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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第34話 火の粉(その10)】 

 十日ほど前にはこの大戸から五人が飛び出したのだが、兵庫一人の朝駆け始まった。
亀戸までを二往復し大戸から家に入ると、お道が申し訳なそうに
「これを栄吉さんにお願いします」
出来立ての弁当である
「分かりました」
兵庫は心ならずも三往復目の朝駆けをさせられることになった。
普門院脇の栄吉が番をしている鍛冶場に寄り、中を見せてもらうと既に火床、鞴(ふいご)、鍛冶場道具も揃えられていた。
「栄吉さん。もう始められそうですね」
「は・はい」
栄吉の喜ぶ顔を見て兵庫は駒形に戻った。

 そして何事も起こらず夕方となり、兵庫が風呂を沸かしていると、弟子の三人が言い合わせたように、少しの間を置きやってきた。
最初に来た甚八郎が
「先生。御城の西の丸が焼け落ちたそうです。近々お役目が言い渡されるそうで、私もその御用に出ることになりそうです」
「分かりました。御用が何でもお家のために働いてください」
その後やって来た富三郎も健次郎も同じようなことを言い、暫らく道場に来られないことを告げ帰って行った。
三人は帰るとき道場に置いておいた私物化していた剣術道具に稽古着、実戦道具として与えた鎖帷子、籠手、鉢金そして書写した物等を持ち帰ったのだ。
畳まれ残されていたのは地天の印半纏と股引き腹掛けだった。
「志津、明日から弟子は誰も来ませんので飯炊きを減らしてください」
「わかりました。でも寂しくなりますね」
「風呂の水汲みと薪割りが久し振りに出来ます」
二人の話を手伝いのお道とお琴が笑いながら聞いていた。

 風呂に入り、夕飯を食い表の戸締りをした兵庫は二階に上がり布団に入った。
暫らくしてやってきた志津も寝化粧をおえると有明行灯の灯を細め隣の布団に入った。
「旦那様」
志津が弟子を失った兵庫に話しかけた。
「何ですか」
「此度は散在でしたが無事収まり、よう御座いました」
「はい、血を見ずに済みました」
「でも御城の火の粉は払えませんでしたね」
「三人のことなら、何か良い機会に恵まれるかもしれませんので良いのではありませんか」
「はい、でも三人のことではありません。我が家にも御城の火の粉が飛んできています」
「・・・」
「お忘れになられたのですか。表の大戸を引き戸にする話ですが・・・」
「それがどうかしましたか」
「御殿が燃えたのですよ。材木も大工の手間賃も上がるでしょう」
「そうでしたね。今年の冬も寒いままかもしれませんが、その時は我慢して下さい」
「はい、その時は・・・」
志津が兵庫の布団の中に滑り込んできた。

第三十四話 火の粉 完

Posted on 2012/11/15 Thu. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第34話 火の粉(その9)】 

 浅草御門を通り過ぎたところで木下と分かれた兵庫、駒形に戻ったのは夕七つを少し回った頃だった。
 兵庫の帰りをいち早く知った志津が表口まで出迎え兵庫の様子を何度も見た。
「抜かずに済みましたよ。これ返します」
兵庫は懐から出した石を志津に握らせた。
飯を食い終わり、帰り支度をしていた甚八郎が怪訝そうに
「たしか、股引き腹掛けに半纏を着て出かけたはずでしたが・・・」
「そうだったか。それはまた明日の朝見せてやる」

 次の日の朝、薄暗い中を股引き腹掛けに半纏を着て走る四人の姿があった。
木下佐十郎が来なかったのだ。
そして、昼になっても入門したはずの牧村もやって来なかった。
若い門弟三人が木下や牧原が姿を見せないことを不思議がり、兵庫に尋ねたが兵庫は知らぬ振りをして応えることはなかった。
こうして又、兵庫と門弟三人の平穏な日々が過ぎて行ったのだ。

 五月二十二日の明け方、半鐘が打ち鳴らされた。
兵庫は飛び起き、二階から西・東と眺めたが煙らしきものは、甍(いらか)に邪魔をされ見えなかった。
この半鐘の音で叩き起こされたのは町のもの全てで、暫らくすると台所に下りていた志津と兵庫の元にお道とお琴がやってきて告げた。
「火事は御城らしいよ」
「を組が浅草御門の方に駆けていきました」
兵庫が頷くと二人は火事の方に興味があるのか、また長屋に戻っていった。
 早起きさせられた兵庫
「全く、御城も箍(たが)が緩んでいるな」
兵庫呆れた様子で言ったのだ。
「旦那様。お言葉は慎まれた方が・・・」
「そうですが、私が物心付いてからでも既に二度ほど御殿が燃え尽きているのです。今回も御城なら燃え落ちるでしょう」
「どうしてその様なことを言われるのですか」
「火事というものは早く消さねば手に負えなくなるものです。しかし、町の火消しはお城の門外から容易には中に入れないのですよ。それが決まりですから」
「そうなんですか」
「はい、門とはそういうものなのです。城外からの火には強いのですが、中から燃え始めると消す者が居ないに等しいのですから」
こんな話を兵庫らが話しているうちに夜が明けたのだが、いつもやって来る三人の部屋住み者が来ない。
「やはり火元は御城のようですね。見えない火の粉がお旗本や御家人のお屋敷にも飛び、三人は禁足させられたのでしょう」
三人がやってこないため手持ち無沙汰になった兵庫が忙しく台所仕事をしている志津に話しかけた。
それに志津が手を休め
「そのようですね。暫らくは小普請の皆さんも忙しくなるでしょうか」
「新吉さんや庄助さんも忙しくなるでしょう。当面我が家の大戸は直りそうもありませんね」
「旦那様。お暇でしたら駆けてこられては如何ですか」
「そうします」

