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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第68話 自立へ(その10)】 

 北島一家が部屋を出て行くと、兵庫は何かやり残していることが在ったことを思い出そうとしていた。
そして、「あっ、思い出した」と云い立ち上がった。
「旦那様、どちらへ」
「中西家に自立へのお裾分けです」
「えっ?」
「肝太郎、きね夫妻に、山内家が使っていた部屋を与えるのです。きね殿がすぐれない様子でしたからね」
「旦那様も随分と気が回る様に成られましたね」
「この家に女が増えたお蔭で、女たちの様子の違いが分かる様になったのです」
「それが北島縫様と中西きね殿ですね」
「はい、北島家の憂いを聞き、花見をし、それで幾らか心に平穏が訪れたのでしょう。花代様と染殿も自立への気持ちを話しやすくなったのでしょう。願っても無い展開が生じました」
「それで、今度は中西家ですね」
「はい、私は分けあって中西家の嫡男・肝太郎殿に棒手振りを勧めました。気持ちの上では辛かったことでしょう。しかし、その棒手振りにも手ごたえを感じ始めているようです。弟たちより稼いでいますからね。ただ夫婦仲が・・・狭い部屋に一家5人が押し込められていては、話し合いたいことも話せないのでしょう。きね殿の憂いを取り除けば、肝太郎殿夫妻に更なる飛躍が生じるかもしれません。そうならなくても部屋を分けるのが自然ですから今より悪くはならず、この家から憂いが消えるでしょう」
「旦那様が気づいたのですから、水野家の大人も気づいて居るでしょうから、中西家に二部屋与えても不平は出ないでしょう」
「そう考えると、山内のご隠居が自立を申し出、部屋を空けたのも、その辺りの事まで考えていたのかもしれませんね」
「それは、良い話ですね。早く中西家へ御隠居様の志を届けてあげてください」

 中西家の部屋を訪れると、何かを片付けているのだろう音がして、障子が開けられた。
「夜分、申し訳ありません」兵庫は中に入らず廊下に座ったままで話をつづけた。
今朝方、隣部屋の山内様ご一家が駒形に移り、部屋が空きました。どうぞ中西家でお使いください」
「良いのか。水野家はどうなさるのだ」
「限られた屋敷です。苦労は皆で分かち合うより仕方ありませんが、このひと月一番苦労なされたのはこちら中西家と私は思って居ます。水野家の事については別に何かを考えますので、ご遠慮なさらずお使いください」
「かたじけない。そのようにさせて頂きます」
「それでは」と云い、兵庫は障子を閉めた。

 翌朝、食事に広間に集まった者たちを前に、何時もの事だが兵庫が話し始めた。
「昨日に続き、今朝も良い話、目出度い話を皆様に届けられます。お気づきの方も居られるかもしれませんが、森花代殿が昨日、田土運びを手伝って頂いた飾り職人の栄吉さんと、また北島染殿が同じく辰五郎さんと縁付くことに成り、この寮を出ることに成りました。それでは一言お願いします」
兵庫が話を振り、姉の森花代が頭を下げ、北島家の者たちも倣った。
「皆様、短い間で御座いましたが、一方ならぬお世話を頂き感謝しております。先日、鐘巻様が竹や、藁を求めに行く際お誘いいただき栄吉様と出会いました。聞く所に寄ると鐘巻様の奥様は押しかけ女房だそうです。私も染も同じく押しかけ女房で御座います。今度は逃げられないように致しますので、今後ともお付き合いのほど宜しくお願いします」
拍手が起こった。
この日の朝、棒手振りの夫・中西肝太郎を送り出していた妻・きねの顔にも笑顔があった。
兵庫はこの数日の間に自立へと向け踏み出して行く者たちを見送れたことに喜びを感じていた。

第六十八話 自立へ 完

Posted on 2015/03/21 Sat. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第68話 自立へ(その9)】 

