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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第21話 押しかけ女房(その9)】 

 二階に上がった佐那子が見たものは三度目の対面となった志津だった。
松葉屋から贈られた豪華な調度の置かれた部屋で、兵庫の羽織の手入れをしていた志津に
「やはり、志津様でしたか」
「はい、早い者勝ちですよ」
笑みを浮かべて応える志津だった。
「それにしても早すぎませんこと」
「これでも少し、お料理を習う間遠慮していたのですよ」
志津は佐那子の泣き所、女としてのたしなみである料理の修業を言ったのである。
口をつぐみ頬を膨らませ志津を見る佐那子に
「佐那子様はお若いですから、今からでもお励み下さい」
閉じていた口が開き、佐那子はため息を吐いた。
「もう一度淡島様にお参りして帰ります」
志津の微笑みを背に、佐那子は階段を降りた。
そこには平九郎は居らず、結局兵庫への挨拶も躊躇(ためら)い帰ってしまった。

 その後、新たに入門するものも訪れず、入門したものも来なくなると若林平九郎もまた来なくなり、閑古鳥が鳴く道場に戻ってしまった。

 訪れる人もなく兵庫と志津の二人だけの暮らしが続いていたが、十五日の夕方、兵庫に続き風呂から上がった志津が暫らくして二階から下りてきた。
「月が昇り始めました」
志津はただそれだけを奥に居る姿の見えない兵庫に言い、また二階へと上がっていった。
その足音を聞きながら「十五夜か・・・」
兵庫は暫らく仏壇の幸の位牌を見ていたが、立ち上がると部屋の灯を消した。

 階段を上りきり廊下を数歩歩くと、開けられていた障子の奥、行灯の灯に照らされた志津が頭を下げた。
開かれた窓際にはいつ用意したのか簡素な月見飾りと膳が置かれ、奥の部屋には蚊帳が張られていた。
二階まで上がってきながら、部屋に踏み入れない兵庫に、志津は立ち上がり僅かな衣擦れの音を聞かせ、兵庫に歩み寄り手を差し延べ兵庫の手を取った。
志津の歩に任せ兵庫は窓際の月見の席に座り、志津も膳を挟み座った。
勧められるままに酒を飲み、兵庫は大川の向こう、本所の空に昇り始めた中秋の月を見ていた。
そして丸い月が高く昇り、語ることもなくただ時が過ぎ、月は軒の廂(ひさし)に消えようとしていた。
二人の間に置かれていた膳は無くなり、そこには兵庫の傍らに寄り添う志津の姿があった。

第21話 押しかけ女房 完

Posted on 2012/03/31 Sat. 05:18 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第21話 押しかけ女房(その8)】 

 こうして、一階に兵庫、二階に志津の共同生活が始まった。
次の日、兵庫は志津が住み着いた二階の改装を、この家を買った時、直してくれた花川戸の大工、助蔵に頼んだ。
これまで二階は亡くなった幸が身重であまり使っては居なかった。
ただ、志津が住むとなると東の通り沿いが蔀(しとみ)のため上げても暗く、二階の居心地がよくないことを知っていたからだ。
兵庫から使い勝手の悪さを聞かされた、大工の助蔵は改装部の寸法を測り帰り、二日後に来た時には材料と途中まで出来上がった格子、雨戸、敷居などを用意していた。
蔀を外し、外側から出格子、雨戸、障子の敷居などを付け、その日のうちに帰って行った。
それから数日で障子も入り、二階は朝の光が大きく入り込む明るい部屋に変わった。

