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洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

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【鐘巻兵庫 第115話 始動(その1)】 

 鐘巻兵庫は南町奉行所与力家の三男として生まれた。
親が当主の間は部屋住みの身でも良いのだが、兄が当主に成ると居候となり居心地が悪い。
兵庫は父が当主で居る間に剣術修行に出た。
ここでの修行は実戦に重きを置くもので、道場主の相川倉之助は持ち込まれる難題に弟子たちを使った。その中に兵庫も居た。
兵庫は竹刀剣術では得られない実戦呼吸を習得するとともに、処世の術も体得していった。
それは武士でもなく町人でもない狭間の世の中を渡り歩くものとなっていった。
修行を終わらせた兵庫は実家には戻らず駒形に住み暮らしを始めた。
剣術修行は兵庫を人斬りと呼ばせるほど腕を上げていた。
その腕を借りようとする者が現れるのは自然な成り行きだった。
そうした中、札差百家が十両ずつ出し合計千両の仕事が舞い込んだ。
その仕事は札差を拉致し千両の身代金を奪うものを退治することで、既に一人が千両の身代金を払った後だった。
兵庫はこの仕事を剣術で知り合った同じような境遇の山中碁四郎と請け負い、兵庫等が斬った訳ではないが、結果的に賊全員が死んだ。
兵庫と碁四郎はこの仕事で賞金千両の他に、引き取り手の無い金千両と合わせて二千両を得た。
ただ賊の中にひとかどの武士も居たため、何のために大金を集めていたのかを調べると、得た金を貧しい家の子のための養育所開設に使うためだったと分って来た。
 兵庫碁四郎は死んでいった者たちの志を引き継ぐ事にし、修行時代に知り合った内藤虎之助を呼び養育所を開くことを御上に願い出、許可され駒形に継志館養育所を開設した。
開設は嘉永五年の暮れで、足掛け三年経つが実質は丸一年とひと月と短いのだ。
この短い期間に養育所を拡充あせることが出来たのは、二千両の資金だった。
兵庫はこの金を使い、浮浪の子供たちだけではなく困って居る武家も受け入れ仕事を与えたのだ。
これにより子供たちは学門、躾が身に付くと同時に、異国船来航に際しては具足商いでの働き手となった。
具足商いで、兵庫等は千両を超える利益を得、養育所の運営に金で困ることはこれまでに起きていない。

 駒形で産声を上げた養育所は押上、向島、中の郷と拠点を増やし、昨年冬には聖天町、竜泉寺町を加え、さらに今年に入ってからも霊岸島の四日市町にも足場を気付き始めている。
他にも、養育所に協力してくれる所が薬研堀。深川永代寺門前町、高田寺の昇龍院と理解を広げている。

 新しい年、嘉永七年正月八日(1854-2-5)が明けようとしていた。
「今年も始まりますね」と志津が投げかけて来た。
「子供たちのほとんどが初めての正月を迎えたのです。年の初めに正月が在ることを学んで居たのですから、子供たちは元日から今年が始まっていたわけです。しかし、大人は己の成長に役立つことをしたかと言えば、子供たちほどにはしていなかったでしょうね」
「それでは旦那様、今日は何をなさるのですか」
「子供たちが自立するまで未だ年数が残って居る者たちが多い。川向こうの養育所に行き遊び主体の子供、学びや修行主体の子供たちを分ける相談をしようかと思って居ます。子供たちが多いので指導者が足らないのです」
「向島には幼い子供たちの遊び場がどこよりも在るので、幼い男の子と女の子を入れたら如何ですか」
「押上が混雑しているようですから、妙案に成りそうですね。志津は何を?」
「無地の衝立が届いたので、何か書くことに成って居ます」
二人は今日一日が始まる夜が明けるのを寝床で話しながら待って居た。

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Posted on 2018/11/11 Sun. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

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