04 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 06

洗心湯屋

日本一長い、時代小説を目指しています。

プロフィール

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カレンダー

【鐘巻兵庫 第98話 残月(その17)】 

 広間に戻ってきた兵庫に彦四郎が、
「今朝がたからの動きは根津さんから伺いました」
「それでは船宿・浦島で起きた事件のその後を聞かせて下さい」
「事件について宇野殿の証言は押し入った三人の賊をたまたま小用で起きた主の宇野殿が見つけ、一人を斬り倒し、二人に手傷を与えたが取り逃がした。逃げた者の風体は分からず、特に奪われた物はない。と云うより、何を目当てに貧乏船宿に押し入ったのか不明という証言です。他に泊まって居た十人の男たちについては知らぬ間に姿を消していたと云う事です」
これに対し定廻り同心の坂巻殿は
「死んだ者の身元を割りだそうとしても手掛かりに乏しく、難渋しそうだと調書を上げるそうです」
「養育所関係者の名は出ない分けですね」
「はい、奉行所には報告されませんが、いきさつは全て話してあります。勿論、逃げた二人のこと、姿を消した十人のこと、今どこに居るかも、どうするかも伝えて在ります」
「それで結構です。浦島に彦四郎さんがどうして居たのか、正直に言うのが一番です。それとこの事件は本所・深川で起きたものですが、火元は川向こうの浅草側です。忙しい坂巻殿は飛び火がこれ以上来ない様に、浅草側で火元の後始末をつけて欲しいと思って居るはずです。今日の午後から浅草側で動くことにします」
「身体の傷も癒えましたので、斬られ彦四郎の出番も用意して下さい」
「えっ 斬られ彦四郎 まさか」と少し離れて同席していた勘三郎が呟き、富五郎と顔を見合わせて、そして改めて彦四郎を注視した。
彦四郎も反応し二人を見た。
「お二人さん。私もこの養育所で傷の養生をして来ました。早く良く成って下さい」
二人はただ小さく頷くだけだったが、なぜか目の光は増していた。

 暫くして、板木が打たれ広間は昼食の席に変わっていった。
東都組の者十人がの代わりに、その数を上回る男の子たちが座った。
「今、椅子に座りターフルを膳がわりにしている方が居ます。勘三郎さんと富五郎さんですがご覧の様に片足を折り、もう片方も痛めていて一人では動けません。片足がしっかりしていれば、杖とケンケンで動けますが、両足の悪いとそれも出来ません。今日より、お二人が一人で動けるようになるまで、九歳以上の男の子は押上でお二人と暮らしのお世話をするように。九歳以上の者、手を上げなさい」
佐助、観太、虎次郎、熊五郎、富三郎、秋四郎の六人が手を上げた。
その六人を勘三郎と富五郎が見ていると、志津が老女に向かって
「綾様、文様、子供たちを宜しくお願いします」
「分かりました、奥様。お任せください」

 食事が始まり、そして終ると、兵庫が
「片付けが済んだら六人は広間に集まりなさい」と告げた。
 子供たちが戻るまでに兵庫は竹刀や六尺棒を用意し、その使い方を勘三郎や富五郎と話しながら待った。
そして男の子がやって来たが六人ではなく全員だった。
それは何かわからぬが母・志津の傍に居られるような世話とはどのようなものか興味があったのかもしれない。
 集まった子供たちは兵庫が話し始めるのを待った。
「私はこれから外出しなければなりませんので、皆にお願いしてから出かけますので、勘三郎さんや富五郎さんと相談しながら良い方法を探して下さい。それではお願いを言います。一つ目は、子供でも移動の手伝いが出来る方法を決めて下さい。二つ目はオシッコの取り方。三つめは・・」
「うんち」と男の子に混ざって見ていたお玉が言った。
「そう、その三つです。方法を決めるには先ず子供たちだけでやってみて確かめてから、実際にお二人にも試し、直す所があれば直し、少しでも良くしてください。どうしても良い方法が見付からな時は綾様や文様の知恵を借りて下さい。考えて貰えますか」
「はい」と云う返事が六人以上から出た。
「あの、棒と竹刀は何に使うのですか」
「私が勘三郎さんを移動させるのなら、負んぶでも、抱っこでも、肩車でも出来ます。しかし子供一人では重すぎて出来ません。みんなで力を合わせれば重い物を運べます。例えばお神輿です。考えて下さい」
と云い、兵庫は広間から出て行った。

