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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第70話 つきもの(その7)】 

 月初め、月は既に西山に沈んでおり、両国橋を渡り回向院の脇道に入ると手に持つ提灯の灯りが頼りになる。
その暗い道を抜け、町家が建ち並ぶ堅川沿いに来ると、灯りが漏れて来る。
足元の不安が消えると兵庫は歩きながら、養子として服部家に入る要蔵の値踏みをし始めた。
中西家からの要求がいくら高くても服部仲明は波風を立てずに払うと思うのだが、それは養子として入る要蔵にとって、心の負担になりかねない。
出来れば、仲明に高額な支度金を払わせたくはなかった。
兵庫が何故この様な心配をしたのか、それは主である中西健五郎にあった。
それは侍意識の強さだった。
しかし、それだけで仕官が出来る世の中ではなく、一芸に秀でた能力が無ければ無理だった。
表芸の武術には熱心だが我流からの脱皮が出来ずにいて、兵庫としては教え甲斐の無い弟子だった。また任された壁塗りも早いのだが、その分仕事が雑なのだ。己の将来の為に割り振られた仕事を身に付けようとする意気込みが足りないと指導する者たちの評価だった。
この健五郎に持ちなれない大金を渡すことの不安が兵庫の脳裏に渦巻いていた。

 人通りも在る道、兵庫の用心が薄らいでいた。
二つ目の橋近くまで来たところで、聞きなれた佐伯の声で
「鐘巻先生」と呼びとめられた瞬間、全身に悪寒が走った。
もし、声も掛けずに斬り込まれていたら、だが声の主は刀に手を掛けてはいなかった。
「佐伯殿、お屋敷の門はとっくに閉められているでしょう。何をなさっているのですか」
「門番には有り金を掴ませてあります。お待ちしていました」
「何の用ですか」
「用では在りません。お暇(いとま)を言うため待って居ました」
「えっ、お国に戻られるのですか」
「もう少し遠い所ですが、四人旅ですから楽しみです」
「それは急な話ですね。気をつけて」
「有難う御座います。早立ちですので失礼します」
佐伯が一礼し、去っていく後ろ姿に、消えていた影が浮かぶのを、兵庫は見たような気がし、不安に襲われた。

 一夜明けた四月六日、佐伯は昨夜会った時、兵庫に伝えたように旅に出たのか、朝稽古にはやって来なかった。
佐伯の事を兵庫から聞かされた者たちは、誰一人として兵庫の話を信じず、兵庫が何かを隠していると疑り、話すよう詰め寄ったが、兵庫は昨晩の様子を事細かに話すことしか出来なかった。
 そして、午後、それも間もなく夕飯の板木が打たれる時刻になって鳥羽がやって来た。
「先生、皆さん。内分の話ですので・・」と断わり、皆が同意を示すと話し始めた。
「昨夜、佐伯殿が下屋敷で三人を斬った後、自決されました。乱心か遺恨かを確かめるため、私もお目付け様に同道しました。斬られた三人は私が稽古総見に出るのを拒んだ上士の倅でした。私が先日、訴えたことでお目付けが事前の調べたところ、佐伯殿も三人に拒まれたとの事です。昨晩の様子を見た者の話では、佐伯殿は物に憑(と)りつかれたかのように三人を追い回し、斬ったそうで乱心と云うことに成りそうです」
「分かりました。ほとぼりが冷めた頃、機会が在ればその後を聞かせて下さい」
夕飯の板木が打たれた。
「食べて行きますか」
「そうしたいのは山々ですが、すまじきものは宮仕えです」と言い残し、帰って行った。

 そして、押上の寮内にも憑りつかれた男が居た。
夕飯の板木が打たれても、木組みの修業をする水野粟吉だった。
佐伯に憑(と)りついた憑(つ)き物を取り払うことは出来なかったが、粟吉に憑りついた憑き物は取り払う必要のないものだった。
兵庫等は粟吉に声を掛けることなく井戸へ向かった。
そして、戻る頃、広間の縁側からお美代が、
「粟吉様」と声を掛けると、やっと手を休める粟吉の姿があった。

