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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第二十話 長雨(その5)】 

 兵庫が八丁堀の鐘巻の屋敷に着いた時、父も兄も奉行所に出かけており留守だった。
部屋で待っていると母が憔悴の消えない兄嫁の玉枝を連れ、入ってきた。
「姉上、幸太郎のことよろしくお願いします」
玉枝は寝ている幸太郎を見ながら
「はい、お預かりします」
そのか細い声に母を感じたのか、兵庫の脇で寝ていた幸太郎が目覚め、泣き出した。
兵庫が抱き上げあやしたが泣き止まない幸太郎だった。
「姉上、お願いします」
兵庫が抱いていた幸太郎を玉枝に渡すと、玉枝は泣く乳飲み子を抱き部屋を出て行った。
赤子に微笑みかける玉枝が消え、泣き声が遠のき、やがて泣く声が止んだ。

 兵庫は五月雨の降る中、八丁堀の屋敷を後にした。
「幸、すまぬ」
幸の命と引き換えに生まれてきた赤子を手放してしまったことを詫びた。
再び降り始めた五月雨が傘を差す兵庫の頬を濡らし、落ちていった。

兵庫の身に起こった不幸を知る由(よし)も無い岡部が板橋の店を譲り受けた代金の一部を納めに駒形の兵庫の家にやって来たのは五月の末日の二十九日だった。
いつもなら開いている大戸が下ろされたままなのを見て留守かと思ったが、試しにくぐり戸を押すと開いた。
中を覗き一歩足を踏み入れると、淀んだ空気の中に何か香の匂い。
“線香か?”と思いつつ奥に向かって
「兵庫、俺だ!岡部だ」
何度か大声を出しても、誰も出てこず、返事もなかった。
やはり留守と思ったが、そのうち戻るだろうと草鞋(わらじ)を脱ぎ上がり、奥の台所へ行くと、締め切った座敷を照らす蝋燭の薄明かり中に兵庫が横になっていた。
驚いた岡部が、兵庫に歩み寄り
「兵庫、しっかりしろ」
と両肩を持ち揺すった。
「おかべさん」
髪も伸び、無精ひげを生やした兵庫が力なく応えた。
岡部は雨戸を開け、外気と光を部屋の中に入れると、起き上がった兵庫が白木の位牌に線香を上げていた。
朧気(おぼろげ)ながら事情を察した岡部が位牌を見ると、斜めに貼られた‘幸太郎’の文字の下に‘・・幸妙信女’の法名
「ご新造か?」
「はい、九日の朝、幸太郎を産み力尽きました」
「その幸太郎はどうした」
「昨日、兄嫁に預けました」
何故、もっと早く知らせないのかと、口に出そうになったが、知らされても大したことは出来なかっただろうと思うと、声にならなかった。

Posted on 2012/03/18 Sun. 06:09 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学