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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第76話 十軒店(その28)】 

 夜明け前、目覚めた一番店の魚屋に寝ていた中西肝太郎は裏口から外に出、空を見上げた。
穏やかな空に雲が浮かび、東の空には月末の細い月が、これから昇る朝日の光の中に星と共に消えゆく運命を待っていた。
「これなら花火の人出も多そうだな、儲けさせて貰おうか」と今年、新発田から出て来たばかりで、隅田川花火の賑わいを知らない肝太郎が呟いた。
 部屋に戻った肝太郎は妻のきねに、
「花火はイカ焼きで勝負する。七輪などを集めるように頼んで下さい」
と云い、魚盥を担ぎ河岸へと出ていった。

 そして鐘が鳴り、日が昇ると一膳飯の客が飯屋に入り始めた。
大方は三十二文の朝飯を食い十六文の昼の握り飯を買い出て行った。
飯は兵庫の意見を入れ、量が多いのが売りである。握り飯は、最近来なくなったが以前仕事場で食べる弁当を頼んでいた畳職人・弥助の注文で始まった商品である。
朝飯の客は多くはないが、十軒店以前の茶店時代からの客が固定客に成り始めていた。

 花火は江戸っ子にとって楽しみの一つである。
夜の行事だが、実際は昼前から始まる。
それを当てにして、商売人も客の集まりそうな所に集まる。
ここで云う商売人とは屋台で大方は、競争の激しい橋のたもとに陣取る。
押上まで商売しようとやってくる屋台はいない。
しかし、そこに店を出した十軒店では商いのために客を呼び込まねばならない。
その仕掛けが、美白粉の販売だった。 
女たちは、やって来た客に良い印象を残すように、丁寧だが地味な応対に心がけ、再来を願ったが、こと美白粉の話に及ぶと積極的に話し合い、要望の聞き取りが行われた。
 それは昨晩、女たちが話し合ったことだった。
それは、自宅では美顔の為に閉じ籠る時間も部屋もないと云うことだった。
それでは、美白粉を買っても試すことが出来ないから、わざわざ押上まで買いに来て貰えない。
昨晩の話し合いでは、買い物に来た客に化粧をする場所を貸してはどうかだった。
美白粉に興味を示した客への聞き取りは、買い物に割ける時間の長さだった。
店側としては、その時間内で買い物を済ませ、美顔を施す手立てを考え出すことだった。

 そして、時が経った昼前、飯屋と茶店に“本日は花火。場所、料理、酒など用意致します”の張り紙が貼り出された。
そして、腹が空いている者が通りかかった道に、肝太郎が大量に仕入れたイカの焼かれる匂いが流れ始めると、空腹に抗しかねた客が飯屋に入っていった。

 そして更に時が流れ八つの鐘が鳴った。
一番店から四番店までの魚屋、八百屋、味噌・醤油屋、乾物屋に、着飾らないどう見ても地元の女が店の者と話しをする姿が目立ち始めた。
そして手ぶらでは帰らず何かを買う様子を見せた。
「有難う御座いました」の声が店の外にまで出、これが新たな客を招いた。
そうした中、何の用か女たちが順番に店を離れ、暫くすると戻って来た。明らかに化粧をした様子だった。

 夕暮れを知らせる七つの鐘がなった。
そして、夕飯は握り飯、早く食べイカ焼きを手伝って欲しいと、女たちの触れが男たちに回った。
兵庫と甚八郎は直ぐに飯を食い汁を啜り、茶店の前の台に乗せられた七輪に向った。
イカ焼きはゲソ付き一杯二十文だが、安いのか焼けると売れていった。

