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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第41話 水入らず(その14)】 

 この後、裏座敷の雨戸、勝手口を開け、風を通すと二階に戻り、廊下に置かれていた釘抜きを使い、新吉が打ち込んでいった釘を抜き、二階の雨戸も開けた。
浅草寺の明け六つの鐘が打ち鳴らされ、聞こえてきた。
「下はどうでしたか」
「水は床上まで上がりましたが、今は床下です」
「台所板の間の竈は使えそうでしたか」
「はい、土間の竈は今も水に浸かっていますが、板の間に置かれている台箱の灰までは水が上がって居ませんでした」

 この家には家を買った時に欅製台箱に乗せられた二口(ふたくち)の黒い竈があったのだが、後に門弟が寝泊りするようになり土間にも竈を作ったのだ。

「それはよう御座いました。お餅以外にも食べるものが出来ますよ。舟から浅蜊と野菜、それに薪を下ろしておいて下さい」
こうして、焼き餅以外に浅蜊の汁や菜物とささやかだが朝の膳を賑わせ兵庫を喜ばせた。
兵庫の膳のものが少しずつ食べられ消えていくのを見ながら、志津も箸を口に運んでいた。
そして兵庫の腹が膨らんだのを見た志津が
「嵐が去り日射しまで出てきたのに、どうして水が引かないのでしょうか」
「溜まった水は下水を通じて堀や川に落ちるようになっているのですが、恐らく落とし口までにゴミが詰まった所が在るからですよ」
「そうでしたか」
「我が家の拭き掃除が終ったら、ごみを取り除きに行ってきます」
「旦那様、それは町の者にまかせましょう」
「どうしてですか」
「あと一日ぐらい、こうして水入らずの日を過ごしたいのです」
「あ~、水が出て水入らずですか。嵐も粋なことをしてくれましたね」
こうして、兵庫とお志津は、水が引き夕時になってお道とお琴がやってくるまで二人だけの時を過ごしていた。

第四十一話 水入らず 完

Posted on 2013/02/25 Mon. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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【鐘巻兵庫 第41話 水入らず(その13)】 

 時が流れ節穴を通し入り込む光も無くなっていった。
兵庫は何かの音で目が覚めた。
「お目覚めですか。いまお茶を入れますから」
兵庫が声のする方を見ると、髪の乱れを残した志津が廊下に置かれた七輪の上の湯沸しを取り、茶を入れていた。
兵庫は布団を抜け出した。
「何刻ですか」
「外に明かりがありませんので六つ半ほどかと」
「餅も焼いて下さい」そういうと兵庫は手燭に火を点し階下へ降りていった。

 火が土間に入り込んできていた水を照らし、その反射が羽目に揺らめいた。
水はまだ土間に置かれた猪牙舟を浮かすほどではなかったが、羽目に残る水跡の帯は無く、まだ水嵩(かさ)を増している最中のように思われた。
家の中を一回りした兵庫が二階に戻ると茶が入り、網の上で餅が膨れていた。
「土間が水に浸かっていました」
「はい、搗いたお持ちが役に立ちましたね」
兵庫は餅網の端に置かれていた餅を一つとり皿の醤油を少し付け大きく開けた口に運んだ。
「ゆっくり食べて下さい。二つきりですからね」
兵庫は頷き笑った。
雨戸を鳴らし吹き付ける風雨が二人を外界から遮断し、二人だけの語らいが夜の更けるまで続けられた。

 夜半過ぎまで吹き荒れていた嵐が過ぎ去ったのか激しかった風雨は止み、翌二十日、二人は静かな朝を迎えた。
兵庫は釘付けされていない東側の雨戸を開けた。
日はまだ昇ってはいなかったが赤味を帯びた東の空が本所の黒い家並の上に見え、その薄明が渦巻き音をたて流れる大川の流れを見せた。
身繕いを終えた志津が兵庫の脇にやって来て、同じように外を見ていた。
「まだ町の水が引いて居ませんね」
大川沿いの土手は町屋が建つ所より、少しばかり高く盛り上げられているため、溜まった水が捌けずに淀んでいた。
その淀みの先の土手には浮遊し流れ着き、水が引く時残された草木の跡が細長く残り、水の上がった高さを教えてくれた。
「あれでは、床の上まで水が上がったかもしれませんね」
「見に行かれ・・・」
兵庫は志津の言葉が終わらないうちに階段に向けて歩き出していた。
だが階下を見下ろした兵庫が振り返り
「真っ暗です」
志津が手燭に火をつけ、手渡すと兵庫は音を立て、階段を下りていった。

 足元から湿った床の感触を得た兵庫は用心深く歩き始めた。
土間に溜まった水は床より下がっていたが、まだかなり在り、家の中に運び込まれていた猪牙舟が浮いているのか僅かに揺れていた。
手燭を床に置くと兵庫は着物の裾をはしょり、帯びに挟むと静かに土間に下りた。
水に膝下まで浸かり、大戸の留め金を外し、静かに開けながら持ち上げていった。
水に浸かっていた大戸から滴り落ちる水が雫となるのを見て、兵庫は高く持ち上げ、吊るし紐に掛けた。

