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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第一話 雲風流(その25)】 

 しかし、人の噂も七十五日。いや、それ程経っては居ないが新たな入門者の訪れもなくなり、道場へ通う顔もある程度決まってきた頃、
「たのもう」
道場の上がり口から大きな声が掛かった。
その声に兵庫が目をやると、月代も髭も綺麗に剃った姿は主持ちであろうか、大柄で屈強な侍が立っていた。
兵庫が応対に出来訪の訳を尋ねると
「拙者、木村光利と申す。雲風流の高名を聞き、一手御教授願いたく罷り越した」
道場破りであった。
他流試合は受けることになっているので、兵庫は侍を道場に呼び入れ控え場所に案内すると、稽古をしていた門人達は道場破りが来たことを知り皆壁際に退いていった。
撃剣の音が途絶え静まり返った道場に外で鳴く蝉の声が聞こえている。そこへ兵庫から木村の訪れを聞いた倉之助がやってきた。
「当道場の試合は竹刀と決めておる。それでも宜しければお受け致す」
「承知致した」
大声で応える声は自信に満ちていた。
「先ず、鐘巻、お相手を致しなさい」
師の声が負けずに道場に響く。
兵庫は道場中央に進み出ると、
「防具をお付け下さい」
とうながした。
「心配には及ばぬ。防具を着けると動きが悪くなるのでな」
「それでは、私も動きが悪くなるので外しましょう」
負けず嫌いの兵庫は壁際に行き、全ての防具を外してしまった。
その間、木村某は門人の持って来た竹刀の中から、一番長い物を選んでいた。
兵庫は己の差し料に合わせ作らせた竹刀を持ち、たち上がると師に一礼し、道場中央に居丈高に立つ男の前に三間ほどの間を取って立った。
「三本勝負といたす。兵庫、わしが教えた雲風流をお見せしなさい」
兵庫は一礼したが、相手は礼を返さず正眼に構えた。
兵庫は以前、師と袴田某との立会いを見て稽古したことを思い出しながら、やや腰を曲げ左肩を出し右足を引き、竹刀を右斜め下に構えた。
その構えに、一瞬道場内にざわめきが起こったが間をおかず、兵庫は蟹の横歩きのように木村に向かって間合いを詰めた。
男は余りにも不恰好な兵庫を侮った。
打ち据えようと、小さく下がりながら正眼から上段へと構えを移そうとした瞬間、兵庫の蟹足が素早く動き、右下から左上に竹刀を逆袈裟に振り上げた。
思っていた以上に早く眼前に迫った兵庫を見て、あわてて竹刀を振り下ろそうとしていた男の顔をかすめた兵庫の竹刀が激しい音をたて、男の右指先を打ちながら竹刀を巻き上げていた。
木村の竹刀が手を離れて宙に飛んだ。
「一本」
竹刀が床をならして転がった。
「まだ、まだ~」
竹刀を拾った男が正眼に構えると、兵庫も合わせるように正眼に構えた。
静かなにらみ合いが続いたが、間を計って兵庫が詰め寄った。
その圧力に男は一瞬戸惑いを見せた。
それを逃さず兵庫の鋭い気合が飛び右足を踏み出した。
その声と動きに誘われたか、今度は遅れまいと堪えきれなくなったのか男の竹刀の先が正眼から跳ね上がり、兵庫の籠手を遠間から打ってきた。
同時に兵庫は体を横に運び、伸び切って手を出してくる男の胸元目がけて左手の竹刀を突き出した。
男の竹刀は空を切り兵庫の竹刀が喉を突き通した。
仰向けに倒れていく男。
「それまで」
どす~んと男が倒れた重い音と、竹刀が転がる音が道場に響いた。
男の傲慢(ごうまん)な態度に怒っていた岡部と佐々木は、喉を潰(つぶ)され頭を打って気絶している男を道場脇の厠(かわや)に引きずって行くと、男の顔を溜め壷に晒(さら)した。
夏の日差しに暖められ強烈な臭いと刺激が男を目覚めさせた。
再び道場の中央に引き戻された男の前に預けられていた両刀が戻されるのを待って、道場主の倉之助は
「有り難う御座った」
男は声も出せずに一礼すると、来た時の勢いを失い道場を出て行った。

