い申し込むものなり
文月二十一日
明け六つ
道灌山頂にて
助太刀無用
立会人、相川倉之助殿門弟鐘巻兵庫殿
田山正三郎殿

山崎甚右衛門 花押
嘉永三年文月二十日

「二十一日とは明日ではないか」
「致し方あるまい。二十二日は縁組の日だからな。その前に済まさねば迷惑を被るものが増える」
倉之助は果し状を再度読むと
「兵庫、明日の明け六つ道灌山だ」
と言いながら、果し状を兵庫に手渡した。
兵庫は短い果し状を何度か読み直し
「分かりました」と言い
倉之助に戻した。
「これは今日届けねばならぬな」
「申し訳ないが、それも相川殿お願いしたい。わしが聞くことの出来ぬことを聞ければ聞いてもらいたいのだが」
「分かり申した。これより正三郎のもとに行って来る。明日拙者は居らぬが見事に戦ってもらいたい。どちらにも加勢が出来ぬ身だからな」
「分かっておる。鐘巻殿にも世話をおかけ申すが、宜しく御頼み致す」
「はい、明日、道灌山でお待ちしております」

Posted on 2011/09/18 Sun. 03:45 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学