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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第110話 お蔭参り(その11)】 

 村上の後ろ姿を追っていた子供たちの目が兵庫に戻ると、話し始めた。
「稲荷も地蔵も養育所でまとめてお供え物を用意したので、皆さんは手を合わせ、一つだけ願いをしたら次の人に譲って下さい。お参りするときはただ手を合わせるだけでなく願い事などを神仏に告げることが、本当に願いを叶える、あるいは近づく秘訣です」
「それ、本当ですか」と子供たちの中から声が上がった。
「本当です。例えば上手に字が書けるように成りたいのなら、それを願うと同時に神仏に毎日“永”の字を書くと約束するのです。神仏との約束を破りにくいですから必ず上手に字が書けるようになりますよ。ですから願いと同時に願いを叶えるために努力することを神仏と約束することです」
「神仏に嘘を付いたら」
「始めから嘘を付いては行けませんが、誰にでも約束が果たせなくなることはあります。例えば病気になるなどです。その時は病が治ったら又、始めれば良いのです」
神仏にした約束は絶対に守るから出来るだけ守るに、いくらか和らいだことは子供たちにとって嬉しいことだったのか、安堵したのか一様に頬を緩めた。
「それではお参りを始めますが、地蔵も稲荷も養育所の敷地内ですが、村の方もお参りが出来るように垣根の外に祀ってあります。一旦外に出ないとお参りできませんので願い事の短い男からにします。順番は私が決めます。最初は昇龍院、駒形組、次が中之郷元町にします。その次が押上で薬研堀と深川から来られた方も一緒にお参りして下さい。最後は向島です。なお向島の養育所のことがよく分からない方は、自由に見分して下さい」

 子供たちの流れは先ず表の道沿いに在る地蔵に向かった。
その地蔵自体は器用な辰五郎が作った物で真新しく、野辺の地蔵とは異なり小屋に据えられて居る。供物と云っても飯に汁椀が奥に置かれ、手前には火が点いたロウソクが立っていた。
先頭の浜中が線香を取り、火を付けると、この日のために用意されたのか、かなり大きな線香立てに差し、拝んで子供たちに場を譲った。
 子供たちは大人に習い線香を立てると、手を合わせた。願い事を言って居るのか、声は出さないが口が動いていた。
地蔵参りを終えると稲荷へと向かった。
ここでも浜中が参拝の見本を見せた。
と云っても、それは殆ど地蔵の時と同じだった。

 余談ですが、八百万(やおよろず)の神々を崇めた日本においては、いちいち八百万の作法を覚えることは出来ない。だからどんな神仏に対しても手を合わせる作法一つを選んだ。
しかし、幾ら拝んでも願いが叶わぬため、無信心の者が増えていった。
無信心者が増えることは国を治めるのに不都合なのだ。
神仏を信じるよりお金を信じる者が増えては国を治めるのに金が掛かり過ぎてしまう。
統治を安上がりに済ませるためには信心深くさせるのが良いのだ。
 日本において信仰作法が形式化したのは廃仏毀釈を進めた明治になってからである。
この時仏教は排斥され、神道が崇められ、寺は打ち壊しに遭った。
そして国教を神道とした政府の偉いお方が、神社へのお参りの際には現代の二礼二拍手一礼に似た作法を提唱し行われるように成り、現代の二礼二拍手一礼が少しずつ浸透したのは戦後のようです。

 地蔵参り、稲荷参りの流れはしばらく続いた。
お参りを終えた子供たちは、珍しそうに子供たちの宿舎に成って居る長屋に入り、二段寝床の上で遊んだり、一頭増えて三頭になった山羊に野菜の屑を与えたり、押上の母猫・ふくの子・“茶”に久しぶりに会い遊んだ。
 大人たちは遊ぶ子供たちの声を聞き、姿を見てつかの間を過ごした。
この平穏は、死んでいった額賀等のお陰だが、参加した信心深い年寄りは
「良い御参りが出来ました」と云い兵庫に頭を下げた。

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Posted on 2018/06/19 Tue. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

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