「よく聞きなさい」倉之助の声が響いた。
「あの男が教えてくれたことは侮ってはならぬということじゃ。侮(あなど)って破れると次に怒りか恐怖のどちらかに襲われるのじゃ。どちらも平常心を失わせ勝てる相手にも遅れを取ることになる。わかったな」
「はい」
門弟の声が響いた。
「岡部。厠の戸を閉めなさい。臭くてたまらん」
倉之助の鼻をつまんだ仕草に道場に笑い声が起こった。
「さあ、稽古だ、稽古だ」
佐々木の声に再び竹刀を打ち合う音が道場に戻り、蝉の鳴く声が消えた。

 その後も、居丈高な道場破りや真面目な試合の申し入れがあったが、兵庫、岡部、佐々木が交代で立ち会ったが一度の負けもなく雲風流、養理館の名を落とすことはなかった。
倉之助が
「もしお前達が皆負けるような相手が来た時は、わしは雲風流の最後の極意を使い逃げ出すよ」
と言わせるほど三人は強かった。

第一話 雲風流 完

Posted on 2011/04/15 Fri. 06:26 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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【鐘巻兵庫 第一話 雲風流(その24)】 

 翌五月二十六日朝、兵庫は街道を朝駆けしていた。
街道の様子はいつもと変わらない。
ただ、いつもなら走る兵庫に目もくれなくない宿場の住人の中に見送る者が何人か居た。
兵庫が石神井川に架かる橋までくると、真新しい高札が立てられていた。
悪党が居たので斬ると書かれていることは分かっているので読まずに走り抜けた。
戸田の渡しで石を拾い戻ってくると高札の回りに早起きの住人と旅人が集まっていたが、兵庫は来た時と同じように通り過ぎた。
戦国の世で他国に押し入り人を殺し、財を奪い、勝ち残った大悪党の末裔が、いま小悪党を咎めているのだ。
親が子に小言をいっているようなものだ。
小言は聞き飽きた兵庫だったのだ。
「小悪にそれはいかんと大悪党」
兵庫は呟いた。

 喜助の小屋に戻ると二本目の線香が少し燃えている。
線香の燃えた長さはいつもと余り変わらないのだが、己の息の乱れが少なくなっているのはわかった。
喜助の小屋の脇の台に置かれている古びた桶を取ると木斛の根元に並べてある石を拾い桶の中へ入れ、最後に今日河原から持ち帰った石を入れた。
「二十四か」
先日、賊を捕まえた折に一つ使い失っているので、これまでに朝駆けを二十五度(たび)したことになる。
重くなった桶を抱え印地打ちの的を掛けてある物干しの前に立った。猫招きの構えからの印地打ちでは四間離れた一尺程の的に七・八割は当てることが出来るようになっていた。
この四間の間は印地打ちが外れても、刀を抜き敵の打ち込みに兵庫が備えられる間である。
兵庫は正面の敵に向かう猫招きの構えからの印地打ちのほか、右方の敵に対する印地打ちとして“懐手の構え”からの印地打ちの稽古も始めた。
稽古を済ませた兵庫は井戸で手を洗うと、飯を食うため母屋裏から台所に上がった。
佐々木と岡部は既に一膳目は終えていて、入ってきた兵庫に
「おそいぞ」
兵庫が飯を盛り、一膳目が終わり二膳目を盛っていると岡部が
「兵庫、一里塚へ出かけるのか。わしは今日も問屋場務めだが」
「私は昨晩話を済ませましたので参りません。留守番をしますので、佐々木さん如何ですか」
「そうだな、多少の縁もあるので、最後を見届けようと思っていたところだ」
朝餉を食べ終わると岡部は問屋場へ出かけたが、佐々木は稽古に着替え兵庫と稽古で汗をながした。
しかしそれも一刻(いっとき)程で一里塚の刑場へ行ってしまったので、兵庫は道場を訪れる者を待ちながら一人稽古していた。
道場主の倉之助も道場に顔をみせたが
「暇な者は皆一里塚へ物見遊山に出かけているようだな。今日は誰も来ぬな」
と言い姿を消してしまった。
その言葉通り誰も来なかった。
ただ、佐々木が刑場から戻って来ただけだった。

