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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第110話 お蔭参り(その9)】 

 その頃、駒形の養育所の二階では碁四郎、新藤栄二と浜中松之助の保安方、子供たちが話を始めていた。
「与えられた役割は、頼る大人がいなくて困って居る子供たちを探し出すことです。少し前まで、皆が探し出される役でしたが、今度は探し出す役になって貰います。探す場所は浅草と深川にします。なお深川で探す人は毎日浅草と往復せずに涛屋に泊まって活動して下さい。深川の保安方は涛屋に居る網吉さんに頼みます。深川で探したい方は居ますか」
碁四郎の問い掛けに手を上げたのはやはり深川を知る佐助、梅次郎 松助の三人だった。
「午後に、涛屋まで一緒に行きましょう。それでは話を探索に戻します。探索の活動時間は日中にします。その代わり保安方が指定した位置から一町以内なら一人で探しても良いことにします。活動は今日の午後からにします。ただし、大助は駒形に残って預かり所の子供たちと遊んで下さい」 

 話を中之郷元町の養育所を出た中川彦四郎の動きに戻すことにする。
彦四郎は両替商宮古屋事件で重傷を負い、お役を果たせないとの表向きの理由で南町奉行所同心を辞して、兵庫の誘いもあり奉行所役宅を出て一家全員が養育所の世話になった経緯がある。傷は完治しないが動けるようになると兵庫から中之郷の屋敷の留守居役を命じられ、外回りは父の矢五郎が請け負っていた。傷が癒えた後も留守居役と云う事で用の無い外出はしなかった。

 その彦四郎が歩くのが仕事だった同心時代にもしたことが無かったことは赤子を抱く妻・雅代と並んで歩くことだった。
向島との間の北十間川を渡った。
そこは元気な子供たちが遊び回るには良いのだが、足元のおぼつかない者は手を引いて貰わないと安心できない道だった。
と云う事で、彦四郎は赤子の百丸を妻から受け取り、用心しながら歩くことに成った。
「この道は何とかしないといけませんね」と二階から飛び降り足を折った勘三郎が云った。
「そうですね。他にやらねばならないことが出て来るかもしれませんので、屋敷に戻って相談し、何をするか決めましょう」

 円通寺に入った一行は、その時境内に居た久蔵と繁蔵に迎えられた。
「額賀様の墓参りですか」頭を丸めた繁蔵が確かめてきた。
「その前に掃除などをと思い、和尚様に挨拶に参りました」
「和尚様は庫裏の方においでです」
「分かりました。その前に不案内なので墓に案内して頂けますか」
墓地に入り久蔵と繁蔵を先頭に奥へと案内された。
額賀等の墓へ向かう途中の様子は掃除が行き届いて居た。
そして「あちらです」と久蔵が指した。
そこには墓石代わりに漬物石ほどの大きさの石が置かれた、低くなった土饅頭が並んで居た。
「墓が十一基ではなく十二基在りますね」
勘三郎が云うと、皆が数えて「本当だ」と子供が呟いた。
「勘三郎、富五郎・・一番手前のただ石が置かれているのは正一の墓だよ。土饅頭が無いだろう」
「骨が無いのですね」
「ああ、斬られた後、回向院に無縁仏として葬られたのでな」
 正一は久蔵の子分で、勘三郎、富五郎の三人で船宿・浦島に押し込んだ時、主の宇野宗十郎に斬られ、死んだのだ。

 墓を見て回ると、誰の墓か判るように、名前の書かれた白木の板が小さな卒塔婆の様に刺さっていた。
額賀雅治、額賀小太郎、額賀宗次郎の額賀家三人に続き、海老沢八郎、菊池伝十郎、根本平三郎、関為之助の侍四人、半助、留七、岩次郎、良助とただ名前のみ記された四人の墓だった。

 取りあえず墓の所在と様子を確かめた彦四郎は、
「私は和尚に挨拶してきます。皆は待って居て下さい」と云い庫裏に向かった。
 彦四郎の訪(おとな)いの声で姿を見せた坊主に
「浮雲和尚様でしょうか、鐘巻の使いで参った中川彦四郎と申します」
「あなたは切られ彦四郎さんですか。お噂は伺っております。お上がりください」
彦四郎の異様な面体を見た浮雲が招き入れた。

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Posted on 2018/06/17 Sun. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

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