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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第110話 お蔭参り(その36)】 

 案内する彦四郎が、
「鐘巻さん、この家の中を全て回った訳では在りません。納戸に成って居る部屋には与兵衛の物とは思えないお宝が有るようですが、その価値は私らには分からないので見て居ません。与八郎の居間ではないかと思われた部屋に入った所で書付を見つけました」
そして中庭に面した部屋に案内された。
「ここです」
その部屋は十畳間で文机が三つ置かれて居た
真ん中が貸金業関係、右がここにやって来る浮浪の子供たちのこと、左がいわゆる嫁入り先など子供たちの売り先について記載する文机です」
「背後の書棚もそのように分かれているのですね」
「はい、几帳面な男のようで、乱れた置き方はしていません」
「それは有り難いです。整理の手間が省けます」
「古い物は、押入れの中に整理されています」
「分かりました。今日の午後、何人か連れてまた参ります」

 兵庫は朝飯を食べに行った勘三郎が戻る前に成田屋を出た。
寄りたい所は駒形だが、会いたい内藤は子供たちの教育に専念して居て呼び出せない。
兵庫の足は駒形を通り越し、神田川沿い平右衛門町の船宿・浮橋に向かっていた。
碁四郎に会うためだが、碁四郎には昇龍院を任せているため、会えないかも知れない。
案の定、浮橋の暖簾を潜った兵庫に、番頭の幸吉が
「旦那なら、昇龍院に行っています」
「昼飯後、駒形で会いたいと伝えて下さい」
「分かりました」

  押上への帰り道、回って来た二軒の家を何に使えばよいのか、兵庫に名案は無かった。
ただ、お琴の話では、中之郷元町の養育所に住む大人を聖天町の家に移し、入谷に収容した子供たちを中之郷元町の養育所に受け入れようとの考えのようだ。この案は採用できそうな気はした。しかし、成田屋については知れば知るほど使い道に迷い始めていた。
成田屋には与兵衛の書付が残って居る。それは与兵衛に巨額の富をもたらした記憶であるが、反面恨みの記録でもある。与兵衛は恨みを買って死んでは居るが、公には成って居ない。恨みが消えない者が居ると思わなければならない。
この怨念を取り除くためには、どこかで与兵衛に改めて死んでもらわなければと思いながら、押上に戻って来た。

 自室に入ったが部屋にぬくもりは無かった。
押上内には最近になって来た多くの女の子がいる。ただ修行を積んだ千夏と小夜は入谷へ、お玉は薬研堀の預かり所へ、お松とお竹は草加宿の坂崎道場へ出ていて日頃の手本になる者が不足していた。
そのために、志津も出て、子供たちが浮浪暮らしで身に付けた振る舞いを改めさせようとしているのだ。
ただ修行は、子供たちの望むことであり、努力を惜しまないため、教え甲斐も在った。

 昼少し前に成って、志津が預けておいた千丸を抱き戻って来た。
「道普請は如何でしたか」
「明後日に歩いて、子供たちを誉めてあげて下さい」
「分かりました。午後はこちらで過ごされますか」
「いや、駒形に碁四郎さん呼びましたので出かけます」
「何か御座いましたか」
「実は聖天町と竜泉寺町に行って来ました。先ず土産話からします。乙女の部屋には三味線や鼓、舞扇があり、二階のサザエの部屋にも在りました。土産話に成りましたか」
「分かりました。明日、入谷に行きたいのでお願いします。それでは土産話でない話もお聞かせください」
「与兵衛ですが、金貸しもやって居ました。借金を返せない者から色々な借金の形を取って居ました。中には耐えがたいものもあったような・・。ただし与兵衛は公にはまだ死んでませんので殺しに来るような者が居るような気がしたので、そのことを碁四郎さんと相談しておこうと・・・」
「分かりました」

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Posted on 2018/07/14 Sat. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

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