 昼飯を済ませた兵庫と佐々木は、お互いが過去に習え覚えた形などを教えあっていた。兵庫は鏡新明智流を、佐々木は小野派一刀流である。
「御頼み申す」
道場の上がり口より声を掛けたのは立派な侍で、まだ前髪立ちの子どもを連れてきていた。
道場の高名を聞き、倅を入門させたいということで来たのだ。
この日はこの後も同じような入門志願の者が三名来て入門を許されたのに加え、いままであまり道場に顔を見せなかった門人達も押しかけ、午前の閑散さが嘘だったかのように竹刀を撃ち合う音が夕暮れまで響いたのだ。
この道場の賑わいは、一里塚で斬られた罪人を捕らえたのが相川道場の門弟だという噂が宿場中に広がったためであった。
 その後暫らく、新たな入門志願者が途切れることなく道場を訪れ、道場主の倉之助もやる気を覚えたのか、道場に立ち若い門人達に丁寧に教えていた。

Posted on 2011/04/14 Thu. 06:37 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第一話 雲風流(その23)】 

七つに目覚め、雨さえ降っていなければ朝駆けをし、その後、印地打ちの稽古をする日々が続いて木斛の根元に置かれた石の数も二十を越えた五月二十五日、金が無くなり問屋場通いをしていた岡部が夕餉の席で
「兵庫、驚くな。明朝四つお主が捕まえた男が平尾一里塚の刑場で斬られるそうだ。その男は河上武五郎と言って、蔵前の札差の家に押し込み何人か殺し金を奪った盗賊の片割れらしい」
「悪党だったんですね」
「わしが問屋場を出る少し前に唐(とう)丸(まる)が着いたから会うのなら今晩しかないぞ」
「そうですか、本当にあの男か会って来ます」
あの時斬ろうと思えば斬れたのを取り押さえたのだが結局は斬られてしまう。
複雑な思いが空腹を満たしたのか兵庫がお代わりもせず一膳で席を立った。
岡部は一瞬心配そうな顔をしたが暫らく兵庫を一人にしておいた方が良いと思ったのか定かではないが、いつもと変わらぬ豪快な食いっぷりを見せた後、佐々木と二人で兵庫の後を追っていった。

狭い自身番では罪人や見張りの役人を収容できない為なのか、訳は分らぬが罪人は問屋場に運び込まれたのだ。
兵庫は問屋場に着くと土間の奥に役人に守られた唐丸籠が置かれていた。
籠に近づくこと拒まれた兵庫は、問屋の平沼作衛門と話をしている役人に訳を言い、咎(とが)人に合わさせて欲しいと頼んだ。
問屋も兵庫が罪人を捕らえた本人であると認めたため、役人は兵庫の両刀を預かり、会うのを許した。
兵庫が唐丸に近づき座ると男が
「お主か」
乱れた髪にも隠れることなく右こめかみに痣(あざ)が残っていた。
「あの時貴方を斬ったほうが良かったですか」
「馬鹿を申すな。早く死にたい者はこの世にはおらんよ。土壇場に引き出されても、この世への未練は捨てられんだろうな」
兵庫の問いかけに笑みを見せて応えた。
「良い話を聞かせてもらいました。ここに来てよかったです」
短い話が終わると唐丸の咎人に頭を下げ兵庫は立ち上がった。
「笑み見せる死に行く人に見送られ」
兵庫は心の中でつぶやいた。

役人に礼を言い、両刀を受け取った兵庫は追ってきた佐々木と岡部を見て笑みを見せた。二人も笑みを返した。
噂を聞いて集まり、問屋場の中を覗き込む宿場の住人の間を抜け三人は外に出た。
あの日の夜とは違い満天の星、夏の夜空が広がっている。
黙って並び歩いている三人、兵庫の腹がグーと鳴った。
「佐々木さん、岡部さん、食べに行きませんか。お金はたんまりあるのでおごりますから、‘たつみ’で」
たつみと聞いて二人の腹ではなく、喉がさわぎだした。

Posted on 2011/04/13 Wed. 06:16 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第一話 雲風流(その22)】 