第七十話 つきもの 完

Posted on 2015/04/21 Tue. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第70話 つきもの(その6)】 

 水野家の者たちは寮内において目立たない存在だった。
特に、嫡男・粟吉は口数も少なく、また、剣術も強くはない。これと言った取り柄は無いように見えていたが、大工の亀吉や元宮大工の彦次郎は粟吉に大工仕事の非凡さを見出した。
それを聞いた兵庫は以前、お琴の父・新吉の下で大工をしていた武家の望月格之進から貰った大工道具を与えていた。
ちなみに望月格之進は真新陰流の使い手で、兵庫に八寸の延金の秘太刀を伝授した侍である。(33話巣立ち 参照)
その粟吉が昼飯後、亀吉、彦次郎、建吉に囲まれていた。
そして、その目は輝いていた。

 目を佐伯に転じると師範代の三人に囲まれ、同じように目を輝かせていた。
父・多門や奥村が、いや兵庫自身も感じた不気味さはいささかも見せていなかった。

 午後兵庫は昼前とほぼ同じことをして過ごし、周りの者も自分たちの仕事に励み、これと言って目新しい話は兵庫に伝わっては来ずその日は終わった。

 明けて四月五日も昼飯を食べ終わるまで、特に変わったことは無かった。
ただ、この日は医師・服部家と中西家の三男・要蔵の養子縁組を進めるため、両家の顔合わせが両国柳橋の河内屋で行われることに成っていた。
その事を知る者は当事者と兵庫夫妻と少数の者だけのはずだが、新発田から来た者たちの中で知らぬ者は居なかった。

夕方、兵庫が出かけるために稽古を止めると、稽古熱心だった佐伯も止め屋敷に戻って行った。
一方、中西家の部屋には、多少変だが養子先の服部家に住み込んでいた中西要蔵が戻って来ていた。

 兵庫は着替えを手伝う志津から愛刀の源三(源清麿)を渡されたが、
「今日は、何事も起こらないと思いますが、万が一の為刃挽きを持って行きます」
と源三を返し、刀箱から滅多に使わないが折れにくい古刀の刃挽きを取り出した。
 後の用心を改めて根津甚八郎に頼んだ。兵庫は帰りに使う提灯を折り畳み懐に入れ、中西健五郎、たつ夫妻と要蔵の三人を河内屋に案内していった。

 河内屋は両国で名の知れた懐石料理屋である。
滅多なことで入れるような店ではないが、兵庫は何度か来たことは在る。だが食べた記憶はないのは、事件絡みでのんびり食べる役回りでは無かったためだ。
暖簾をくぐると店主の半次郎が出て来た。
「いらっしゃいませ。鐘巻様、男が生まれたそうでおめでとうございます。奥様が来られないと伺い、少々寂しい思いをしております」
「志津は此処の料理を食べていますが、私は恵まれていません」
「言われてみれば、その様な役回りで御座いましたな。服部様もお部屋でお待ちで御座います。今日はごゆるりとご賞味ください」

部屋は当事者が対面するように席が設けられ、その為か、仲人役を勤める兵庫が上座に座らされた。
と云うことで、兵庫がお決まりの挨拶をして、手を叩くと料理が運ばれて来た。
料理が運ばれれば当然の事、口は動くのだが、
「美味しい」とかの声は出るのだが、互いの話にはならない。
兵庫は、多少のことは話してあるのだが、まだ話されていない服部仲明のことを話し、仲明の人柄の良さを強調した。
当然の事に、仲明がおだて過ぎだと云い、話を要蔵の事に転じ、医術への向学を褒めた。

 仲明の人となりは倅の要蔵から聞かされている父の健五郎の腹は決まっている。
ただ、この様な時問題になるのが立場の強弱で、その考え方次第で養子の値段が大きく変わることに成るのだ。
この辺りの事で折り合いをつける大役が兵庫に託されていた。
ただ、この日は初顔合わせで、その様な生臭い話は抜きだったが、河内屋の費用は仲明が持ったのは言うまでもない。