夕日が山の向こうに落ち、十軒店に明かりが点った。
また十軒店にやって来る客の為に高張提灯が表の道を照らす様二箇所に立てられた。
暮れ六つの鐘が打ち鳴らされた。その音が合図だったのか、続いて“ド~ン”と音がして一発目の花火が打ち上げられ、待って居た花火が始まった。
幾つか花火が打ち上げられたところで、いつもより粧(め)かした女たちが茶店の裏口から現れた。
そして、外に出てきて、置かれている縁台に座わり花火を見始めた。
その様子を見た者はあまりの美しさに歩みを緩めた。だが通行人の人数は昨日と比べ多いとは云えなかった。
そして、通行が途絶えた。
店が閉められ、皆が兵庫と志津のもとに集まってきた。
「花火の客は来ませんでしたね」と、兵庫が残念そうに云った。
「はい、でも十軒店を知らしめることは出来たようですよ」と志津が応えた。
「美白粉が上手く行きそうなのですか」
「それはまだ先の話しですが、今日は地元のお客様が来られ、魚、青物、味噌、乾物を買って行かれたそうです。安いと言って・・・」
「そうでしたか。十軒店の認知は安いだけで十分でしたか」
「お疲れ様でした」
花火が咲くたびに、子供たちが声を上げ、照らされた十軒店が暗い空に浮かび上がっていた。

第七十六話 十軒店 完

Posted on 2015/10/07 Wed. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第76話 十軒店(その27)】 

 昨晩、女たちの話し合いは宴の後も広間で、しかも志津を加えて続けられた。
その為か、あるいは新婚の甚八郎夫婦への気遣いからか、嘉永六年五月二十六日、養育所の目覚めは幾分遅く、明け六つの鐘が合図だった。
とは言っても、朝の仕入れで河岸に向う肝太郎は押し上げをとっくに出ており、両国橋を渡って居る頃だった。
 兵庫は表の十軒店の雨戸が開けられる音を聞き、その日を始めるため蚊帳を抜け出した。
稽古着に着替え、千丸の汚れ物を洗い、干し、表の通りに出、十軒店の様子を確かめ、声を掛け合い道場口から中に入り、道場に来ると、甚八郎が身体の筋をほぐしていた。
「お早うございます」と新婚の朝のテレを隠そうとでもするかのように、大きな声が兵庫に掛けられた。
「お早う。子供たちの事頼むぞ」

 そして、男たちの朝は何時もの様に流れて朝飯と成り、それも終わったとこで、
「先生、昨晩のお話ですが、十軒店にお客様を呼ぶための仕掛けに使いたいので、裏の作業部屋を花火の日まで使わせて下さい」とお仙が口火を切った。
「二十八日までなら構いませんが何に使うのですか」
「御客様に色白粉を使い、化粧糊を作り、顔に塗り、落すところまでを教えるのです」
「その前に、私たちも稽古をしないといけないのです」
と女たちが笑った。

 こと美の追求となると女の目の色は変わる。
そして、惜しみなく行動をする。
女たちは男に一々相談するっことも無く、糠とうどん粉を仕入れに動いた。
実はそれより早く、昨晩の内に行動は始まって居た。
それを兵庫が知ったのは朝飯後、自分が食べた膳を片づけに台所に行くと大鍋に水が張られて居て、その底に白い物が沈殿していた。
これまで見たこともなかった光景に
「何ですか」と尋ねた。
「お米のとぎ汁ですよ。沈んだ物が奥様秘伝の美白粉になるそうです。ここ押上の養育所だけでも一日一斗お米を炊きます。とぎ汁も沢山出ますので昨晩から作ることにしたのです」と手伝いをしていたお松が応えた。

 兵庫は時々十軒店の様子を見に表通りでた。
人通りが変わる様なことは無かったが、変わる兆しも伺えた。
それは、外から道場に通う武家の子息が、稽古帰りに近藤の手習い塾に寄る姿が見られた事だった。
文武道場の相乗効果が芽生え始めていた。
そして、“みそ、しょうゆ”の看板を吊るす水野よねの店の格子に、“美白粉明日入荷予定。使い方教えます”の貼り紙があった。

 この日、入荷した糠とうどん粉の一分が篩に掛けられごみが取り除かれ粒子が揃えられた。そして、昼が過ぎ暫くして、茶店や飯屋の客が途絶えたところで、十軒店から大人の女が抜けた。
抜けた女たちは裏の仕事部屋にこもった。
その仕事部屋で何が行われたのか、兵庫は後で志津から聞いた。
それは、糠とうどん粉をどのように溶いて塗り薬状態にするか、塗り方、その後の洗顔まで、現在のパックに似た処置を志津が指南したのだ。