 ←ボタンを押して頂ければ励みになります。

Posted on 2017/05/19 Fri. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第98話 残月(その16)】 

 東都組の者とそれを狙った刺客が兵庫と話し合うにつれて打ち解けていき、最後には相手を気遣う助言までした。
不思議に思った兵庫が、
「竜三郎さんは勘三郎さんを恨まないのですか」
「恨むのなら勘三郎さんではなく私を狙わせた張本人を恨みますよ。しかし、それは教えては貰えないでしょう。もしかすると勘三郎さんも知らないのでは」
「図星です。私も富五郎も知らされているのは、東都組の者たちが船宿・浦島に泊まって居るから、その中から竜三郎を探し出し始末して来いと言われただけですよ。しかし、そこに十数人もの鐘巻様たちがやって来るとは思っても居ませんでした」
「それは偶然ですが、半蔵の死後、逃げ去ったと思って居た東都組の者たちが浅草に舞い戻った話しを聞き、何か悪さをされては困るので見張っていたのです。浅草西仲町の飯屋では懐具合が良さそうだったと聞き、何か悪さをしたなと思ったのです。半蔵の死で弱体化した東都組をこのまま居据わらせるほど、やくざの世界は甘くないと、放って置けば血が流れると云う者が居たのです。一方で十人が知り合いの船宿・浦島に酔っぱらって入ったと聞き、十人纏めて拉致し、匿うことにしたのです。その浦島に私たちより先に忍び込む者の姿を見て、刺客だと思い、飛び込んだのですよ」
「こちらは一か八か飛び降りたが案の定、この始末。やくざは使い捨てですから死ねば安心してくれるでしょうが行方不明では目の色を変えて探し回るでしょうね。逃げたとあっては、もうやくざはお払い箱、傷が治った後、どうしたものか思案しておかないと・・」
「養育所にはやくざの身から抜け出した者たちが居ます。もし皆さんがやくざ稼業から足を洗う気が在れば、養育所で受け入れる余地は在りますよ。傷が治るまでに、また悪事の返済が済むまで時間が有りますので、出て行くか残るか考えて下さい」
「有難い話ですが、私や富五郎は追われる身になると思いますのでご迷惑を掛けることに成ります。傷が癒えましたら追い出して下さい」
「ここにお連れした時から、こちらの心は決まって居ます。悪党に臆する道は選びませんので共に戦いましょう」

 男たちが兵庫の話に感激していると、中之郷からまた子供たちがやって来た。
「これから東都組の皆さんには、保安方に化けて頂き中之郷に移って頂きます。走りますのでしびれを取っておいて下さい。着替えの稽古着を用意してきます」
 外に出た兵庫は先ず、甚八郎と子供たちを集めた。
「深川組はいつものように手習い、学問をして下さい。浅草組には東都組の皆さんを中之郷まで送る手伝いをしてもらいますので待って居て下さい。私と常吉さんで送り届けますので甚八郎は広間で彦四郎さんの戻りを待っていてください」
「分かりました」
兵庫は道場口に入り置かれている予備の稽古着二組と草鞋二足を持って広間に戻った。
「二人ずつ移って貰いますので、稽古着に着替えて下さい」
こうして東都組の者たちの中之郷養育所への移動が始まった。
先頭を兵庫その背後に竜三郎、子供たちが続き、久八、常吉が一列になって中之郷まで走り続け、開いていた門内に飛び込んでいった。
「竜三郎さんに久八さん来て下さい」と呼び、玄関の板木を二度叩いた。
出て来た中川彦四郎の妻・雅代が「お待ちしておりました」と迎え入れる用意が出来ていることを暗に示した。
十人を五回に分けて移動させます。用心のため保安方に化けさせました。持参の服に着替えさせ稽古着を戻して下さい。
「分かりました」
二人は屋敷の中に入り、暫くして戻って来て稽古着を包んだ風呂敷包を兵庫に渡した。
「外出は限られますので、ここで汗を流し、戦いの日を待って下さい」
「そうします」
 押上と中之郷の間を五往復している間に時が流れ、兵庫が押上に戻った時には四つ半を過ぎていた。
そして広間では浦島から戻って来た中川彦四郎が甚八郎と話をしていて、その様子を怪我をして歩けない勘三郎と富五郎が見ていた。

