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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第69話 なみだ(その24)】 

 昼食後の雑談が始まり、多門が、
「兵庫、お前が生まれる時、わしはお勤めで、屋敷に居たのは産婆とお前の婆さんだけだった。ところが、今、産まれようとしている子はこんなに多くの方々に見守られることに成った。有難いことだ。良い名前を付けることだ。何か考えているか」
「はい、男なら千丸、女なら千寿を幼名にするつもりです」
「千丸に千寿か、良い名だ。兵庫、前祝致そう」
「えっ! 今食べたばかりですよ。でも前祝・・いいですね。今支度しますので待って居てください」
じっと待つことの苦しさを紛らわせようとする父の意見を聞き入れた兵庫は台所に行くと、お琴に、
「親父殿が前祝すると云うので酒を出して貰えますか」
「分かりました」

 出された二升の酒は多門、兵庫、三家の主と倅、大工、剣術仲間が味わいながら、炙ったスルメ、香の物を肴に飲まれ始めた。
そして一刻が経ち八つの鐘が鳴った。
「まだ産まれぬか」と多門がつぶやいた。
「いや、父上、産まれたようですよ。走る足音が近づいています」
そして、足音が障子の影で止まり、お玉が静々と歩き直し姿を見せた」
そして廊下に座り、手を付いた。
「おめでとうございます。兄上様、父上様、伯母上様がお呼びで御座います」
いち早く立ち上がった兵庫は、廊下のお玉を抱え下げると足音高く奥へと消えていった。
「皆様方、長らくお付き合い頂きまして有難う御座いました。それでは孫と会ってきます」
多門も広間から出て行った。

 部屋に入って来た兵庫に、
「兵庫、元気な男の子ですよ」
兵庫は志津の脇に寝かされている赤子を見、志津の元気な姿も見、安堵した。
遅れて入って来た多門に、志津が
「父上様、有難う御座いました」
「男の子だそうだな。礼を言うのはこっちの方だ、よく生んでくれた」
これは兵庫と先妻・幸の間に出来た幸太郎を、恐らく兵庫の意に反して鐘巻家本家の養子に迎えたことに対し、負い目を追っていたのだ。
「旦那様、親子三人にしてあげましょう」
「お~、そうだった」
部屋から兵庫以外が出て行き、出来立ての親子三人が残された。
「志津、良くやってくれました」
「有難う御座います。やっと本当の母に成れました」
「私も父と呼ばれることに成りました」
志津の目に光るものが生じると、兵庫の目にも、うれし涙だった。

第六十九話 なみだ 完

Posted on 2015/04/14 Tue. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第69話 なみだ(その23)】 

 昼飯が終わり、皆が食後の一服をしていると、多門が、
「兵庫、ここに参る時すれ違った、身なりの良い武家はどなただ。聞かせて貰おうか」
「父上、もう隠居されたと申されたでは在りませんか。詮議はお止めください」
「詮議では無い。お前が何をしでかすか心配なのだ。わしの目にはあの供侍はなかなかの使い手と見えた。兵庫、あのような者と脇差一本で歩くな」
「これは御忠告有難う御座いました。確かに私も用心して、抜き打ちを避けられるよう少し離れ、後ろを歩きました。しかし、父上も老いたりとは言え、人を見る目がありますね」
「馬鹿者。人を見る目は老いてこそ磨かれるものだ。腕の方はその分衰えるが。兵庫、後ほど稽古をつけてやる」
「旦那様、お止めください。稽古着を最後に来たのは何時だとお思いですか」
と傍らに座っていた妻の初代が止めた。
「忘れた、覚えているのは兵庫を叩いたことだけだ」
「それは兵庫がまだ前髪の頃ですよ」
「母上、父上も少し動かれた方が、老いが遠退きますし、ここは道場ですから竹刀の音を立てないと門弟が集まりません」
「それもそうですね。旦那様も泥捏ねよりは竹刀を振る方がお好きでしょうから」
「母上、野良着から私の稽古着に着替えさせてください」
兵庫は新発田藩の目付が来た話をせずに済ませたが、それが多門に不安を残した。

 昼の一服が終わると、皆がそれぞれの仕事の持ち場に散って行った。
兵庫は再び稽古着に着替え直したが、父・多門は押し上げにやって来た時の物に着替え直し、佐吉を供に連れ、妻の初代と近くの亀戸天神への御参りと藤の見物に出かけて行った。

