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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第33話 巣立ち(その12)】 

 繰り返された立会いはほぼ同じように進み、やはり格之進が先程より遠間から打ちかかってきた。
届かないと兵庫は見切ったのだが、振り下ろされる格之進の竹刀がなんと伸びたのだ。
「あっ」兵庫の声に続き、格之進の竹刀が兵庫の籠手を打っていた。
「参りました。片手打ちにそのような技がありましたか」
格之進は打ち出す瞬間に鍔元を握っていた右手を柄頭まで滑らせることで、竹刀の長さ柄の長さ分伸ばしていたのだ。
「はい、これは当流に伝わる“八寸の延金”と申すもので御座います」
「“八寸の延金”は話に聞いたことはありますが、・・・たしか小笠原源信斎先生の編み出した技と承知しています」
「はい、源信斎は遠い祖と聞いております」
「たしかに竹刀が八寸ほど延びていました」
「竹刀でしたら、容易にできますが、こと真剣となると生半可では怪我の元となりかねません。ただ、鐘巻先生でしたら・・・と思いお伝え申しました」
「有難う御座います」
「分かりきったことですが、滑らせるのは遅いほど悟られません」
「修業させてもらいます」
格之進は手に持つ竹刀を兵庫に返し、連れの市之助を見、用がすんだことを伝えるように頷いてみせた。
「お世話になりました。それでは」
「暫らくお待ち下さい。今、握り飯を用意しています。それとこれをお持ち下さい」
志津が渡したのは、下げ緒だった。
「有難う御座います」
お道とお琴から握り飯の入った包みを貰い二人は出て行った。

 格之進の後姿を見送っていた甚八郎が
「格さんはもう少しで大工として巣立ちができたのに、侍に引き戻されてしまいましたね」
「どうだ甚八郎、その気があればこの大工道具をやるぞ」
「いいえ、まだ屋敷を飛び出して居ませんので、先生が使って下さい」
「今にして思えば侍を捨てる決心をし大工修業をしていた格之進の爪の垢を貰っておくのだった」
「木下さん。土捏ねした私の足の爪に溜まっているものでしたら差し上げますが」
「駄目だ。土捏ね修業ならわしの方が進んでおる」
 冗談を言いながらも皆は、格之進が一時でも侍を捨て、町人に成り切っていたことを心のどこかで感心していた。
だが、格之進が侍社会に引き戻されるのを目(ま)の当たりにし、己にもそのような日が来るのでは無いかと淡い思も頭をもたげた。
侍から町人への巣立ちが出来ずにいる者たちの本音とも冗談とも言い切れない話が、その後も続けられていた。

第三十三話 巣立ち 完

Posted on 2012/11/05 Mon. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第33話 巣立ち(その11)】 

 道場では既に講義も終わっていて、昼の膳が運び込まれるのを待って居るのか儒者の川北と弟子の三人が表部屋で雑談に興じていた。
兵庫は川北に挨拶をし、手足を洗うために裏の井戸へ行き、水を汲み上げていると、裏木戸から昨日大工の手伝いをした格が走り込み、その後を一人の武士が追ってきた。
尋常ではない様子に、兵庫はとっさに格と侍の間に飛び込んだ。
「ここは私の家でござる」
無腰だが稽古着を着た兵庫の侍言葉に相手も立ち止まった。
「格之進様、お屋敷にお戻り下さい」
「私は家を捨てた。戻る気は無い」
追って来た侍が土下座をし
「お願いします」と頭を下げたまま格之進の応えを待っていた。
その様子を見て兵庫は振り返った。
「格さんはやはり侍だったか。格さん。屋敷に何かあったのだろう。一度戻ったらどうだ」
格之進は兵庫の言葉に、跪(ひざまず)く侍を見た。
「市之助。私がここに居ることが良く分かったな」
「お母上様から聞かされました」
「そうか。母上が困っているのか・・・」
格之進は観念したのか逃げ込んできた裏木戸から出て行った。

 騒ぎを見ていた儒者に門弟、志津と手伝いの娘たちが食後、格こと格之進の話をしていると、今度は表に侍二人が現われた。
町人姿から侍姿になった格之進と市之助と呼ばれた侍だった。
「鐘巻先生。申し遅れましたが望月格之進と申します。色々お世話になりました。大家の弥兵衛さんや居られた方には挨拶を済ませました。これは私が修業いたしました大工道具ですが、どうやら要らなくなりました。お受け取り下さい」
「これは良いものを。欲しかったのです。大切に使わせていただきます。ひとつお願いがあるのですが相当な腕前と推察しました。望月殿、手合わせしませんか」
「有難う御座います。竹刀の音を聞くたびに、実はむずむずしていたのです」
「それは、気付かず申し訳ありませんでした」