 寮から出て来た男の多くは侍だが、無腰のうえ、着ている物は野良着姿だ。おそらくその様な姿になれたのも、御家人、旗本の倅である兵庫や碁四郎が駕籠かき姿を見せ、何ら恥じらう様子を見せなかったためかもしれない。
 兵庫、甚八郎、高倉健四郎、菅原文次郎、水野賢太郎、水野粟吉、中西健五郎、中西肝太郎、山内康介、茂吉、辰五郎、栄吉の十二人が揃い、北十間川の北に広がる向島の田に向った。
小村井村へ行くと田起こしをしていた金作の方から近づいて来た。
大人数が大八を牽いてくる姿は目立ち、その動きに合わせ金作は牛を操り、声が届く道沿いで牛を止めた。
「先生、向こうの田の畔近くに五寸ほど盛り上げた所があります。その盛り上がった土を持って行って下さい」
「分かりました、畚(もっこ)はどこに」
「納屋に在ります。嬶(かかあ)に断って下さい。それと銭二貫文忘れずに」
言われた田に行くと、凡そ十坪ほどが他より五寸ほど盛り上がり真ん中に杭が打たれていた」
 金作の家に行き畚に担ぎ棒、鋤などを借り、男たちは起こされた田に入った。
畚を広げ、田土を鋤ですくい畚に乗せ、畚に小山が出来ると、担ぎ棒を通し、大八車まで運び堰板を張った中に落とした。
こうして在る程度貯まると、大八は寮へ戻り、庭に敷かれた八畳ほどの筵の上に田土を下ろし、向島に戻った。
四斗樽に百杯とは言ったが、量るのに樽は使って居ない。
その仕掛けは、大八車と取り付けられた堰板が作る枡で、その体積が凡そ四斗樽四杯分ということなのだ。
ただそれは左官の庄助が兵庫に言って作らせたもので、甚だ疑わしいのだが、四斗樽で百回運ぶより大八で二十五回の方が楽ということで、
「さすが左官の庄助さんだ」と納得したわけなのだ。
この田土運びは一往復に四半刻ほどかかり、終わったのは昼を挟んで夕七つ少し前だった。

 そして、庭にうず高く盛り上げられた田土を見ながら、誰かが、
「明日から、これを捏ねるのか」とつぶやいた。
「捏ねた後は壁塗りだ」
皆大人なのだが、それを嫌がる様子を見せなかった。

 夕食時、広間に並ぶ人の数は減っていた。
昼飯は、泥で汚れた野良着で座敷に上がる訳にもいかず外で、思い思いに座り握り飯を食べ、人数が減っていることにまで思いが至らなかったのだが、座敷の場合はほぼ座る場所が決まっているため、ぽっかり空いた山内家の席が目立った。
それ以外にも北島染と森花代が、いつも座る場所に膳もなく、姿も見えなかった。
二人とも、栄吉と辰五郎が田土を運ぶ手伝いをしている最中、鍛冶場に行き留守番をしていたのだ。
その事は、辰五郎から聞かされていて知ってはいたが、夕餉はどうやら四人で食べているのだなと兵庫は思った。

 夕食後、部屋に北島、森一家がやって来た。
どんな話を持って来たのかと、兵庫は想像し、向かい入れた。
本題を話し始めたのは、北島縫だった。
「花代も染も決めたようでございます。明日より、栄吉殿と辰五郎殿の元に嫁すと申して居ります。これまで苦労した娘二人が選んだだけあって、栄吉殿も辰五郎殿も優しく、実のある御方であることは、私も先日の花見で良く分かりました。幸い、栄吉殿も辰五郎殿も娘たちを好いて頂けたようでございます。お願いは蝶のことで御座います。連れて行っては遊び相手もおらず、ほかにも差し障りが生じますので、暫く私が世話を致しますのでご承知おき下さいませ」
「志津、聞きましたか。栄吉さんと辰五郎さんに押しかけ女房ですよ。実は志津も押しかけ女房なのですよ。栄吉さん、辰五郎さんの喜びはいかばかりか、良い話を聞かせて頂きました。蝶殿は良いとして、赤子の恵介はどうなりますか」
「恵介のことは、辰五郎殿と染の子として育てるとのことで御座います」
「それは、目出度いことです。花代様、染殿。慣れぬ暮らしのために、また別の苦労が生じると思います。あの二人は嫌という言葉を知らぬようですから悩まずに相談して下さい」
「はい、有難う御座います」
「本当に良いお方と巡り合うことが出来たことは、鐘巻様のお導きと感謝しております」
「私にはその様な力は在りません。皆さんの力ですよ」

