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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第23話 衣替え(その16)】 

 兵庫がそれ以上、言葉を発せず言い渋る様子を見せた。
「鐘巻様。ご心配頂くような大病では御座いません。どうぞご用件を」
新門に促がされて、兵庫は申し訳なさそうに口を開いた。
「この者が亀戸の人別に加えられ、棒手振りの鑑札もおりました。何方かに江戸の街中で棒手振りを商う町人として、生きていくいろはを教えて欲しいのです」
「真直ぐな辰五郎さんには教えたくないことも在りますが、町人として生きるのでしたら仕来りも知らないといけませんからな」
「有難う御座います。この辰五郎を置いていきますので、宜しくお願いいたします」
「辰五郎さん。いい旦那の世話になったな」
「はい。生まれて初めてでした」
「そうか、がんばることだ」
「はい」
兵庫が腰を上げようとすると、新門が
「鐘巻様、娘が茶を持ってきますので飲んでお帰り下さい」
「娘御殿ですか・・・」
「もう、押し付けませんよ」
兵庫が苦笑いしていると振袖姿の娘が湯呑みを乗せた盆を掲げ出てきた。
兵庫はその様子を見てまた苦笑した。
余りにも若かったからだ。
「お芳。鐘巻様だ。生まれてくるのが遅かったな」
お芳と呼ばれた器量の良い娘は少しばかり恥じらいを見せ、茶を出すと去っていった。
「新門殿も人が悪い。若すぎますよ」
「直ぐに膨らむ年になりますが、お志津様が居ては、諦めましたよ」
このお芳が後に、徳川十五代将軍、慶喜の側室になる娘だとは、その時、誰一人知る者は居なかった。

 新門の若い者から棒手振りの手ほどきを受けた辰五郎が重い一(いっ)荷(か)を天秤棒にかけ、兵庫の家に初荷を下ろしたのは十五日だった。
その後、地天の半纏を着、江戸の町中を、巡り歩く棒手振り辰五郎の姿が見られるようになった。
 辰五郎が独り立ちし、暫らくして大黒屋から学びに来ていた五人も修業を終え来なくなると、道場にまた静けさが戻ってきた。
 残ったのは大喰らいの男たちの腹を満たすために、台所の土間に新しく作られた釜が二つ乗る竃(へっつい)だった。

 午後の日射しが入り始めた縁側に出て、一(ひと)月前には華やかな単の洗い張りが風に揺れていた庭を兵庫は眺めていた。
「旦那様、留守をしておりますので、お出かけになられては如何ですか」
締め切られた障子の内側から、針仕事をしていた志津の声だった。
「そうですね。また猿若町辺りを歩いてきます」
久し振りに志津との水入らずの日が戻ってきたのだが、兵庫は志津の言葉に乗ってしまった。
季節も巡って神無月も二十日、綿入れを着込んだ兵庫は大川沿いを駒形から北へと歩いていた。

第23話 衣替え 完

Posted on 2012/04/29 Sun. 05:24 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第23話 衣替え(その15)】 

 若い辰五郎が兵庫の所で修行を始めてから、二十日近くが過ぎていた。
修行が終わると渡される五十文、四文銭と一文銭がそれぞれ十枚なのだが、使うこともしなかったため、千文ほどの銭は志津手作りの巾着に入りきらず、四文銭と一文銭の刺しにされ、表部屋の壁に吊るされていた。
手習いが終わり、一緒に台所で昼飯を食っていた辰五郎に、兵庫が
「どうだ、辰五郎。そろそろ商いを始めてみぬか」
「商いと言われても・・・」
「先ずは店を持たない棒手振りで江戸中を歩き回るのだ。言わなかったが、新門の親分がその辺の面倒は見てくれる。それと住まいは亀戸の吉衛門殿の吉衛門店にいつでも入れる。私は町奉行所には知り合いもいるので鑑札も問題ない」
「辰、やってみろ」
「お前が上手くいけば、わしらも追いかける」
花川戸の大黒屋からやってきている五人の中からも辰五郎に後押しの声が掛かかり、辰五郎の顔に笑みがこぼれた。