Posted on 2012/11/14 Wed. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第34話 火の粉(その8)】 

 二人の話はこの場に和みを与えてもよさそうなものだが、何故か緊張が解(ほぐ)れない。
「牧村殿への手土産も持参しました。どうぞお受け取り下さい」
兵庫が脇に置いてあった竹刀袋を引き寄せた
「お~。あの短い竹刀ですか。有り難く・・・」
兵庫が袋から竹刀を取り出し、その竹刀の先を持ち離れた牧村に膝行し手を伸ばし差し出すと、牧村も膝行し、手を伸ばし柄を掴んだ。
兵庫が手を離すと竹刀の切っ先が下がり、重い音を立て床を叩いた。
「これは・・・」

 竹刀の異様な重さに絶句した益次郎をじっと見、諭すように兵庫がつぶやいた。
「お互いに巾着を作ってくれた者を悲しませぬよう致しましょう」
兵庫の言葉の意味は牧村を切り裂くものだった。
益次郎は駒形の道場の立会いで正直、なす術がなかった。
それも、いま己に手渡された不利と思える短く、異様に重い竹刀を使った兵庫にだ。
「分かった。皆、手出しはならぬ。わし等の敵う相手ではない」
どのような目論見が隠されていたのか分からないが、益次郎が切れ掛かりそうな緊張を解こうとした。
「馬鹿な!」慎吾が吐き捨てた
「慎吾殿。左手ではなく右手を労(いた)わりなさい」
木下に打たれひびが入った筈の右手を吊らずに、左手を吊っている慎吾に兵庫の叱責が飛んだのだ。
「鐘巻殿。燃え上がった火をなんとか消すように致します。火の粉が飛ぶようでしたら遠慮なさらず打ち払って下さい」
怒りを隠さぬ慎吾の前にはだかり、制しながら益次郎が頭を下げた。
兵庫は居並ぶ者に用心深く頭を下げると、木下を促し道場を後にした。

 足早に引き返す兵庫を追いながら木下が話しかけた。
「あいつ等はわし等を斬るつもりだったのか」
「その様でしたね。跡取り殿の気性を抑えられなかったのでしょう。木下さんが木刀試合を受けてしまった訳が分かった気がします」
「わしは鐘巻さんの“右手を労わりなさい”を聞くまで分からなかった。あいつ怪我をしてなかったのだな」
「私は木下さんが遠慮して慎吾の籠手を打ったことを知り嬉しくなりましたよ」
「それでも火の粉は飛んでくると思うか」
「あの跡取りは信望がありません。加担する者は道場には居ないでしょう」
「そうか・・・あっ、五両返すのを忘れた」
「使ってしまった金は返せないでしょう。私が治療代を付けて返しておきましたよ」
「あの雷おこしか」
「はい」
「幾等だ」
「返却分の五両に薬代として五両を足しました」
「すまん。だが薬代の五両は無用だったな」
「木刀試合で打身だけで済ませられたのは木下さんの腕が戻ってきた証ですよ」
「おだてるな」

Posted on 2012/11/13 Tue. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第34話 火の粉(その7)】 

 道場主加茂谷慎衛門の穏やかな様子とは違い、通された道場には緊張の糸が張られ、数人居た門弟の脇には木刀が置かれていた。
佐十郎と兵庫は、神床を背にして座った慎衛門の前に頭を下げた。
「あれは倅慎吾に非があった。幸い骨が砕かれることもなく大事には至らなかったようだ。勉強させて頂いたと思えと、申し渡しておる。詫びるには及ばんよ」
「有り難きお言葉ながら、慎吾殿にお詫び申しあげ、お許しを頂きたいのですが」
「分かった。遺恨を消すのは本人同士が良いだろう」
加茂谷が同席していた門弟に目で指図をすると、門弟は立ち上がり奥へと消えて行った。
しかし、直ぐには顔を見せなかった。
「鐘巻殿。益次郎が駒形まで赴き鐘巻殿の腕試しをしたようだが、まことに申し訳ない」
道場に沈黙が続くのを危惧したのか、慎衛門が話しかけてきた。
「いえ、それは当たり前のことを致したまでのこと。こちらも、牧村殿に合点のいかぬ思い致し、後をつけさせて頂きました。」