 そして、何事も起こらず、三月が終わり四月を迎えていた。
兵庫は、出掛けることはせずに、押上で出来ることをしながら過ごした。
日が巡った四月二日、朝稽古に変化が起こっていた。
稽古熱心な鳥羽が、昨日、今日と来なかったことと、兵庫の父・多門が加わったことだった。
その稽古場に千夏がやって来て
「兄上、母上様に陣痛が始まりました。今、お琴様がお産婆さんを呼びに行っております」と告げ、戻って行った。
それを聞いた多門が、
「初産だ、何時産まれるかは分からないが、直ぐには産まれない。稽古だ」
男たちは稽古を続けた
一方、女たちは、「朝ごはんを早めにしましょう」と初代の一言で動き始めた。
駒形から稽古に来た子供たちが帰り、暫くすると板木が打たれ、朝食が始まり、そして終わった。

 寮の主・兵庫の妻のお産というこれまでにない事態が寮内に住む者の動きをぎこちなくさせた。
特に男たちは動きを止め朝飯が終わっても部屋に留まり、産声が聞こえてくるのを待って居た。
ただ産まれたからと言って、そのために特にする仕事は無いのだが、普段の仕事をする気にならないのだ。
それは兵庫も多門も同じだったが、初代がやって来た。
「産まれるのは午後に成るようです。志津さんはしっかりしていますので無事産まれますよ」
「そうか、それでは汗を流そう」
多門が言い立ち上がると、呪縛から解き放たれたかのように男たちは尻を上げ部屋から出て行った。
大工、左官の仕事をする者、道場からは気合が上がり、竹刀が音を立てた。その音は締め切られた志津の居る部屋に届けられた。
志津に届けられた兵庫の声は変わらず、不安は感じられなかった。
それが志津を元気づけた。

 そして、昼食の板木が打たれた。
昼飯の席で、志津に付き添っていた兵庫の母・初代から
「八つ頃に産まれそうだとのことで御座います。志津さんは元気ですからご安心ください」
その事が気になって居た男たちから声が上がり、顔を緩ませた。

Posted on 2015/04/13 Mon. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第69話 なみだ(その22)】 

 兵庫の両親が押上の寮に入ったことで、家の中に居た者に少なからず緊張が走った。
出迎える志津の挨拶にさえその丁寧さが見られ、兵庫はこの緊張を早く解かねばと思った。
部屋での挨拶が終えた所で兵庫が口を開いた。
「父上、屋敷内が凍り付いてしまって居ます。父上のせいですから何とかして下さい」
「その様だが、それは、お前が日ごろ偉ぶって居るため、その親まで偉くしてしまったのだ。お前のせいだ。反省しなさい」
「そのような子に育てたのは、父のせいです」
「悪いのは二人です。ここに居ても男は役に立ちません。外で何かして普段の姿を見せたら如何ですか」
「その策、頂戴致します。父上、子供の時に出来なかったことを、私としましょう」
「まあいいだろう」
「野良仕事なので、着替えて下さい」
「それは良いな」
 先日、野良着として買った物が葛籠(つづら)から出されると多門は着替えた。
兵庫は腹掛け股引きに着替え、草鞋を履き庭に出た。
この様子は、家にいる者の目に晒されていた。
「大して草は生えていないな」
「土と親しむ場所が在ります」
兵庫が案内したのは壁土を捏(こ)ねる捏ね桶だった。
「これか、一度やってみたかった」
「一度と言わずに、子が産まれるまでやって下さい」
「それも良いが、折角だから壁も塗らせてくれ」
「皆さん、父です。壁土を捏ねて貰いますので、ご指導のほどお願いします」
と壁を塗っている三人に声を掛けた。
まさか兵庫の親が、この様な汚れ仕事をするとは考えられず、三人は応えるのを躊躇っていた。
「父上、裾が汚れます。捲り上げて下さい」
兵庫が今朝持ち込まれた壁土を捏ね桶に運び、水を加えた。
「父上、入って足で捏ねて下さい」
「分かった」
兵庫は父・多門の様子を見ていたが、
「父上、暫くすると飯の支度が出来た合図で板木が叩かれますので、井戸で足を洗って下さい」
「分かった」と言った途端、板木が叩かれた。
「兵庫! お前と云う奴は。お前も、捏ねろ」
「やりますよ」
親子二人は暫く壁土を捏ね、井戸の洗い場が空いて来たのを見て、捏ね桶を出て井戸に向った。