 料理に酒が健五郎を饒舌にし始めた所で、五つの鐘が鳴った。
「皆様、申し訳ありませんが、私事で今晩は此れにて失礼させていただきます」
兵庫が五つに席を立つことは事前に知らせてあり、引き留められることもなく河内屋を出た。

Posted on 2015/04/20 Mon. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第70話 つきもの(その5)】 

 一休みした後、再開した稽古は、居る者の総当たりで行われた。
この総当たりの稽古は兵庫、菅原、高倉、根津、佐伯の五人で行われたため、一人余るのだ。兵庫との稽古を終えた者が休みを取ることにし、また兵庫自身は四人の相手が終わり一巡したところで、全員が小休止し、兵庫が気が付いたことを話した。

三回目の小休止の時、佐伯が
「鐘巻先生、もう花を持たせて戴かなくても、稽古に耐えますので、皆様と同じように立ち会って下さい。私より強い菅原殿、高倉殿、根津殿が私以上に先生に打ち込まれているのが不思議でしたので、休みが回って来る度によく見て分かりました」
「分かりましたか。もう十分熟達している証ですよ。もう失礼は致しません」
「有難う御座います」
兵庫はこの時、父多門が言った、佐伯の影が消えたように感じられた。だとすればあの影は何だったのだろうか、分かる筈も無かった。
 四回目の総当たりが始まると、兵庫の気合いが高くなった。
どうやら、花を持たせて貰っていたのは佐伯だけでは無かったようだった。
改めて本気になった兵庫の強さを四人は思い知らされた。
 それを救ったのが、時折り近所から稽古にやって来る者たちだった。
その時は、荒稽古が平静に戻るのだが、稽古は師範代として日に一朱の金を貰っている菅原、高倉、根津の三人に任され、兵庫は押し上げでは遊び相手の少ない北島縫の倅・象二郎と遊ぶことが多かった。

 今日も、兵庫は象二郎と外に出て行くと、象二郎の母・縫が表の道沿いに作った茶店で娘の花代と同じく娘だが赤子の恵介をおんぶした染と働いていた。
染は鍛冶職人の辰五郎の所へ。花代は飾り職人の栄吉の所に先日押しかけ女房として入り、皆を驚かせたのだが、北島家の女は此れまで料理を下女に任してきたのか母も子も料理はからっきしで、嫁いだ次の日から料理を習いに押上の寮に通っていたのだ。
「皆さん、飯の炊き方を覚えましたか」と兵庫がからかった。
「ご飯も汁も今は旦那様が上手に炊いてくれます。暫くしたら、奥様に習います。奥様の手料理が好きだそうです。同じ押しかけ女房なのに違うと云うのです。鐘巻様はお幸せですね」などと三人から三倍返し以上が返って来た。
「象二郎、分かったか。一言云うと何倍にもなって帰って来るから気を付けろ」
「はい、私には母上の料理も美味しいです」
「そうか、象二郎は良い子だな」
「母上、またスルメを焼いて下さい」
スルメを焼くのも料理の内か象二郎のおねだりに、口をへの字に曲げた縫を見て、兵庫は笑いを堪えた。

 兵庫により呼び込まれて来た者は己自身の為に日々変わろうとしていた。
それは奥医師に仕え、御殿風の心得に励んできた北島家の女たちも変えて来ていたのだ。
兵庫と象二郎が遊んでいると、建具師の建吉がやって来た。
「先生、良い所で会いました」
「何ですか」
「以前、お話頂きました、表の通りに二十間の店を作る話ですが、大工の亀吉さんから水野粟吉さんを使ってくれと頼まれました」
「粟吉さんが腕を上げているのですね」
「その様です。当初は表の黒板塀を外し、一気に仕上げてしまおうと思っていたのですが、出来るだけ粟吉さんに作らせようと思い、黒板塀は外さずに建てます。長い間塀が無くては物騒ですからね」
「その辺のことはお任せしますが、どの様な店が入るのですか」
「皆さんからやりたい店、在った方が便利な店を尋ねたところ、今、聞いているのは食い物屋、土産物屋、雑貨屋、八百屋、魚や、乾物屋、佃煮、茶店などです」
「その数ですと間口二間ほどの店が並ぶのですね」
「そんなところです。母屋に入る木戸と木戸番も作りますからね」
話していると、昼飯を知らせる板木の音が聞こえて来た。
「飯を食いに来たようになってしまった。お琴ちゃんに頼んできます」と建吉はいち早く寮内に入って行った。