 ←ボタンを押して頂ければ励みになります。

Posted on 2017/05/18 Thu. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第98話 残月(その15)】 

 明け方に連れて来られた十二人のならず者たちが広間に用意された朝食の席に着いた。
ほぼ同時に、彦次郎と佐吉が座り、そして兵庫が、先ほど男の子たちが“母上”と呼んでいた美しい女を伴い部屋に入り座った。誰しもがその女が兵庫の妻だと思った。
そして女の子九人と老婦人二人がそれぞれの膳を持って入った。これで、この日の広間で食事することに成って居た全員が揃った。
「それでは食事の前に、覚えきれないでしょうが名前だけでも自己紹介することにしましょう。それでは私から、この家の主、鐘巻兵庫です」
「鐘巻の妻・志津でございます。これは倅の千丸です」
そして子供たちが、千夏、小夜、かえで、あやめ、すみれ、お玉、鈴、多美、千賀と名乗り、続いて年寄りが、近藤綾、八木文、彦次郎、佐吉と名乗りあげた。

 これで養育所に居る者たちの自己紹介が終わった。
「それでは、並んだ順で結構ですので、こちらからお願いします」と兵庫が促した。
東都組が名乗った者は、竜三郎、久八、鎌之助、六助、大二郎、小助、好太郎、波平、伊佐次、忠治で、続いて怪我をした二人が、勘三郎、富五郎と名乗り自己紹介が終わった。

「人を助けるために怪我をされた勘三郎さんと富五郎さんは一人で歩けるようになるまで押上で暮らして頂きます。また、町のために働いて頂く他の十人の皆様には中之郷に移って頂きますが、時折、押上にも参りますので顔は覚えておいて下さい。それでは頂きます」
「頂きます」と唱和され朝食が始まり、そして終わった。

 膳が片付けられ部屋から女・子供が姿を消した所で
「彦次郎さん忙しいところ申し訳ありませんが、お二人に杖を造って下さい」
「分かりました」
「お二人は暇を持て余すでしょうが、無理をなさらず養生して下さい。何か静かな趣味でもあれば用意します」
「有り難うございます」
「それでは彦次郎さん、佐吉さんいつもの仕事を始めて下さい」

