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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第110話 お蔭参り(その40)】 

 入谷を出た兵庫と志津は、国元からやって来た墓参りの者たちが居ると思われる向島の円通寺へと向かった。
予定通り墓参りは進められたのだろう、十一基の墓前にはささやかだが供物や飾り物そして線香が細い煙を上らせていた。
墓参りを済ませた一行は本堂ではなく庫裏に招かれていた、
そこでは養育所が用意した弁当、十五食分が十人に渡されていた。
そしてやはり急ぎ旅なのだろう。十人は四つの鐘を聞くと円通寺を出て行った。

 十人を見送った兵庫と志津は庫裏に浮雲和尚を尋ねた
「十人でしたね。額賀殿の家から二人ですか」
「各家から一人で、もう一人は旅慣れた案内人だよ」
「案内人ですか・・・」
「ああ、何かは知らぬが買い物も頼まれて居るようで、江戸に成れた者も必要だったようだ。死んだ者の供養が終われば、生きている者たちへの気遣いが在ると云う事だ」
「明日は生きの良い子供たちだけでも百人ほど、他に大人がその半分ほどが時をずらして参りますので宜しくお願いします」
「楽しみにしているよ」

 そして、待ちに待った嘉永六年十一月二十九日(1853-12-29)は養育所設立の切っ掛けを作った額賀等の墓参りの当日である。
この日、墓参りのために早起きした者が居た。越谷宿の旅籠・福寿屋の主となった乙次郎・美代夫妻と乙次郎の子飼いと成った元東都組の好太郎と波平で、七つ立ちの客と共に旅籠を発った。尚、乙次郎は養育所の保安方を永らく勤めていたが、元の親分・勝五郎の急死事件では勝五郎の遺言で跡目を継ぐ形で福寿屋の主に納まった。

 そして同じようなことが草加宿でも起きていた。
千疋屋の主に成った元保安方の仙吉と妻・小菊、娘の鶴の三人である。
仙吉も乙次郎同様に元親分・十兵衛の急死に際し、遺言で千疋屋の主に成って居た。

 兵庫は乙次郎と仙吉の二人には敢えて声を掛けなかった。
それは、やくざの跡目を継いだ二人には先ずは己の足元を固めて貰うことで今後の養育所の発展に貢献してくれると思って居たからだ。
事実、越谷宿や草加宿への棒手振りの荷を大八車に乗せての販売は地元のやくざ者に邪魔されることなく利益を上げているのは乙次郎や仙吉の目が光っているからなのだ。

 そして同じ草加宿で道場を開く坂崎新之丞と預けてある養育所の娘、お松とお竹が早起きしていた。

 他に昇龍院の文吉は起きると袴を着け脇差を腰にした侍姿になり八丁堀へ巳之吉を迎えに行った。
何故侍姿に成ったのかだが、迎えに行く巳之吉が侍として暮らして居るからだ。町人姿で迎えに行っては巳之吉のお供として歩かざるを得ない。それは巳之吉の方が辛いからだ。

そして外から来る者は兵庫と志津が居る押上を目指していた。
と云うより、子供たちは押上に集合する事になっていた。
そのため押上では集まる者を迎えるために自分たちのことは早めに済ませることにした。
兵庫は子供たちと朝食を早めに済ませると、入谷の子供たちを迎えに出かけた。
 兵庫が入谷の竜三郎の店に入ると、侍が入って来たことで飯を食っていた男たちの目が集まった。
「龍三郎さん、何人ですか。珊瑚さん一人ですか」
「全員です。支度は出来ています」
「竜三郎さん。台所の上がり降りで使って居る簀子のような物が在りますか」
「飯屋にはやっぱり必要ですか。持って来ます」
奥に引っ込んだ竜三郎は、台所で使って居る簀子を持って来て土間に置いた。
「それでは先ず、もも、その、そでの三人に下りるように言って下さい。下り終わったら仲間毎に出て来て下りるように言って下さい」

 奥から、娘三人が出て来て、板の間から簀子に下り、持って来た下駄を履き、土間に立った。
それを見てサザエ、カツオ、ワカメ、タラが出て来て板の間から簀子に下りた。
そこで、先に下りていたそのとそでがワカメとタラの手伝いをした。
その様子を兵庫と客が見ていた。

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Posted on 2018/07/18 Wed. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学