 嘉永四年十月十日、辰五郎は亀戸の人別に書き加えられ無宿人の衣を脱ぎ、江戸の町人へと衣替えをした。
十二日には奉行所から頼んでおいた棒手振りの鑑札が下り、兵庫は辰五郎と共に浅草馬車道の新門辰五郎を訪ねた。
 兵庫が鳶姿の若い男たちが出入りする家の表まで来て、歩くのを止めると、店の外内に居た若い者の目が注がれ、一人の男が出てきた。
「これは鐘巻様。何か御用でしょうか」
兵庫は、家の前に駕籠が置かれて居るのを見て、躊躇った。
駕籠近くに黒鴨仕立姿の男が居たからだった。
「駕籠医者が来ている。まさか新門が・・・」
自問した兵庫、一時は帰ろうと思う気もあったが、確かめようと思う気持ちが勝っていた。
「この者のことで新門殿に願いがあり罷り越しました。お取次ぎ頂きたいのですが」
「直ぐ呼びますので、どうぞ、中にお入り下さい」
男の返事は病人が新門ではないことを教えてくれた。
 兵庫と辰五郎が大きく開け放たれていた表の敷居を跨ぎ入ると、縁起の芥子(けし)の下に隅切角に「を」の字を書いた纏が目に入った。
 待つことも無く、顔をほころばせ出てきた新門辰五郎
「これはこれは鐘巻様。ようこそお出で下さいました。さ~、お上がりください」
「いや、医者殿が参られて居る様なので用件だけを申します」
「お気づきになりましたか。家内が伏せて居りましてな」
「御内儀殿でしたか。それは、ご心労で御座います」

Posted on 2012/04/28 Sat. 05:21 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第23話 衣替え(その14)】 

 兵庫はただ一人でやって来た新門が噂どおりの男と思うと、めぐり合わせの切っ掛けを作ってくれた辰五郎の思慮浅いと思われた行為にも感謝せざるを得なかった。
「何かの折に新門殿のお役に立てればと願っております」
「いや、鐘巻様のお力を借りねばならないことが起こらない、平穏な日が続くことを願いますよ」
「たしかに物騒な話以外では役に立ちませんね」
兵庫は一本取られ頭を掻いた。
「いや、何かお持ちでしょう。そうでなければ・・・」
「そうでなければ、何でしょうか」
「それは、・・・先ほど出られた方は、奥様でございますか」
「それは何と応えれば良いのでしょうか、市村座の前で行き倒れた辰五郎を拾ったのが私で、この家で朽ちそうになっていた私を拾ったのが志津でしょうか。違いは、辰五郎は私から直に居なくなるでしょうが、私は志津から離れたくありません」
「いや、聞かされましたな。実は私の娘をと思って来たのですが・・」
「わたしは、この様な貧乏暮らしが性に合っていますゆえ、尻を叩かれるのはご遠慮致します」
「尤もだ。あのじゃじゃ馬を売り損ないました」
これは新門の本音で、娘とは比べようも無い女が既に兵庫の妻となっていた。
吉原で生娘花魁として名を馳せていた若菜こと志津が選んだ男、それが兵庫だった。
新門辰五郎は目の前に居る財も無く見栄えのしない男が、贅を尽くした吉原で一世風靡した志津をひきつけたものが何か知ろうと話しを続けていた。

 表から笑い声が聞こえてくるのに安堵した志津が茶を持って出て来た。
「笑い声が聞こえて安心しましたよ。気の短い者同士の話、こじれずに済んだようですね」
「お志津様、喧嘩に一人で行けたのは昔の話。そう鐘巻様と同じ年頃の話ですよ。五十も過ぎた今、おとなしいものです」
志津が話しに加わり座が和むと辰五郎はその居心地の良さに襲われたが長居をすることはなかった。
「用はとっくに済んでいました。今日は久し振りに笑えました」
新門辰五郎は志津の出した茶を旨そうに飲み干し、帰って行った。

Posted on 2012/04/27 Fri. 05:21 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第23話 衣替え(その13)】 