 部屋から二人が出て行き、話が本題へと進んだ。
「十人のお方に尋ねます。皆さんが行った悪事を清算するためですから、隠さず応えて下さい」
「そんなことが出来るのですか」
「取り敢えずは金を返すことから始めましょう。気持ちの方は善行を見せることで清算してもらいましょう」
金を返しても残る悪事は善行で返すと云う話に十人は納得したのかそれ以上の問い掛けは無かった。
「それでは、竜三郎さん。昨夜のことですが西仲町の多良福で少しばかり金を使った様ですが、その金の出所は何処ですか」
「半蔵親分の時に軒賃を頂くようになった店で、今月分が支払われて居ない所を回って集めた金です」
「やはり軒賃でしたか。それにしても半蔵が亡くなった後なのに、素直に払ってくれましたね」
「それは半蔵の名より東都組の名の方が売れていたことと、半蔵が死んだことさえ知らぬ者も結構いました」
「と云う事は、半蔵死後に集めた軒賃は今月一回分だけですね」
「そうです」
「それでは今日から頂戴した軒賃を返しに参ります」
「それは出来ません。ほとんど使ってしまいましたから」
「それは養育所で立て替えます。利子は頂きませんが皆さんの借金になりますので養育所で働いて貰います」
「分かりました」
「鐘巻様」と竜三郎の命を狙った勘三郎が声を掛けた。
「はい、何でしょうか」
「気をつけて下さい」
「まだ狙いますか」
「一人が殺され、二人が行方不明です。東都組の者も行方不明。何が起きたのか調べているでしょう。多くの目が浦島周辺や浅草に集まって居るはずです。外に出れば居所が分かってしまいます。東都組の者を狙うか否かは分かりませんが、親分の気持ちを忖度(そんたく)する者が居ますから気を付けて下さい」
「忖度ですか。勘三郎さんは侍の出ですか」
「鐘巻様。上の者に取り入るのは侍ばかりでは在りませんよ。始末が悪いのは侍は保身のために忖度しますが、やくざ者は命を賭けますので気を付けて下さい」
「分かりました。気を付けます」
「中之郷に移すそうですが、相手の調が進まないうちに移られた方がと思うのですが」
「そうします。暫くすると子供たちがまた保安方と参りますので、戻る時に保安方の姿に成り移って貰います」

 ←ボタンを押して頂ければ励みになります。

Posted on 2017/05/17 Wed. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第98話 残月(その14)】 

 名を言われたが、東都組の者で名と顔を知る者は伊佐次と忠治だけで竜三郎と言われても分からず、東都組の者を見回した。そして
「遅れました。私は鐘巻兵庫と申します」と改めて名乗り、
「竜三郎殿は何方でしょうか」と尋ねた。
「私ですが、鐘巻様と立ち会うほどの腕前では御座いません。勘三郎さん、なぜ私を・・なぜ私の名を・・」
「あなたが竜三郎さんでしたか。私と富五郎が狙ったのはあなた一人の命だったのです。あなたが居なくなれば東都組のタガが外れるからです。ただし腕が立つので用心しろと言われていたのです。もっともあなたを探そうと部屋に入った時、“鐘巻兵庫参る”と聞きたくない名が耳に入り、恐怖心に襲われ、役目を果たさず逃げ出すはめになった訳です。東都組の頭・半蔵さんに見込まれていた竜三郎さん、あの半蔵さんを一太刀で倒したと聞く鐘巻様を竹刀でもいいから、打ちすえたくはありませんか。その真剣な勝負を見せて欲しいのです」
「私も鐘巻様の名を聞き、足がすくみ逃げ出すことを諦めていたのです。そのお陰で足を折らずに済みました。その代わりに竹刀で打たれ痛い思いをさせて貰います」
こうして、防具を外した兵庫と竜三郎が竹刀を持って向かい合った。
兵庫の気合に続き聞きなれぬ奇声が飛んだ。
それが十軒店で保安を勤めていた剣術好きの常吉と乙次郎を呼び込んだ。
 互い正眼に構えるまでは真っ当なものに見えたのだが、互いの切っ先の間隔を維持しながら竜三郎は進み出たのだ。分かりづらいのだが竹刀を引き付けながらその分前進するという間合いの詰め方で、錯覚させるものだった。
ただ、兵庫はこれまでに異能な剣術に接することも多く用心するのだが、竜三郎は向かい合ってから動きに停滞が無く、兵庫は相手の動きに素直に応じるだけだった。
竜三郎が縮んだ腕を伸ばしながら突きを入れたが、これは兵庫の読み筋で、払い退け、小手か面を打つつもりだったのだが、払われるのは竜三郎の読み筋で、一瞬竹刀を下げ空振りさせ、兵庫の竹刀が流れている間に竜三郎は竹刀を戻しながら再度突きを入れて来た。
常人ならこの突きが決まっただろうが、兵庫の動きは最小限で無駄な力も使わない。
空振りさせられた竹刀を戻すのが、竜三郎が下げた竹刀を戻すのと同時で、竜三郎の二度目の突き出す竹刀は兵庫に払われ、更に面を打たれていた。
 この後も稽古は続けられた。
竜三郎の剣術は一人芝居を演じるかのように、構えを変え兵庫に挑んだ。そもそも不意打ちを得手とするもので、互いに構え合って行う剣術とは異質で、兵庫を驚かせたのは最初の手合わせだけで、竹刀を兵庫に当てることは出来ないうちに、子供たちがやってくる声が聞こえて来た。
 兵庫が引き
「子供たちが参りました。これまでにしましょう。稽古がお望みでしたら道具を用意しますので暫くお待ちください」
「有り難うございます」

