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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第91話 夜空(その9)】 

 逸見一家が養育所に着いた時、兵庫は向島で子供たちの剣術の稽古に付き合って居た。
直ぐに乙次郎が呼びに行き、一家三人は母屋に迎い入れられた。そこは三人にとって別世界だった。女の子たちの声が笑いご交じり漏れてくるが与八郎にとっては、そこは脂粉の香りない女の館だった。上がる土間脇の板の間には上品な衝立障子に隠されているが、積まれた米俵の山が頂を見せていた。それは小四郎にこの屋の豊かさを思わせ、迎えに出た志津の様子の良さ、明日の月見に奏でる箏の稽古は雅な世界を皆に思わせた。
「養育所と看板が掛けられていましたが、お子さんは何人ですか」と小四郎が訪ねた。
「こちらには、女の子が八人、駒形には男の子が十五人預かっています」
「こちらの娘さんもそうですか」と志津の脇を歩く娘を指した。
「はい、私は小夜と申し、昨年の暮れよりお世話に成っております」と自己紹介した。
「箸にも棒にも掛からぬ倅がここ数日で変わったが、どうやら倅が申すことは誠の様だな」
「与八郎様が何を申されてかは存じませんが、話半分で御座います」
「いや、与八郎の言葉では語りつくせぬものも見せて貰って居る」と志津の美貌を暗に褒めた。
中廊下を抜け裏庭に面する大廊下に出ると、子供たちが活けた月見飾りがいくつも並べられていた。そして軒にはテルテル坊主が吊るされていた。
 
 主の部屋に入ると、そこではお玉が千丸と遊んでいた。
「お玉有り難う。お玉も明日のために仕上げをしておきなさい」
「はい、母上様」といい、お玉は客に一礼して部屋から出て行った。
「あの子は、お子さまですか」と登代が訪ねた。
「あの子も養育所の子です。一番幼く、弱く、正月に来た時は助かるか心配したのですが、育ってくれました」
箏の調が変わった。
「この箏はお玉が弾いているのです。生きることを心配した子ですが、一番早く生きる道を手に入れてしまいました」
「本当に、上手ですね」
お玉の箏の調を聞いていると、走り寄る音がして縁先に兵庫が顔を見せた。
「お待たせしました。今暫くお待ちください」と云い、防具を外し縁側に置くと、
「足を洗ってきます」と井戸へ飛んで行った。

 外で付いた汚れを落とした兵庫が部屋に入り、座に着いた。
そこで、改めて紹介し合い話しが始められた。
「先日は倅・与八郎に御助言をいただき、何とか難を逃れたと聞き、遅れましたが御礼を言いに参りました」
「助言と云っても、斬られる前に斬れと言ったようなものです」
「?、そうか与八郎」
「はい、そうですが。聞かねば斬られていたでしょう。刀は抜かぬものと教えられていましたから」
「なるほど、それが侍の剣術ではなく武者の剣術と云う事か」
「言われたからと言って出来るものでは在りません。出来たのは与八郎殿に武人魂が芽生えたからでしょう」
「その武人話だが、倅から狙われる身のままで居るのは家のためによくないと、真意は分からぬが廃嫡にして欲しいと言ってきた。与八郎の云う事には家名を繋ぐために尤もなことがあり、わしは受け入れ、跡は弟の小十郎に継がせることにした。万が一、与八郎が討たれたとしても、武人として死んだことにし、弟には敵討ちはさせぬつもりです。その武人になにとぞ育てて頂きたい」
「与八郎殿の心は既に武人と成って居ます。残るは生きる術の修行です。私がお世話になった先生が居ますので、そこに預けたいと思って居ます。私はそこでの修行の中で何人か人を斬り、生きる術を身に着けました。辛い修行ですが与八郎殿は生き抜くでしょう」
「そうか、よろしく頼みます」
「武人になるに後ろ髪魅かれる家族は要りません。今より届け出が済むまで与八郎殿を預かりますが、別れはこの場で」
三人は、言葉を発することなく目で語らい、涙を流した。
そして逸見夫妻は帰って行った。

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Posted on 2016/09/30 Fri. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学