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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第98話 残月(その31)】 

 町役の中に泥棒の上前をはねる者が居るとは思いたくないが、十八日の茶会が無事に終わり、元東都組の者を狙う久蔵、繁蔵一味を懲らしめたら、半蔵の死後に東都組の者たちが軒賃として集めた金を戻しに浅草を回らなければならない。その時までに各町の町役からの返却も済んで居ることを願い、兵庫は吾妻橋を渡り浅草の町に入って行った。
 大川沿いの道を駒形へ進むと途中に竹町の渡し場が在る。
その渡し場の様子が眺められる土手には見覚えの在る男たちが居て、兵庫の姿を見ると会釈をし、兵庫も返した。
 経師屋為吉の暖簾を潜った兵庫は竹刀の音が聞こえてくる道場へ向かった。
戸障子を全て取り払われた道場では、元東都組の者五人が乙次郎を相手に竹刀を真剣に振っていた。
威勢を張っての脅しには長けていても命がけの戦いに臨んだことは無い男たちに、付け焼き刃とも思える剣術の稽古を始めたのは、命の危機が迫っていることを思い知らされたからだ。
それは頭の半蔵が兵庫を襲い討ち取られ、その後を引き継ごうと軒賃集めをして引き揚げた船宿・浦島で刺客に襲われ、そこでは襲ってきた者の一人が船宿の主・宇野宗十郎に斬られ死んだのを見ている。その後も刺客の影が消えていない事実が在るからだ。

 兵庫は稽古する者に声を掛けることなく道場を抜け継志堂の裏口から入り、奥座敷の根津甚八郎に迎えられた。
「甚八郎、山中さんと話をし、少し段取りが変わりましたので聞いてください」
「はい」と甚八郎は改まった。
「私と山中さんは十八日の木戸がしまる半刻前に、芝神明町の久蔵宅に押し入り久蔵を懲らしめた上で、駒形に木戸が閉まる前に駆け戻る段取りに変えました。これは久蔵が多くの浪人を雇い入れたことに対応するためですが、この段取り替えが不可能でないことは久蔵が置かれている状況を検討した結果発案されたものです。尚、久蔵を取り巻く状況は当日まで見続け、段取りに支障が生じるか、否かを見届け、最終判断は十八日暮れ六つ頃にします」
「段取り替えについては分かりました」
「賊を迎え討つ役割ですが、甚八郎は継志堂に入る者を迎え討ち、私と山中さんは賊を外から攻め、捕縛することにします。捕らえた賊は奉行所に引き渡すことにします」
「分かりました」
「戸口を誰かが押さえたら声を掛けますから、皆出て来て押し包み観念させましょう」
「早くかけて下さい」
「その意気です。ところで碁四郎さんの読みですが賊は吉原帰りを装い、山谷堀から何艘かの猪牙に分乗し竹町の渡しで下り、皆が揃ったら押しかけるのではないかです。これを信じて、御厩の渡しの見張りを竹町の渡しに向けて下さい」
「今日は未だどちらも収穫が在りません」
「恐らく、賊らが下見に来るのは明日でしょうから、今日は止めにして下さい。ここに泊まるのは明日と明後日の二日とし、今日は戻って下さい」
「分かりました」

 押上に戻った兵庫に状況の変化は持ち込まれずその日は終わった。
明けて嘉永六年九月十七日(1853-10-19)、この日午前中は特に変わったことは無かったが、午後、昼食後中之郷から北村徳三郎がやって来た。
菱屋から頼まれていた、伊兵衛の妻・千春の肖像画を軸に仕立てるのが出来上がったのだ。娘・千賀と倅・峰吉の肖像画は壁掛け額としてすでに出来上がっていた。
「千賀と峰吉を迎えに来たのですか。それにしても早い仕上げですね」
「元東都組の荒くれが部屋にやって来たのを見て、折角の絵が台無しにされては困ると云って、為吉が頑張ったのです」
「事情はわかりましたが、子供たちは明日の茶会を楽しみにしているのです。京橋に出かけるのは十九日にして下さい」
「分かりました。その代わり十九日には京橋に帰ることを云っておいて下さい。女と子供には嫌われたくありませんので」
「それは私も同じですよ。志津に引導を渡して貰います」
笑いが起きた。

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Posted on 2017/06/02 Fri. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学