 稽古仕度を済ませた子供たちが次々と道場口を抜け、姿をあらわすと、道場に居た男たちの目が注がれた。
 全員が揃うと、小さな子を先頭に道場に向かって走り出したが、道場には入らず母屋の東端の部屋の廊下に座る美しい女の前まで行き、それぞれが、「母上、お早うございます」の声を上げ、一人一人が母親に触れて貰い、道場にやって来た。
そして、「皆さま、お早うございます。稽古、お願いします」と頭をさげた。
 子供たちの稽古相手は、兵庫、近藤、甚八郎、常吉、乙次郎、鬼吉と少し遅れて来た坂崎新之丞の七人に、ほぼ倍の人数の子供たちとの巡り稽古が行われた。
兵庫が「変われ」と声を上げるたびに相手を変える者、休む者、稽古に加わる者と動くのだが、それがよどみなく行われ、昨日今日に始められた稽古ではないと誰しもが思うのだ
 そしてよどみない動きは、美しい女が再び廊下に姿を見せると、兵庫が稽古を終わらせた。子供たちは稽古指導者に礼を言い、母と呼ぶ女の元に行き、挨拶し、揃って帰って行く様子にも見られた。
 更に、大人たちの稽古はしないと聞かされていたのだが、稽古を止めたのは中之郷に戻る坂崎だけで、他の六人は激しい稽古を板木が打たれるまで続けた。
そしてそのよどみない動きは稽古を見物していた者たちへ向けられた。
「お客を広間に案内して下さい」
と兵庫が言っただけで、歩ける者は広間に連れて行かれ膳を前に座らされ、歩けない二人には介助者が二人ずつ付き、席を立たせると他の者がターフルと椅子を広間の廊下に運び、再び二人をターフルまで連れて行き座らせたのだ。

 ←ボタンを押して頂ければ励みになります。

Posted on 2017/05/16 Tue. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学

【鐘巻兵庫 第98話 残月(その13)】 

 押さえつけられ治療を受ける勘三郎と富五郎が痛みを堪えるのを見ていた中川矢五郎が碁四郎に、
「彦四郎一人が、ここに残るだけで船に乗りきれますか」と自分も残りたいのだろうか、尋ねた。
「平気ですよ。いざという時には勘三郎さんが乗って来た猪牙もありますから」とそっけない返事だった。
これが切っ掛けで船頭の捨吉と銀太が船の支度のため、船宿浦島を出て行った。
こうして東都組の手下十人と、それを襲った生き残りの二人を加えた一行が二艘の船で、柳島の船着き場に着き、押上の養育所に戻って来たのは七つ(午前4時頃)の鐘が鳴る前だった。