Posted on 2013/02/24 Sun. 04:30 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第41話 水入らず(その12)】 

 暫らくして階下からお道とお琴の笑い声が聞こえてきた。
そして床を走る音がして階下から
「先生。お餅を切って下さい」
その声で、まだ餅つきが終っていなかったことに気がついた。
 この日、兵庫は黙々と一枚二升の伸餅を四十に切り分け一つ半合分の切り餅作りに精を出した。
昼近くには二十枚の伸餅を切り終え、八百個の切餅の山が出来ていた。

 昼過ぎになって満冶店(みつやだな)の大家弥兵衛が雨の中やってきた。
「先生。お願いがあります」
「出来ることなら、何でもします」
「今、岡っ引きの勇三さんが参りまして、大川が川止めになり浅草界隈の下水が溢れ始めたそうです。陸に降る雨が捌けないようです。下水の落とし口まで堀の水が上がっているそうで、このまま降り続けば、潮が満ちる夕方には膝まで水が上がるだろうと言って回っています」
「分かりました。それで、頼みごとはなんでしょうか」
「手前どもは、これから番太の駒蔵を残して長屋の者たちを大龍寺に一時避難させます。
「分かりました。あそこに山倉屋から出水の備えとして米一俵頂きました。餅にしましたので一人五食分当てでお分けしますので、取りに来させて下さい」
「一俵も搗いたのですか」
「はい。昨日新吉さん親子に手伝ってもらいました」
「有難う御座います。七輪と炭、網も運ばせましょう」
「駒蔵さんにも、取りに来るよう言っておいて下さい」
大家の弥兵衛は頷き、帰っていった。
 暫らくして雨の中、蓑を着た顔なじみの長屋の住人が、鍋、笊等の入れ物を持ってやってきた。
「餅を頂にまいりました」
「一人分十個ですから」

 山積みされていた八百の切餅が、長屋の住人が居なくなる七つ過ぎまでに思っていた以上に減っていった。
「長屋の住人が増えたようですね」
「あまり残っても食べ切れませんからね」
「私たちの分の二十を私が二階に運びます。残った物は笊に入れ、猪牙舟の乗せておいて下さい」
「えっ、今晩から五食餅だけですか」
「皆さんと同じですよ」
そう云うと志津は小笊に餅を二十入れ抱えると、燭台の火を手燭に移し二階へ上がっていってしまった。
 言われたように残った餅を片付けた後、兵庫は二階での篭城に備え、七輪、炭、茶、やかん等を二階に上げたのだ。

 締め切られ部屋に射し込む外の光は雨戸の節穴と板の隙間からしかなく、燭台の夏目蝋燭の揺れる火が二人を照らしていた。
改まって二人きりになると、語る言葉が少なくなり、酒も肴もない。
若い二人どちらからともなく寄り添い、重なるまで時を要しなかった。

Posted on 2013/02/23 Sat. 04:30 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第41話 水入らず(その11)】 


 ひと仕事を終え、新吉は煙草を吸い始めた。
「新吉様。娘さんの筝を聞いてはみませんか」
「えっ 娘が筝を・・・」
「あら、聞いては居られなかったのですか。上手になりましたよ。お道さん、お琴さん、お父様にお聞かせしましょう」
お志津が手燭を取ると火をつけ、暗い二階へと上がっていき、その後に娘二人が続いた。
暫らくして、筝の音が二階から下りてきた。
「お道さんが弾いていますよ」
新吉は風雨が鳴らす戸の音を聞かぬように筝の音に耳を傾けていた。
お道が終わり、お琴が弾き始めた。
新吉は何かを堪えるようにしていたが、筝が終ると
「先生、ちょっと用を思いついたんで」といい蓑を着、菅笠を被ると勝手口から出て行った。

 男手一つで娘たちに女らしいことをさせることが出来なかったのだが、兵庫の家の勝手仕事を手伝う中で志津に行儀見習いを教えられる他、裁縫などの家事仕事、そして筝まで習っていた。
新吉は娘たちの前で涙を見せたくはなかったのだ。

 残された兵庫は合羽を羽織り、笠を被ると二階に向かい声をかけた。
「町の様子を見てきます」
足駄を履き横殴りの雨の降る外に出た兵庫は、大川の堤の縁まできて見下ろした。
流れは昨日見たときより増し、僅かだが濁りを見せていた。
ただ、まだ舟が行き交うのが見え、渡しも止まっては居ないようだった。
 駒形の町を割る奥州街道に出ると、雨と強風のため見慣れた日除け暖簾は仕舞われ街道の幅を広くしていた。その街道には水溜りが出来ていて道行く人はそれを避けながら、風に向かいあるいは背を押され歩いていた。
兵庫は町を一巡りし、これなら今日は水が出ることもないだろうと思いながら、志津の待つ家に戻った。
吹きぬける西風に押され重くなった潜り戸を押し開け入ると、締め切られた奥に明かりが見えた。