Posted on 2015/03/20 Fri. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第68話 自立へ(その8)】 

 朝の時が流れ寮内に居る者が表座敷に集まっていた。
「本日は、皆様に門出の話を聞いて頂けることになりました。お話は・・」と兵庫は隠居の稲次郎と当主の康介を見た。
「朝から、騒ぎ立てをして申し訳ありませんでした」と康介が話を切りだした。
「われら新発田の者が苦労して江戸に出て来てよりひと月が経ちました。これまで鐘巻様ら多くの方々の御厚情を頂き、何不自由なく暮らせましたが、これは夢を見ているのだと父・稲次郎が申し、我らは話し合い、夢より覚めることに致しました。今よりは、はるかに厳しい暮らしが待って居ると覚悟してのことです。とは言っても、倅勇太郎は引き続き医薬の道の勉学をさせて頂き、娘・八重は養育所の賄仕事をさせて頂き、拙者もここ寮内の建設仕事をさせて貰うことで食うには困らぬ身分で夢から覚めたとは言えません。だが年寄は朝が早い。目覚めてしまいました」
笑いが起きた。
「本日より我らは継志堂の裏長屋二軒を借り、そこに移り、年寄はかす寿司の商いを浅草寺門前の広小路で始めます。その売り上げで、仕入れ代金、家賃、父・母・嫁の三人が食えるのか、見守って頂きたい。最後にここを出てからも従前のように御付き合い願いたい」
と康介が頭を下げると山内家の者、皆が頭を下げた。
「ここを出るからには多少なりとも勝算が在っての事だと思うが、御隠居、二十二、二十三日の売り上げはどのくらいあったのだ」と当然の投げかけが出た。
それには隠居の稲次郎が、
「カラ寿司だが作った百が売れ切れ、日に八百文になった。作ればまだ売れた。酒の売り上げは全て新門に渡したが、ほとんどが銭で重かった。その銭でまた樽を買い花見が終わるまで金を回わし、売り上げを戻すと言って居た。最初の樽二本が恐らく十両以上になって養育所に戻るだろうとのことだった。それを聞き何事も、時・場所・やり方で思っても見ない利益が出ると思い、新門の若い者に頼み浅草寺前の広小路に担ぎ屋台を出せるように頼んだのだ。わしは花見と同様に、先ずはカラ寿司が百売れるように色々とやり方を試してみるつもりだ」
「皆さん。なかなかの気構えを御隠居に見せて頂きました。あとに続く方が出て来ることを願って居ます。それでは冷めますので、頂きます」
「頂きます」と朝飯が始まった。

 朝飯を食べ終わると、山内家当主の康介は改めて挨拶をした。
そして暫くして寮の外に分かれの場が出来た。
売り物が入った重箱などを担ぎ屋台の前後に積み、それを担ぐ稲次郎、カラ寿司を作る時に使う材料、器具などを包んだ風呂敷を下げた田鶴と千代が押上から去って行った。
その後ろ姿を見送る寮に留まる者たち、一人二人と見送る人の数が減り最後に残ったのは兵庫とこれから田土を畚(もっこ)で運ぶことに成っている山内家の当主・康介だった。

 田土を向島から運ぶ男たちは皆、その任に堪えられる者たちで、朝稽古に参加している。その稽古着で朝飯を食べたが、これからの仕事はかなりの汚れ仕事。
その為に、昨日、野良着用として古着が配られた。
稽古着から野良着に着替えたはずの男たちが、草鞋履きで庭に集まって来た。
だが、それは見慣れた物ばかりで、誰一人として昨日配った筈の古着を着て居る者は居なかった。
新発田から来た者たちは昨日まで大工仕事に着ていた物、兵庫と甚八郎は腹掛けに股引き、
栄吉と辰五郎は鍛冶仕事で使っている物、高倉と菅原も大きな継ぎ接ぎの在る物を着ていた。寮の留守番役だった茂吉にいたっては寮の管理のなかで野良仕事をして来ていたため、まさに野良着と云えるものを着ていた。

