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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第二十話 長雨(その9)】 

 それから半月ほど過ぎた朝方、兵庫は数日後に迫った幸の四十九日の支度をしていると、表から声が掛かった。
そこには山中健次郎一家三人が訪れていた。
「お忙しい所、済みません」
「いいえ、今日はお揃いでこれから何処かへいかれるのですか」
「先生、近々国に戻ることになりましたので、ご挨拶に参りました」
「それは、わざわざ・・」
兵庫は奉行に頼んだことが上手く運んだのだなと思いながらも、知らぬ素振りで部屋に招き入れた。
線香が上げられるのを待って
「国に戻られるのですか」
兵庫の方に座りなおした健次郎が
「半月ほど前、日向の守様よりの御使者が突然参り、新辻橋の中屋敷へ伺いますと、色々と尋ねられ、挙句の果ては剣術の試合までさせられました。なんとか勝つことが出来たのですが・・・」
兵庫が頷き聞いていると、志津が
「不思議ではありませんか」
「何がでしょうか」
「お惚(とぼ)けにならないで下さい。話しが出来すぎています」
「そうは言われても・・それでどうなったのですか」
「はい、支度料が渡され、後日、下谷大名小路の上屋敷に伺いますと、江戸家老の本多様から帰参を許されたのです。私は、親戚筋に多大な迷惑を掛けたままでは戻れないので、私の役料だけでも親戚筋に戻すようお願いして、帰参の話はお断り致しました」
兵庫は頷きながら聞き、
「それでも国に戻られることになったのは、願いが叶ったのですね」
「はい、半分ほどですが、それでも親戚筋にとってはお受けしたほうが良いと思い、戻ることに致しました」
「それは、よう御座いました。皆様方のご苦労が報われましたね」
このことには一切関与していない素振りで応えているつもりの兵庫に
「相変わらず、嘘が下手な鐘巻様ですね」
「志津殿、私は嘘など申しておりません」
「はい、本当のことを申しておられましたね。それも鐘巻様と私どもしか知らないことを何故か中屋敷の方が尋ねてきたそうですよ」
「そうでしたか。少しばかりお奉行に喋りすぎましたか」
「お奉行?・・遠山様ですか」
「はい、私では日向の守様にはとても会えませんので、貸しの有るお奉行を使いました。でも内緒にしてください。親父殿に知られたら叱られますので」
呆れ顔の三人に笑顔で応える兵庫であった。
その笑顔を見て、兵庫の心の中に降り続いていた長雨がようやく去って行ったことを志津は感じることが出来た。

 その日の午後八つ(2時ごろ)過ぎに兵庫が南町奉行所の門外で待っていると、奉行の遠山金四郎が馬に揺られ、城より戻ってきた。
馬上より、兵庫を見つけた金四郎が馬を止め
「うまく行ったか?」
「はい、有難う御座いました」
「礼には及ばぬ。これで借りは返したぞ」
「確かに受け取りました」
奉行は軽く馬の腹を蹴ると馬は奉行所の門をくぐった。
急いで馬から降り、痔の尻を気遣いながら奥へ姿を消す奉行の後姿に兵庫は頭を下げていた。

第二十話 長雨 完

Posted on 2012/03/22 Thu. 05:22 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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【鐘巻兵庫 第二十話 長雨(その8)】 

 見た目だけだが、元に戻した兵庫は何を思ったのか南町奉行所の門外で奉行を待っていた。
八つ下がりの言葉通り、城より遠山金四郎が供連れを整え馬で戻ってきた。
馬上より出迎えの兵庫を見つけ
「兵庫。何か用か」
「はい、お願いがあり罷り越しました」
「付いて参れ」
奉行は門をくぐるのを待っていたかのように、馬から降り尻をなで、役宅となっている奥へと入っていった。
兵庫が通された部屋で待っていると、肩衣などを脱ぎ気楽な姿の金四郎が姿を見せた。
「願いとは何だ。面白い話か」
「ご政道を正す話しで御座います」
「そのようなこと有りすぎて面白くはないな」
「それでは民のためにもなります」
「分かった。以前頼んだこともあるゆえ、聞くだけは聞くことに致す。話してみなさい」
「だいぶ前のことなのですが、伊勢亀山藩で刃傷があり、この沙汰が片手落ちで、伊勢より放逐された一家が御座います。その倅が私の門弟となり立派に育っております」
「亀山藩といえば石川日向の守様だが、そのようなことがあったのか。それで願いは・・」
「日向の守様に、その倅を褒め称(たた)えたうえで、お奉行の御家来衆に加えても良いかを正して欲しいのです」
「今はお役料を頂いて居るから別として、先々家来を増やす余裕は無いぞ」
「お雇い頂けなくとも結構です。もし日向の守様の心の中に多少なりとも悔いが残って居られるかを知りたいだけで御座います」
「して、その者の名は・・・・」
奉行が話しの釣り針に掛かったと知ると、兵庫は山中健次郎一家のことをこと細かく話して聞かせ、奉行からの問いにも知る限り正直に話した。

