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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第110話 お蔭参り(その28)】 

 その日の浮浪児探しを終えた者たちに兵庫は、
「明日の浮浪の児探しは浅草では行いません。午前中は稽古と勉強に励んで下さい。午後、昇龍院の者は入谷に入った皆さんに付き合い分からないことを教えてあげて下さい。駒形の子は好きなことをして下さい。今日はご苦労様でした」
 入谷を出てそれぞれの寝床に向けて分かれていった。
ただ、入谷で暮らすことに成った勝手の知らぬ子供たち十六人のために、経験は浅いが年長の、もも、そで、そのの三人が残された。
 兵庫は押上に戻る前に、駒形の養育所に寄らねばならない事情が在り、駒形から参加した新藤や子供たちと同道し、養育所に入った。
一緒に戻った子供たちは二階の寝間に、帳場には番をしていた内藤と兵庫そして新藤が残った。
「こちらからの話ですが、入谷には新しい子供たち十六人と乙女さん、それと年季が明けて戻った珊瑚さんが入り、聖天町と竜泉寺町は空き家になって居ます」
「一挙に十六人とは驚きですが、竜泉寺町の成田屋から運び込まれた物にも驚かされました」
「数えましたか」
「箱を開けただけで数えてはいませんが、金・銀・銭の三箱合わせて小判一箱は在りそうですね」
「千両ですか」と新藤が確かめるように言った。
「千両は大金ですが、養育所の子供たちが百人に成ろうとしています。一人に掛かる費用は世話をする大人に支払う費用も加えると毎日一朱は下らないでしょう。百人ですから百朱になり、千両を百朱で割ると・・・何日持ちますか」
「・・・百六十日ほどです」と内藤が応えた。
「千両をたったの半年で使って居るのですか」と新藤が驚いてみせた。
「ですから、十軒店、古着屋、書画、棒手振りなどで、稼いで貰い持ち金が減らないように頑張って貰って居るのです」
「先の話ですが養育所を出た子供たちが稼ぐように成れば、養育所に届けられる浄財も増える日が来るでしょう」と内藤が閉めた。
「ところで、矢五郎さんから何か在りましたか」
「成田屋与兵衛は御厩の渡しで山中さんの船に乗せられ、久坂さんと大川を下っていくのを見届けたそうです」
兵庫は頷き、「寝て、又来ます」と云い、駒形の養育所を出て行った。

 嘉永六年十一月二十六日(1853-12-26)が明けた。
養育所の子供たちは朝食前に済ませなければならないことが在る。
男の子は朝稽古で、女の子は手分けして賄い仕事、掃除、洗濯の手伝いなどである。
大人もこの時が一番忙しく、兵庫の妻・志津も我が子の千丸に付きっきりにはなれないから、年寄りの部屋に赤子、幼児を入れ遊ばせている。
この時兵庫は竹刀を持って剣術を指導しながら、子供たちと一日を共にする保安方と話し、子供たちのことに耳を傾け、また、気に成ることが在れば尋ね目の届かないことを知る大事なひと時でもある。
 兵庫は新藤と話すことで向島の子が中之郷の子供たちと進めている円通寺墓参者が通る道の道普請が進んでいることを教えられた。

 朝食後兵庫は志津に八丁堀まで行くことを告げ押上を出た。
それは八丁堀の兄の子の御守り役として預けてある巳之吉を額賀の墓参りさせることを許して貰うためだった。
その前に駒形に寄ったのは草加宿、越谷宿に移った養育所関係者にも額賀の墓参りにと思ったからだ。
「内藤さん、額賀殿の墓参りの件で草加宿の坂崎道場に預けてあるお松とお竹を二十九日の朝迎えに私が行くという知らせを草加宿へ行く棒手振りの者に持たせて下さい」
「分かりました。仙吉さんや乙次郎さんはどうしますか」
「あの二人には墓参りしなければならない者が居ます」
「十兵衛さんと勝五郎さんですか。そうですな二人の遺言が無ければ二人はまだ自分の道を歩んでは居られませんでしたね」
「私は、これから八丁堀に巳之吉の件で行って来ます」
兵庫は駒形を後にした。

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Posted on 2018/07/06 Fri. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

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