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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第98話 残月(その1)】 

 ここは押上、東西に走る北十間川南岸の道に面した畑の一角に、間口およそ二十間の棟割り長屋が建っている。その長屋には間口二間の小さな店が並んで入って居るため十軒店(じゅっけんたな)と呼ばれるようになっていた。
 この十軒店は南町奉行所元与力・鐘巻多門の三男・兵庫と旗本山中家の次男・碁四郎と兵庫が修行時代に知り合った浪人の内藤虎之助の三人が発起人となって開設した養育所が建てたもので、店は養育所の関係者か、養育所を頼った者が番頭となって切りまわしている。
 そして十間店を塀代わりにして、その奥にはこの辺りでは珍しい瓦ぶきの大きな家が建っている。この家は札差・先代の山倉屋五郎右衛門が建てた寮だが、使われなくなっていたのを当代の山倉屋から兵庫が譲り受けたものだった。
この家に兵庫の妻・志津がお産のために、駒形の養育所から女の子をつれて移ったのが今年の春だった。以来、ここが女の子ための養育所として使われて来た。

 その養育所から男の子の声が聞こえて来ていた。
普段この養育所を男の子が使うのは朝稽古が始まる明け六つ過ぎから夕七つまでが原則に成って居た。しかし、昨日は十三夜の月見を催したため、中之郷元町から来ていた男の子も泊まっていた。そのため嘉永六年九月十四日(1853-10-16)明け六つの鐘が鳴ると兵庫に起こされた。
「今日の予定を言いますので聞きなさい」
子供たちは布団の上に正座した。
「今日は食事後、駒形に行き、道場の解体作業を見、解体されたものを中之郷元町の彦四郎屋敷に運ぶ手伝いをします。尚、本日より彦四郎屋敷を中之郷養育所と呼ぶことにします。分かりましたか」
「はい」「はい」・・
「それでは、用を足したら、布団をたたみ、稽古着に着替え、母に挨拶に行き、戻ったら布団を背負い、道場に集合しなさい。朝駆けを兼ね、中之郷養育所に布団を届け、朝稽古に戻って来なさい」

 暫くすると、保安方の鬼吉と乙次郎に挟まれた子供たちが、押上から中之郷に向かって駆けて行った。
 子供たちが去った道場に大人たちの気合が飛び始め朝稽古が始まった。
朝稽古に汗を流す大人のほとんどが、稽古に真剣に取り組むのは命がけの仕事をしていると思って居るからだ。
事実、兵庫が東都組の頭・半蔵に斬りかかられ、これを倒したのは未だほとぼりも冷めない九月八日のことだった。ただ兵庫が襲われるのはよくあることだったが、半蔵の当初の狙いが薬屋・継志堂の用心棒を引き受けた北村徳三郎だったと聞かされた者たちは、いつか自分にも刃が向けられることは避けられないと思わざるを得なかったのだ。

 激しい稽古も子供たちが戻って来ると終わり、今度は子供相手の稽古に成るが、油断大敵を教えられる相手も居て稽古の厚みを増すため、子供との稽古を嫌がる者は少ない。
朝五つ前に子供たちは食事のために中之郷養育所へ帰って行くが、押上では食事の用意が出来たことを知らせる板木が打たれるまで残った大人の稽古は続けられた。

 朝食後、肖像画を描いて貰うために来ている菱屋の千春が
「今日、昼過ぎに迎いが来ます。色々と有り難うございます」
「終わりましたか、ご不自由をおかけしました」
「一つ伺って戻りたいのですが養育所では、暮らしに困って居ない子でも預かって頂けるのですか」
「それは養育所の決まり事を守ること。お子様が望んだ場合のみです」
「ちなみに決まりとは」
「大人の云うことは聞くこと。勝手に出かけないこと。助け合う事。難しいのが勝手に買い物をしないことなどですがここでの暮らしに不自由はさせません。あとは世の中の決まりと同じですよ。もしお子様のことでしたら、着衣も贅沢にならない様にして頂きます」
「分かりました。それで入門料は如何程でしょうか」
「食事代として日に百五十文頂きますが、何か道具、例えば剣術の道具を買うときはその実費です」
「分かりました。戻り主人に子供の願いを聞いて貰うように頼んでみます」
「やはりお子様のことでしたか」
「子供がもう帰るのと云うので聞いたら、ここでの暮らしが気に入った様です。母としても、こちら様のお世話を頂ければ人様を思いやる子に成るだろうと思ったのです」
「そうでしたか。ご主人・伊兵衛殿の良い返事がもらえるといいですね」
子供の千賀と峰吉が頷いた。

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Posted on 2017/05/02 Tue. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学