 そして二十七日、十軒店の、何故かみそしょうゆの店で“女のみかた 美白粉”の貼り紙が出され、売り出しが始まった。
貼り紙に気が付いた客には説明がなされ、希望者には手ほどきがなされた。
そしてその評判は良かった。
反面、およそ四半刻(30分)掛かる処置を自宅で隠れてすることは出来ないとの意見も出た。
そして、その晩も女たちの話し合いが持たれた。

Posted on 2015/10/06 Tue. 04:01 [edit]

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janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第76話 十軒店(その26)】 

 明かりを落とさない飯屋と茶店に養育所の建屋内に居る者全員が集まった。
その数は、
鐘巻兵庫・志津・千丸
預かって居る子供たち:千夏・小夜・お玉・お鶴・お松・お竹・知代そして正三・観太
根津甚八郎・お琴
水野賢太郎・よね・粟吉・久美・岸
中西たつ・肝太郎・きね
北島縫・象二郎・森蝶
近藤小六・綾
常吉・お仙
茂吉
佐吉
下総屋益衛門・くら
なんと三十三人だった。

夕膳を未だ食べていない店番をしていた者には膳が、子供たちには汁粉が出され、少々だが酒も用意された。
「皆さん、本日は朝早くから暗くなるまでお疲れ様です。お蔭様で根津甚八郎殿とお琴殿の婚儀並びに十軒店全店の開店が出来ました。双方にとって目出度い門出した。先ず二人の披露宴はお琴が気疲れしていますので、二人から一献を受けて頂き、その後甚八郎の挨拶が済みましたら、二人には退場して貰います」
立ち上がった甚八郎とお琴が、酒を注いで廻り席に戻った。そして、
「皆様のご支援で身に余る挙式が出来ました。これからは二人力を合わせ働き、恩返しをしたいと考えて居ます。有難う御座いました」と甚八郎が挨拶し、二人が頭を下げた。
「志津、お琴を頼みます。皆さん、お食べ下さい」

 男たちに酒が入り始めたところで、兵庫が立ち上がった。
「次は、二十八日の花火の日までに十軒店の名を広めましょう。今は十軒店にわざわざ来るのでなく、たまたま通りかかった方が立ち寄るだけです。来月からはわざわざ買いに来る人を増やすのです」
「先生、この辺りの客がわざわざ買いに来させるには、値段ですよ」
「その案採用しますが買い物をするのは女ですから、街中より安い売り物があることをどの様な手段で知らせるかです。それを考え、実行に移しましょう」
「女を引き付けるにはいい男を店番に置くことだ」と常吉が云った。
「お仙さんに引き付けられた御方の云うことですから、その案採用したいのですが、歌舞伎役者の様な色男は見当たりません。私にしても常吉さんにしても店の近くに居ない方が客も逃げません」
「ちがいねぇ~」
「おい、先生と一緒にしねぇでくれ」と常吉がすねた。
「何言ってんだよ。先生は奥様を引き付けたんだよ。男は顔じゃないよ」
と、お仙が云い、兵庫を見た。
「お仙さん。わざわざ見ないで下さい。傷つきますから」
笑いが生じた。
兵庫は自他ともに認める醜男(ぶおとこ)なのだ。
「此処は養育所ですよ。女を引き付けるために男を使うのは止めましょう。もう少し捻って女を引き付けるのに女を使いませんか」
と、こうした話題には?と思う近藤小六の母・綾が云った。
「綾様、女を引き付けるのに女って、まさか奥様のことではないですよね」
「奥様に御願いすれば早いのですが、それは違いますよ。皆様の信心で御座います」
「信心、何への信心ですか」
「色の白きは十難隠す。色白粉を置くのです。その色白粉を使った成果が、お美しい皆様ですよ」
「色白粉とは糠のことですか」
「はい、皆さんが信じて使うことで、色白を求める女は集まりますよ」
「そう云えば、綾様は色白で御歳より肌が若いですね」
「有難う御座います。貧乏で糠味噌と暮らして来たためでしょう」
「色白粉について何も分かりませんが、何か手伝うことが在れば言って下さい」
と兵庫が閉めたが、女たちは男の与太話には加わらず、話を続けていた。

