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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第97話 前へ(その3)】 

 太白と為吉との話の内容を志津に話した兵庫は稽古着に着替えた。といっても稽古をするわけではない。養育所の子供たちは午前中は勉学や芸事に励む者が多いからだ。この時間帯が兵庫が飛び回るに適していて、そのためには堅苦しい侍姿より稽古着姿が良かったのだ

 兵庫は向島の村上茂三郎の屋敷で鬼門に建てる小さな稲荷社の木を刻んでいる彦次郎に会いに走って居た。
屋敷まで来ると、屋敷の裏鬼門、坤(ひつじさる)の角に台座に漆喰で止めた地蔵が立っていた。
そしてその地蔵を造った辰五郎の声が屋敷の裏から聞こえて来ていた。その声に誘われて行くと、案の定、辰五郎が作った風呂釜を風呂桶に据えている所だった。片方では井戸で汲み上げた水を風呂場へ流す樋も作られていた。
 風呂は女たちの願いである。町近くに住んでいる女を向島の辺鄙な場所に呼ぶにはどうしても風呂が必要となり、鍛冶屋の辰五郎が鉄砲風呂を参考に風呂釜造りから始め、今、日の目を見ようとしていた。

 兵庫はその傍らを抜け、屋敷の北東・鬼門の角に向かった。
そこには既に祭りの神輿程度の大きさの社が建っていた。そしてその前には阿吽の白狐の石像が鎮座していた。
そして朱塗りの鳥居が建てられていた。寄進者の名は村名主の幸兵衛だった。
 向島の仕事場は兵庫の思う以上に捗って居た。それには訳が在った。
今年の春先に北国の新発田を逃げるようにやって来た三家族を兵庫は養育所に受け入れた。その時、一年を目途に独立して貰う条件を付けたのだ。今、晩秋九月を迎えると、北国から来た者たちには長い冬のことが思い出され忙しく働いたのだ。
これを担ったのが水野家の主・賢太郎と嫡男粟吉だった。

 見当たらぬ彦次郎を探して、兵庫は母屋に入り、茶を飲んでいるところを見つけた。
「彦次郎さん、稲荷、ご苦労様でした」
「見て頂きましたか。祭神は幸兵衛さんがお好きな猿田彦に入って貰ったそうです。ところで次は何を致しましょうか」
「そのことで、お願いに来たのです」
「何でしょうか」
「駒形の道場を彦四郎屋敷に移築したいので、その指揮を執って頂きたいのです」
「庭の一分を整地しなければなりませんが、その場所を決めて下さい」
「先の話に成りますが、屋敷内の東側に南北の道を通し、その両側に町屋をと考えていますので、それを避けるとなると北に成るような気がします」
「あの屋敷の使い方が何となく分かりましたので、四間角の道場を入れ込む場所を探してみます。駒形の道場の解体は、水野親子の手が空いた時から始めさせていただきます」
「それで結構です。子供たちも参加させてください」
「また楽しませてもらいます」

 用を済ませた兵庫は、押上に戻ると昼までの時間を薪割をして過ごした。
そして午後は剣術の相手をした。この中には子供たちの他に、最近剣術を始めた大人たちも居て、熱心に稽古に励んだ。
夕方になると、今度は女の子と外を歩き、兵庫としてはのんびりとした午後を送った。
それも終わり部屋に籠ると、志津が
「駒形の家はどうなさるのですか」と素朴な問いかけをしてきた。
「板橋から江戸に戻ることに成り、幸(先妻)のことを考え小料理屋が開けそうな家が無いか私は浅草を回りましたが見つかりませんでした。お奉行・遠山様の密命で知り合った大黒屋又五郎殿から打ちこわしに遭った店が駒形に在ると聞き、持ち主の札差・山倉屋に頼み手に入れたものです。 ただ、幸の腹が膨らんでいたため、小料理屋を開くことは止めました。代わりには成りませんが開いたのが剣術道場でした」
「その頃に、旦那様と再会したのでしたね」
「そうでしたね。幸が亡くなり、志津と一緒になりあの店には似つかわしくない具足販売し、さらに、商売とは無縁の養育所を開いたわけです。今、具足販売をたたみ、駒形の養育所も閉めました。ここは浅草に合った商いが良いと思うのですが、町人と同じことをしても敵いませんので思案しているところです」

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Posted on 2017/04/09 Sun. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学