Posted on 2012/03/21 Wed. 05:05 [edit]

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【鐘巻兵庫 第二十話 長雨(その7)】 

 兵庫に催促された栄次郎がやってきた訳を話し始めた。
「実は、先日参勤の長旅でお疲れの殿様を癒すため、上屋敷にて御前試合が行われました。私が勝ち残ることが出来き、そのご褒美として小姓組み三十両二人扶持の禄を頂くことが出来ました」
「それは、良かった。目出度いことです」
「申し訳御座いません」
「何を言うのですか。幸もその話しを聞き喜んでいますよ」
「ありがとうございます」
「それで、隆三郎は如何しましたか」
「隆三郎と私は軽輩の身で、いの一番に当たり、私の二勝一敗となりました。只、私と五分の戦いをしたのは隆三郎のみでしたので、試合後殿様より隆三郎もお褒めの言葉を頂いておりました」
「殿様のお目は確かですね。隆三郎も面目を保てて良かったです」

 その話しを聞かされた翌日、栄次郎から話を聞いたのか、こんどは隆三郎がやってきた。
幸の位牌に線香を上げてから、話し始めた。
「此度の試合では栄次郎に後れを取りましたが、殿様よりお褒めの言葉を頂きました。そのことで、国よりお供をなされてまいりました馬廻り役木村様のお目に止まり、私を娘殿の婿にとの申し出を頂き、お受けすることになりました。殿様のお許しも頂き、明年津軽に参ることになります」
「これも目出度い話しです。失礼ですが禄高は・・」
「百石でございます」
「そうですか。禄高では栄次郎に勝りましたね」
「はい、栄次郎もそう申しておりました」

 僅かの間であったが、一つ屋根の下で暮らした者が部屋住みから抜け出す目途が立ち夢に向かって歩き出したことは、兵庫にとって嬉しい吉報であった。
このことがあって、身の回りに居るのは、幸や幸太郎だけではないことを、改めて兵庫に教えてくれた
兵庫は隆三郎が帰ると縁側に鏡を出した。
幸太郎の乳を貰うためにはと思い、日々、髭をそり風呂に入り、身づくろいもしてきたのだが、幸太郎を失ってからは食事すら満足に摂らず、ましてや己の体裁など一切構わず過ごしてきたのだ。
延ばしてきた髭を剃り、着ていたものを脱ぐと井戸端に運び盥の中に沈めた。
風呂を沸かし、体を洗い、着替えると床屋で伸びた髪を切り、結い直させた。

桜小太郎さんのご指摘により赤字部修正しました。
小太郎→幸太郎

Posted on 2012/03/20 Tue. 05:21 [edit]

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【鐘巻兵庫 第二十話 長雨(その6)】 

 兵庫にとって悲しみの五月が終わり、また兵庫の気持ちを写していた長雨の季節も過ぎ、暑い夏が巡って来始めていた。
水無月に入って駒形の道場へ稽古にやって来たのは、浅草安倍川町の若林平九郎と亀戸の山中健次郎二人だけだった。
その二人も兵庫の妻の訃報を耳にし、また兵庫の気持ちを慮(おもんばか)ってか、稽古はせずに帰り、その後、稽古にやって来なくなった。
やって来たのは、岡部夫妻に案内され、板橋や蕨から相川倉之助、佐々木夫妻、米屋の伝衛門などと、亀戸から健次郎の母と姉の志津で、それも線香をあげると然程長居はせずに帰って行った。
妻に先立たれ、育てなければならなかった子も手放した兵庫はなすべきことが見つからず、ただ悲しみの淵に没していたからだった。