四つを少し過ぎ、兵庫たちが中宿の自身番に着くと、既に岡っ引きの佐平と宿場役人の糟谷隆三郎が捕まえた賊二人を調べていた。
賊の取調べがついたのか、糟谷がやってきて
「お役目ゆえお尋ね致す。あの賊を捕らえたのはお手前方か」
頷く二人
「左様なれば、生国とお名前をお尋ね申す」
「拙者、豆州浪人鐘巻兵庫」
「拙者は信州浪人岡部八郎」
糟谷はいちいちそれを書き留めていく。
「あの者たちを捕まえるに至ったのは何ゆえのことか」
「世話になっております、米屋の伝衛門殿を家まで送る道で、あの浪人に襲われたゆえです。もう一人の町人は仲間と思われるが逃げたゆえ追い、通りがかった岡部殿が捕らえました」
「昨晩は嘉永二年五月三日・・・何刻(なんどき)頃であったかな」
「おそらく五つ半ごろ」
「五つ半ごろ・・・襲われた所は何処かな」
「上宿の縁切り榎を少し過ぎた所でござる」
「浪人に襲われたと申したが、切りかかるものを素手で捕まえたと申すのか」
「投げた石がたまたま額に当たり、浪人が昏倒したゆえのこと」
「暗い中、石を拾うて投げることが出来申すのか」
「拙者、印地打ちを少々致すゆえ、其の日はたまたま石をこのように持っておりました」と石を懐から出して見せた。
糟谷は兵庫の言うことを一々書き取っていた。
「ところで、襲われた訳は」
「襲われたのは拙者ではなく伝衛門殿ゆえ、そちらに尋ねるか、もしくは襲った者かあの者達を使い襲わせた者に聞いて頂きたい」
「それは尤もでござった。されば、襲わせた者と申したが、お気づきの事あらば、お聞かせ願いたい」
「その者のことは知らぬが、赤羽の時蔵とか申す者を調べられては存ずるが」
「相分かった。最後に住まいをお尋ね致す」
「我ら平尾宿、雲風流養理館相川道場に寄宿しております」
「いや、ご足労掛け申し訳なかった」
今も昔も変わらぬ型通りの役人仕事であった。

自身番を出ると雨が降っていた。
兵庫たちは問屋場近くの履物屋の暖簾をくぐった。
そこでは草履と蛇の目傘三本を買って店を出た。
降り始めた五月雨に街道沿いの民家の庭に泳いでいた鯉幟(のぼり)を急いで取り込む様子が兵庫には面白かった。
「濡れるのを嫌がる皐月の鯉幟」
とつぶやいた。
「はい、岡部さん」
と傘を一本渡した。
兵庫は買った草履を懐に入れ、佐々木への礼として買った傘を抱え持ち、
「濡れるのは私も嫌でござんす」
と自分の傘を回し振って開かせた。
岡部は勢いよく傘を回し、雨の雫を兵庫のだいぶ伸びた月代(さかやき)に飛ばし逃げていった。
兵庫が追いかけ、雨の街道に二人の笑い声が流れていた。

道場に戻った兵庫は倉之助に呼ばれ奥に行くと、伝衛門が来て置いていったと八両よこした。
「一両多いようですが」
「怪我をしたと言ったら取りあえず一両を置いていった」
「それでは頂きます」
兵庫が八両を懐に入れると
「佐々木と岡部を呼んでくれ。二人にも僅かだが伝衛門が置いていったからな」
奥の部屋から戻り、道場に居た佐々木と離れの岡部に告げると、二人は喜んで奥に行った。
兵庫は僅か一晩で八両が懐に納まったのには少し戸惑いを感じていた。
一年を三両一分で過ごす侍が居ることを知っていたからだ。
何かがおかしいのだと思った。
見上げると黒雲が激しく動き、風が木の梢を大きく揺らし始めた。
稲光が走り雷鳴が轟き、雨が激しく降り、目の前の庭に大きな水溜りを作っていった。
兵庫は草履ではなく足駄を買えば良かったと思った。

Posted on 2011/04/12 Tue. 06:35 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第一話 雲風流(その21)】 