 昼膳を前に、兵庫と父の多門は土捏ねをした時の姿で座っていた。
「本日より暫く両親に来て貰いました。妻のお産を控えていますのでその辺りのお守りで、私にとっては有難いのです。しかし皆様方にとってはいささか煙たいでしょうが我慢して下さい。私は家を出るまでの二十年間も我慢してきたのです。皆様は十日ほどの短い間で済みます。子が産まれるまで父は暇ですので、相手をして下さい。父上、一言お願いします」
「子が親を煙たく思うのは仕方ないことです。その必要もなくなったと思い、一年前に隠居したのです。しかし兵庫が騒ぎを起こし昼寝も出来ません。昨年暮れには半月もの間、牢に入れられるなどで、元奉行所勤めとしては、お察しください。ここに居る間は、せいぜい親孝行させ、好好爺に成る日まで静かにしておりますので、倅同様、宜しくお願いします」
 多門のやんわりとした挨拶が終わり、いつもより上等の昼飯が始まり、兵庫、多門親子の奔放な食べ方が座を和らげていた。

Posted on 2015/04/12 Sun. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第69話 なみだ(その21)】 

 こうして始められた手合せだったが、村上もその後立ち会った佐伯文吾もほとんど動けぬままに二本・三本と打ち込まれ引き下がった。

「鐘巻殿、村上も佐伯も当藩では知られた使い手だが、ああも容易(たやす)く打ち込まれるとは何が足らぬのだ」
「近頃、はやりのジャン拳をやられたことが御座いますか」
「あるが、それがどうしたのだ」
「私は皆様とすれば十の内、七か八の勝ちを得るでしょう。手の内を読まれては勝てない理屈です」
「信じられぬ。試させて貰う」
こうして兵庫と目付・桜木とのじゃんけんが始まった。
そして、あいこは何度かあったが、桜木は兵庫が十度勝つ間に一度も勝てずに終わった。
「佐伯、村上、見たか」
「恐れ入っております。しかし、我らよりかなり短い竹刀で打たれたのはそれ以上の事があるのでしょう」
「そうか、山中殿の話にいささかの誇張も無かったということか」
「碁四郎さんの霞塵流は私に手の内を読ませません。正に霧の中、強いですよ」
「それで、鳥羽の技量を尋ねたい」
「まだまだですが、私は油断をしないよう心がけ相手をしています」
「そうか、侮れぬということか」
「左様です。それゆえ出る杭として打たれたのでしょう」
「なるほど。先ほどから気になって居るのでお尋ねしたい。部屋に武家の妻女と思われる者が少なからず見受けられるが、此処に住まって居るのか」
「はい、今、左官仕事をしている者は水野小次郎、中西要蔵、山内勇太郎の父親で、部屋の中の女はその妻子です」
「なるほど、それで鐘巻殿の立ち合いを見に参ったのか。それにしても多いな。何人居るのだ」
「子息の誘いで江戸に出て来た者は三家、十五人、他に時期は異なりますが奥村家が三人、仏の奥方が新発田から参りました。少しずつ独立し始めて居ます」
「三家については武家の定めの出来事ゆえ、何とも出来ぬが礼を言わせて貰います。仏の奥方については聞かなかったことにするが、礼を言う。残ったのが、奥村弥太郎殿だが未だ脈が在るのでこれから駒形に参り会って来る。失礼致す」
「駒形に新発田から来られた方で、商売を始めた方が居ます。出来れば屋敷への出入りの便宜を図って頂きたいので、会って頂けませんか」
「それぐらいなら出来るだろう。それで何の商(あきな)いだ」
「カラ寿司売りです」
「本当か、それは殿様の好物だ、土産話だけではなく、土産を持って帰れそうだ」

 押上を出た目付と伴の二人、兵庫と鳥羽の五人が歩いていると、前方から侍夫婦が小者を連れやって来た。
その侍が、兵庫に
「お尋ねします。押上に在る地天流の道場に行くのですが、ご存じですか」
「川沿いを行けば黒板塀に囲まれた家が見えます。ただ、主人が戻るのは四半刻後に成ります」
「別に倅に会いに行くのではないから、急がずとも良いと伝えてくれ」
「分かりました」
侍夫婦が去っていくと、鳥羽が
「変わった会話ですね」
「私の両親です。子供が生まれるので呼んだのです」
「鐘巻殿、カラ寿司売りのことは駒形で聞けば分かるのでしょう。どうぞお戻りください」
「カラ寿司売りは浅草寺門前の広小路に担ぎ屋台を出しています。子は親に叱られるのが親孝行と思い、親孝行して参ります。それでは失礼致します」