 裏庭に回った兵庫と格之進が防具を着けずに向かい合った。
「真心陰流、望月格之進参る」
「地天流、鐘巻兵庫。お受けいたす」
互いに正眼に構え、間合いを詰めあい竹刀の先が交じり始めた。
兵庫はあくまでも受けに徹していたが、格之進が容易な相手ではないことは竹刀が触れるたびに伝わってきていた。
 竹刀の先が遠のき、再び詰め合う中で、格之進が気合いと共に打ちかかってきた。
兵庫の籠手を狙った格之進の竹刀が、僅かだが届かず空を切った瞬間、兵庫の竹刀が繰り出され格之進の籠手を打った。
「今、一手お願いします」
「何か工夫が在りそうですね」
「はい」

Posted on 2012/11/04 Sun. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第33話 巣立ち(その10)】 

 朝飯を食い暫らく腹ごなしをしていると、辛(かのと)の日で儒者の川北山海がやってきた。
門弟三人は道場に残って講義を受け、兵庫と木下佐十郎は道着姿に稽古道具一式を持ち、草鞋を履き川向の本所、石原新町へ出かけて行った。
 草むしりされた空地の一角に注連縄が張られ、地鎮祭の神事が行われた。
道場建設の肝煎り役に祭り上げられた旗本村野家の隠居、善左衛門が、御用が無くやってきた武家や、金を出してくれた商家の旦那衆を前に挨拶をした。
出来た道場の師範役を務めることになっている兵庫が改めて紹介され、兵庫は留守の時の代稽古を頼んだ木下を紹介した。
その後、集まった者が修祓(しゅうばつ)を受け、呼ばれた兵庫も玉串奉奠(たまぐしほうてん)などをし、堅苦しい神事は終わった。
「鐘巻さん。ずいぶんと暇な侍が居るもんですな」
「私等もですがね。支度をしましょう」
支度とは言うまでも無く剣術の支度である。
神事は簡単に済ませ、その後は野稽古をすることになっていたのだ。
集まった若い者の多くは家の惣領ではない者たちである。
それらの家を継ぐことが出来そうも無い侍の多くは他家に養子に行く道を求め文武に励んだ。
要するに、けっして弱くは無いのだ。
「木下さん。始めが肝心ですからね」
「分かっておる」

 兵庫と佐十郎が支度を済ませ、空地に足を踏み入れると直ぐに前に立つ者が現われ、
「安達佐間之助。お願いいたす」と名乗りを上げた。
「鐘巻兵庫、お相手お願い申す」
一礼して稽古とは名ばかりの野試合が始まった。
広い空地なのだが、出ているのは兵庫、佐十郎の他数組で多くは兵庫と佐十郎の立会いに目を注いでいた。
安達はかなりの修業を積んだと見えて、打ち込みの強さ、速さなど町道場の目録並みの実力を備えていた。
しかし、ここは床が張られていない野道場で足場は悪く弾力も無い。
それだけで間合いが減じられ、打ち込む竹刀が兵庫に充分届かない。
相手の間合いと実力をほぼ見切った兵庫が気合いを掛けると、あとは一方的に攻めまくり打った。
実力差をはっきりと認めさせると「参りました」と礼をして下がっていった。
 相手が代わり何度か同じ事を繰り返したが、最初の安達以上の者は現れなかった。
佐十郎は兵庫に上手く乗せられ、十日間ほどの他流試合で体力と勘が戻り始めて居り、打ち負けることは無かった。
集まった中で主だった者が野試合もどきで敗れていった後は、空地一杯に稽古が始まり、
兵庫も佐十郎も相手に合わせて稽古をし、昼少し前道場に引き返した。

Posted on 2012/11/03 Sat. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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【鐘巻兵庫 第33話 巣立ち(その9)】 

 五月十一日の朝、亀戸まで二往復の朝駆けを終え、門弟三人と少し送れて兵庫と木下佐十郎が道場に戻ってきた。
休むことなく始まった門弟の三人と佐十郎の朝稽古を兵庫が眺めていると、大工の新吉、左官の庄助、大工見習いの助、それと辰五郎に栄吉がそれぞれ道具を持ってやって来た。
「格さんはどうしましたか」
「客が来てるようで遅れるそうです」
「五人で足りますか」
「大丈夫です。もう重い仕事はありませんので」
そう言うと五人は台所口から入り消えてしまった。
ここで朝飯を食い、昼飯を持って亀戸普門院脇の鍛冶場の建築現場に出かけるのだ。