 志津が兵庫の家に入ったと言うより、流行(はや)らない町道場に美人が居る噂は裏庭とつながっている満冶店(みつやだな)の住人の口を通してあっというまに広がった。
 それは入門志願となって現れた。
しかし、剣術修行が目的で無いものが多く、速いものでは防具のつけ方を教えただけで終わってしまう者も出る始末だった。
 兵庫は噂が静まるまで、客が来るたびに表に出る志津の代わりに、道場に通うようになった門弟の若林平九郎や兵庫自身が出た。
また、冷やかし入門を避けるために、入門預かり金として、町人百文、武家一朱を、ひと月のうちに五日通えば戻すことにして納めさせた。
入門者については日付、名前、住まいなどを帳面に記載した備忘録を作った。
案の定、二日通うものは稀で、入門者の住まいも日を追って駒形より離れて行くのだ。
そして、八月も十日となって桶町の千葉定吉の娘佐那子が噂を聞いたのか供を連れやってきた。
応対に出た平九郎が
「佐那子殿ではありませんか。御用の趣は」
「その様なこと。決まっています」
言うが早いか、草履(ぞうり)を脱ぎ上ると奥へ入って行ってしまった。
奥の座敷まで入り、線香の香りに見ると小さな仏壇に位牌が置かれていた。
‘地天幸妙真如’
威勢よかった佐那子だったが、兵庫の妻、幸が亡くなったことに気づき、神妙になり手を合わせ線香をあげた。
 庭で足腰の定まらない入門者に丁寧に教えている兵庫の背中をほんの暫らく見ていた佐那子は立ち上がり表へ戻って行った。
「御用が済みましたか」
平九郎の言葉に耳を貸さずに、二階へと上がっていった。
呆れて見送る平九郎に土間で待たされていた佐那子の従者が代わりに頭を下げた。

Posted on 2012/03/30 Fri. 05:19 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第21話 押しかけ女房(その7)】 

 家の中から聞こえる男たちの声が無くなり、暫らくすると志津が裏庭に出てきた。
「突然押し掛けて申し訳ありません」
荷を家に運び入れた時とは打って変わって、というより、何時もの志津になっていた。
「国へ帰られたと思っていました」
「私は国を出ることになった災いの元ですから戻れませんし、まだなさねばならないことが残っていましたから」
「そうですか。ところで何故、ここへ来られたのですか。亀戸を追い出されるとは思えませんが」
「吉衛門様には良くして頂きました。こちらに参りましたのは幸様との約束です」
「幸がその様なことを頼むとは考えられませんし、そのような機会も無かったでしょう」
「幸様は万が一のことを考えられていました。その時は出来るだけ早くこの家に入って欲しいと、潮干狩りの日に私に申されました」
兵庫は幸が万が一のことを考えていたとは想像もできなかった。
だが、潮干狩りの日に、干潟に二人で立ち沖を見ながら深刻そうな話をしていた情景がよみがえってきた。
「あの時、そんな話しをしていたのでしたか・・・」
「はい、その後、旦那様は食べることが剣術より好きですからと・・・」
兵庫は二人が深刻そうな顔から一転して笑い顔になった情景も思い出していた。
「しかし、私は幸さんが亡くなられても、ここに来ることは出来ませんでした。兵庫様がお窶(やつ)れになられたのを見、剣術より食べること、食べることより幸様を思われていたことを思い知らされたからでした。ただ、その後山中の家が再興できたのが兵庫様のお力と知り、幸様との約束を果たすことにしたのです。母も健次郎も知っていることです」
兵庫は言葉を失っていた。
「夕ご飯は、また深川鍋作りますね」
「また?もしかすると、入船で食べた深川鍋・・」
「はい、私が作りました。入船で板前修業をした成果ですよ」
志津に家を貸していた吉衛門が言っていた、“志津が朝出かけ夕方戻る”と心配していたことが料理修業だったことを知り
「負けました」

Posted on 2012/03/29 Thu. 05:17 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第21話 押しかけ女房(その6)】 