 駒形へ行くのを止めた兵庫は引き直ぐに返し両親に追いついた。
「父上、母上、産まれるまでは居て下さいね」
「そのつもりですよ」
「佐吉も遊んで行って下さい。その荷物私が持ちます」
兵庫は佐吉の挟み箱を奪い取り、担いだ。

Posted on 2015/04/11 Sat. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第69話 なみだ(その20)】 

 鳥羽が押上に戻ったのは皆が食事を終え、剣術仲間だけが残り雑談して居る時だった。
鳥羽の顔を見れば、誰にも上首尾だったことは分かるのだが、
「どうでした」と息を切らせて戻って来た鳥羽への気遣いが兵庫に尋ねさせた。
「先生、お目付け様が明日から動いてくれるそうです。
「それは良かった。報いるためにも稽古を励んでください」
「勿論です」
そこに、お琴が鳥羽の晩飯を持って来た。
「お昼のおかずも盛ってあるからね」
「有難う御座います」
腹を空かせて帰って来た鳥羽はしゃべることから飯を食うことに口を使い始めた、が、しゃべりたいことも在るためか、早く食べ終わらそうと頬張り、飲み込んで居た。
そして、食べ終わると
「先生、明日、昼飯を食べにお目付け様がお越しに成られます」
「そうか、それでどこまで話してある」
「話してないことは新発田から江戸に出て来た十五人の事です。ある程度はなしたことは鐘巻先生の事、奥村先生の事、剣術仲間の事、薬修業の三人の事などです」
「状況は分かりました。急がないと下屋敷の門が閉まります。今日はご苦労さんでした早く戻って下さい」

 一夜明けた三月三十日も何時もの様に始まり、朝稽古、朝飯と手順を踏んだが、稽古に来ていた鳥羽が目付を迎えるために下屋敷に戻ると、剣術仲間は少しばかり気が抜けた様子で、庭の道場へ向かう者は居なかった。
 兵庫もその雰囲気に包まれていたが、左官の庄助が庭に顔を出し
「手伝って下さい。十分寝かした壁土を持って来ました」
兵庫が出てみると、寮の外の道に壁土を乗せた.大八車三台が止まって居た。
道から寮内に入るには坂が在り、重い壁土を満載した大八車を庭内に入れるには人手が必要だった。
この様子を見て動かない男は居なかった。
皆が大八に群がり気合を掛けると、大八が引かれ、押されると動き出し、建設中の家の脇まで数条の轍(わだち)を残した。
 運び込まれた壁土は広げられた筵の上に下ろされ、左官の庄助一人残し帰って行った。
「少し捏ね桶に入れ水を加え捏ねて下さい。捏ね終わったら壁の塗り方を教えますのでやって下さい」
これで、壁塗りを任されている水野家、中西家、山内家の当主が動き出した。
土運びを手伝った剣術仲間は防具を着け始め、暫くすると気合いと竹刀の音が道行く者に届き、地天流墨東館剣術指南の看板が掛けられていることを気づかせていた。

 見た顔、初めての顔が稽古に来ては去って行った。
そして鳥羽に案内された新発田藩目付・桜木半兵衛が供二人とやって来たのは四つ(午前十時)頃だった。
気づいた兵庫等は素早く面を外し、やって来る者に向い一礼した。
「桜木様、こちらが鐘巻先生です」と鳥羽が紹介した。
「初めまして鐘巻で御座います。これらはここの教授方の菅原、高倉、根津で御座います。茶を入れますので、どうぞお上がりください」
「いや、これでなかなか忙しいのだ。申し訳ないが、同道させた佐伯と村上と立ち会って頂けませんか。山中殿が百聞は一見に如かず・・と教えてくれました」
「それは無責任なことを。折角ですから竹刀でしたらお受けいたします」
「それで良い」
「甚八郎、御客人に床几を、高倉、竹刀を」
兵庫は防具を外し、庭道場の中ほどまで出て、供の者の支度が出来るのを待った。
この様子に壁べ塗を始めていた三家の主が手を洗い、被り物を取り道場の縁の所々に敷かれていた筵(むしろ)に座した。
「村上喜十郎でござる、お手柔らかに」
「鐘巻兵庫と申します。こちらこそ、お手柔らかに」

Posted on 2015/04/10 Fri. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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