 兵庫が再び稽古をする四人に目を向け、なかでも佐十郎を見続けていた。
佐十郎は動きが良くなり、十日ほど前とは違い目立った疲れも見せることもなく稽古を続けていた。
兵庫はその佐十郎の稽古振りから、“これなら何とかなりそうだ”と思った。
五つの鐘が鳴り朝飯の時、兵庫が佐十郎に言った。
「木下さん。他流試合はお終いにしましょう」
「どうしてだ」
「他流試合で互角以下の試合をしている間は良いのですが、あまり勝ち始めると思わぬ恨みを買いかねません」
「なるほど。確かに怖い眼をして見送られたこともあった。しかし、ここの飯を食えなくなるのも辛いな」
「飯の心配はしなくて結構ですよ。食べに来てください」
「いや、飯だけを食いに来るわけにはいかぬ」
「それはそうです。働いて頂きます。暫らくはここの代稽古をお願いします」
「暫らくか・・・」
「はい。今日、川向こうの本所に道場を建てる神事に呼ばれているのですが一緒に参りませんか」
「何、道場を建てるのか」
「私ではありません。本所側の武家と町人の有志が金を出し合って建てるのですが、私にそこの師範役として取り敢えずの声が掛かっているのです。もし、その様になった折には木下さんのお力もお借りしたいのです」
「そうか、そうか。有り難い事だ」
「しかし、招かれ師範の身を脅かす者はいくらも現れるでしょうから、その度に打ち勝たねばなりません。私の代稽古をする木下さんが負けなければ私の師範の身も安泰なのです」
「招かれ師範とは危ういものだな」
「はい、その分面白く遣り甲斐も有るでしょう」

Posted on 2012/11/02 Fri. 04:30 [edit]

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【鐘巻兵庫 第33話 巣立ち(その8)】 

 鍛冶場小屋を建てる手伝いで汗を流した者たちは、吉衛門の家で手足を洗い、道着に着替え夕方には道場に戻った。
表の板の間と台所の境の戸が外され、建て主の栄吉と辰五郎、大工の新吉、左官の庄助、手伝いの助、格が並び、道場から兵庫と門弟三人が加わり十人が夕食の膳が出るのを待った。
「助さんも格さんも、暮れの餅つきでお見かけしましたが、満冶店には大工や左官の方が多いのですね」
「助五郎さんはそうですが、私は手にこれと言った職がないので普段は口入屋に仕事を見つけてもらっています」
格と呼ばれていた男が頭を掻きながら応えた。
「だが、正月からは口入屋を通さずに火事場跡の立て替えの手助けをしてもらっています」「新吉さんのおかげで屋根にも上れる様になりました」
そこへ、他流試合から戻った木下佐十郎が飯を食いにやって来て、座が11人になった。
「あっ、御主は」
「あっ、旦那」
佐十郎が庄助を指差し叫び、庄助が驚いたように応えた。
「どうしたのですか木下さん」
「そこの庄助には、正月の寒い時期に土捏ねを散々やらされた。忘れられない顔だ」
「旦那、恨みっこ無しだ。歩合が付いたはずですよ」
「そんなもの、冷え切った足を暖めようと飲んだら無くなってしまったわ」
先ほどまで土捏ねをやってきた男たちが笑い、木下の座る席を空けた。
「ところで今日の他流試合は如何でしたか」
「鐘巻さん、よく聞いてくれた。今日は市ヶ谷まで足を延ばし天然理心流とかいう道場にいった。それが弱くてな。尤も大先生は年なのでそう、そこの三人と同じような年頃の倅の勇とかいう者に稽古を付けて帰ってきた。稽古料として一分頂いてきたわ」
「木下さんの体がだいぶ戻られました。相手が弱いのではなく、木下さんが強いのです」
「そう言って貰うと嬉しいが、まだ以前ほど体が動かぬ」
「それは木下さんが一年以上も酒浸りだったのですから、十日ぐらいで元には戻らないでしょう」
「おい、甚八郎。わしの前で酒の話はするな。喉が渇くではないか」
「はい、食事の支度が出来ましたよ」
志津の声が掛かり、娘二人が運ぶ夕餉の乗せられた折敷を台所側に座った門弟三人が受け取り、回し始めた。
夕餉が始まると、賑やかだった佐十郎も話すのを止めた。

Posted on 2012/11/01 Thu. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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