Posted on 2015/10/05 Mon. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第76話 十軒店(その25)】 

 そして第二部、身内の宴はそのまま、十軒店で始められた。
夕暮れ時はその日を終わらせるための輝きを見せ、その輝きに人が引き寄せられていく。
日中はあふれる光に、人の目は光の届く世界をさまよい、定まらず、必ずしも十軒店には注がれない。
しかし、辺りが光を失うと光を点(とも)した十軒店に人の目が注がれ、店頭近くを人が歩き、あるいは立ち寄る姿が見られる。
「御覧のように、今は宴には不向きのようですね」と兵庫が仲人や根津作左衛門に言った言葉だった。

 客人の見送りを済ませた甚八郎とお琴も、同じように十軒店の各店に挨拶をし、
「飯屋で夜更かしをしていますので、手が空きましたらお越しください。お礼の酒を注がせて貰います」
「分かりました。お蔭様で盛況で、ひと段落しましたらお伺いいたします」
どの店でも、同じような会話が交わされた。
じつは、各店の約束事が出来ていたのだ。
それは、客が来なくなったからと云って、六つを四半刻過ぎるまで店を閉めないと云うことだった。
これは十軒店の成り立ちを皆で強く認識するためで、兵庫の知らない内に決められた事だった。それも最も客の少ない“てならい”の看板を掲げる近藤小六の母・綾の「十軒店は常に十軒が開け協力しなければいけない。先生が大きな幟を作ったのは養育所の助け合いを私たち店子にも分からせるためです」と云い、皆も納得し決まったことなのだ。
 これで面白い現象が起きた。
客の来なくなった“てならい”塾に、子供たちが集まって居たのだ。
中からは論語の素読(そどく)の声が外に漏れ出していた。
此れさえも、子供たちも納得した上での演出だった。
十軒店の成否が将来の自分たちの為にいかに大事かを聞かされ、論語の勉強を始めたのだ。
男の子は駒形で素読はやっていたが、女の子の素読は行われて居なかったのだ。

 十軒店に挨拶を済ませ、待ち合わせ場所の飯屋に入ると、やっと暮れ六つの鐘が鳴った。
暮れ六つは便宜上18時頃と成って居るが、実際は日没後約三十分で外は歩けるが薄暗く、家の中は暗い。
参考までに書くと、江戸で夏至の頃の暮れ六つは19時36分、当時の頃は17時17分と云う計算結果が在る。

 暮れ六つの鐘は締めくくりの鐘である。
多くの寺社の門が閉じられるのだ。亀戸天神も例外ではなく、その門前町も店を閉じていく。天神帰りの人が十軒店前を通る、それが茶店や飯屋の最後の客に成る。
その帰り客と思われる者がやって来た。
「飯屋が在りますよ。暖簾は出ていないが、明かりがついて居ます」
声が聞こえ、足音が近づき、引き戸が開けられた。
「やっていますか」と覗き込んだ男が尋ねた。
「はい、ただ今日出来る物は鯛めし一品で、六十文に成りますが・・・」とお美代が様子を伺った。
「それで結構です。三人ですが、御願できますか」
「はい、明かりを点けますので、あちらのターフルにお掛け下さい」
「ターフル?」と戸惑ったが、先客である兵庫等の様子を見て納得したようで、残りの
二人を招き入れ、物珍しそうにターフル席に着いた。
その席にお美代が燭台を置いた。
「何か、変わって居ますな」
「はい、オランダ風の食卓で御座います」

暫くして、鯛めし、シジミの味噌汁、菜の煮物、新香が折敷に乗せられ運ばれて来た。
「味噌の良い香りがしますね」
「はい、良い味噌を使った、作り立てです。鯛飯もご賞味ください」
 客が食べ始め暫くすると、お仙が商いを終わらせる拍子木を打った。
各店の雨戸が閉められ外に漏れ出す明かりが無くなった。
飯を食べ終わったこの日最後の客は代金百八十文を払い、「美味しかったです」と云い、提灯に火を入れ帰っていった。