 無事、押上に戻って来た兵庫等を留守をしていた女たちが出迎えた。
腹を空かせた男たちに蕎麦を振る舞った。食べ終わると養育所以外から来た者たちは、“今朝は大人たちの朝稽古は中止”と云う朝寝が出来る時の土産を持って、それぞれの家・屋敷に帰って行った。
 連れて来られたならず者十二人も差別されることなく扱われた。それは厳しい縦社会に身を置いて来た男たちに理解できないことだった。だが、それは男たちにとって味わったことのない心地よさでもあった。
その余韻に浸っていると、女が顔を見せ兵庫に頭を下げた。
「布団が敷けたようです。ここの朝は明け六つです。一刻と短いですが休んでください。ここを出て行くのは勝手ですが、それで私たちとの縁は切れたと思って下さい。尚、ここに居る間は仲間ですから喧嘩はゆるしません」
二人は常吉や佐吉の肩を借り十人とは別々の部屋に案内され短い眠りについた。

 嘉永六年九月十五日(1853-10-17)、養育所の起床を促す明け六つの鐘が鳴った。
ただ女たちは男たちの寝不足を気遣ってか、起こせば騒がしくなる子供たちを起こさず、静かな夜明けを迎えるはずだった。
 しかし、皮肉なことに未明に養育所に連れて来られた男たちは、養育所の起床は明け六つと聞かされていたため、鐘の音を聞くと起き始め、閉め切られていた雨戸を開け始めたのだ。
 一方、兵庫もいつものように起き、いつもの手順を踏んでいた。大人たちの朝稽古は中止にしたが、中之郷養育所から来る子供たちの朝稽古が四半刻後に始まるからだ。子供の朝稽古にも兵庫は剣術方の筆頭として参加が求められていたのだ。
 鐘巻家の仕事、倅・千丸のおしめを洗い干し終えた兵庫は、二階から飛び降り片足を折り、もう片方も痛めた勘三郎と富五郎が寝ている部屋に行った。
「眠れなかったでしょうが、起きて貰います。人を呼びますのでそのままで待って居て下さい」と部屋に入り雨戸を開けた。
通りかかった常吉に、
「勘三郎さんと富五郎さんが動けずに暇を持て余すでしょうから、道場近くにターフル(テーブル)と椅子を置いて見物できるようにして下さい。私は稽古仕度をしますので」
「ターフルは正座が出来ぬオランダ人が持ち込んだ物だそうですからおあつらい向きですね。直ぐ用意します」

 自室に戻った兵庫が稽古仕度を済ませ庭に下りると道場の外回りに頼んだターフルと背当ての付いた椅子が置かれているのが見えた。そして母屋の影から常吉と乙次郎の肩を借りた勘三郎が、その後に東都組の肩を借りた富五郎が現れた。
命を狙われた者たちが狙ったものに肩を貸すとは想像もしていなかった兵庫は驚きと嬉しさに襲われ、言葉が出なかった。
それは兵庫より早く道場で体の筋を伸ばしていた根津甚八郎と近藤小六も同じだった。
「鐘巻様、私たちも見物させてください」と東都組の者が頼んだ。
「どうぞ、大人相手でしたら剣術に参加して貰っても構いませんよ。ただし防具が足りませんので痛いのは我慢して下さい」
 兵庫がいつものように身体をほぐす大きな舞を踊り、暫くしてその動きを終らせた。
それを待って居たのだろうか、椅子に座り、ターフルに手を乗せ身体を支えていた勘三郎が、
「鐘巻様、子供たちが参る前に、私が指名する大人との稽古を見せて頂けませんか」
「なんとなくお気持ちは分かります。お気持ちを晴らすには早く良くなり、竹刀で立ち会える日が来ることを楽しみにしています。今日はその代わりとして何方と立ち会えば宜しいのですか。受けますので教えて下さい」
「無作法な申し出をお聞き入れ頂き有り難うございます。相手をして頂きたいお方は、これまた無作法で申し訳ないのですが、東都組の竜三郎さんです」

 ←ボタンを押して頂ければ励みになります。

Posted on 2017/05/15 Mon. 04:01 [edit]

thread: 花の御江戸のこぼれ話

janre 小説・文学