 兵庫は板橋での修行を通して、人のために働くことで己の力を呼び起こし高めてきた。
駒形に来てからは、その対象が妻の幸であり、やがて生まれてくる子のためであった。
その両方が奪われたことで兵庫は魂の置き場を失い、動く気力が湧き起こらなかった。
そんな兵庫だったが六月の月命日の翌日、十日となった晴れた朝、草が生えた庭に出ると、庭の隅に目が行った。
何か分らぬ力が足を動かし兵庫を庭の隅まで導いた。
そこには折れた幹から、あたかも幸と生まれてきた子のように二本の枝を伸ばし始めた幸が蒔いた榎と、それを見守るように伸びた兵庫の蒔いた榎の姿があった。
兵庫は榎の周りに生えた草を抜き、井戸を掘ったとき出た貝殻を拾い周りを囲った。
ただそれだけだったが、兵庫の気持ちに力を与えたようで、鍛錬棒を持ち出すと再び庭に出て一人稽古を始めた。
その鍛錬棒の重さに驚かされ、我が身の衰えが兵庫自身をを叱りつけ、重い鍛錬棒を振り続けさせた。
半刻ほど振り続け汗ばんだ体に汲んだ井戸の水を被り洗い流していると、裏木戸から加藤栄次郎がやって来た。
「先生。お久し振り・・・です」
栄次郎は髪や髭を伸ばし、見るからに衰えた兵庫を見て言葉を一瞬失っていた。
「栄次郎久し振りです。上がりなさい」
栄次郎は台所の土間に入った所で異変が分かった。
線香の香り、そして襖が開け放された座敷を見る文机の上に置かれた真新しい白木の位牌を見たからだ。
「ご新造様・・・」
それ以上の言葉を失った栄次郎に
「先月九日早朝、子を残して身罷りました」
栄次郎は言葉なく頷きながら、部屋に上がると線香をあげた。
「栄次郎殿、今日は稽古ですか?」
「いいえ。・・・」
言い辛そうな様子に
「遠慮せずに言って下さい」

Posted on 2012/03/19 Mon. 05:10 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第二十話 長雨(その5)】 

 兵庫が八丁堀の鐘巻の屋敷に着いた時、父も兄も奉行所に出かけており留守だった。
部屋で待っていると母が憔悴の消えない兄嫁の玉枝を連れ、入ってきた。
「姉上、幸太郎のことよろしくお願いします」
玉枝は寝ている幸太郎を見ながら
「はい、お預かりします」
そのか細い声に母を感じたのか、兵庫の脇で寝ていた幸太郎が目覚め、泣き出した。
兵庫が抱き上げあやしたが泣き止まない幸太郎だった。
「姉上、お願いします」
兵庫が抱いていた幸太郎を玉枝に渡すと、玉枝は泣く乳飲み子を抱き部屋を出て行った。
赤子に微笑みかける玉枝が消え、泣き声が遠のき、やがて泣く声が止んだ。

 兵庫は五月雨の降る中、八丁堀の屋敷を後にした。
「幸、すまぬ」
幸の命と引き換えに生まれてきた赤子を手放してしまったことを詫びた。
再び降り始めた五月雨が傘を差す兵庫の頬を濡らし、落ちていった。

兵庫の身に起こった不幸を知る由(よし)も無い岡部が板橋の店を譲り受けた代金の一部を納めに駒形の兵庫の家にやって来たのは五月の末日の二十九日だった。
いつもなら開いている大戸が下ろされたままなのを見て留守かと思ったが、試しにくぐり戸を押すと開いた。
中を覗き一歩足を踏み入れると、淀んだ空気の中に何か香の匂い。
“線香か?”と思いつつ奥に向かって
「兵庫、俺だ!岡部だ」
何度か大声を出しても、誰も出てこず、返事もなかった。
やはり留守と思ったが、そのうち戻るだろうと草鞋(わらじ)を脱ぎ上がり、奥の台所へ行くと、締め切った座敷を照らす蝋燭の薄明かり中に兵庫が横になっていた。
驚いた岡部が、兵庫に歩み寄り
「兵庫、しっかりしろ」
と両肩を持ち揺すった。
「おかべさん」
髪も伸び、無精ひげを生やした兵庫が力なく応えた。
岡部は雨戸を開け、外気と光を部屋の中に入れると、起き上がった兵庫が白木の位牌に線香を上げていた。
朧気(おぼろげ)ながら事情を察した岡部が位牌を見ると、斜めに貼られた‘幸太郎’の文字の下に‘・・幸妙信女’の法名
「ご新造か?」
「はい、九日の朝、幸太郎を産み力尽きました」
「その幸太郎はどうした」
「昨日、兄嫁に預けました」
何故、もっと早く知らせないのかと、口に出そうになったが、知らされても大したことは出来なかっただろうと思うと、声にならなかった。

Posted on 2012/03/18 Sun. 06:09 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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