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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第48話 時の運(その9)】 

 同心の久坂が帰り、腕前判定を願う客が途切れると、兵庫は稽古着姿で表に出て来た。
暫く出格子に掛けてある真新しい“剣術腕前判定所”の大看板を見ていたが、意を決したのか看板を外した。
これで表に掛けられている看板は“具足あります”だけになった。
兵庫の表芸である剣術の看板が、“地天流・墨西館、剣術指南"の看板に続き、また家の中に仕舞われることになり、ため息がもれた。
その様子を見ていたお糸は、看板を抱えた兵庫が店に入ってくると話しかけた。
「先生、お客様が来られたら、如何いたしましょうか」
「これまでのような判定は致しませんので、立ち合いでよければ通して下さい。貼ってある料金表は外してください」
「分かりました」

 夕方になって、また定廻りの久坂が岡っ引きの勇三とやってきて、表に掛けられていた看板が無くなっているのを見て、にやりと笑った。
裏の道場で、一人鍛錬棒を振る兵庫の後ろから声をかけた。
「すまねぇな。商売の邪魔をしたようだな」
「いいえ、思いつきの割りに、儲かりました。潮時のようです」
「それで、赤垣だが、勇三聞かせてやりな」
「赤垣は回った道場の全てに顔を見せた、名の知られた道場破りで、どこの門弟でもありませんでした。身寄りも住まいも分かりません」
「それは、ご苦労様でした。それでは回向は私の方で致しますので仏の下げ渡しをお願いします」
「いや、仏は既に引き取られました」
「えっ?・・・」
「桶町の千葉道場だそうです。門弟でもない者を引き取るなんて訳ありなんでしょうね」
「訳なんぞ何でもいい。回向院まで運ぶ手間が省けた」
久坂は、事件とは成らずに始末されたことを言外に言い、帰って行った。

 その後姿が消えても兵庫は千葉道場が赤垣の骸を引き取った訳が何か、思いを巡らし始めた。
赤垣が己の噂を聞いたのは恐らく千葉道場だろう。
そうだとすれば、恐らく佐那の口からだったであろう。
赤垣が言い残した、兵庫に勝つことで得られる「先の開運」とは何であったのだろうか。
赤垣の運を閉ざし、死に追いやった兵庫に分かる筈もなく、語る者も居なかった。
ただ、これからも時の運だけを頼りに、挑む者が現れないとも限らない。
挑まれる身の危うさを教えるかのように晩秋の風が兵庫の首筋を通り過ぎていった。

第四十八話 時の運 完

Posted on 2013/06/23 Sun. 04:30 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第48話 時の運(その8)】 

 翌日、千住から母・せんに付き添われてさえがやってきたのは、朝六つ半(七時頃)だった。
「くわばら、くわばら」
せんの漏らした言葉に、帳場に居たお糸が反応した。
「何か在りましたか」
「途中の小塚原、浅草寄りにあるクヌギの根元でお侍がお腹を召しておられたのですよ。寄りによってなんであの様な所で、祟りではないかと皆が申しておりました」
「それは、それは朝から嫌なものを見てしまいましたね」

 そこへ腕前判定が終わったのか奥から若い伊勢のいい男がやってきた。
「長助さん。今日はどうでした」
「ここの先生には隙がねぇ。必殺技も通じなかったぜ」
「その通じなかった必殺技ってなんですか」
「それはだな、構えたところで腹痛に襲われた振りをして、油断させる技だよ」
「それで、どうだったんだい」
「先生に、此れ幸いと脳天を打たれてしまった」
「ドジな話だね」
「まったくだ。また運試しに来るぜ」
 兵庫の名が高まると、是非一本を取ろうと思う者が集まるのは避けられないのだが、町人は半ば遊びで、中には長助のように洒落で、腕試しではなくその日の運試しにやってくる者なども居た。

 昼前になって、定廻りの久坂が裏の道場に姿を見せた。
判定立会いをしていた兵庫が若い武家に「上」の口頭判定を言い渡し返すと
「次は、おいらだ。少し時間をもらうよ」
「何か御用ですか」
「鐘巻さん。昨晩、赤垣喜三郎とかいう浪人の腕を斬っただろう」
「はい、襲われましたので仕方なく・・・」
「奴は腹を切ったよ」
「斬ってくれと頼まれたのですが断りましたが、腹を切るとは思いませんでした。ところで、どうして私が斬ったと分かりましたか」
「赤垣の持ち物のなかに、あんたが渡した二段の判定証が在ったんだよ。二段と言えば町道場の目録以上だというじゃねぇか。並みの者にはできねぇよ。それとあんたが夕方千住まで行ったことを帳場で確かめた」
「赤垣殿には何方か身寄りが居ますか」
「それは未だ分からんが、今、勇三が市中の道場を当たっているところだ、直ぐに分かるだろう」
「分かりましたら、教えて下さい」
「それは教えるが、鐘巻さん、今月これで五人目だ。相手が悪くても面倒見切れなくなるぞ。此度は、小塚原より浅草寄りだったゆえ、運よくわしのお役目になったから良いものの、向こう側だったら、お主を知らぬ者の詮議を受けることに成りかねなかったのだぞ」
「久坂さんにはいつもご苦労をおかけし申し訳なく存じております。今後、無用な立ち合いを挑まれぬよう致しますので、此度の事よろしくお願いします」
「ああ、本当にたのむよ」