 翌五月四日の朝はくもり空で暗かったのと昨晩の宴の疲れか、離れで寝ている三人がいつまで経っても起きてこない。
その眠りを覚ましたのがほかならぬ相川家に通う下女のおたき。
思い思いの姿で寝ている三人を離れの外から見ながら
「あたしゃねぇ、暇じゃないんだよ。食べてくれなきゃ後片付けが出来ないんだよ。野良仕事にも行けなくなるんだよ・・」
信心深い法華宗も顔色なしのお題目を唱えながら桶を叩いたのである。
「おたき、何刻(なんどき)だ」
「六つ半は回っていると思うよ。居候が御主人様より遅く起きちゃお天道様の罰があたるよ」
「わかった。起きるから静かにしてくれ」
「起きたら静かにするよ。好きで叩いているわけじゃないんだから」
といつ果てるとも無くやっているのは岡部八郎が起きないからで、他の二人は最初に桶が叩かれた時に起きていて、今頃は朝餉(あさげ)をせわしく口に運んでいる時分なのである。
「早く起きないと二人に食べられちゃうよ」
みんな寝ていると思っていた岡部だが、おたきの“朝餉が無くなるよ”の一言で飛び起きるのであるから、この男“武士は食わねど高楊枝”という言葉が一番似合わない男なのだろう。
あわただしい朝餉で具の少なくなった味噌汁を飲まされ少々割を食った岡部だったが、飯の方は誰よりも食べるところは食客の名に恥じていない。
「岡部、今日はわしが道場の留守をするので、兵庫を一度医者に連れて行って化膿していないか見てもらい、四つまでに自身番に行ってくれ」
「分かりました。兵庫、飯を食い終わったら出るぞ」

 道場を出ると岡部は、兵庫を中宿の町医者、田中順庵宅に連れて行った。
戸口を開け首を覗かせた岡部を見て娘が
「只今、父順庵は往診に出ておりますが、お待ち頂けますか」
岡部は外で待つ兵庫に
「今、順庵先生は留守だ。待つか」
「歩きましょう」
兵庫と岡部は時間つぶしの為、中宿から平尾宿へと戻りのんびりと歩いた。
「兵庫、さっきからきょろきょろしておるが、なにか探し物でもあるのか」
「はい、雨が降ると傘がないので何度か禁足させられましたので傘を、それと出かけるときいつもこうして草鞋を履くのも嫌ですから、岡部さんのような草履もほしいです」
「確か、問屋場近くの履物屋では傘も商っておったぞ」
「そうですか、それなら問屋場に行きましょう」
「医者を先にした方がよい」
岡部の言葉に従い再び行くと、都合よく順庵が戻っていて
「先程来られたようじゃな。昨晩喧嘩したとかで怪我をした馬鹿がおって診(み)に行ってきたんじゃ。で、どこが悪いのかな」
兵庫が片袖を脱いで右腕を見せると
「ここにも馬鹿が一人」
岡部が笑いながら言った。
「いや、これは、口は災いの元。悪気があって申したわけではない」
兵庫の腕に巻かれた包帯を解き、傷を見ながら
「これは刀傷かな。血も止まっているな。菊、湯沸しのぬるま湯で傷を洗い化膿止めを塗って包帯をしてあげなさい」
と奥に向かって言った。
菊と呼ばれた娘は美しく、兵庫には十六七のぐらいに思われた。
兵庫は菊が慣れた手つきで傷を洗っているとき、近づいた横顔を見たが菊と目が会うと、互いに目を逸らしてしまった。
濡れた腕を拭かれ、薬を塗られている間も菊が触れる指先を感じていた。
「包帯を巻きますので腕を上げて下さい」
菊の声を始めて聞いた。
包帯が巻き終り包帯の端を八重歯で裂く時、菊の髪が触れなんともいえない香りがした。
「お父様、終わりました」
菊は兵庫に後姿を見送られながら奥に姿を消してしまった。
「これでいいじゃろう。なにかあったらまた来て下さい。診立て代
診立(みた)て代は一分と言いたいところじゃが二朱で結構、算術が下手なもんでな」
ふざけた事を言う医者だが、今も昔も医者代が高いのは同じで、それゆえ医は算術などと言われたのだが、この医者はこれでも安い医者だったのだ
「二朱で良いのですか。申し訳ないです」
兵庫は財布から一朱銀二枚を取り出して払った。

Posted on 2011/04/11 Mon. 05:54 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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