Posted on 2015/04/19 Sun. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第70話 つきもの(その4)】 

 朝稽古に参加した佐伯は自分の腕に自信をもって持って居たのだが皆に力の差を見せつけられた。
師範代の菅原、高倉、根津の三人にも後れを取ったのだ。

 朝飯には久しぶりに志津も同席した。
特に派手な物を着てはいないのだが持ち前の器量の良さに加え、動き一つ一つが美しく目を引くのだ。
その志津が兵庫の隣に座り、志津が兵庫の妻であることを知った佐伯の心も打ち負かされていた。
多くの老若男女との慣れぬ食事を終えた佐伯に、兵庫が
「稽古は如何でしたか」と話しかけた。
「天狗の鼻をへし折られました」
「そうですか、私は数日、ここで過ごしますのでお付き合いしますよ」
「お願いします」

 佐伯は食後の稽古に熱心だった。
誰よりも先に道場に立ち、菅原、高倉、根津に立ち向かっていた。
そして、兵庫がやって来ると、独占するように挑んでいった。
その事を誰も咎めることをせずに、二人の稽古を眺めた。
それがいつも自分たちと立ち会う兵庫との違いを三人に見せることに成った。
明らかに余分な動きをしてから面打ちを試みていたのだ。
その事で十度に一度程度だが佐伯が兵庫の籠手を打つようになったのだ。
それは朝、兵庫と碁四郎の三本勝負の時、碁四郎が立て続けに見せた二本取った籠手打ちを思い出させた。
三人は顔を見合わせた。
兵庫と付き合いの長い根津甚八郎が小声で、
「菅原さん、高倉さん。先生が何を考えておられるのか確かめますので、気が付かなかったことにして下さい。
「分かった」

 佐伯が兵庫を離さなかったことで、別の小さな変化が起きた。
それは、お美代が千丸のおしめを洗い始めたことだった。
「お美代、すまん」と兵庫は立ち会いながら井戸に向って叫んだ。
「先生は剣術をして下さい」の返事が戻って来た。

 お美代は、須田町に継志堂が開店した時に店主の益次郎に雇われた下女だったが、その継志堂が須田町から駒形に独立する時、兵庫が連れて来て暫く駒形で働いていた。
中西家が独立して押上から駒形の裏店に居を移すと、お美代は男世帯の駒形から女世帯の押上に移り、お琴らと寝起きを共に、継志堂では働かず押上の仕事をしていた。

 兵庫がお美代に向って息を吐いたのがきっかけだった。
「先生、少し休ませて下さい」と頑張りとおした佐伯がやっと音を上げた。
「私も喉が渇いた。茶でも飲みましょう」
広間の縁側に座り、出された茶を飲んでいると、赤子を寝付かせた志津がやって来た。
「旦那様、明晩の河内屋の事ですが、お戻りは何時に成るでしょうか」
志津の投げかけには、兵庫の今後の行動をわざと佐伯に知らせる狙いが隠されていた。
「私は一刻程付き合い、五つの鐘を聞いてから河内屋を出、両国橋を渡り戻ります。甚八郎、その間留守番を頼みます」
「分かりました」
「それにしても佐伯殿は、鳥羽殿より明らかに腕が立つのに、なぜ稽古のやり直しをするのですか」
「恥ずかしながら、私には鳥羽殿に在る、気骨と武芸に取り組む姿勢が足らなかったことを思い知らされたからです」
「しかし、それは修業を終えた貴方に、その事は求められるものではないでしょう」
「そうかもしれませんが、私には修業時代にも無かったのです。ですからこれまで行われた稽古総見で下士を理由に拒まれてもただ不甲斐なく諦めてきました。鳥羽殿を見て遅まきながらその気に。冷えた鉄を今さら打ってもだめでしょうがお願いします」
「佐伯殿は鉄では在りません。銀ですから磨けば良いのではありませんか」
「お世辞でも嬉しいです」