Posted on 2013/06/22 Sat. 04:35 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第48話 時の運(その7)】 

 兵庫は赤垣の抜き打ちに気を配りながら、身を右に運び赤垣と少しずつ立ち位置を変えていった。
「抜け!」と叫び、赤垣は歩むのを止め、腰を僅かに沈め身構えた。
「勝負は断わる」
そう言い兵庫は走った。
「逃げるのか」
赤垣の言葉を背に受けた兵庫は走るのを止めたが、振り向かず駒形へと歩いて行った。
それを追うように赤垣が続いた。
仕置き場前を通り過ぎ、暫らくして兵庫は薄暗さを増している木立の下まで来て、歩くのを止め、振り返った。
赤垣が刀を抜き、兵庫も刀を抜き放ち身構えた。
互いに慎重に間合いを詰め合い、竹刀剣術なら勝てる兵庫の間合いに入った。
しかし、赤垣に相討ちの覚悟あるとなると、安易には攻められない。
兵庫は確実な一刀を浴びせる間合いへ更に詰めていった。
その時、兵庫の額に落ちてきたドングリがあたり、一瞬それに気を取られてしまった。
兵庫に目録を上回る二段と判定された赤垣が、兵庫に生じた一瞬の隙を見逃すはずもなかった。
「貰った!」地を蹴った赤垣の諸手突きが繰り出されてきた。
しかし、その勢いが留まった。
地を蹴った赤垣の足が落ちていたドングリを踏み滑ったのだ。
切っ先を乱した突きは空しかった。
右手が柄を握ったまま兵庫の一刀を受け斬り離されたのだ。
左手一本で持つ大刀の柄に己の右手がしがみつき、力尽き地に落ちていくのを赤垣は見ていた。
赤垣の二の太刀を飛び退き避けると兵庫は袂(たもと)から手拭いを出し、血振りした愛刀源三の物打ち辺りの血糊を拭き取った。
「肝心の所で滑るとは、時の運にも見放されたか。わしを斬れ!」
「断わる。赤垣殿にとっては不運でも私にとっては幸運でした。私はここにクヌギのドングリが落ち、転がっていることを知っていてここまで誘ったのです」

 赤垣は去っていく兵庫の後ろ姿を暫らく見送っていたが、己の右腕を拾うとクヌギの大木の陰に入っていった。

 兵庫は赤垣との真剣勝負の場として、わざわざ仕置き場より浅草寄りの足場の悪いドングリの転がる所を選んだ。
それは万に一つ起こるか否かの幸運を求めるものだった。
それが起きた。
ドングリが落ちてくることも考えていた。
それが、どちらに当たるか。
赤垣に当たれば、赤垣に隙が出来る。
己に当たれば、驚き隙を見せ、誘えばよい。
赤垣が足を滑らせるおまけまでついたのだ。
 兵庫にとって大幸運は赤垣にとって大不運だった。
運を使い切り、焦燥の思いを抱き、駒形へ戻った兵庫を出迎えた志津は様子の違いに気付いた。
普段なら、両刀もしくは大刀を預かるのだが、兵庫が刀を外すそぶりを見せなかった。
「何方を斬られたのですか?」
「赤垣殿に尋常の勝負を迫られ、片手を切り落としました」
「あの御方ですか。惜しいお方でしたね」
「はい、刀、洗ってきます」

Posted on 2013/06/21 Fri. 04:30 [edit]

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【鐘巻兵庫 第48話 時の運(その6)】 

 その日の夕食が終わり、兵庫が茶を飲んでいると、お道がまた兵庫を見ていた。
「お道。どうするか、決めたようですね」
兵庫が誘いをかけてみた。
「はい先生。最初が富三郎さんで次は源次郎さん、最後に甚八郎さんです」
「お琴。それで良いのだな」
兵庫は最後に戻ることになった甚八郎を思うお琴に確かめた。
「はい」
「ところで、どうして富三郎が最初なのだ」
「それは・・・一番商売が上手だからです」
「なるほど、甚八郎はたしかに商売下手だな。ところであの三人の内の誰かを待っている
者が居るのを知っているか」
兵庫の問いに娘達三人は直ぐに気がついた。
「おふじおばあちゃんだ」
三人の声が重なり台所に響いた。
「そうだ。以前は亀戸まで朝駆けに出るとよく出迎えてくれましたが、それは源次郎が居たからです。近頃は私一人ですから出てこられなくなりました。吉衛門さんに聞いたところ、寂しがられているそうです。どうですか、順番を変えられませんか」
娘三人は目と首で対話していたが、兵庫を見て、首を縦に振った。
「源次郎が最初で良いのだな」
兵庫の念押しに、再び娘達は首を縦に振った。