【鐘巻兵庫 第21話 押しかけ女房(その6)】
 相変わらず入門希望の者も無く、また門弟に成ったはずの者も道場に来ることも無い日が続き、七月も押し詰まった午後、兵庫が庭の草むしりをしていると表が賑やかになった。
何事かと思って出てみると、運送業を営む大黒屋の印半纏を着た者達が大八から荷を降ろし家に運び込んでいた。
「おい、何かの間違いでは。この様なもの頼んだつもりはありませんよ」
「こちら様につもりはなくても、あちら様にはあるようですよ。旦那」
兵庫が荷を運びこんでいる男の指差す方を見てみると、志津が笑っていた。
吾が目を疑った兵庫が
「志津殿・・国に帰られなかったのですか」
「後ほどお話します」
次から次へと運び込まれる調度品、それは吉衛門の家の離れに置かれていた物で表の部屋は足の踏み場も無くなってしまった。
「旦那、何処へ運びますか」
そんなことを聞かれても兵庫に判るはずもない。
「志津殿に聞いて下さい」
それを聞いた志津が
「はい、お許しがでましたよ。荷物は二階に上げて下さい」
荷物が二階に上がり始めると、志津も二階に上がり、調度などの置き場をてきぱきと指示していた。
兵庫は何も出来ずに、庭に出ると先ほどまでしていた草むしりを二階から聞こえてくる威勢のよい男達の声を聞きながら始めた。

 兵庫は志津が健次郎と共に国に帰ったと思っていた。
それは幸を失った兵庫にとって寂しいことであったが、そのことは兵庫の心の中にいつまでも宿っていたわけではなかった。
それが今、目の前にいる志津を見て心に混乱が生じ始めたのだ。
その混乱が志津を追い出すこともせずに家の中に入れてしまった。

Posted on 2012/03/28 Wed. 05:16 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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【鐘巻兵庫 第21話 押しかけ女房(その5)】 

 いったん、兵庫の前に挨拶がてら集まった芸者衆は、やっと一本立ちした若い芸者・菊を残し呼ばれた客人の元へと座を変えていった。
 しかし、兵庫は花より団子だった。
菊から話しかけられれば応えるが、なかなか手から箸が離れることは無く、己の話題は出ている料理が何か、朝、簡単に作れる料理は何かと色気の無い話に終始していた。
 そんな料理談義に花を咲かせていると、女将(おかみ)のお浜がやってきて、菊が席を移していった。
酒を勧められ杯をとり注いでもらうのだが、少し飲むと杯をおき、箸を取る始末。
「料理のほうは如何ですか」
「私にとっては、食べ慣れない物ばかりです。病み付きにならないように気をつけないと思いながら食べています」
「面白い、鐘巻様ですね。それでは病み付きになってもよろしいものが在ればお申し付け下さい」
「いや、それではここの板前殿に失礼となります」
「その様なことは御座いません。出した物を、このようにきれいに食べて頂いたのは板前冥利というもの。鐘巻様のお好きなものを申して下さい」
あまり熱心に女将が言うので
「それでは、この様な所で食べるものではありませんが・・深川鍋・・」
「えっ、この暑い最中の暑気払いに・・深川鍋ですか」
「無理なら結構です」
「いいえ、お安い御用ですよ」
粋に生きようとする江戸っ子から見れば、野暮な注文であるから、呼ばれた者誰一人として兵庫に追随して深川鍋を頼むものは居なかった。
暫らくして、湯気を立てた深川鍋が兵庫の前に運ばれると、その香りが部屋に広がった。
香りの薄い刺身は口に入れ始めてその旨さが分かる。
それも良いのだが、料理は目・鼻・舌で楽しむもの、野暮な深川鍋が出されると何故か衆目が集まった。
兵庫は一口つけて味わうと
「うまい。女将さん、板前殿に礼を言っておいて下さい」
「はい、必ず伝えますよ。喜びますからね」
こんな調子で、呼ばれた中で一人異端な振る舞いで座を笑わせ、その宴はお開きとなり、久し振りに旨い物を腹いっぱい食った兵庫は満足して駒形に戻った。

Posted on 2012/03/27 Tue. 05:17 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学