Posted on 2015/04/18 Sat. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第70話 つきもの(その3)】 

 四月四日の明け六つの鐘と同時に起きた兵庫は、昨日と同じように千丸が汚した物の洗濯をし、物干しに干した。
どうやら、此れが兵庫にとって新しい日常の始まりのようである。
寮内に住む者たちが庭道場に集まり竹刀の音と気合いを立始めた。
この一時が新発田から来た者にとって侍に戻れる一瞬であり、それゆえに気合が入る。
運よく兵庫との稽古が出来ると、手直しを受けることに成る。
皆、来た時に比べれば腕前が上がっているのが自覚できている、その自覚が滅多に朝稽古を休ませなかった。

 そして近くに住む高倉や菅原の師範代役や近所の大名屋敷からも朝稽古にやって来る者も居た。
少し遅れて、新門の若い者、根津甚八郎、山中碁四郎がやって来た
そこで兵庫は、稽古を抜け出し碁四郎と稽古場の外で話し始めた。
その話は直ぐに終わり、兵庫も碁四郎も稽古に加わった所に、稽古支度を整えた佐伯文吾が駈け込んで来た。
それを見て、兵庫は一旦稽古を止めた。
「本日より稽古に加わります佐伯殿です。かなりの腕前ですので紹介します。」
「佐伯です。宜しくお願い致します」
「師範代の皆さん、稽古相手をして下さい」
「その前に兵さん、悪いが用が在って戻らねばならぬので、久しぶりに三本勝負頼めますか」
「そう云えば、暫くやって居ませんでしたね。やりますか」
この道場の双璧である兵庫と碁四郎の手合わせは滅多に見られない。広い庭道場に二人が立つと他の者は皆見物に回った。
その勝負は兵庫、碁四郎、碁四郎と勝ちを取った。
「やっと勝てた」と碁四郎が喜んだ。
これまでに三本勝負で兵庫から勝ちを得たものは居ないのだから、喜ぶのは当然だったが、この勝負に首をかしげたのが少し遅れて駒形からやって来た奥村弥太郎だった。
「さ~、皆稽古を始めて下さい」と兵庫がいうと、子供たちも加わり稽古が始められた。
何時もなら子供たちと稽古をする奥村が兵庫の所にやって来た。
奥村の目は誤魔化せなかったと兵庫は思った。
「奥村先生、父上から佐伯に気を付けろと言われましたので、籠手に隙が在ることを見せたのです」と小声で言った。
「そう云うことか、先日会ったがわしも佐伯が好きになれなかった。それにしても奴にわざわざ狙われるのか」
「狙われるとすれば、私、碁四郎さん、奥村先生ですよ。斬ってもあとくされの少ない浪人並ですからね。先ず私が佐伯の的に成りますので、間違っても佐伯との稽古で負けないで下さい」
「それは、やってみなければ分からぬが、菅原といい勝負をしているから気を引き締めぬと取りこぼすかもしれぬな。その時は夜歩きをせぬようにするよ」
「そうですね、私は夜歩きをしないと決着が遅くなりますね」
「ところで、斬りかかられたら斬るつもりか」
「それは何んとも、しかし五日の晩の夜、出歩く用があります。その時は刃挽きで相手をするつもりです」
「その様な物を持って居るのか」
「私は奉行所与力の家の出ですから、手助けをすることも在るのです」
「なるほど。斬らずに不具者にするつもりか」
「私を襲うなら、気の毒ですが全力で戦い打ち負かすことに専念します」
「遠慮していてはわしの様に手傷を負うからな」
「先生とは事情が違いますが、不意打ちから始まるか、堂々の勝負かでこちらの余裕も大きく変わりますから、刃挽きとは言え修羅場に成りかねません。言えることは勝たねばならぬと云うことです」

 この後、奥村は稽古に加わり、挑んできた佐伯を容赦なく打ち負かし、駒形へ戻って行った。

Posted on 2015/04/17 Fri. 04:01 [edit]

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