 少々遅くなった夕方、さえを千住まで送り届けた兵庫が小塚原に差し掛かった時、薄暗い木陰から黒い影が現れた。
「あなたは、確か赤垣殿」歩むのを止めた兵庫の全身に用心の気が巡った。
「名前を忘れずに居てくれたか。わしもお主の名は忘れられん。あのように容易(たやす)く負けたのが腹立たしい。鐘巻兵庫、お主の名を駒形から消し去る覚悟しろ」
「無体な。今の赤垣殿では十中八九、私には勝てませんよ」
「それは分かっている。竹刀勝負では“上手”の証を貰えなかったからな。だが御主が申したではないか。勝負は時の運だと。わしは残っている十中一二に先の開運をかける」
「私を斬ることで、先の運が開くのですか」
「お主を尋常の勝負で斬ればな」
そういうと、問答無用と刀に手を掛け、間合いを詰めてきた。

 兵庫は真剣勝負の際どさを知っていた。
真剣勝負は竹刀勝負とは違い、竹刀勝負なら勝ちでも真剣では負けになることがしばしば起こるのだ。
それは先に片方の籠手を打ち落とされても、残る手で相手の心臓を突けば勝ちなのである。
いわゆる、竹刀勝負とは違い肉を切らして骨を断つ捨て身技があるのだ。
板橋の修業中に見た兄弟子で蕨宿に断骨流の剣術道場を開いた佐々木平助の身体に残った刀傷が目に浮かんだ。
目の前の赤垣にそれほどの覚悟と胆力が在るのか分からなかったが用心させた。

Posted on 2013/06/20 Thu. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第48話 時の運(その5)】 

 具足の古物商から始めた商い、以前は客を呼ぶ込む為に美しい志津が帳場に出たり、娘たちが琴を弾く等したことも在ったが、その様なことをしなくても、御時勢なのか表の具足商い、裏の剣術腕前判定の商いともに日々そこそこの客に恵まれ時は流れていった。

 門弟の甚八郎が道場から去っていってからまるひと月が経った九月二十八日、揃って昼飯を食べ終え、茶を飲んでいると、お道がその兵庫を見ていた。
「お道、何か言いたそうですね」
「先生。私たちはいくらお金を貯めればいいのですか」
「そのことですか」
質問はお道からだったが、頷いたのは三人の娘達だった。
「そうですね。少なくとも足軽一人分を雇えるほどでしょうか」
「それなら三両一分でよいのですか」
「それはサンピン侍のことですね。しかし、それは手当てで、他に三食の面倒を見なければいけません。皆が一人暮らしするとして、住まい、食事、衣服など考えた時、日銭はいくら欲しい」
「二百文ぐらい?」
「それでは二百文としたとき、ひと月で六貫文となり、およそ一両ですから年十二両になります」
「十二両も・・・」
「それが一つの現実ですが、武家の親も子は武家の子として扱いたい。それが出来ないなら子の望む道を選ばせるものです。その道に進むことを親に納得させるには子が立派に生きていけると納得させねばなりません。納得すれば、取り敢えずの三両一分でも良いのですが、代わりの人を雇うには始めに色々と掛かるものです。ですから五両はよういしないと話も出来ません」
「先生。戴いています月二分を使わせて貰えませんか」
「それは、この家の賄への手当てですからだめです。あくまでも具足商いでの利により払われた金でなければ、親を納得させられないでしょう」
「どうしてですか」
「戻った三人が生きていく道で作った金なら受けとりやすいでしょう」
「富三郎様にも具足商いをさせるのですか」
「さえ、これは駆け引きです。具足商いを継ぐ者が居るとすれば一人ですが、当面は三人をここで修業させたのち、ここを継がぬ者には確かな道を選ばせねばなりません」
「たとえば?」
「私は三人ではないので、三人が選ぶ道は分かりません。良い道を知っているのなら、三人の修業が終わるころに教えてあげなさい」
娘達三人は顔を見合わせて微笑んだ。
「旦那様。呼び戻すにしても三人を一度より、一人ずつの方が早くありませんか」
娘たちの話を聞いていた志津が言葉を挟んだ。
「わたしも同感ですが、それは、お道、お琴、さえの気持ち次第です」
「先生。どいうことですか」
「三人がそれぞれ五両稼ぐのに六ヶ月掛かるとすれば、三人で五両稼ぐには二ヶ月で済むということです。二ヶ月ごとに一人ずつ呼び戻すか、六ヵ月後にまとめて三人を呼び戻すかです」
「誰を最初に呼び戻すかで揉めそうですね」
志津が娘たち三人を見て、つぶやいた。
「一人力では六ヶ月、三人力なら最初の者を二ヶ月です。しかし、ひとり戻れば四人力になり、さらに二ヵ月後には五人力、最後の者を呼び戻すのに六ヶ月掛からずに済みます。よく考え、三人で相談しなさい。」
兵庫の言葉に三人は顔を見合わせ、頷いた。

Posted on 2013/06/19 Wed. 04:30 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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