 そこへ、片手を吊った若い男と駒形で立ち会った牧村益次郎が出てきた。
姿を見せた者たちが着座するのを待って佐十郎は頭を下げ
「慎吾殿、申し訳ないことを致しました。お許し願いたい」
「あれは私に非があり、父上には叱られました。お手を上げて下さい」
「お許し頂きありがとうございます」
当事者二人の顔に笑いが生じ、道場の緊張の糸が解けたかに見えた。
「これは浅草の名物雷おこしです。後ほど御覧下さい」
兵庫は菓子箱を持ち、大刀を置いたまま膝行し慎衛門の一間ほど前に置き戻った。
「これは手土産まで、申し訳ない。頂いておきます」

 当時、贈答は当たり前で、菓子の中に金品を納めることも少なからずあった。
その時、それを伝えるための作法に“賞味下さい”とは言わずにあえて“御覧下さい”と言い、相手の目を見、断わるかを確かめるという風聞があり、そのことを八丁堀育ちの兵庫は賂等を受け取ることが多かった父を見て、知っていたのだ。

 そしてこの道場でもっとも手ごわいと兵庫が感じていた牧村が話しかけてきた。
「鐘巻殿。私のことで合点がいかぬ思いをしたと、先ほど耳に致したが、どのようなことでしょうか」
「それは、牧村殿が一人身と申されましたが小奇麗な巾着をお持ちでした。奥様の作ったものと推察したからです」
「その様なところまで見られておりましたか。やはり鐘巻殿には勝てませぬな」
「いや、私も似たような巾着を持っているのです」
兵庫は懐から巾着を出して見せた。
「あ~、お美しい奥様でしたな」

Posted on 2012/11/12 Mon. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第34話 火の粉(その6)】 

 井戸で口を漱ぎ、水を飲んだ佐十郎が部屋に戻り、語り始めた」
「昨日のことだが、人伝で知った神谷町にある天心一刀流の道場に出向き稽古を頼んだ。決して試合ではなかった。道場主の加茂谷慎衛門は年寄で代わりに慎吾とか申す若い倅が出てきて竹刀で立ち合い、何度かやったが全てわしの勝だった。その若いのがわしの持っている竹刀が長いとほざきおった。それからは売り言葉に買い言葉訳で分からんうちに木刀試合になってしまった。誰かの知らせで道場主が止めに出てきた時は遅かった。おそらく相手の右手首は折れただろう。わしも興奮していたため治まらず、詫び金として出された五両を受け取ってしまった。金は受け取らず試合の勝ち負けだけで済ませて帰るべきだった。貧すれば鈍するだな」
「分かりました。今日相手が駒形に来たのは、木下さんは神谷町から何処にも寄らず駒形まで来たのを道場の誰かが見届けたからでしょう」
「あ~。何処にも寄らなかった」
「この家は知られていないようですから、暫らく出歩かないようにして下さい」
「鐘巻さん。神谷町に行くのか」
「元はと言えば、長い竹刀を作った私が火元だったのです。あの竹刀は頂いて帰りますよ」
「わしも行く」
「それでは支度をして道場まで来てください。昼飯を用意しておきます」
 兵庫は道場に戻る足で雷門まで行き、名物の雷おこしの箱詰めを買い戻った。
裏庭からは気合いと竹刀を打ち合う音が聞こえてきたが弟子に会うことはしなかった。
「志津、佐十郎さんが来る飯の支度をさせて下さい。それとこの中に十両を入れて下さい。これから行く所の手土産にしますので」
「分かりました」
兵庫が自分の飯を食っていると佐十郎がやってきた。
佐十郎が遅くなった昼飯を食い始め、兵庫が着替え始めた。
志津は兵庫が目釘を調べている様子を見て、何かを悟り土間に置かれていた石を二つ持つと兵庫のところへ歩み寄った。
「お持ち下さい」
「心配するな。必ず戻ります」
手渡された石を懐に納めた兵庫は佐十郎が飯を食い終わるのを急(せ)かすように、手土産の包みと竹刀を一本入れた袋を持って土間に下りた。
羽織袴姿の二人の侍が出て行くのを志津が見送っていた。

 天心一刀流道場に着いた佐十郎と兵庫は出てきた門弟に
「拙者、木下佐十郎と申し、昨日のお詫びに罷り越しました。先生にお取次ぎ願いたい」
門弟は直ぐに引っ込み暫らくして、年老いた武士が出てきた。
「加茂谷先生。昨日は無礼を働き申し訳の言いようもありません。お詫びに参りました」
「そちらのお方は」
「拙者。鐘巻兵庫と申し、縁あって木下殿に剣術を教える身で御座います」
「お~。鐘巻殿ですか。甥の益次郎が手の出しようがなかったと、先ほどまで話を聞かされておりました。まあ、お上がり下さい」

Posted on 2012/11/11 Sun. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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