Posted on 2015/03/19 Thu. 05:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第68話 自立へ(その7)】 

 兵庫は大八車を牽き、駒形に行くと仙吉等の手を借り捏(こ)ね桶を大八に乗せた。その後、内藤虎之助から山内稲次郎とどの様な取り決めになったかを聞いた。
「私の方が鐘巻さんより渋かったようで、家賃を八百文と云ったら、鐘巻さんは七百文と言って居たとかいわれ、値切り倒されました。後は、鐘巻さんとの話を一方的に言われ受け入れました。今掃除をしていますが、明日から入ると言って居ました。勿論、家賃は来月分からと釘を刺されました。しっかりした爺さんです」
「三食はどうするつもりか聞きましたか」
「向こうから、隠居夫妻と嫁の千代さんの三人の食事は幾らか聞かれたので、三食で五十文と云ったら四十八文にしてくれと言われ受け入れました。それとカラ寿司作りから売るまでに必要な物を暫く貸してくれと頼まれたので、賄方のお糸さんと相談して貰いました。相談結果は良かったのでしょう、にこにこしていました」
「兎に角、江戸に出て来てひと月で自立の道に踏み出したのですから、大したものです。見守りましょう。それでは、隣によって押上に戻ります」

 兵庫は大八車を隣の継志堂との境まで牽きとめた。
相変わらず戸は外されていたが、仮名で“くすり”と書いた紙が外の格子に貼られていた。
屋号の継志堂の看板だけでは何を商っているのか分からず、客を呼び込むことが出来ない。
須田町から移って間もなく暖簾が無いため、貼り紙は間に合わせの物だった。
 店に入ると、見るからに医者の風体をした客が居た。
兵庫は常八と目配せをし、奥へと進み勝手口からでると長屋の腰高障子が外され、中には誰も居なかった。
 道場に居るなと思い兵庫は人影が無い洗い場に回ると、そこには履物が並んでいた。
兵庫も高下駄を脱ぎ道場に入ると、そこには子供たちと障子張りをする千代の姿と、子供の遊び相手をする乙次郎や仙吉を見ている隠居の稲次郎の姿があった。

 兵庫と目が合うと、稲次郎が
「明日、こちらに移ることにします」
「そうですか、お手伝いしますが大まかな段取りを教えてください」
「朝、皆に挨拶した後、わしと千代が売り物を持って浅草寺前に店を出し、売り切ったところで駒形に戻る。その間に私物を運んでいただけないですか。それと申し訳ないが布団を暫く貸して貰いたい」
「分かりました。荷運びは、私と心次郎さんと八重さんの三人で済ませます」
「済まぬが、頼みます。それと戻ったら田鶴にこのことを伝えて置いて下さい」
「分かりました」

 左官の庄助に頼まれた捏ね桶を押上に運び込むと、兵庫は稲次郎に頼まれた用を済ますため田鶴の部屋を訪れ、話を伝えた。
「明日の朝ですか、分かりました、布団以外は今晩まとめておきますので宜しくお願いします」

 二十四日夜が明けようとする中で、山内家の者たちは未だ温もりの残る布団を畳み、外に運び出し大八車に乗せていった。
時ならぬ動きに、何事かと集まる者へ、兵庫は
「良い話です。仔細は朝飯の時にお話します」と云い手を休めることなく荷を乗せ、縄を掛けた。
少しばかり兵庫の段取りと変わったのは、荷を駒形まで運ぶ者に、具足商いの手伝いを頼んでいる中西心次郎の代わりに山内家当主の康介になったことぐらいだった。
押上と駒形は近く、荷を運び下ろし、色々とやっても朝飯までには戻れるのだから、他人に頼む必要は無かったのだ。
 明け六つの鐘に少し遅れて荷を乗せた大八は押上を出た。その梶棒を山内康介が取り、兵庫が要所で押し、八重が従った。
途中、駒形から押上に朝駆けをする子供たちとすれ違い、駒形の継志堂に着いた。
一旦荷を帳場に下ろし始めると、継志堂に寝泊まりしている倅の勇太郎や朋輩が出て来て荷下ろしは、直ぐに終わってしまった。
「鐘巻殿、お手数をお掛けしました。あとは我らで出来ますのでお戻りください」
「分かりました」
兵庫は空になった大八を牽き、押上に戻ると何事も無かったかのように朝稽古に加わった。