Posted on 2015/10/04 Sun. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第76話 十軒店(その24)】 

 十軒店の道場口を通り、養育所内に入ると、喧騒が子供たちの甲高い声に変わった。
「確かに、ここは養育所だな」作左衛門が云い、一人頷いた。
「以前は四面を黒板塀に囲まれた札差の寮でしたが、養育所としては少々物騒でした。そのため道場を開き、更に此処の道場の者が強いことを知らしめました。場所を得て、保安を高めましたが、これらを持続させるには金が必要です。駒形では具足屋と薬屋を営み、押上では十軒店を開店させました。黒板塀が十軒店に変わることで一部人が住み込み保安も高まりました。十軒店は商う者の夢を叶えるための道場でもあるのです」
「道場?」
「はい、あの子供たちの・・・」
兵庫は道場で竹刀を振り気合を掛け合う子供たちを指さした。

 甚八郎とお琴の披露宴は来客と押上養育所内に住む者との二回に分け行われることになった。
人が多いこと、十軒店で働く者たちの都合、他に駒形から来ている子供たちを暗くなる前に帰したいことなどがあった。
 広間に大人たちが座ると、子供たち全員が大人の膳を運び、運び終えると、今度は自分の膳を運び座った。
膳の上げ下げは子供たちにとっては普段から行っていることなのだが、客人の多くが初めて見ることであり、その動きを整然としたことに感心していた。

宴は無礼講で酒も出たが、子供たちの好奇の目もあり、座が乱れることは無かった。話題は甚八郎とお琴、源次郎とお道、富三郎とさえの三組の苦労話を、本来なら後の宴のでる筈の娘たちが、途中からやって来て尋ねたのだ。
町娘が武家に嫁ぐ時の苦労が話され、
「お父様の許しが得られないの」で誰もが話を終わらせた。
娘たちの聞きたいことが終わると、男が尋ね始めた。
「それにしても双子のお道とお琴をよく見分けられたな」
「初めは見分けがつかず困りました。それで、お道とお琴が相談して見分けられるようにしてくれたのです」
「大助は知って居るよ。お道お姉ちゃんには黒子が在るんだよ」
「大助、教えちゃ駄目」とお道が大助をにらんだ。
大人たちに笑いが起こった。
娘たちが興味を示す話題が暫く続いていたが、話題がそれぞれの近況へと広がった。
「鐘巻先生。来月から主が代わります」と轟は唐突に言った。
「轟さんが選ばれましたか。稲葉殿が困っておられたのでつい、兄に相談して下さいと言ってしまいました」
「その辺の事情が今でも分からないのですが、鐘巻先生のお勧めならと受けることにしました」
「轟さん。一緒に行く中間は誰に成りましたか」
「恵三です」
「古参与力が代替わりで新参に成りましたので苦労されると思いますが、きっと満足する御役を与えられると思います。腕前を生かす機会も多くなりますので稽古を怠らずに」
「物騒な話ですか」
「私からは話せませんので、新しい主が頃合いを見て話してくれるでしょう」
これは轟が南町奉行所与力稲葉永太郎の願いで、鐘巻家から稲葉家へ移る話なのだが、少々血なまぐさいので、これ以上話されなかった。
御開きでは、若い女たちから厳しい目で見られた根津作左衛門が、
「武家には武家の都合がある。それが非情なことは分かっているが、普段大したことをせずに禄を食んで居る都合上、何か起こればはせ参じるならわし。だが何が起こっても、甚八郎をその為に呼び戻すことはしない。お琴、それで赦してくれ」
お琴が、涙ぐんで頭を下げた。
 手に引き出物を持った客人たちを夕やみ迫る外に出た。
本来なら、仲人、甚八郎とお琴の両親はこれから行われる宴にも顔を出すのが筋だが、兵庫は十軒店を見て貰い、次の宴を行うには半刻以上待たねばならないことを納得させ、帰って貰うことにしたのだ。
納得した者たちが十軒店の者たちに一軒一軒に立ち寄り、挨拶をし、他の客人たちと帰っていった。
兵庫たちはそれを見送った。

Posted on 2015/10/03 Sat. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

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