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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第97話 前へ(その9)】 

 着座を確かめた兵庫が、
「今日の夕食には京橋の菱屋さんから千春様、千賀さん、峰吉さんをお招きしました。養育所では今日から絵を描き売る商いを始めたのです。その最初のお客様が菱屋さんで数日の間こちらに泊まることに成ります。絵を描くのは大人を太白先生、子供は又四郎さんです。養育所の子については既に大助とお玉が描かれて居ますが、残りの皆の絵も描いて貰う予定です。楽しみにしていて下さい。それでは、頂きます」
「頂きます」が唱和され、食事が始まった。

 夕膳に出されたものは、鯛や海老といったものは一切ない。存在感のある秋鯖が乗っただけだった。やはり菱屋の子にとっては得体のしれない魚になかなか箸が向かない様子だった。だが、母親の千春は「美味しい」を何度も口にした。後で分かったことだが千春は商家の小町娘だったが、海老や鯛の暮らしになったのは見染められて菱屋に嫁いだ後のことだったからだ。
ただ生まれながらにして大店の子の二人は偏食で、肉付きは良いが虚弱なのだ。そのことは京橋から養育所にやってくる道中でお玉より弱さを見せたので兵庫には分かって居た。
「お玉、今日の鯖はどうだ」と兵庫が何かを期待して尋ねた。
「大好き。それとこのお魚を食べると元気になれるよ。鈴ちゃんも多美ちゃんも食べようね」
鈴と多美が頷き、おぼつかない箸づかいを止め、隣に座る綾や文に顔を向け、「婆様」と云い口を開けた。
その口の中に楽しそうに二人の婆が摘まんだ鯖の肉を放り込んだ。
「おいしい」と云い微笑む幼子の顔に皆も微笑んだ。
それを見て、千賀も峰吉も少しばかり鯖を摘み口に入れた。
食わず嫌いの口の鍵が開き、結局夕膳を食べつくした。
「ご馳走様」の唱和が終わると、子供たちが立ち上がり、客と主等の膳を下げていった。爺婆は己の膳を下げ、戻ってきた子が残って居た自分の膳を下げ、広間に兵庫一家と菱屋一家が残った。
「子供たちは?」と千春が尋ねた。
「後片付けを皆でして、一分の子は明日の支度を手伝います。その後は自由で、遊んだり稽古をしたりして、五つごろには寝、明け六つの鐘で起床します」
「自由時間に何をしているのですか」
「外で遊べれば外ですることですが、暗いとか雨が降るとかの場合は、女の子は紐を組んだり、本を読んだり、箏を弾いたり、おしゃべりをしたりしているようです。男の子は囲碁や将棋をする子が増えて居ますね。あとは取っ組み合いをしています」
「それにしても皆、しっかりしていますね」
「ここを出て行く時のために、あるいはここを出て行くために、色々なことを身に着けているのです」

 廊下に足音がして、障子から一番幼い多美が顔を半分出して中を覗いた。
「後片付けが終わった様です。場所を私の部屋に変えましょう。旦那様は峰吉さんと外に出て遊んでください」
「足がしびれて来た所です。行くか」と峰吉に声を掛けた。
「はい」
 暮れ六つ前だから外はまだ遊ぶ明るさは残っていた。
亀戸天満宮が近くだから行ってみますか。
「はい」
兵庫が手を出すとその手を峰吉が掴んだ。歩いていくと時折手が離れるが、気が付いたように峰吉の方から掴んできた。その時は兵庫も握り返してあげた。
親と一緒に暮らしていても、親子の接触は少ないのだと兵庫は思った。兵庫自身も父・多門の手を握った記憶が無かった。ただ寂しいと思った記憶も無かった。
兵庫は峰吉に天満宮の太鼓橋を上り下りさせ、喜ばせて養育所に戻って来た。
「峰吉、食べたばかりだが、あの茶店の串団子食えるか」
「はい、食べたいです」
一串持たせ食べさせていると、暮れ六つの鐘が鳴った。
そこにやって来た客が頼んだのは天満宮の帰り道か、
「提灯に火をお願いします」だった。
「はい、ご苦労様です」とお仙は快く、火を入れ渡すと、
「助かりました」と云い、暗い道に向かって去っていった。
「峰吉、今日一日は良い日だったか」
「はい」
「それは良かった。今日はこれまでだ。部屋に戻りなさい」
峰吉は嬉しそうに養育所へ入って行った。

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Posted on 2017/04/15 Sat. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学