Posted on 2015/03/18 Wed. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第68話 自立へ(その6)】 

「場所は申し分ありませんが、二軒分の家賃はどうなりましょうか」
「家賃ですが、九尺二間より広い二間二間半ですので一軒七百文、二軒分ですと千四百文です。八重殿は引き続き養育所で雇いますので便利でしょう。ただ、雇うと言っても養育所の出費が多く、今後賄仕事で日に一朱は払えなくなると思います」
「養育所のやりくりが厳しいのは理解できます、賄仕事で一朱も頂けないのもそれが現実ですから受け入れますが、どれ程に成りますか」
「養育所では今後、飯・寝床付年三両一分で働いて頂ける方を雇うことに成るでしょう。この待遇は内藤殿も同じです。早ければ来月からにしたいのです」
「細かいことを申しますが娘が親の住まいに入る場合はどの様な俸給に成りましょうか」
「養育所として貸与えられる住まいは一家に一つです。それと、貸与する家は九尺二間を考えていますので、その家賃分の月五百文を戻します。ですから、先ほど申しました一軒分については七百文の家賃が二百文に減額されると思います。金の話は内藤殿に任せていますので、相談され取り決めて下さい」
「つまらぬことを聞き申し訳ない。これまでに家賃を払ったことが無いので今後の事も在るのですお尋ねしました」
「実は、私も家賃を払ったことが無いので、勉強しているのです。ですから、家賃を払い続けて来た内藤さんに、改めて尋ねて下さい」
「分かりました。継志堂の裏店を二軒お借りしたいのですがいつから入れますか」
「今日からでも構いませんが、他家への挨拶も在るでしょうからそれが済んだ後にして下さい。それと空き家であった期間が長いので勝手なことを申しますが、今月の家賃は頂きませんので、掃除をして頂ければ有難いです」
「分かりました。それでは行って来るか。千代手伝え」
「はい、父上様」
「お待ちください。言いそびれたことがあります。実は近々壁土捏ねなどをやって頂くのですが、汚れ仕事ですから野良着を用意しなければなりません。そのためこちらで古着を用意し広間に置いて在ります。もし、ご当主が引き続きこちらの建設のお手伝いを頂けるのでしたら、お使いください。細かい話はしてありますので分からないことは聞いて下さい」
「それは、私がしますので、千代は駒形へ行って下さい」と田鶴が言った。
稲次郎は、兵庫に話をし、得られた結果が受け入れられると判断したのだろう、直ぐに次の行動を起こすべく、嫁の千代と駒形へ内藤を訪ねていった。

 稲次郎の話を聞き、少しばかり中断した剣術の稽古を始めていると、今度は左官の庄助がやって来た。
庄助は建てている家を見に行き、大工の亀吉と話していたが、それが済むと兵庫の所にやって来た。
稽古を中断した兵庫が、面を外し、
「庄助さん、おめでとうございます。可愛い奥さんですね」
「有難う御座います。ところで壁の件ですが、どなたかに捏ね桶を運んでもらいたいのですが」
「お易い御用です。他に何か」
「先生、栄吉さん、辰五郎さんの鍛冶屋を建てるのとは違って捏ねた土は長く寝かせた方が良い家が建つのですが・・・」
「どのくらい寝かせるのですか」
「古壁を混ぜ短くしますが三月ほど待てませんか」
「うん~~~」
「分かりました。それでは私の半年近く寝かせてある壁土を使いますので、こちらで捏ねた土は何処かに穴を掘って寝かせて置いて下さい。やり方は教えますので」
「助かります。それで捏ね桶はどこに在りますか」
「これから戻って、道場の庭に置いておきます」
「分かりました、大八牽いて取りに行きます」

Posted on 2015/03/17 Tue. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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