 麦湯を志津が出しに立ち上がった、その背中に
「お道とお琴はどうしましたか」
「筝の腕前を誉めてもらいに行ったのでは在りませんか」
「そうですか。今日は娘二人に囲まれて新吉さんにとって良い日になったようですね」
「私たちにとっても・・・」
「嵐、様様ですか」

 その嵐はその日の夜半から激しくなり翌十九日の未明も断続的に土砂降りの雨が屋根を打ち、その雨が風に吹かれて雨戸を叩き、時には揺すり音を立てていた。
兵庫も志津も目覚めては眠ることを繰り返しながら、朝のまどろみの中に居た。
浅草寺の鐘の音も南よりの風に流されているのか、風雨の打ちつける音に邪魔されるのか聞こえては来なかった。
 兵庫はそっと布団を抜け出し、東側の釘を打ち付けていない雨戸を少し開けてみた。
天に薄明は無く、地に人の点す灯り一つ無い闇で部屋から僅かに洩れる行灯の明かりが降る雨を白く光らせるだけだった。
目には見えないが大川の地を揺るがすように伝わる流れの音が、打ちつける雨音、吹きすさぶ風の音と混じりあい聞こえていた。
 雨戸を閉めた兵庫は再び布団の中に潜り込んでいった。
兵庫が目覚めたのは隣に寝ていた志津が起き、着替え終わるころだった。
外は嵐、餅を搗き終わった兵庫、やることはないと思うと布団から抜け出さず志津が部屋から出て行くのを見送っていた。

Posted on 2013/02/22 Fri. 04:33 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第41話 水入らず(その10)】 

 当時の竃(かまど)の燃料は薪ですから煙が出ます。しかし煙突というものが付いて居ませんでした。これは茅葺き屋根の家の囲炉裏と同じ考えのまま屋根が瓦葺になっても変わることなく竈が作られたからです。
その代わり、兵庫の買った家には屋根に近い壁に煙抜きの穴が数箇所設けられていた。

「旦那様、笊を一つ出して下さい」
言われるままに兵庫は樽の中に浸されている米を入れた笊を一つ出し、水切り桶に移した。
「旦那様線香が六分ほど燃えたら教えて下さい。蒸篭(せいろ)を重ねますので」
「分かりました。また新しい線香を立てるのですね」
「はい。浸した笊一つ取り出すのも忘れずにお願いします。蒸篭は三段まで重ねます。四段目の時一番最初に乗せた蒸篭を外し、搗(つ)きますから」
「それからは線香が六分燃えるごとに餅つきになりますね」
「はい」

 こうして時が流れ最初の蒸篭が乗せられてから半刻(1時間)経った頃、その蒸篭が外され、新しい蒸篭が重ねられた。
蒸しあがった米は湯で温めておいた臼に乗せられ、兵庫が杵でこね、餅つきが始まった。
米粒が飛び散らないように最初は搗くのを加減していたが、それも直ぐに兵庫の馬鹿力が志津の返した餅に杵音高く加えられた。
搗き終ると伸し枠に入れられ、手で伸ばされた後、小麦粉を振り伸し棒が転がされた。

 兵庫と志津で二枚の伸餅を作り上げ、一呼吸入れていると勝手の戸が叩かれた。
兵庫が開けると薄明かりの中に菅笠に蓑を着た新吉が立っていた。
「お道とお琴はどうしていますか」
「わたしが戻らなければ、ここに来るように言ってありますから、間も無く来るでしょう」
「そうですか、お入り下さい」
「お~やってますね~。それにしても湯気と煙がすごいですね」
「締め切っていますからね。この煙と湯気を出すことにします。新吉さん閉めた勝手口の戸を少し開けて下さい。私は大戸の潜り戸を開けてきます」
「分かりました」
兵庫が東側の潜り戸の閂を抜き、戸を開け閉まらないように掛け金を掛けた。
勝手口から入った風が煙と共に表口へとかなりの速さで吹き抜け始め、戸口に立つ兵庫の背を押した。
「おはようございます」
いつものことだが、兵庫は双子の姉妹の声も風が運んできた。

 二人から五人となった餅つきは時を計るように進んでいった。
線香が六分ほど燃える間に、餅つきが始まり、二升の伸餅が出来上がると広げられた莚の上に並べられていった。
兵庫と志津は新吉親子が餅を搗く時には手を出さず滅多にない、親子の時を過ごさせた。
また兵庫と志津が餅を搗く時には新吉親子は話を交わしたり別の用をしたりして声をあげていた。
こうして夫婦水入らず、親子水入らずの時が過ぎていった。
 餅つきの途中で朝飯と昼飯が入ったが一俵、四斗の米から二升の餅、二十枚を搗き終えたのは昼八つ(午後二時ごろ)を少し過ぎた頃だった。

Posted on 2013/02/21 Thu. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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