 翌日、昼飯を食い終わり、朝稽古と手習いに来ていた四人も大黒屋へ帰り、兵庫が一服していると、表に客がやってきた。
志津が応対に出ると、そこには新門辰五郎が一人立っていた。
「あなたは新門の辰五郎様ですね。どのような御用でしょうか」
「あっ、あなたは・・まさか・・・」
志津を指差し、言葉が出せなくなっている辰五郎に
「きっと、他人の空似ですよ。旦那様を呼びますのでお上がり下さい」
兵庫が志津と入れ替わりに出てくると、辰五郎は我に返り、やってきた用件を話し始めた。
「昨日は申し訳ないことを致しました。こちらの辰五郎さんは色々と修行なされていると、大黒屋さんからお伺いいたしました。些少ですがお詫びの印を持参いたしました」
「その様な気遣いは無用かと存じます。また辰五郎は板橋まで使いに出し不在です」
「えっ、あの腫れ上がった顔のままでですか」
「これも修行です。あのようになったのは辰五郎にも間違いがあったことを悟らせるためです」
「間違いですか」
「はい、もしあの折、御薦(おこも)を庇うことなく見ていたとします。どうなったと思いますか」
「御薦の扱いは心得ていますから、いくら馬鹿者でもあそこまではしないでしょうな」
「そうです。生半可な正義感が馬鹿者を怒らせたのです。あの三人をどうなされましたか」
「恥さらしをした三人は、焼きを入れ浅草から追い出しましたよ」
「やはり、そうなされましたか。辰五郎は今頃、あの三人がどうなったか心配しながら中仙道を歩いていると思いますよ。また、あの三人に逆恨みされては気の毒です。許してあげて下さい」
「そこまで申されるのなら、何故、昨日来られたのですか」
「私は、これでも未だ侍であり、侍は義の結果を問いません。しかし辰五郎は町人で、私はその師でもあります。師は弟子の間違いを教えるもの。まだ読み書きも出来ない者は諭して教えるより、己の目で見させ、結果を問わせるのが良いと思っただけです。辰五郎の町人としては融通の利かない行いが私を動かし、新門殿を怒らせ、三人を追い出させてしまいました。辰五郎も新門殿の怒りを見てあの三人がただでは済まされないことに気が付いたのでしょう、板橋に出かける時三人のことを心配していました」
「分かりました。もし辰五郎さんが何か仕事をなさろうとするときは来させてください。お手伝いさせていただきます。その時まで今日持参したものは取っておきますので」
「今しばらくすれば、ここでの修行も終わり読み書き算盤に体力もつきますので、今度は自活修行に棒手振りでもさせ商いの骨を学ばせようと思っています。その節には、宜しくお願いいたします」
「棒手振りなら、やってきたものが居ますので任せてください」

Posted on 2012/04/26 Thu. 05:18 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第23話 衣替え(その12)】 

兵庫と門脇の四人との睨み合いが始まったが、それは長く続かず、何人かの男たちが伝法院から門外に飛び出してきて、兵庫と門の間に立ち、人間衝立を作った。
兵庫の後ろに居た大黒屋道太郎が
「新門辰五郎が出てきましたよ」
その声で、兵庫は門に向かって歩み始めた。
その行く手を遮るように立ちはだかる男に
「すみませんが、通して頂けませんか」
黙って、退こうとしない男に対し、兵庫は静かに左手で大刀の鞘を握り、右手を静かに刀の柄に近づけた。
それを見て新門辰五郎、おおまかな話は聞かされていたのか
「鉄。お通ししなさい」
しわがれた、野太い声が掛かり、兵庫の前が割れた。
兵庫は左手で大刀、右手で脇差を鞘ごと抜き取ると、退いた男に手渡し辰五郎の前に立った。
「私、鐘巻兵庫と申すものですが、辰五郎殿にお願いがありお持ち申して居りました」
「鐘巻様、初めてお目にかかります。お噂は伺っておりましたが、お若いのに驚きました。私に願いとはどのようなことで御座いましょうか」
「先ほど、奥山にて私の門弟が、門側に居られる三人に袋叩きに遭いました。喧嘩でしたら出向きはしませんが、聞けば弱いものを庇っていたとのこと。辰五郎殿、お歳を召されましたな」
自分の歳の半分にも満たない若い兵庫に歳をとり箍(たが)が緩んでいると言われたのだ。
「さぶ、まさ、はち。身に覚えがあるなら、先ず謝れ」
辰五郎に名前を呼ばれた三人、不貞腐れた様子で兵庫の前まで来ると頭を下げた。
「私ではない、辰五郎前に出ろ」
その大声で、兵庫の後ろに控えていた辰五郎と兵庫の前にいた新門辰五郎が何故か前に出た。
それを見て、兵庫が
「さあ。この二人の辰五郎に性根を入れて謝るのだ」
不貞腐れていた三人だが、親分の辰五郎にも頭を下げるとなると、いい加減なことは出来ない。
その場に土下座し、二人の辰五郎に侘びを入れた。
「辰五郎、これで許してやれ」
「はい」
兵庫は新門辰五郎に一礼すると、向きを変え呆然と立っていた男から両刀を受け取り帰っていった。
辰五郎は二人の後姿を見ながら
「地天か・・侍にしておくのが惜しい」
とつぶやき、やっと、しかめっ面をゆるめた。

Posted on 2012/04/25 Wed. 05:18 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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